❦ 10 Love Songs and Stories -君を想いて-
烏丸千弦
❦
Track 01 - Goodbye to Love
「さよなら、私の初恋」
「――あれ、ミチル。おかわりは?」
「ん、いい。ごちそうさま」
「え、ミチル、カレー好きなのにもういいの? 明日の朝用にちょっと持って帰る?」
「朝からカレーは食べないよ」
「そう? 私、食べるよ」
ミチルと私は、生まれたときから家が隣同士の、幼馴染だ。
ミチルのお父さんは小さい頃に亡くなってしまって、うちはお母さんが離婚して出ていった。片親同士になったからか、偶々もともと仲が良かったからか、親同士はいろいろ助け合っていて、保育園からずっと一緒なミチルと私は、まるで姉弟のように育った。同い年だけど、誕生日は私のほうが早いのだ。それにミチルは小柄で可愛くて、中学二年になるまでは背も私のほうが高かった。だから姉弟。
ミチルのお母さんは日勤のときと夜勤のときがあって、中学生になってからはその都合に合わせて、私がミチルのぶんまで食事を作っている。ひとりのとき、ミチルはうちに来て晩ごはんを食べて、うちのお父さんが帰ってくるまで一緒に宿題をしたりゲームをしたりして過ごす。私はひとりきりだと退屈だし、夜はちょっぴり怖いので、ミチルがいてくれるだけでとっても心強かった。
じゃあね、また明日。そう云ってミチルが帰ったあと、私は急いで二階の自分の部屋に駆けあがる。部屋に入り、ドアをそっと閉める。明かりはつけない。そうすると、やがて窓の向こうに光が瞬く。ミチルが自室に戻ったのがわかって、私はなんとなくほっとする。
バイバイしても、こんなに近くにいる。私はカーテン越しの四角い光の中で時折動くシルエットを見つめ、なにをしてるのかなと想像する。ゲームかな、漫画でも読んでるのかな。それともネット? ……ミチルもえっちなサイトとか見るのかな。想像できないけど。そんなことを考えてはひとり、くすっと笑ったり。
そう、私はミチルに恋をしていた。ミチルは私にとってただの幼馴染じゃなく、初めて好きになった男の子なのだ。
行きも帰りもいつも一緒な私とミチルは、クラスメイトたちにいつも冷やかされていた。悪意があって云われるのではない。夫婦認定されてしまっているのだ。無理もない。毎朝一緒に登校してきて、お弁当の中身も同じ。偶に一緒に帰れないときは、皆の前でふつうに今日、遅くなるからごはん要らない、なんてことを話したりする。そのたびにおおー、夫婦の会話だー、なんて冷やかされるわけだ。
そんなとき、私はなに云ってんの、うちらの事情は知ってるでしょ。私とミチルはきょうだいみたいなもんなんだから、といちおう憤慨してみせるのだが、実は、内心では得意になっていた。もう、あんたたちいつも同じことばっかりよく飽きないね、と云い返したあとに、ミチルに向かって夜食のおにぎりとか置いとかなくていい? なんて訊いてやったりするのだ。私もけっこういい性格してると思う。
でも、ミチルは冷やかしに対して別に怒りもしないし、かといって照れたりもしなかった。
私とミチルは高校も同じところへ進んだ。親や経済的なことを考えて、家から近い公立を選んで、無事揃って合格してから半年ほどが経った頃。
いつの間にか私を追い越してすっかり背が高くなったミチルは、友達と一緒に勉強するから、と云って晩ごはんをあまり食べに来なくなった。学校から帰るとすぐに出かけてしまい、帰ってくるのはいつも夜十時過ぎ。おなかは空いてないの? とLINEで尋ねてみても、食べたよ、としか返ってこない。土日はバイトを始めて、それもあって余計に家で食べることが減っていた。
そのうえ、今までまったく気にしてなかったのに、もう弁当もいいよ、冷やかされもするし、大変だろと云ってきた。バイトしてて小遣いはあるから、パンとか買って適当に食うよ。ミチルはそう云ったけど、私はパンなんかじゃだめ、栄養が偏るし、どうせついでなんだからと云ってやめなかった。
意地だった。お弁当までなしになったら、私とミチルの接点がなくなってしまうような気がしたのだ。
そして二年生になって。友達には、私とミチルがつきあってないなんて嘘でしょ!? と驚かれたりした。幼馴染だから、いつからとかどこからとかがはっきりしてないだけで、もうつきあってるも同然、友達以上恋人以上だよね? みんなにそう云われて私は、えー違う違う。どっちかっていうと弟だよ、って否定したけど、このときはちょっと胸が痛んだ。私はミチルのことが好きだったけれど、ミチルは私をそういう目で見たことがないんだなって、もう薄々わかっていたから。
ミチルは優しい。いつも美味しいって私の作ったものを食べてくれて、うちのキッチンに私が、というか全国民が大嫌いなゴで始まるアレが出たときも、俺だって嫌だと云いながらも必死に退治してくれた。お風呂の電球が切れちゃって、真っ暗で困っていたときは買いに走って直してくれた。不審者情報が出たときは絶対にひとりで帰るなよ、買い物も今日は一緒に行こうって云ってついてきてくれた。
何度笑いかけてくれただろう。何度マヒロって名前を呼んでくれただろう。だけど、私は気づいていた――彼が私を見つめるその瞳には、熱も揺れも、なにもない。
皮肉なことに、子供の淡い初恋っぽい想いが胸を締めつける苦しいほどの想いに成長すればするほど、それははっきりとわかってしまったのだった。
ある日の放課後、友達が慌てて私を呼びに来た。一年の女子が、ミチルを呼びだして今から告白するらしい。若い泥棒猫に旦那とられるよっ! なんて云いながら腕を引っ張っていかれ、だから旦那じゃないってばーと云いつつも、私も気になって校舎の陰からそっとミチルと件の泥棒猫を覗き見た。
ミチルは、ごめん、俺、決まった奴がいるから、と云ってその子を泣かせた。そして私を引っ張ってきた友達ふたりは、きゃーっと盛りあがっていた。決まった奴ってあんたのことじゃん! 倫瑠くんえらい! やっぱり嫁がいるから! 私はだーから違うってーと調子を合わせつつ否定していたけど、本当は胸が痛くて死にそうだった。
そうか、私を異性として見てないだけじゃなくて、他にいたんだ。ミチルのことなら、自分はなんでもわかっていると思っていた。他の誰も知らないようなことまで知っているつもりでいたのだ。でも、違った。
そっかー、いつの間に。バイト先とかで知り合った子だろうか。ふうん、そっかー。
どんな人だろうと気になった。私よりも可愛いのはしょうがないけど、料理がうまかったら嫌だな、と、少し思った。
土曜の午後。お醤油がなくなりそうなことに気づいて、ついでにと買い物に出た。けれど、いつものスーパーに来てみると改装中でお休みだった。しょうがないので、私は広告でよく見る激安スーパーに行ってみようとバスに乗った。バス代がもったいないような気もしたが、近くにある他のスーパーは高いし、激安スーパーに興味もあったし。
そんなふうに、予定外に行ってみたそのスーパーは思っていた以上に安くて、品揃えもよかった。両手にどっさりと食材の入ったエコバッグをぶら下げ、私は早く帰ろうとまたバスに乗った。往復のバス代くらいは元が取れたなと機嫌良く窓の外を眺めていると、バスは赤信号に引っかかり、停まった。
そのとき、ふと気づいた――舗道を、ミチルが歩いていた。あまり見た憶えのないちょっとお洒落な恰好をして、男友達と肩を並べて。私は思わず窓をこつこつと叩き、おーいと手を振った。そして――その手を、すっと下げた。
そこにいるのは、私が知ってるミチルじゃなかった。
初めて見た、ミチルの花が綻ぶような笑顔。喋って、ちょっとふざけあって、笑って。ミチルより少し背の高い、スポーツマンタイプのイケメン君が話すのを、じっと見つめながら頷いて、はにかむようにまた笑って。
ミチルのあんなリラックスした自然体な
そっか……となんだか、すとんとなにもかもが納得できた気がした。
私はどう頑張ったって、その位置には行けなかったんだ。なんだよミチルのばーか。もっと早く云ってくれていたら、私だって他に彼氏候補を探したのに。
信号が変わった。バスがゆっくりと動きだす。一度だけ、私は振り返った。でも、もうミチルの姿は見えなかった。
今日はカレーだ。帰ったらすぐに作らなくちゃ――私はそんなことを思いながら、流れていく景色を見つめた。そこに浮かぶのは、はにかんだようなミチルの笑顔。
バイバイ、ミチル。ほんとうに好きだったよ。
目に焼きついたようにいつまでも消えないミチルの笑顔があまりにも眩しくて、私はきゅっと目を閉じた。ぱたりと手の甲に雫が落ちる。想い出のいっぱい詰まった、熱い雫。
うん、哀しいんじゃないよ。でも失恋したんだから、ちょっと泣くくらいいいよね? 私は目を開け、きらきらと滲むオレンジ色に祈った。――神さま、どうかお願いです。
彼がこの先も、ずっと幸せでありますよう。
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♪ "Goodbye to Love" Carpenters, 1972
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