【本橋 荊/『嵐』・5】

 桃田、チャッス、畑を連れ、私は自室に戻る。

 今は寮長が食事を摂っている時間。このうちに、話を済ませておかなければ。

 文化祭に乗じる。

「荊さん!」

 チャッスが昂ぶった調子で私に迫ってきた。

「荊さん?」

 私が睨むと、チャッスは露骨に萎縮した。

「いやぁ、荊さんの男気に惹かれたっていうかぁ……」

「調子乗んな。あとでかい声出すな」

「は、はい……」

 チャッスは桃田のベッドの枕を勝手に叩き、

「とにかく拳が疼いてきたぁぁぁ」

 と小声で喚き散らした。

「荊さん。秋元メルの襲撃作戦は?」

「……」

「荊さん?」

「荊ちゃん?」

 黙り込んだ私に、桃田も同時に顔をのぞき込んでくる。桃田の顔には不安はなく、ただ、私の答えを行儀よく待っているようだった。

 作戦。

 考えてもいなかった。

 ……が、無意識に頭に浮かんでいたのか、自然と言葉が湧き出た。

「秋元メルのシフトが終わるのはいつや?」

「午前中。あいつ、適当に客が少ない時間に当番やって、午後遊び倒すつもりだ」

「どうでもええ。ウェイトレスの服を着替えに、更衣室に来るはずやろ?」

 更衣室は教室とは別館にあり、主に体育の授業で使う場所だ。

「人けもない。一般客もあまり寄りつかないに違いない」

「でも、仮にそこで襲いかかったところで、ばれちゃうんじゃ……いや、怖いとか、そういうんじゃないんですけど……」

 いつのまにか丁寧語になっているチャッス。

 桃田は口を挟まずに、不安な顔一つせずに私の答えを待っている。

「えへへ」

 私が視線を合わせると、含み笑いを浮かべる。気持ちの悪い。

 何を期待している?

 周到な作戦もなければ、確実な方法なんか無い。

 作戦。

 これは方便だ。私の欲望を満たすための暴力への、免罪符に過ぎない。

「あのね、荊ちゃん」

 桃田が躊躇いながらも切り出す。

「ロッカーについたら、電気を消せばいいんじゃないかな? カーテン閉めれば、かなり暗くて顔はわからないと思う」

「馬鹿じゃねぇの。それだと、秋元メルすら見えないし、うちらもなにもできないじゃん。わかってんのかよ、ブタぁ!」

「大丈夫」

 桃田はチャッスにひるむことなく、手のひらを差しだした。芋虫じみた肉々しい指には、赤いペンキの跡が残っている。

「待ってて」

 桃田は立ち上がると、部屋の電気を消す。

「うぉっ」

「……」

「見て」

 桃田の声。振り向くと、桃田の手だけが暗闇に赤くぼうっと光っていた。

「蛍光塗料なの、これ」

「つまり、秋元らに奇襲をかけてペンキをぶっかけて、電気を消して、襲撃するんやな?」

「どう、かな。うまくいくかな」

 桃田は言い淀む。

 私は今、どんな顔をしている?

「それでいこか」

 うまくいくかは知らんけど。

 私にとって、うまくいくか、ばれるかばれないか、顛末はどうでもよかった。

 誰かを徹底的に痛めつけられれば、それで。

「……うん!」

 私の返事に、桃田の笑顔がはじけた。

 いつも肉に埋まったような陰気なブタ顔が、初めて人間らしく見えた気がした。

「やるじゃん、桃田ぁ! っしゃあ、パーティの始まりだぜぇ! 全員皆殺しだぁ!」

 チャッスは騒ぎ立てる。

「次はあんたに生まれ変われたら、ええな」

「マジっすか、荊さん! あざっす! ちゃーっす!」

「……荊ちゃんは、荊ちゃんのままがいいのに」

 どいつもこいつも厭味すら通じん。

 はは、なかなか頼りになるメンツだことで。

「最後に言うとくわ」

「はい、なんでしょう!」

「やるからには、情けをかけるな」

 私が呟くと、一瞬、空気がすっと冷えていくのを感じた。

 だが、チャッスはすぐに「もちろんすよぉ!」とシャドーボクシングを始めた。

 桃田は、嬉しそうに手のひらを撫でていた。

 さて。

 作戦はこれでいい。

 しかし、一つ気になることがあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る