【本橋 荊/『暴力のすすめ』・5】

「……うっさいわ、二人とも」

 その声に振り向く。羽が私にたちのつかみ合いを眺めていた。

 ようやく羽と話せるチャンスだ。

 おとんを押しのけ、羽に縋り付く。

「羽、ごめんな。姉ちゃんな、あんたのために思たんや。あのな、羽……」

「頼む。俺のためや言うなら、一生関わらんといてくれ。それだけ言いに来た」

 羽はそう言い残し、部屋を出て行く。急いで後を追いかけるも、羽は自室に鍵をかけ、再び籠もってしまった。

「羽! 羽!」

 返事はない。力なく床に座り込むほかなかった。

 ……羽。

 言葉が出なかった。羽の顔には、怒りや憤りさえなかった。

 虫。いや、それ以下。ゴミを見る目つき。

「荊。お前が全部、壊したんや」

 クソ卑怯者のオヤジ。

 なんで得意げなんや。殴り殺したりたい。私の手も、死ぬほど痛むんやろうが。

「あいつがでていったんも、羽がいじめられるのも……お前のせいや。お前が、それを自覚でけんから、こんなことになったんちゃうんか」

 おとんが、私の頬を張った。痛みはない。ただ、強く痺れていた。

「更生するチャンスがあるだけでも、お前はありがたいと思わなあかんぞ」

「なんやと」

「羽もな、お前の更生を望んだぁるわ」

「!」

 おとんは出て行った。私はぼうっとしていた。

 このまま眠ってしまうのもいいかもしれない。

 目を閉じる。五年前のことが蘇ってしまう。何度フラッシュバックしたかわからない。

 小学生だった私と羽。今と違って、四六時中一緒にいて、じゃれ合っていた。

 夏休みの夜、家の庭で花火をしていた。幼い羽は自力で手持ち花火に着火しようとしていたが、なかなか火花が吹かず、苦戦していた。ろうそくを前に、おっかなびっくり右手を差し出していた。

 本当に、小さな悪戯心やったんや。

 私は、羽を後ろから軽く突き飛ばした。注意が散漫だったのか、羽はころんと転がり、手に持っていた花火を落とした。

 ――姉ちゃん、やめてや。

 無邪気な笑顔。羽の最後の微笑みだった。

 直後。

 羽が落とした花火が、遅れて火花を吹いた。

 倒れた羽に向かって……。

 そこからは、詳しく覚えていない。この記憶が、どこまで正しいのかさえ。

 羽の髪に火が燃え移り、炎に包まれた。私は、焦って花火の燃え殻が突っ込まれたバケツの水を羽にぶちまけたが、既に……。

 あかん。思い出してどうする。

 いくら自分を責めても、後悔しても、羽の笑顔は戻ってこない。

 鼓動が激しい。たまらず起き上がる。

 そこで起こした行動は自分でも意外だった。

 秋桜学園のパンフレットを手に取っていたのだ。

 羽が、私の更生を望んでいる?

 そうすれば、私たちは元通りになれる?

 そんなに簡単にいくはずないと思いながらも、目の前の可能性に縋りついてしまっていた。

 羽と話したくて仕方ないけど、同時に話すことが、今は何よりもつらい。

 学園の案内に目を通す。

 東京。都会。遠く、遠くて、誰も私を知らない街。

 都会と呼ぶにはほど遠い山深いところに、古びた歴史を感じさせる校舎がそびえ立っている外観が映っていた。


 ――人格形成の園 徹底した教育理念に基づく、社会の秩序の育成――


 人格形成?

 秩序?

 馬鹿げたぁるわ、そんなん。

 秋桜は携帯電話も禁止、私物持ち込み禁止、世俗から隔離された寮生活らしい。

 部屋は天井から床、カーテン、ベッドまで白で統一されている。天地がごちゃごちゃになってしまったような感覚。見ているだけで目眩がする。

 さぞ息苦しいだろう。でも、私はその息苦しさを求めているのかもしれない。

 蔦の絡まりついた校舎。

 私は自然と、そこに自らを重ねていた。

 目を静かに閉じる。


 ――お前に生きとる資格はない。

 ――お前が弟を不幸にしとる。


 聞こえてくるんは、あのときの教師の声。それに。


 ――姉ちゃんのせいで、不幸になったんや。


 羽の、静かな叫びやった。

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