【本橋 荊/『暴力のすすめ』・2】

「姉ちゃん……」と羽が不安そうする。

「あんたもそうや、羽。止めたいなら私を殴れ。せやなかったら、抱きしめてくれ」

 私は羽がかわいくて仕方ない。

 幸せになってほしい。

 でも、この子は優しすぎる。

 想像力の欠如した、無邪気な悪意に満ちた世界を生きていくには真っ当すぎる。

 ――暴力はいけない。

 困難を打開するための腕を切り取る、暴力を封じる暴力。

 臆病者の自己愛に満ちた倫理。

 むしろ。

 アホみたく暴力を禁止するから、この世界から悲しみがなくならんのとちゃうやろか?

「抱きしめる?」

 羽は私を責める目つきをする。気狂いを見る目つき。止めには入らない。

 その代わりに、なのかは知らんが、デブの仲間が私を羽交い締めにする。

 それ、暴力未満。

 こいつらはアホやけど打算的。

 リーダー格のデブを助けようとしたという既成事実を作るために、私に優しく触れたに過ぎない。

 レディファースト。日本にも浸透してきとる。

「邪魔すんな!」

 私が払いのけると、仲間たちは「ぐっ」とかいって下がる。どこかで見た「ぐっ」。

 そんな一言さえ、何かの右へ倣えか。

「あんたらの人生やろ、オリジナリティ出せや!」

 私の言葉をかき消すように、廊下を激しく駆ける音が近づいてくる。

「ちょ、どけ、なにしよんじゃ!」

 デブの仲間を押しのけるガタイのいい男。短髪。教師。

 私の腕をつかむ。暴力反対。

 私は別に暴力を擁護しない。

 根拠のない不当な暴力は。

 せやって、私は悪いことしてないやろ?

 こいつらが羽にしたことに比べたら、私が与えた苦痛なんか、半分にも満たないはず。

「お前、高等部の生徒やろ」

 短髪が言う。

 心の底からどうでもええ。

 なんやその確認?

 誰かわからんとそんなに怖いか?

 知ってようが知るまいが、殴った痛みは同じなのに?

「せやからなんや、離せ!」

 私が腕を振り回すと、教師は私の腕を握る力を強めた。

「女のくせにこんなことしよって」

「男も女も関係あるか! あんたらが羽を助けたったらなあかんのとちゃうんか!」

 私は再びデブを殴る。もう一度振りかぶる。殴りつける。

「やめろ言いやるやろ!」

 教師に乱暴に肩を掴まれる。

 体格差で、私は抵抗できず転倒。

 いつの間にかいた二人の教師ら。原始的に私に覆い被さる。

 湿った煙草の臭い。

 床から立ち上るアンモニア臭。

 吐き気。背筋寒い。

 一瞬。妙に静かになる。羽がしゃくるように泣く声だけが、耳に刺さった。

 私は組み伏せられたまま、短髪の教師をにらみつけた。教師は私を見下ろす。

「××はいじめなんかせん。本橋は××らと仲ええんや」

 ××?

 デブのことか。

 本橋……羽が、こいつらと仲がええ?

 いじめられている生徒を見逃すのは、学校という組織ではあまりにありふれている。

 見て見ぬふりもある。本気で仲がいい、じゃれ合いと思い込む阿呆も普通。

「せやろ、本橋」

 教師に問いかけられた羽は、声を震わせながら「はい……」と呟いた。

「羽!」

 私は、数ヶ月前からの羽の異変に気づいていた。

 学校から帰ると口をきかずに部屋にこもるし、制服が濡れていたり妙に汚れていたりした。徐々に私たち家族とも口をきかなくなった。

 心を閉ざしてしまったんや。

 我慢できんかった。

 羽は優しいええ子や。

 ちゃんと話せば、みんな好きになるはず。

 でも、ガキどもはそうはいかない。

 ……標的を見つけて、残酷な遊びを始める。クラスでの立ち位置を確保する。下らん、たった三年間のために、生け贄を探す。

 中学に入る前から、羽はクラスが変わるたびにいじめに遭っていると聞いていた。

 幼い頃に負った、右頬の火傷痕が原因だという。

 そのたび、私はいじめの主犯格を徹底的に痛みつけた。

 優しくて拳を握ることがでけへん、羽のかわりに。

「羽、正直に言ったらええ! いじめられてたんやろ? 姉ちゃんにはわかる」

「……」

「羽。な?」

 羽は俯いたまま、絞り出す。

「姉ちゃん。俺の人生、めちゃくちゃにするんやめてくれ」

 羽の漏らした言葉に、耳を疑った。

 人生をめちゃくちゃに? こいつらじゃなく、私が?

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