荊の園

肯界隈

【本橋 荊(いばら)/『暴力のすすめ』・1】

 なんで、悪いやつを殴ったらあかんのやろう?

 昔からわからなかった。

 悪いことをする。

 罰を受ける。

 言葉よりも、皮膚の痛みはうんとわかりやすい。

 あぁ、自分がしたことは悪いことだったんだ、と気づけるはずだ。

 だが。

 ――何をされても、殴ったら負け。

 ――暴力は悪。

 弱者たちが訳知り顔で騒ぐ。

 は?

 殴ったら負け?

 負けもクソもない。

 そんなん、負け犬の道徳や。

 泣き寝入りしても、誰も助けてはくれん。

 力。

 人を傷つける力。

 自分を護る力。

 二つの間には善悪はなく、視点の差しかない。

 暴力を一方的に悪とするなんて、どうかしている。



 人を殴ると、こっちの手も痛む。

 相応の罰も受けている。

 相手が醜いブヨブヨのデブでも。

 私の手は骨でできている。

 骨。

 人間は骨。

 そしてこのデブも骨。

 どんなデブでも骨。

 骨デブ。矛盾している。

「骨なのにデブ。矛盾しとんな」

 私はデブにまたがり、脂肪に包まれた骨を殴り続けた。リアクションは薄い。呻きだけ。

 最初の何発かは、「くっ」とか言いやったやん。

 リアクション尽きたん?

 切れた瞼から血を流している。血と骨。

 あんたみたいなクズにも、血が通ったぁるんか?

「姉ちゃん、もうやめてくれ!」

 デブの傍らに立つ、うぶが私に叫ぶ。我が弟ながら、なんとまぁかわいらしい声。

 変声期特有の掠れ。

 揺らぎ。

 ゾクゾクする。羽も大人になっていくんや。

 でも哀しい。なんで姉ちゃんのこと、そんな目で見んのよ?

「羽。心配せんと、姉ちゃんが助けたるからな」

 目の前で泣き崩れている弟に声をかける。

 優しく。

 産毛をそっと撫でるように。

 羽は、手のひらで顔を押さえつけながらしゃがみ込む。カッターシャツの裾から水が滴る。

 かわいそうに。デブどもに男子便所に連れ込まれ、よってたかって……。

 ずぶ濡れや。靴も履いてない。

 小便器に突っ込まれているのは、羽の上履きだ。

 羽の足下には、大きな布のマスクが落ちている。便所の濡れた床。汚水を吸って吸って吸う。彼の惨めな気持ちを代弁していた。

 羽はそれでも、マスクを拾い上げる。顔にマスクをあてる。

 ……頬に広がった、爛れた火傷痕を隠すために。

「助ける? もう××(こんなデブに名前なんかいらん)が死んでまう!」

 同じ学ランでも、羽が着ると繊細さを包む鎧に見える。

 このクソデブが着ると、単にダメージが通らなくてじゃまくさい。

 殴る。私の背後には、このデブの仲間がいる。傍観。息を殺して。

 とめたったらええのに。

 を助けたいなら、あんたらも暴力を振るうしかない。違うか、羽?

「ご、ごべんださい……」

 クソデブは謝る。

 謝るくらいやったら、殴られるようなことをせんかったらええ。

 暴力さえ振るわなければ、あとはどんな悪いことをしても許されると思っている。

 だから、暇つぶしに羽をいじめた。

 肉体的な暴力以外の方法で。

 それが、なんで私がしていることよりは悪くないって言える?

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