夏だ、引き籠りをプールに連れ出せ

第28話 約束

「はい、大神君。だいぶ慣れたみたいだね」


 バイト先の狭い休憩室兼ロッカールームで店の男性オーナーから手渡された白い封筒。


 俺は頭を下げてそれを受け取った。オーナーが部屋を出て行き、俺は速攻その糊付けされた封筒を雑に指で破る。中には細長い紙切れが一枚、人生初の給料、ただの数字の羅列だが。


「お? 結構あるじゃねえか!」


 俺は薄汚れたコックシャツをロッカーに仕舞い、靴を履き替えると店を出た。


 暑い、もう夜だというのに。自転車に跨りペダルを漕ぐと直ぐに汗が噴き出す、ヤバいなこの暑さ、プール行きてえぞ!


 季三月の水着姿……俺は彼女のスク水姿を思い出し、明日絶対プールに誘ってみせると気合を入れる。でも季三月は断るだろう、俺に視姦されると言って……。


 何かいい手は無いのか? 女も居れば来るかな、山根とか。いきなり二人でプールはハードルが高いか、中倉も呼ぶか?


 ペダルを漕ぐ足に力が入る。脳内で、白いビキニ姿の季三月が、はにかみながらプールに浸かって俺に水を掛けるイメージビデオが再生を繰り返す。


 ヤベぇぞこれ!


 一人浮かれる俺に眩い光が迫る。甲高いタイヤの鳴く音、脳が揺さぶられる振動、そして地面に寝転がる自分の姿。


 意識が朦朧とする、誰かが声を掛けているが何だか良く分からない。


 どれぐらいの時間そうしていたのか……赤色灯の光がビルの壁をクルクルと照らす、多分事故ったんだ……俺は……。



 ◇      ◆      ◆



「大神っ!」


 息を切らせて病室に駆け込んで来た季三月、俺は上半身をベッドから起こして「よお」と彼女に手を振る。


「ううっ……」


 季三月は両手で口を覆い、大きな瞳から大粒の涙をボロボロとこぼして俺に抱き着いた。


「ゴメン大神! 私のせいだ!」


 体をビクつかせながら泣きじゃくる季三月。


「季三月のせいじゃ無いだろ?」


 俺は余りの彼女の泣きっぷりに、灰色の髪の頭をそっと撫でる。


「違う! 私のせい!」


「そんなこと無いよ」



 暫くそんな押し問答を繰り返したが、彼女も少し落ち着いて来たのか呼吸を震わせながらも俺から離れ顔を上げた。


 まつ毛が濡れ、瞼を赤く腫らした季三月、そんな彼女に俺はそっと言った。


「落ち着いた?」


「……うん。ごめん取り乱して……」


 鼻をすすった季三月は制服の袖で涙を拭いた。


「体は大丈夫なの?」


 彼女は首を傾げて小さな声で聞いた。


「ああ、ちょっと擦りむいてたんこぶ出来たくらいかな。脳震盪起こしたらしいから検査しただけだよ」


「ホントに?」


 食い入るように俺の顔を観察し接近する季三月、近いって! 平常心を保つため俺は少しのけ反って距離を稼ぐ。


「良かった……じゃあ、私帰るから」


 ベッドに上半身を乗せていた季三月はスッと立ち上がり、微笑した。


「えっ? もう帰るのかよ?」


「私、呪われてるからこれ以上大神に会えないよ。今までありがとう大神。私の事、色々と気にしてくれて……」


軽く手を振り扉に体を向けた彼女の姿に、俺はこのままだと季三月がまた自分の殻に籠ってしまう気がして手を伸ばす。


「季三月!」


 俺は彼女の手首を掴んで引き寄せる。初めて季三月にコクられた教室の出来事を思い出しながら。


「放して! 私と居ると不幸になるから!」


 季三月は後方に引っ張られてバランスを崩し、ベッドの上に座っている俺にしがみ付いた。


 二人の顔が超接近して10センチの距離で見つめ合う。


 一気に心拍数が上がり、数秒間の沈黙が流れ、俺は季三月の唇に接近する。


「ダメっ!」


 季三月は俺を片手で突き飛ばし、俺はベッドのフレームに頭を打ち付け、ガンッと大きな音が部屋に響いた。


「ご、ごめん!」


 頭を擦る俺に彼女は焦って大きな声を出して上から覗き込んで謝っている。


 俺は急に可笑しくなって笑いだしてしまった。


「季三月! お前の不幸はこの程度だよ。そんなに責任感じてるなら一つ頼まれてくれないか?」


 俺はムクリとベッドから身を起こして彼女に聞いた。


「頼み? な、何? エッチな事じゃ無きゃ別にいいけど……」


「俺が退院したらプールに行かないか?」


 一瞬季三月は意味が分からないような顔で眉間に皺を寄せ、天井を眺めていたが急に大きな声を出して言った。


「えーっ? 無理!無理!無理っ! 絶対にヤダ!」


「決まりだな?」


「決まってない! 恥ずかし過ぎるよ!」


 彼女は顔を真っ赤にして、口をワナワナさせている。


「じゃあ、来週の土曜日って事で」


「駄目だって! ズルいよそんな要求!」



 その後も病室で、季三月との押し問答は暫く続いた。

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