第9話 流転輪廻

 三希が社会人になって2度目の春がやってきた。同じ高校からまた、後輩が入社してきた。彼女はバスケ部。三希に会うなり、

「佐々木君と別れて、凄く残念でした。関係ないけど、なんとなく凄く応援していました。2人の事ずっと見ていたんですよ。朝のバスも一緒でしたし・・・」

「え?そうだったの?ちっとも気付かなかった。ありがとね。でも、佐々木君も彼女とうまくいっているでしょ?」

「まぁ・・・あんまり応援したくなる2人ではありませんけどね。上手くいっているんじゃないですかね・・・」


 大林と同じことを言うのだな、とは思った。しかし、三希は、ようやく前に進み始めていた。

呑んではいけない酒に逃げることもあった。

しかし、小さな幸せも始まりつつあった。

 幼馴染の浩司は崩れていく三希を見ながら、それでも健気に佐々木を想う三希を見守っていた。何度も佐々木を車から見かける事があり、その度にグッとこらえている三希を静かに見守った。そして、三希が佐々木への想いに決別し、前を向き始めている事を確信してから、プロポーズをした。佐々木から浩司に心を移すことは三希にとっては、自然の流れだった。浩司がそのように仕向けていたのだろうが、三希にはごく自然なことだった。


 20年住み慣れた地元を離れ、三希は、浩司の元へその次の年の春に嫁いだ。

もうすぐ21歳になろうとしていた20歳の春に浩司と結婚をしたのだ。生まれてから 一番好きだった人は間違いなく、佐々木だった。

 でも、何かの小説か、つまらないテレビの情報番組か分からないけれど、女性は一番好きな人とは結婚できない、と言っていた。(書かれていた?)それが女性としての運命ならば、仕方がない、受け止めよう、と考えていた。

2番目に好きな人と幸せになれればそれでもいい。

そう、諦めた。「思い出」はココにある、と胸に手を当てた。

(この想い出は、絶対に誰にも邪魔されないし、誰にも取られない・・・)



 ところが、三希のそれからの結婚生活は悲惨だった。浩司の両親の借金を結婚と同時に4,000万円背負わされた。それに加えて、三希が中学生になるまでは、あんなに三希を可愛がっていた浩司の両親からのいじめが始まったのだ。それに追い打ちをかけるように、浩司の親戚からのいじめ。浩司から守ってもらえない寂しさ。三希はドンドン痩せていった。髪は抜け落ち、20歳や21歳にはとても見えなかった。毎日、トイレで血を吐くほど孤独に悩み、太陽のような笑顔は消えた。顔色も土色に変色していった。トイレや風呂で涙を流してこらえる毎日だった。声を出さないように、涙を見せないように・・。

 そんな三希を支えたものは、「恋をしたあの1年」だった。結局、手をつないだことも、キスをしたこともなかった。それでも心が通じ合えていた感じがしたのは、何故なんだろう。そういう思い出のカケラをひとつずつ思い出しては、毎日の地獄に耐えていた。


 ある日、三希は、どうしても義理の両親からのいじめに耐えられなくて、吐き気が止まらなくなり、1人寂しく自宅にいた時に、ふと、佐々木の声が聞きたくなった。付き合っていた時には、1度も電話をしたことが無かったのに、母校の生徒名簿を見つけ出し、受話器を握ってダイヤルを回していた。

 偶然にも佐々木が出た。

「もしもし、佐々木君? 私、三希」

「久しぶり。元気?結婚したんだってね。おめでとう」

「ありがとう。佐々木君は?バスケやっている?彼女とは?」

「元気だよ。バスケもやっている。この前、ストバスにも出たんだよ。楽しかったよ。あとは・・来月結婚する」

「そっか・・・タイミング良かった。もう2度と電話しないから安心してね。どうしても佐々木君の声が聴きたくて・・・」

「どうかしたの?」

「私、ちゃんと考えて結婚しなかったから罰が当たったんだ」

「罰なんて・・・旦那さんがいるじゃん?」

「そうなの、罰なの。自分で出した答えだから、責任もって全うさせなくちゃならないんだけど、罰を受けなくちゃならないんだけど、どうしても立ち上がる事が出来なくて、佐々木君の声が聴きたくなっちゃったの。ごめんね。結婚、おめでとう。2度と電話しないから安心して。お幸せにね。声聞かせてくれてありがとう。こうして電話するのも、私が学校をお休みしたあの日以来だよね?じゃあね。元気でバスケ頑張ってね。今日はありがとう」

「うん。こっちこそ、ありがとう。元気でね。じゃあ・・・」


 佐々木は結婚をする・・・。佐々木は幸せをつかんだ。三希も三希なりに幸せをつかまなくてはいけない。誰のせいでもない。今の環境は、全ては自分が作り出したものだから、と「結果」をキチンと受け止めて前に進もうと決めた。ありのままを受け止めて、前に進む決心をした。


 佐々木は、三希の言葉が非常に気にはなったが、彼女が前に進もうとしているのだから、自分はもう何か言える立場ではない、と考えていた。彼女は自分が出した答えを「罰」と言っていた。そうさせてしまったのは、多分・・・自分。でも、自分を彼女は責めることなく彼女自身で受け止めていた。

 佳代子にどこか物足りなさを感じているのは、多分、自分が一番望む「バスケの環境」だ。バスケを通しての自分だ。でも、これ以上は望んではいけない。自分の好きな事は自分で切り開けばいい。

(俺にとっての罰は、このどこか満たされない感情なんだろうな)


 その年の冬、友達のミユから三希のもとへ電話が来た。来年に結婚するのだという。結婚式に来て欲しい、という内容の電話だった。幼稚園から高校までミユとはずっと一緒で腐れ縁だった。

「喜んで参加させてもらうね」


 年が明けた小春日和の式の当日、ミユの結婚式会場の受付に向かった三希は、見慣れた顔に心臓の鼓動が止まらなくなっていた。何故かミユの旦那さんの友人の中に見慣れた顔がいくつもあったからだ。東田もいる。あの人もこの人も・・・そして、佐々木もいた。

東田が近づいてきて、

「三希さん、久しぶりです。ご結婚されたんですね?」

「そうなの。一昨年の春にね。佐々木君も去年結婚された、って聞いて安心したよ。あの時の彼女と、だってね?」

「はい・・そういう意味ではよかったです。佐々木との付き合いはあるけれど、奥さんの事は全く分からない、っていうのが正直なところです」

「そっか・・・その節は本当にありがとう。あの後で大林君にも心配かけちゃった・・・お二人には助けていただいて本当に感謝しているんだ。ありがとう」

新妻らしく、頭を下げる三希の所作を見て、東田は呟いた。

「良い思い出ですね」

東田は笑ってはいたが、その目は少し寂しそうだった。


 ミユの旦那さんは、あの頭脳明晰な北高のバスケ部出身で某有名企業でバスケチームを作ってクラブ活動をしている。東田や佐々木も会社の垣根を越えてチームの一員としてバスケをやっているのだそうだ。それを聞いて、三希も喜んだ。


 喜びはしゃぐ三希の姿を見て、出席した皆は、三希の異様に痩せた身体が気になっていた。特にそれに気付いていたのは、佐々木と東田と佳子だった。


 三希は友人の席からミユを見ていると、不思議な気持ちになっていた。

(私はミユのように幸せなのだろうか・・・)


 式は、幸せ色の中で厳かに進んでいった。途中、トイレに立った三希は、会場の外で佐々木に会った。

「まさか、こんな所で会えるなんてビックリだね?」

「俺は知っていたけどね」

「え?そうだったの?ミユったら、ちっとも教えてくれないんだもん」

「俺が言わないで、ってお願いしたんだ」

「え?そうなの?」

三希は何で?とは聞かなかった。答えが分かる気がしたからだ。その代わり、思い切って尋ねた。


「ねぇ、佐々木君。私が我慢強く・・なくてさ、高校卒業してもずっと佐々木君から離れないで傍にいて、あの時に地下通路でちゃんと佐々木君を追っかけていたら、あそこの正面の席には私達も並んで座れたかな?」


丁度、扉が開いて見えたひな壇を指さして聞いた。


「間違いなくそうなっていたと思うよ」


三希は胸が熱くなった。プロポーズのような言葉をもらった時のように。。。2度目のプロポーズ、かな?


「ありがとう。その言葉が何よりも嬉しい。元気になれるよ。これから頑張って生きていける。ありがとう、佐々木君」


 三希の溢れる笑顔を久しぶりに見て、佐々木はほっとした。時間が急に高校時代に戻った気がした。あの部活後の渡り廊下の階段下でのあの日。そして、席に戻るために彼女の去っていく姿を見ながら、佐々木は想像した。


(きっとバスケ一色の家族になっただろうね。自分が感じる価値観と君が求める価値観は同じだったと思う。毎日、君のくるくる動きまわる姿と仕草と表情に子供たちと自分は幸せを感じていたと思うよ。あの頃感じていた安心感という幸せをね。それは今、別の女性と結婚をしたからこそ分かったことなんだ。ごめん・・・あんなに痩せてしまって・・本当にごめん。さっきの質問、聞いてくれてありがとう。本当はあのまま付き合っていたら、自分から言わなくちゃいけなかった言葉だったね。今、伝えることが出来て本当に良かった)


 式はなおも、穏やかな空気の中で進行された。三希は佳子にそっと囁いた。

「佐々木君とお話が出来たよ。もし、別れていなかったら、間違いなく結婚していたよ、って言ってくれたの。佳子ちゃん、私・・結婚生活はツライけど、頑張るね」

「そっか・・お話出来て良かった。みっちゃんは、心底佐々木君が大好きだったもんね。佐々木君も、あの頃も今も女心を見抜けない人だよね?みっちゃんはさ、佐々木君の良さを誰よりも早く見抜いていたからこそ、今、佐々木君は、こうしてみんなの輪の中にいるんだよ。みっちゃんと出会ってなかったら、根暗な佐々木君のままだったんだから!ほら・・・高校時代に雑誌に書いてあったじゃん?

(女は一番好きな人とは結婚できない!)

って。たしか、佐々木君と出会う前だったけどさ・・・2人で

(えぇ~~~?!)

って、絶叫したもんね。みっちゃんが、まさしくソレだな、って最近思い出しちゃったよ」

「そっか・・・その言葉、佳子ちゃんと見ていたんだ・・・私も覚えていたけど、テレビだったのか、雑誌だったのか思い出せなくってさぁ・・・佳子ちゃん、ナイス!」

「いや・・ナイスじゃなくて、そのジンクス崩してほしかったよ。でも、2人の気持ちは通じ合えていて良かった。私、みっちゃんと佐々木君のカップル、好きだったんだぁ。なんか、いじらしくってさ、応援したくなっちゃうんだよね?もっと、くっつきなよ、なんて、いつもバスの中とか思って見ていたよ。二人の気持ちは、今も通じ合っている、って、私は思いたいな。信じたいな」


 佳子も心から安心していた。三希の状況は決してよくはないのだけど、でも、共に過ごしたあの時代が決して、色あせたものではなく、「通じ合えていた時」であったことに安心したのである。三希の今のこの幸せそうな表情は、朝会った時の「死人」のような三希でなく、高校時代の彼女のままだったから。佐々木の事をキラキラした笑顔で話す、高校3年生の時のままの三希だった。


やがて式はお開きとなり三希は式場を後にした。


 浩司は式が終わる頃に三希を迎えに来ていた。三希はみんなに見送られながら車に乗り込んだ。その中には佐々木の姿も東田の姿もあった。佐々木は東田に囁いた。


「彼女は、あの時の男性とやっぱり結婚したんだね?」

「え?知っている人なの?」

「ほら、お前が幼馴染だから関係ない、って言っていた人だよ。あの時のあの人の俺を見る目が何か引っかかっていたんだよね・・・でも、彼女はそれに全く気付いてなかった」

と、クスッと笑った。

(あの時は、確実に彼女の心は俺にあったのに・・・)

「そうだったんだ・・・」


 ちゃんと彼女の気持ちを分かっていたのに、自分も彼女を追いかけなかった、と自分の情けなさを痛感していた。近寄ってきた佳代子に心惹かれ、結果、辛抱強く自分の事を待っていた三希を苦しめた。


 浩司は見送りの面々に佐々木の姿を発見していた。

「彼、来ていたんだね・・・」

「旦那さんの友人として出席されていたの。私は旦那さんの事知らないし、今日、私も初めて知ったものだから。ちょっとした同窓会だったね」

「会えてよかったね」

「そうだね。違い過ぎるけどね‥あのころとは」

今、置かれている三希の状況を大いに皮肉って答えた。浩司は聞こえないふりをして車を走らせた。



 それから時は流れ・・・三希がもうすぐ25歳になろうとしていた春。三希の腕の中には1歳になろうとしていた長男の姿があった。

三希は、毎日の育児に追われながら、今も変わることのない環境の中で、もがきながら、小さな命を大切に育んでいた。浩司を愛しているから、というよりも、三希の味方になる存在が欲しかった。それが三希にとっては、「我が子」だった。


 そんな時にまた、ミユから誘いの電話が入った。

「みっちゃん、私達、家を建てたんだけど、今度、実家に来る時に遊びに来ない?」

「わぁ、すごいじゃん。行く!子供も連れてっていい?」

「もちろんだよ」


 ミユの家は、三希と同じで同居だった。息子を騒がしくさせたくなかったので、なるべく静かに過ごした。小一時間ほど家の事を話して息子の話をして時間が経った頃にミユは、三希に聞いた。


「そろそろ旦那を迎えに行くけど、一緒に来ない?」

「そりゃ、この家に置いてかれても困るから、連れて行ってよ。どこに行くの?」

「バスケ会場!」

「え?」

「佐々木君もいるよ。安心して。奥さんはいないから」

「行く。バスケ見たい」

「バスケ見たかったら、早く行こう!」


 三希の心臓の高鳴りが止まらなくなっていた。

久し振りのコート。バッシュの音、パスの音、ドリブルの音、ダムダム・・・思い出すだけで、胸がいっぱいで泣けてくる・・・長男を強く抱きしめた。

 体育館に入ると、紅白戦をやっていた。

そこに連なるバスケマン達は三希の青春時代を共に過ごした面々でもあった。2人を応援してくれていた人達がいた。

 佐々木のバスケを久しぶりに見た。あの頃より動きは衰えてはいるけれど、変わっていない、シュートの時の癖。猫背の感じ。ディフェンスの時の仕草。他の何もかもが消えて、佐々木しか目に入ってこなくなった。宝物の「一瞬止まるあの瞬間」はもう見られなかった。涙で佐々木の姿がぼやけてきた。

ピーーー!!


 長男がびっくりして泣きそうになった。「マズイ!!」

あやして、ご機嫌を取った。ケラケラと笑い始めた長男にホッとした。笛と同時にみんなも休憩に入ったので、長男の笑い声に周りも和んだ。

 すると、長男は最近、つかまり立ちをするようになったものだから、三希の手を振り払い、しばらく立って、大人たちを見ていた。すると、次の瞬間、コートの真ん中で座って談笑する大人たち目掛けて、猛ダッシュでハイハイをして入っていった。三希は何故か呆然とその姿を見つめていた。長男は佐々木めがけて、一目散にハイハイして行ったのだ。ボールが近くにあった、ということもあるが、手前にもボールを持っている大人は沢山いる。なのに、佐々木目指して、ハイハイ・・・そして、おぼつかない足取りで、そこに立った。佐々木にボールを転がせ、と言っている。「あぁ」「うぅ」しか言えないけれど、佐々木はそれに気づき、

「お!未来のバスケマンか?」

と言って、長男に向かって転がし始めた。ケラケラと喜んでいる。ボールを受け取ろうとして近付き、尻もちを搗いた。と、同時に佐々木が後ろに倒れないようにさっと手を差し出す。佐々木は、「転がしてごらん」と長男に言った。

長男は思うように操れないボールにいらついている。三希は2人のやりとりをずっと見守った。周りのみんなも同じ気持ちで静かに見守った。まるで、これが本来の光景だったはずなのに・・・と言わんばかりに、息を止めて皆が見守った。


 佐々木自身も時空を超えて三希とこの赤ちゃんと自分の3人の姿を想像して、胸が熱くなるのを感じていた。あの頃、タカちゃんと3人でいた時のように。。。


ピーーーー


 再び笛が鳴った。三希は咄嗟に長男を迎えに行った。

「邪魔してごめんなさい」

「いや、いい子じゃん」

「ありがとう。唯一の味方なの」


 たったそれだけの会話だったけど、幸せだった。三希の世界で一番大切で唯一の味方の長男を世界で一番大好きだった佐々木に会わせることが出来た事が嬉しかった。

 住む世界がこんなにも違ってしまったけれど、三希は佐々木に恋が出来た事を幸せに思う。「幸せの貯金」のおかげでその後の人生は、何度も何度も「幸せ貯金」に救われるのだから。

 あの時に告白して良かった。卒業を目の前にして、告白を諦めていたら、こんな風になれなかった。


 佐々木は、ミユの旦那さんのチームでプレイをしながら、ストリートバスケの大会に出たり、審判の免許を取ったり、そして、地域のミニバスケのチーム監督をやったりしていた。今では監督を25年以上続けている。本職の「経理」をやりながら。そんな佐々木の事を三希は誇らしく思う。有言実行だからだ。それを知っているのも私だけ、だといいな、と思ったりもする。佐々木はその後、娘と息子の2人の子供に恵まれたが、2人ともバスケには目覚めなかった。皮肉なものである。


 佐々木自身も、三希にバスケをやっている姿を見てもらえた事が嬉しかった。現役時代を思い出していた。三希がいつも言っていたシュートは、打てる自信はなかったけれど、彼女の視線は熱くなるくらい感じていた。久し振りに気持ちがいいバスケだった。三希に打ち明けた「自分の夢」を今も守り続けている事を安心させたかった。彼女にしかあの「夢」は語っていなかったからである。


 長男とのバスケ事件があって以降、三希と佐々木は2度と会う事はなかった。いつか全ての思い出を話せる日が来たらいいな、と2人は思うけれど、それは、策略してというよりも、突然である方が良い。思い出も現実も、残念ながら塗り替えられるものではないから。


 バスケ事件から3年後、三希のもとに長男から4つ離れた次男が誕生した。2人の三希の分身である男の子は、見事にバスケマンに成長した。長男は高校までだったけれど、次男はバスケ一筋で進んできていた。アメリカまで研修に行った程である。

 次男が中学に入学して間もなく、珍しく三希におねだりをしてきた。家計が裕福でない事は分かっている次男だが、愛するバスケとなると、我慢も限界だったようである。

「母ちゃん・・・この街はバスケショップが無いから、つまらないよ。バスケに必要な物で何があるのかも実際に見ることが全く出来ないでしょ? どこかに無いかな~?」

必死な目である。

三希は1軒、思い当たるところがあった。少し寂しい思い出ではあったが、遠い昔、佐々木と遊びたかった夏休みに唯一連れて行ってもらったバスケショップ。夏休み後も幾度か佐々木と立ち寄った、あのお店だ。


「今度、実家に帰省するときに1軒思い当たるところがあるから、行ってみようか?」

「本当?行きたい!」


 翌週の週末は、次男の部活が休みだったので、思い切って行く事にした。道中、次男に言って聞かせた。


「23年前にはあったお店だけど、今もあるかどうかは分からないよ。あんまり期待しないでね」


 三希自身ドキドキしていた。何故か根拠のない自信だったけれど、絶対にまだあの店はある気がしていた。

 三希の身長をいつの間にか超えて、あの当時の佐々木と同じ身長になっていた次男を伴い、時間は23年前の夏に戻っていた。店は23年前と全く同じ佇まいで存在していた。商品の陳列も同じ感じだった。ただ違っていたのは、当時は恐らく物置として使っていたであろう2階が店舗に生まれ変わっていた。

次男は店に入る前から

「わぁ!!バスケショップじゃん。母ちゃん、すげえ!ありがとう。こんなお店入りたかったよ。ドキドキする。うわぁ!」

入る前からこのテンションである。でも、23年前の自分を思い出した。自分もこんな事言っていた気がする・・・きっと、あの時の佐々木も今、三希が次男に感じているように、三希に対して感じていたのだろう、と思い出していた。


「まだ、お店に入る前から何言っているの・・早く入りなよ。お目当てのもの見つかると良いね?」

「うん。有難う。入るね。。。」


店に入ると、若いバスケマンの店員が

「いらっしゃいませ」

と声をかけて、23年前の店長がそうであったように黙々と商品を陳列していた。

次男は、目をキラキラさせて、顔を紅潮させながら、じっくりじっくり商品を品定めしていた。

三希は、23年前に想いを馳せ、胸がいっぱいで泣きそうになっていた。ふと、店内に写真が飾られていた。NBA選手と一緒に写真に納まっている男性があの時の店長だったのだ。歳はとっているけれど、間違いない。

「あ!」と、写真を見て、思わず声を出してしまった。

それに気付いた店員が

「社長のことをご存知ですか?アメリカの現地まで行って、今は買い付けもしているんですよ」

「そうだったんですか・・・実は、このお店に23年前に来ていたんです。息子がバスケを始めたので、こうして23年ぶりに来たんですけど、あの頃、店長さんだった方ですよね?」

「自分は、その頃、幼稚園くらいだったので記憶にないんですが、親父が店長でした」

「え?お父様?」

「はい。自分も親父と同じ高校でバスケをやっていました。そして、そのまま店を継ぎました。今は、規模を広げて会社にしちゃいましたけどね、親父が」

「そうだったんですね。頼もしい2代目が出来て、お父様も心強いですね。私もその高校の卒業生です。息子は今日が初めてのバスケショップになるので、色々教えてやっていただけますか?」

「先輩なんですね!勿論です。ごゆっくりご覧ください。気軽にお声かけ下さいね」


次男に声をかけていた。次男は夢の中にいるような顔をして頷いていた。

あの時の「思い出」がこんな形で紡がれていくなんて・・・と三希は、佐々木からまた、救われたような気がしていた。

(ありがとう、佐々木君。また幸せをもらっちゃったね)


 また、別のある時の出来事で、三希の次男が中学3年生の時、彼は進路に悩んでいた。三希は、そんな次男にそっと言った。

「そんなにバスケが大好きだったら、思う存分やりたいようにやればいいじゃない?」

「え?いいの?」

「私がいつダメって言ったの?」

「母ちゃんなら、絶対に立派なサラリーマンになりなさい、とか言うかな?って」

「立派なサラリーマンってどんな人?」

「ん~わかんないけど・・・」


三希は遠くの佐々木を見つめるように次男に言って聞かせた。

「昔、母ちゃんには、とっても大好きな人がいたんだけどね、その人もバスケマンだったの。う~ん、今もバスケマンなんだけどさ。その人は学年トップクラスの成績だったけど、バスケが大好きで仕方なかったの。

だから、進路も一生バスケが出来る環境だったら、どんな所でもいい!って、言っていたの。そしてね、地元の企業で普段は働いているけれど、若い頃はクラブチームでバスケをやっていて、そのうちに審判員として県で登録されるようになってね。それから、今はミニバスケの監督をやっていて、常に県大会優勝とかになっているみたいで、新聞にも載ったんだって。

母ちゃんは、彼のその生き方をとても尊敬しているの。成績優秀だから、大学進学も出来たし、お給料がいい企業に入る事も出来たのに、バスケを続けられる環境が彼にとっての「夢」だったから、自分の夢に向かって進んでいるんだよね。母ちゃんにその夢を話してくれたのは、彼が高校2年生の時だった。それを今も貫き続けているのよ。素敵よね?

だから、あなたも自分が好きな道に進みなさい。但し、どうなっても誰のせいにしてもダメ。分かるよね?自分で決めるの。責任をもってね?」

次男は、とても真剣に聞いていた。母親の恋の話、というよりも、そのバスケマンの生き方に己を置き換えて「やってみよう!」と力が湧いてきたのである。佐々木の夢と次男の夢が重なり合う気がしていた。


 夢を持つことの大切さ、それに情熱をかける生き様、佐々木の不器用な生き方を1年間、傍で見ていて学んだ。あれから35年経った今も彼は更新している。そして、それは、今の三希の生き方そのものになった。

それが今、今度は三希の子供達へと受け継がれていった。


 何度生まれ変わっても、三希は佐々木と彼のバスケに恋をしたいと思う。とても苦しかった恋だけど。

そして、いつか添い遂げる巡りあわせに出会えたら、やっぱり2人の男の子を授かって、

「あなた達のお父さんはね・・・」と自慢しながら話して聞かせたいと妄想する。佐々木と同じように、今の三希の息子達のようにバスケ一家になって・・・


 あの18歳の1年を考えると自分の未熟さが恥ずかしい、と三希は思う。でも、あの時は三希にとっての「精一杯」だった。歳を取って、色々な経験を積み重ね、色々な人と出会って分かる事は、あの時の二人の結婚に対する価値観は間違いなく一致していた、ということ。

そして、こうして人生を共に出来なかった事は、そこまでの「縁」があの時には何故か、なかったということ。


 人は何度も生まれ変わるというけれど、次に生まれ変わったときの為の道標かもしれない。次に生まれ変わるときの2人の道標は間違いなく「バスケ」である。そして、三希にとっては、あのシュートの時の瞬間である。

佐々木にとっては、三希の夏の太陽のような笑顔と三希のあの文字だ。それが必ず道標のどこかにあるはずだ。そして、今度は必ず三希を手放さないためにもためらうことなく、手をつなごう。決して手放すことのないように。


 三希は考える。あの頃も大人になった今も、「諦めてしまう自分」がいる。それは、自分に自信がないことが一番の要因なのだ。けど、それは三希の信条である「やって後悔する後悔の方が健康的な後悔」というものから外れている。タラレバが通じない事は承知しているが、次に生まれ変わるのなら、自分の気持ちに正直になり、一緒に居たいのなら一緒に居る。佐々木が「バスケに打ち込みたいから距離を置こう」と言ったのなら、少し離れる。我慢強い三希は、何でも自己犠牲してしまう。それは、大人になっても同じである。

 佐々木は、三希とバスケの話をもっとしたかった。三希もそうだった。大人になっても、子育てしながらも、子育てを終えても、お互いにバスケの話をしたかった。たったそれだけの「夢」を守れなかった。2人ともそこから「逃げた」。ほんの少しだけでも自信をもって、佐々木に「一緒に居たい」と言えばよかったのだ。わがままを言えばよかったのだ。


 佐々木は考える。三希に甘えてばかりいて、彼女の気持ちを読むことをしなかった。バスケマンとして失格だ。チームの事を考えるように大切な人のことをもっと考えてあげるべきだった。彼女から、ミユの結婚式会場で「正面のあそこの席に並んで座れたのか」と問われた時、なぜか凄く嬉しかった。彼女は、現世で自分と一緒になれない事を知って、そのことを聞いてきた。ということは、彼女は必ずもう一度生まれ変わって、来世で自分を探し出してくれるはずだ。いや、今度は自分が彼女を探し出さなければならない。絶対に放さない。そして、もう一度、今度こそ彼女とバスケ人生を歩むのだ。年を重ねることによって、今の人生を諦めるかのように考えることが多くなった。


 三希は浩司に「守ってほしい」だけだった。そっと「支えていてほしい」だけだった。

浩司は、我慢強く、1人でも立っていられるように見える三希よりも「弱そうに見せる人」を守る男だった。その方が自分も楽であるし、人からの好感度も上がるからだ。だから、三希はずっと寂しい結婚生活を送るしかなかった。どんな人を守るのか?ではなく、誰を守らなければならないのかを浩司には理解してほしかった。

 浩司にとって守るべき人は、三希にとっての姑と嫁だったのだ。


 三希は51歳の誕生日を目前に離婚をした。浩司にいくら話しても理解してもらうことは出来なかったので、自分の人生を後悔したくなかったから別れた。犠牲になる人生でなく、共に生きる人生でありたい。今は静かに浩司との激動の35年間の生活を振り返って1人で生活している。大好きで大切な子供達にも居場所を告げずに静かに暮らしている。

 後悔が全く無い、と言えば嘘になるが、三希は後悔をしていない。今、こうして自分の心と向き合える生き方が出来ているからだ。今度生まれ変わったら、自分を全力で守ってくれる人と添い遂げたい。出来れば、それが佐々木であってほしい、と強く願っている。気持ちは来世に向いている。


 そして、静かに空想するのは、三希の問いかけに対する佐々木の答えである。

あの日・・・ミユの結婚式場で、

「もし、生まれ変わったら、今度は絶対に結婚してね」

と意地悪く言う三希に・・・クスッと佐々木は笑った。笑った後で彼はどんな言霊で三希に答えたのだろう?

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