第2話 ノックアウト!

そんなある土曜日の午後、三希達は2時間の部活動を終えて、丁度帰ろうとしているところだった。


「おーい!!後でバスケ部の県大会をここでやるから、俺様の勇姿を見に来いよ!」


三希たちのいるところから10メートル程離れた所で、体育館に向かおうとしている同じクラスの身長2メートルの五木が大声で声をかけてきた。

(面倒くさいヤツにつかまった!)

と思う後悔と同時に、

(応援?野球部が甲子園に行くための応援には行くけど、何でバスケ??? )

三希は、ちょっと鼻で笑った。


 五木は自分でカッコイイと思っているらしく、みんなが自分のプレイを見たら恋に堕ちると自負しているので、少々面倒くさいヤツだと三希は思っていた。

一緒に居た佳子が三希の肩を揺らしながら、

「五木君の試合、同じ中学なのに見たことがないから、この際行ってみようよぉ」

意外な事を言ったので、三希も暇だったので、諦めモードで

「仕方がないから行ってやるよ」

渋々、五木へ返事をした。


 五木は、「絶対に勝つからな!」と右手を上げて応え、体育館に消えていった。一瞬だけかっこよく見えた。今から始まる試合から全て勝ち続けなければ、「即引退」となってしまうので、五木の「気合」が伝わってきたのかもしれない。いや、きっとそうだ。


 三希や佳子の部活は、文化部の為、秋の文化祭までは大忙しである。秋の文化祭が最も忙しい時のため、春はまだ序の口なのだ。今では「骨董部」と呼ばれてしまいそうな部活だが、当時は「和文タイプ部」と呼ばれる部活に在籍していた。目の前の原稿や資料と同じように文字を拾いながら打ち込んだり、罫線を引いたりするような作業で、ハッキリ言って地味な部活である。でも、この部活動のおかげで履歴書に記載できる資格が取れていたから、手に職を持つことが出来た。大人になってから、税理士事務所に勤務することがあった三希は「人生、何でもやっておくものだなぁ」と思ったことがあった。

 税理士事務所に勤務していると重要書類を作成することが多かった。そんな時に先輩から機械の操作方法を指導されなくても打ち込むことが出来たのが「和文タイプ」であった。しかも、強豪校に籍を置いていたので、綺麗で正確に早く打ち込めた。

 また、自分達で機械の不具合も微調整させたりしながら修理をしていたので、その後の人生で色々な機械に触れることも抵抗なく出来るようになっていた。今は無い「青焼き」という印刷機の扱いなど三希にとっては、お手の物だった。


   *****


 佳子と五木は同じ中学の出身だった。朝も三希と同じバスに2人揃って乗ってきている。三希は始発のバスターミナルからの乗車だが、佳子と五木は途中の停留所からの乗車になる。


 三希はバスケの試合を観た事がなかった。

野球やサッカー、バレーなどは、テレビを通してでも見ることが出来る。が、バスケは授業で自ら行うくらいで、「観戦する」という行為をしたことが無かった。もともと、何にでも興味を示す三希である。五木の存在を除けば、バスケでも何でも興味はある。佳子の言葉が後押しになって良かったと、その日の帰りには思うのだった。


「佳子ちゃん、バスケの試合ってどうやって見るの?」

「私も初めてで、よく分からないけど、体育館のあそこからならきっとよく見えるから、あそこで見ようよ」

と言って、指さした先は、体育館に向かう時に通る廊下のようなところだった。そこであれば、コートチェンジしても見やすそうだ。

「うん、そうしよ」


 五木のお調子者っぷりでバスケのスポーツを判断して、少し馬鹿にして観戦したことを深く反省したのは、すぐ後だった。

試合が始まる前から、何とも言えない緊張感・・・そして、三希の心の感覚としては、その時に・・・間違いなく「バスケに恋」をしてしまった。

ウォーミングアップの前に選手が思い思いにシュート練習をするのだが、パシュッ!パシュッ!とボールが当たり前のように次々と網の中に吸い込まれていく。選手が各々のシュートフォームを念入りにチェックしているようだ。


 ウォーミングアップが正式に始まった。ハーフコートでダッシュをしたり、三希が卓球をやっていた頃の練習で、瞬発力をつけるためにやっていた、ダッシュ&ターンをしたり、ゲームさながらにパスを回し、2対1をやったりと・・・短い時間の中で次々とメニューを進めている。


 五木側のチームである三希の高校のバスケチームは、母校の応援歌を歌いながらウォーミングアップをしていくのだが、その迫力たるもの半端なかった。それだけで、相手が小さく見えた。三希は自分の高校がインターハイにもよく行く強豪チームである事もその時は知らずに観戦していたが、「この試合、勝つな」と素人の直感で察知した。なぜならば、気合で既に勝っているのだ。この体育館の床から伝わる地響きのような闘争心と呼ぶべきなのか、気迫と応援歌の声、ドリブルの音、素早いパスの音・・全てが足元から三希の心のスイッチを次々と押していき、人を「好き」になる時に感じるドキドキ感で心臓がバクバクと脈を打っているのを感じていた。


 それらのメニューをこなしている間も、男子独特の野太い声で、応援歌をリードする1、 2年生の控え部員が、1人ずつ交代で「応援歌~」と叫んで、応援歌の題名を唱える。すると、全員で雄叫びを上げて歌い始め、そのリズムに合わせてテンポよくパスが回され、最後にシュートをする。プレイをしていない者は、全員、三希たちの上空で観ている体育館の観覧場所の控え部員と共に声と手拍子でリズムを刻んでいた。

体育館中にダンダン、ダンダン、ガッ!ダムダム、シュッ!ドリブルの音、パスの音、パスを受ける音、シュートの網の音。バッシュのこすれる音。そして応援歌。クラップの音。全てがリズムだ。心地の良い音楽でも聞いているみたいだった。

勿論、母校の応援歌である。泣きそうになりながら覚えて、細胞の隅々にまで染みついた応援歌だから、三希達も歌える。勝って欲しいから、三希も佳子も願いを込めて歌った。応援歌は野球部だけのモノではなかった。。。何だか嬉しくて幸せな気持ちになることができた。

 1年生の応援歌の練習の時は、野球部の為の応援歌だと思っていたから、他の部活も鼓舞するためや士気を上げるために、母校の応援歌を歌っている事を知らなかったので、深く感動してしまった。3年生になるまで知らなかったなんて、少し恥ずかしいと思った。

闘いの前の応援歌、士気を上げるための応援歌、戦闘態勢の為の応援歌、どれもこのバスケのウォーミングアップで聞くことによって、もっと大好きになっていた。


 初めて見るバスケの動きは、想像をはるかに超えていてバスケに恋をするのも無理はなかった。目の前のバスケットマンの動きに釘付けになっていた。

フェイントとターンをかけて、体制を低くしたと思ったら、思わぬ方向からシュッ!と切り込んで、とてつもなくバスケットマンが大きく見えたかと思うと、瞬時にシュートをする。シュートをするジャンプの時に一瞬、時間が止まる。空気が止まる。ボールだけが放物線を描き続けている。ウォーミングアップなのに凄い運動量である。みんな汗でびっしょりだ。バッシュのキュッ!キュッ!という音も心地よい。ノールックで出されるパスをノールックで受け取る魔法のようなチームプレイ。360度どこにも「眼」があるみたいだ。

前に進むのかと思いきや、くるっとターンをしてみたり、ドリブルをするかと思えば、とんでもない所にパスをする。パスが速くて威力がある。絶対に三希達にはキャッチできない。目が追い付かない位動きまわる。。。見ているこちらも動きに騙されて追いつけないのだ。こっちに来る!と思ったら、ボールは既にアッチにある。

凄い!凄すぎる。ドリブルだって、三希達のような手毬をつくようなドリブルではなく、何て力強いドリブルなのだろう。獲物を狙うようにじっと前を見据えて、ボールなど勿論見ていない。見ていないのに時々、股の下をまるで8の字を描くようにドリブルしている。このスポーツって一体・・・


特に、あの人・・・


ふいに、その人物のシュートフォームに見とれている自分に気付いた三希は、我に返った。

(あれ?あの人、毎朝、同じバスの一番後ろに乗っている人だ。いつも寝ている人。バスケ部だったのね。バスの中では暗い人だな、って思って見ていたけど・・・けど・・・凄い。かっこいい。この人のバスケがかっこいい。何だろう?彼のシュートは、空中で止まる。でも、ボールは確実に網に吸い込まれていく・・・)


最初にバスケに恋をしてしまったが、三希は生まれて初めて一目ボレというのか?いや、バスで毎日のように会っているので、初めてではないのだが、何と表現して良いのやら?完全に三希のハートを彼のバスケをする姿は射抜いていき、その射抜く音が三希自身に聞こえた。隣の佳子にも聞こえたのでは?と思うほどの衝撃的な音だった。


ドキューン!

ノックアウトとはこういう時に使うのだな、と思った。


もちろん、佳子には全くそんな三希の様子など分からなかったが、あまりの衝撃だったため、三希は、その場を取り繕うかのように・・・


「佳子ちゃん…あの人・・・あの14番の人、同じバスにいつも乗っている人だよね・・・?」

「え?そう?いたかなぁ・・」

「いつも一番後ろで寝ている人だから、気付かなくても仕方ないかもね。私はターミナルからずっと一緒だからさぁ。でも・・・同じ学年にいたのね‥あの人」

ターミナルから一緒・・・という言葉を自分で言っておきながら、「一緒」という言葉にドキドキしていた。なるべく平静を装いながら、風景を切り取って話をするように佳子に話しかけてみた。


ふいに佳子が、

「待って!みっちゃん。きっと、あの人は2年生だよ。14番でしょ?1桁の番号つけている人達は、よく見ると、みんな3年生だもん。でも・・・3年生よりも2年生の方が良い動きしているね。私さ~さっきから、あの10番の人がうまいなぁって気になってしかたないんだよね」


男子になんて全くいつも興味を示さない佳子がそんな発言をするから、思わず三希は彼女の顔を覗き込んでしまった!

でも、彼女はほんのり頬をピンク色に染めて興奮していた。10番の彼に、ということもあるのだろうが、三希と同じように初めて見る「バスケの試合」に興奮しているのである。試合、と言っても、まだウォーミングアップの段階だけれど。


三希にとっては、誰が2年生で誰が3年生なのかも全く分からなかったし、興味もなかった。彼以外は。


 バスケ部監督の田中は三希達の体育の教師である。体育の授業中は優しいのだけど、バスケの監督になった田中は、とっても怖そうで、三希たちの知らない田中の一面を見た気がした。それでも、彼女たちは田中すらかっこよく見えていた。的確に指示を出すべき選手に出し、あとはコート全体をベンチで見ている。

(先生ってすごいな。。。)


 三希はバスの彼から目が離せなくなっていた。

(この人、凄くバスケが好きなんだ、きっと。。。ボールの扱い、身体の動かし方、専門的な事は全く分からないけど、彼のバスケをいつまでも見ていたい)

と感じていた。

バスでの彼は、けだるそうに乗り込んで、ドカっと座って睡眠タイム!という姿しか知らない。でも、こうして覚えているのは、いつからか、どこか惹かれていたのかもしれない。さっきまで知らなかった世界が目の前に広がっていて、いつも見ている彼の知らない側面を見て「人の価値観」すら変わっていく気がした。


目の前の彼は、動きも機敏で、佳子がお気に入りの彼とはアイコンタクトで理解しあえているようだった。全く予想の出来ない動きで味方をも翻弄している。ボールを持って3歩歩いちゃダメ、というルール位は三希にも分かっているけれど、彼はその1歩が大きくて、しかも直線的な1歩じゃない。三希たちには速過ぎて彼らの動きが追いきれなかった。


ピーーーー!!


試合開始の笛が響いた。彼はベンチに座った。あんなに上手なのに控えなのだ。三希たちは、五木の事などスッカリ頭から消えていたし、目にも入ってこなかったけれど、試合となると、コートには10人しかいないためか、さすがに2メートルの身長は目立つ存在ではある。テクニカルな動きは五木からは全く見受けられなかったけれど。。。


クラスで三希の身長が一番低いため、五木はよく

「お前は俺のドリブル練習に丁度いい高さに頭があるな~」

と言いながら、三希の頭をこねくり回していたが、その時の五木とはまるで違った。当たり前か・・・


後から知ったのだが、相手高校もそれなりの強豪校だった。頭脳では完璧に五木たちは負けている。何といっても県内1位の頭脳明晰集団の高校だからだ。

その頭脳プレイをもってしても、「気迫」「技」「努力」には勝てないらしい。少しずつ点差が開き始めた。


試合中も三希は、母校の試合も気になって見ているのだけど、どうしてもベンチにいる彼から目が離せなかった。ベンチに座っていても、ドキドキするほどかっこよかった。この人、本当にバスケが好きなのね・・・


ピーーー!


佳子のお気に入り10番君とバスの彼が選手交代で立ち上がった。。。これ、2年生主体のチームだ。。。。三希は自然と体に力が入っていた。

さっきまでの3年生主体の試合と違って、スピード感といい、テクニックといい、パス回しも作戦も全てがマンガの世界のようにかっこよかった。5人中、ポイントガード(佳子のお気に入り君)、フォワード(バスの彼ともう一人)の3人が2年生、1年生が1人(センター)のチームだった。五木以外は1,2年生だったのだ。更に点差が広がっていった。

10番の彼のゲームメイクは、見ている三希達をワクワクさせた。2メートルの五木すら「動かされている」。でも、五木以外の3人は、10番の繰り出すサインに自分達で考えて動いているのがよく分かる。その信頼関係の積み重ねは、パス1つからも分かる。

このスポーツ・・・1人よがりな個人プレイでは成り立たないのだ。呼吸、体力、技術、判断力、洞察力、信頼関係をお互いが持ち合わせてなくちゃいけない。楽しい。奥が深い。

あの10番のゲームメイクは凄いけど、多分、それ以上のプレイを他の選手がしているから、10番が楽しそうに見えるのだ・・・だから、ワクワクしながら見ていられるのだ。絶対にバスの彼がその牽引者になっている。見ていれば分かる。さっき、ソコにいたはずなのに、いつの間にかアッチにいる。どれだけの運動量をこなしているのだろう?

彼が三希の見ている目のまえを走り抜けて、佳子のお気に入り君からパスをもらい、2,3人の相手のディフェンスをクイックしてジグザグさせているように見せかけてかわし、裏をとって体制を崩しながら後ろに倒れそうな体制でシュートをした時、また時間が止まった。五木がちゃんとブロックしている。小さな放物線を描く。


パシュッ!


「きゃぁ~~~~」

思わず、三希は小さな声を上げて、佳子に抱きついてしまった。


(あの時間は私だけのもの)


今でも思っている。とっさにからめた両手を胸に当てた。シュートのあの瞬間、彼の空中で止まるあの時間がかっこよすぎる。私だけの時間であってほしい・・・私だけの宝物。彼が好きだ。彼のバスケが好きだ。私だけが知っていたい。いつの間にか制服の胸のあたりをギュッと握っていた。


ピーーー!   

「ねぇ、みっちゃん、14番の彼の事好きになったでしょ?」


するどい佳子、すかさず質問してきた。顔が赤くなる・・ということが無い、いつもどこか冷めた性格の可愛げのない三希が、耳まで赤くなっているのは、自分でも分かっていた。それが「答え」だった。


「だって、凄くバスケ上手いし、いつものバスの中の彼と全く違うんだもん。出来れば、今の彼を誰にも見られたくない!絶対にバスケのことを大好きだよ、彼。上手く言えないけど、すごく伝わってくるの、何かが。ボールの持ち方、シュートの仕方。ほら、みんなと話している時にも片時もボールを離さない。ドリブルの時、ボールがあの人の手に吸い付いていくみたいだよね?」

「珍しいね~こんなに熱く話すみっちゃんを初めて見たよ。最近、どことなく、元気がないなぁって思っていたから、安心したよ。五木君に感謝しなくちゃね?」


佳子が急に興冷めするような言葉を放つので・・・一気に現実に引き戻された。素直に認めたくないけど・・・感謝したくないけど、彼のバスケを観るチャンスを与えてくれたのは、間違いなく五木であり、感謝しない訳にはいかなかった。


 彼は、決して身長もそんなに高いわけではなさそうな感じだが、試合になると五木よりも大きく感じる。なぜ?体の遣い方?動き?三希の心のせい?バスケのメンバーと談笑している姿を見る限りは決して大きくはない。なぜだろう?


 後半戦も順調に点数を伸ばし、見事に勝利。試合終了後、三希達が観戦している場所の上に試合に出られない後輩たちが声を揃えて応援していたので、選手が目の前に並び、1列になって三希たちの頭上に向かって、挨拶に来たからビックリして、気絶しそうになった。彼が目の前に来たからだ。


(あれ?いつものバスの中の彼に戻っている・・・無表情なあの感じ・・・同一人物だよね?バスケの彼とバスの彼)


そんなことを考えながら、ぼ~っと彼に見とれていた。凄い試合を観てしまった。なんて素敵な時間を過ごせたのだろう。今までスポーツを見てここまで感動したことがあっただろうか?とても大切にしたい時間だった。


五木が三希達に気付き、「俺、かっこよかっただろ?」と声をかけてきた。けれど、「ごめん、何にも見てなかった」と三希は言ってしまった。そんな三希におめでたい五木は、

「またまたぁ、無理すんな。素直じゃないなぁ~」

と懲りない様子。小突く佳子に気付いた三希は我に返り

「あぁ、よかった、よかったよ。誘ってくれてありがとね~」

と言って、佳子とすぐにそこから立ち去った。立ち去りたくない感覚が残っていたけれど。多分、佳子も同じ気持ちだったと思う。

観戦した「幸福感」を誰にも邪魔されたくなかったのである。幸福感と高揚感の余韻に酔いしれたかったのである。

体育館から出た瞬間、2人で「ふ~っ」と思わずため息をついた。気付かなかったが、2人で同じ緊張感をもって見ていたんだな、とお互いが感じた。


「次の試合もどこでやるか聞いて、見に行こうよ」


佳子から、帰りのバスで声をかけてもらえて、三希は正直ホッとした。また見に行ける。


「もちろん!」


 次の日、三希がバスターミナルでバスを待っていると、彼が眠そうに現れた。昨日の試合とはやっぱり、随分雰囲気が違う。でも、これでいい。ファンが沢山いては困るから。彼は今朝も一番後ろに座った。混んでいれば、立っている事も出来るけど、こんなに空いていたら、座らなくちゃいけない。三希はなるべく近くの程よく離れた彼の席の一列前の端っこに座った。

佳子と五木が乗ってくるのは、2つ先の停留所である。佳子は必ず三希を見つけて、隣に座る。

今日のバスを待つ時間はいつもと何も変わらない日常のはずなのに、三希には特別な時間だった。もう昨日までの朝とは違う朝になっていた。

大好きな人を待つ特別な時間。待つ、と言っても、来たバスに乗るだけなのだけど、三希の一方的な「行為」なのだけど、彼が来てくれなかったら、昨日までは何も考えずに来たバスに乗り込んでいたけれど、心を射抜かれた今となっては、昨日までの日常は既に消えていて、新しい日常が始まろうとしていた。

彼が来なければ、何の意味も持たない彼のいないバスにただ乗るしかないのだ。学校まで生徒を運ぶただの運送バスだ。

そんな事をボンヤリ考えながら、後ろを振り返ることが出来ないもどかしさで、心の中も恋するモードに切り替わっていた。


 五木が乗ってきた。面倒くさいから目を合わさないようにする。でも、寝ていたはずの彼が「押忍」と五木に挨拶する声が聞こえてきた。三希の高校の男子は、先輩に「押忍」と挨拶をする。学校内でも、学校の外でも。

五木が片手を上げて彼のあいさつに応える。

彼の声が聞こえた・・・

佳子が「彼、やっぱり乗っているね?」とニヤニヤしながら、三希の隣に座った。

「佳子ちゃん、声聞こえちゃうよぉ!恥ずかしい」

「大丈夫。聞こえないよ。寝てるし」


(ん~さっき、五木に挨拶してたもん、耳だけは起きているかもしれないじゃん)


そんな遠足みたいな楽しい通学バスの時間を過ごして、校門前に到着。ぞろぞろ降りる。彼の後を降りることにした。

あぁ、身長は170cmを超えているってところかな?やっぱり、凄く高いわけでもないけど、すごいなぁ。150cmの三希にとって、彼の身長は王子様だった。

校門を抜けると、彼はバスケ部の部室の方へ向かって行った。

「朝練やるんだろうな」三希は心の中でつぶやき、佳子と共に彼の部室とは違う方向にある下駄箱へと向かった。


三希も佳子も自宅が遠いため、毎朝、少し早くに家を出る。自宅からのバスが渋滞で遅くなっても、学校行きのバスには遅刻しないためだ。早く教室に着けば、教室のみんなとのおしゃべりも楽しめる。


「おはよう」

クラスにまた先週までと同じようにみんなの声が響く。


三希は今日、隣の席の彩(あや)に相談しようと思って登校してきた。

彩は、女子バレー部エースで1年生からずっと同じクラスだった。


「彩ちゃん、おはよ。今日は聞きたい事があるの!あのね・・・男子バスケ部で背番号14番の人って名前分かる?もしかしたら2年生かもしれないんだけど・・・」


誰にも聞こえないようにコッソリ聞いてみた。彩は1年生の時からずっと、三希の隣の席。マコトとは反対側にいつもいた。

彩は、必死に思い出しながら、遠くを見ていた。バスケ部の練習風景を思い出しているようだった。


「ん~~~確信ではないけど、多分1コ下の佐々木君?」


ササキくん・・・佐々木君っていうのね。心の中で「佐々木君」と呼ぶと、心臓が急にドキドキ鳴り始めた。


「どうして?」

「え?ただ聞いてみたかったの・・土曜日、試合を見たから・・・」


ダメだ・・また、顔が赤くなり、耳まで赤くなっているのを感じた。彩の顔が意地悪そうに・・・

「えぇ?白状してみなよ。顔に書いてあるよ。何かあります、って。みっちゃんが珍しい!」

佳子といい、彩といい、本当に女のカンは鋭いのである。


三希は小さな消え入りそうな声で・・・

「恋しちゃったみたい。土曜日、バスケの試合見たから」

「きゃあ!凄いじゃん!」

と言って、彩は三希の背中をバシバシ叩いて興奮していた。実は彩は五木に恋をしている。とても物好きだ・・・だから、三希がバスケ部に好きな人が出来た事を大いに喜んでいるのだ。


「佐々木君のバスケ姿を見たかったら、朝も昼も帰りもみんなより早く練習に来るから、きっと体育館で見られるよ」

彩が助言してくれた。やっぱり、朝練もやっているんだ。

「でも、私の好きな人が佐々木君っていう確証はないでしょ?」

と彩に言うと、すかさず彼女は


「五木くーん!男バスの14番って誰がつけてたかなぁ?」

彩は、五木に向かって叫んだ。

「はぁ?佐々木だよ。なんで?」

「後輩の子に聞かれたから、聞いてみただけ~♪」


実に楽しそうな彩である。三希はもう振り返る事も出来ないくらい赤くなっている。頭のてっぺん、口、耳、ほっぺたから蒸気が噴出しそうだった。頭の中も心の中も「佐々木君」が連呼されている。昭和な例えだけど・・・完全に壊れたレコードだ。三希の中を流れる血液すら「佐々木君」という成分が一気に分泌されて流れ始めたかのようだった。


でも、佐々木君と心で呼ぶたびに胸の真ん中がドキドキして、それが聞こえてしまいそうで、両手で抑えてみる。温かい。ドキドキ・・・トクトク・・・


(佐々木君・・・私は完全にあなたに恋をしました)


彩は、もう一つ重要な情報を提供してくれた。

「みっちゃん、私達の清掃場所は分かっている?」

「体育教官室でしょ?」

ブスッと答える。

「掃除の時間が終わるころには、佐々木君があの教官室の下に表れるよ。私も何度も会っているから」


(そうだったんだ・・・今まで全く気付いていなかった)


気付く訳がない。バスの中の佐々木とバスケの時の佐々木はまるでオーラが違うので、三希が気付かなくても無理はない。まして、体育教官室から1秒でも早く遠ざかりたい毎日なのである。そこに誰かがいても、気にも留めず一目散に逃げだしたくなる「気持ち」の方が断然勝っているのだ。


三希にとって、体育教官室の掃除は、毎回、生きた心地がしない。強面の教師達がゴロゴロいて、半分くらいの教師達はクルミをコリコリさせながら、握力を鍛えていて、三希はその音を聞いているだけで、これから殺されるような気分になるのであった。生徒達の首を根っこからコキっとされるような恐怖感。三希達の体育の教師であるバスケ部顧問の田中がいると少し安心する。逃げ場が出来る、というのだろうか?


 ある日、髪の毛にパーマをかけて、スカートも規定の長さじゃない女子が教官室に呼び出されていた。そこへ「掃除に入ります」と、三希が入ってしまった。柔道部顧問の佐藤が三希に気付き、「来い!」と手招きをした。

(えぇ??私、何か悪い事した?)

心の中で自問しながら、ビクビクして佐藤に近づくと、

「お前はビクビクせんでもいい!おい!」

と言って、呼び出した女子生徒に

「髪の毛はコレ!スカートの長さはコレ!」

三希のことを標本のように差し出して、注意をしていた。

(やりにくいったらありゃしない。校則ぐらい守れよ~)

そんな恐ろしい清掃時間を毎日送っていたのだが、佐々木に会えるとなると話は別だ。掃除も頑張れる!


「みっちゃんはさぁ・・・いつも私達、運動部の代わりに教官室内の掃除を受け持ってくれて助かっているのよ。これくらいのご褒美がなくちゃね。本当にありがたいんだぁ。みっちゃんと田村さん以外、見事に運動部だもんね。班長をあきらめて引き受けてくれた恩はホント忘れないよ~」


と彩は言って、妹にヨシヨシと頭をなでるように三希の頭をポンポンとした。

そうなのである。みんな運動部、ということは、体育教官室内にいる教師達がその部活の顧問だったりするので、みんなはそんな場所の掃除なんて、ゴメンこうむりたい場所なのだ。だから、文化部の三希と田村が部屋の中を掃除するからみんなに外を掃除してもらっているのだ。教師たちも何となくそれを察知しているから、何も言わなかった。普段の学園生活を見ていれば、田村が班長であれば、イジメを疑う所だが、三希がイジメにあって、そうされているとは、到底思えないからだった。


それから~と彩は続けた。

「お昼も食堂に佐々木君は毎日行っているよ。おやつかパンを買いに行けば、会えるよ」

同じ体育館の部活同士だけあって、何でも知っている。

(良かった。いっぱい会える)


 佐々木に恋をしてから、三希は大忙しになった。休日は、バスケの試合と野球の試合の応援に、学校では、何とかして佐々木に会うべくして時間を調整した。

誰かがパンやゼリーを買う!と言えば、ついてく!と言ってはついて行ったり、パシリをかってでたり。


昼食を食べた後の佐々木は、制服のままシュート練習の為の「昼練」をやっていた。誰よりもバスケに対して努力を重ねているのだ。三希は、その昼練から戻る佐々木が中庭を歩く姿を2階の窓からただただ見つめるのが日課になった。

でも、やっぱり一番の幸福タイムは、朝のバスの時間だった。限りなく近い所に30分近く一緒に居られるのだから。そのうち気持ちがバレルのではないだろうか?と思うくらい、毎朝、ドキドキしていた。佳子に協力してもらいながら、寝ている事を確認してコッソリ後ろにいる佐々木を見つめたりしていた。

佳子が乗る停留所前に満員になると、スッと席を立ち、立ったまま佳子が乗ってくるのを待った。その方が佐々木を遠慮なく見つめることが出来るからだ。

バスケの練習や試合を見るたびにドンドン「好き」の気持ちも膨らんでいった。


悔いのない高校生活にしなくちゃ。


 三希の部活が始まる前に体育館の上にあがって、こっそり練習風景を見たりもした。佐々木は、決して細くはなく、かと言って太い訳でもなかった。線が細い、というよりも骨太い感じだ。室内競技だからということもあるが、三希のように色黒ではなく、色白に近い。でも、筋肉質で腕や足の筋肉はバスケマンそのものだった。鍛えられているなぁ、と感じた。

 掃除の後で、彩が言うように、誰よりも早く体育館入りして、ボールを運び出し、ボールを磨く姿を何度もみた。やっぱりこの人、バスケが大好きなんだ、と確信した。ボールの1つ1つをドリブルしながら、具合を確かめているような行動を何度も見た。

一度は、早く会いたくて、教官室から走って階段を下りてきたので、三希の足音に反応した佐々木が三希を見上げた事もあった。「目があった」のだ。腰を抜かしそうになった。いっそ、抜かして倒れたら、助けてくれたかもしれなかった…などと妄想したりもした。


 初めての試合の時に見ていた場所は、教官室掃除の終わった後で通る通路でもある。佐々木が練習する姿を堂々と見ながら通る事も出来た。彼はいつも白いTシャツに大概、紺のバスケットパンツを穿いている。色が白いなぁ、と思いながらも、Tシャツから見える腕やズボンから見える脚が逞しく、見るたびにドキドキしていた。

毎日が三希にとって、「佐々木君色」の学生生活になっていた。


 何故か勉強も凄く頑張れた。大嫌いな体育も「この先生の元で佐々木君はバスケをやっている」と考えるだけで頑張れた。運動音痴だけど、「一生懸命」に取り組む三希の姿は体育教師の田中も

「最近のアイツは何か違うな」

と感じていた。恋の力は無限である。

あの日、バスケの試合を見てからの時間はとても三希にとって幸福をもたらす時間だった。


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