その16「尋常のないくらいに柔らかい何か」


 数分後。


 緊張を溜めに溜めた僕の前に現れたのは——制服姿の地味だった。


「……お、お待たせ……」


「え」


 思わず一言。いや、一文字か。


 まあそんな細かいことはどうでもいい。とにかく、彼女が制服を着ていたことに驚きだった。


「……ど、どうか……しました、か?」


「え、あぁ……いや、びっくりちゃってな……」


「び、びっくり……?」


 おどおどと首を傾げる地味。


 制服モードだと少し控えめなのか、それとも最初からそうなのか分からないが昨日までの多少の威圧感はないように思える。


「いやぁ、なんで制服なのかってな……」


「っ——あぁ、えっとぉ……その……」


「いや、別にあれだぞ? 言いたくないなら言わなくてもいいんだぞっ?」


「え、別にそんな……わけじゃ、ない……ですっ。ただ、本屋に行くんなら……やっぱりこれかなと?」


「これかな?」


「……本は神様なので、正装でいくべき……かと?」


「…………もしかして、僕にも言ってる?」


「っ……ん」


 どうやら、先程までの「威圧感を感じない」というのは僕の気のせいだったかもしれない。


 怒っているわけではなさそうだが明らかに言い方に棘がある。


 あらまぁ、奥様。どうしたんですかね、この子。この前までの地味で優しくておどおどした地味静香はどこかに行っちゃったんですかねぇ。


 おっぱいは変わっていないからいいんではないんでしょうかぁ、奥様ぁ?


 そうですね、って地味の魅力はそこだけじゃないんだよ‼‼ せっかくの地味らしさが消えたらもう地味じゃないんだよ!!


「っはぁっはぁっはぁ……」


「な、なんで息切れ…………」


「あぁ、いや別にこっちの話だから気にしないでくれ」


「は、はぁ…………そ、その……す、鈴木君は……どう、しますか?」


「ん? ど、どうって?」


「……その……制服です」


「……え、もしかして僕も着なきゃいけない感じ?」


「…………っん」


 こくっ。


 真面目に、地味ってヤバい奴なのかなと頭を過ぎった。いやはや、僕の知っている地味はここまでずかずか来ないからな。本当に、徹底度が凄い。


「……ぁ…………だ、だめ……ですか?」


「……ぅ」


 他の意味でぐうの音も出ないな。


 こうも上目遣いで訴えられると男としても彼氏としても、断るわけにはいかない。


 まあ、ここまで彼氏らしいことなんてできていないし、このくらいは聞いておかなければ面子も立たんってわけか。


「……っはぁ。分かったよ……着るよぉ……もう」


「っ……あ、ありがとう……ございますっ」







 一度僕の家に帰ってから、札幌駅に向かった僕たち二人は市電に乗っていた。


「っ……ぁ」


「うおっ……混んでるなっ」


「ぁ、ちょっ…………ぁぁぁ……そ、そこはっ…………ぁっ!」


「んむっ……はっ」


「ひゃぃ……ふぁ…………っ」


 ゴールデンウィークも最終日。


 部活ジャージ姿で乗る他の高校の生徒やこんな日でも仕事に向かうサラリーマン、そして今日しかないと焦っている僕たちの様な高校生。


 そんな様々な事情を背負った人々で電車の中はごった返していた。人一人入る分の隙間すらない。


 ……というわけで、僕は今。

 地味の胸の中に顔を埋めていた。


「やっ……やめっ…………ふぁっ」


「むふっ……ふぉ、ふぉんで……ふぅっ……けられっない……」


 不可抗力だ。


 別に、僕も僕で埋まりたくて埋まったわけではない。これは明らかなる不可抗力、人為的なものではない自然の摂理だ。


 それに聞こえてくる声からして地味の顔が見たい。


 焦って赤くなっている地味の顔も拝めてみたいが、生憎とこの姿勢じゃ見ることはできない。


「ふごふぁっ」


「んにゃっ……⁉ ひゃぁ、ぃ……も、もうっ……やめっ…………」


「ふっふっ――――ぁ」


「息っ…………ぁ! うぅ……」


 谷間が密室空間の様で息苦しい。

 加えて絶妙な柔らかさが心地よい。


 まさに天国と地獄のようだ。


「ひっ……」


 耳元で広がる吐息と声。


 ゾクゾクと背筋を走った変な感覚が自分の内に秘めるSっ気を目覚めさせようとしてくる。


 電車が揺れる度に左右上下にパツパツ張ったYシャツが目の前で動くし、僕も足を踏み外してそのまま押し倒してしまいそうでままならなかった。


 こりゃぁ。

 男だったら、夢にも見る状況だな。


「うおっ‼」


 ガタンっ。

 瞬間、電車が急ブレーキを掛けた。


 揺れる車体、ガタンと大きな音を上げてギギギと前に向かっって体制が崩れる。傾く身体を支えようと地味のお腹当たりと掴むと「んひゃっ!」と悲鳴が耳元に響いた。


「っ!」


 必死に手すりを掴むと、さらに胸がぐにゅりと押し当てられもう一発の短い悲鳴が響く。


 しかし、次の瞬間。

 後方からズシっと重みがかかった。


「え」


「っ——!?」


 いきなりの重心移動。


 足元がよろけ、自分でも抑えきれなくなると————体が反転する。


「……?」


 そして、コンマ数秒後。


「ったぁ……ぁ……ぃたたたた…………ん?」


 すると、手の中に何か柔らかいものが一つ。


 左手は地面。

 右手に凄まじく柔らかいもにゅもにゅな何か。


 ぐにゅりと力を入れると、


「っひゃぃぁ!?」


 ふにゅふにゅ。

 揉めば揉むほど「ぐにゅり」と沈む弾力。

 押せば押すほど「ひにゃっ」と漏れ出る悲鳴。


 徐々に視界が晴れていき、その感覚を感じる方向へ視線を向けると————その瞬間。


 背筋に悪寒が走ると同時に、妙な背徳感が脳裏を支配した。


「ぁ」


「っ」


「ご、ごめ地m————っ⁉」


「ひゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ‼‼‼‼‼‼」


 密閉した車内に長く大きな悲鳴が響いたのと同時、僕が痴漢の濡れ衣……いや不可抗力……そんな事実を押しつけられた瞬間だった。





 次回、その17「ライトノベルと言えばこれでしょ?」


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