第2話 仕事の話
結局その日はマルブランク・レッドハートという大層な名前の小男と話をする事が出来なかった。あの後彼は自分の足で便所から帰ってくる事はなく、引きずられて仲間に救出された挙句に、次の朝まで寝ていた。
夜には団長とエリックは彼との話を断念して、自分たちの宿に引き取った。そして2人は夜中まで彼が大丈夫なのか、城に連れ帰る価値がある人間なのかを話し合った。
わざわざバロム伯領バロム城下町から一日かけてこの辺境の街まで、聞き込みをしながらやって来て、その価値があるのか?彼はどう見てもアルコール中毒の痩せた小さな中年ではないか。現在どうやって生計を立てているのかも分からない。明日、朝一で酒場にいた仲間に聞いた自宅へ行ってみるが、どうなる事だろうか。
唯一の救いはあの時の驚き---我々の気配に感づいていた時、我々の方はそれに気づいていなかったという事。あの一瞬の背筋がヒヤリとした感じは何とも言えず、何かに似ている。そう、敵に背後を突かれた時の気持ちに似ていて、ほんのちょっとした恐怖に近いものか。
マルブランクの家は裏路地の、意外と小綺麗な石造りの建物だった。通りすがりのロバを連れた農夫にじろじろ見られながら、団長は戸を叩いた。まだ朝早かったので、あれだけだらしないところを見ればすんなり出てくる気がしない。しかし、これがまた意外にも扉がすっと開き、薄暗い家の中から丸々とした顔が覗いた。
「どちらさん?」
2人は一瞬で2度も意表を突かれて、言葉をなくしてしまった。
どう説明したものかと2人は困り、長くて短い間があった。
「昨日、あの酒場でお会いしましたよね?」エリックは説明を試みたが、団長は少し諦めていたみたいだった。
「酒場?うん?ああ」マルブランクのシラフの真顔は非常に冷たく、昨日とは別人みたいだ。「酒場にいたのか。じゃあ、誰かが連れて帰ってくれたのかな。1人で帰ったのかな」
「お連れさん達が送って行くと言っていましたよ」エリックが言った。
「そうか、マリリンか、トームかな。またやっちまったか」マルブランクはしっかりとした口調だ。「んで、なんかやったかい?覚えてねえや」
「いえ。何かやったとは?」団長は初めて口を開いた。
「あんたら兵士だろ?俺をしょっぴぎに来たんじゃねえのか」
2人は戸口で立ち尽くした。刀剣の類も持っていなければ制服さえ着ていないのに。なぜ分かったのか。
「あ、いえ」なぜか2人とも動じている事を隠そうとした。「昨日も話をしかけたのですが、あなたに御用があってバロム城から参ったのです。彼はバロム騎兵団団長のレーヤン、私は近衛兵主任のエリックです。あなたがマルブランク・レッドハートですか?」
「そうだ。騎兵団長に城のチーフか。なんかこんな田舎まで来てもらって悪いね。中入る?」
マルブランクの物腰は至って上品で、家の簡素だが片付いた調度品は彼の几帳面さを物語っていた。手作りと思われる焼き物の皿や、得体の知れない野獣の骨が飾られていて、趣味の良い鮮やかな絨毯にはちりひとつ落ちてない。ベッドもまるで使用感がないみたいに整えられていた。
手作りのテーブルに椅子が4脚。真ん中にはドライフラワーが飾られた花瓶。
「俺を知ってるやつはもう少ないよ。誰か分かんないけど、要件は想像がつくよ」マルブランクは水差しから3つの陶器の湯呑みに水を汲んだ。
「我らが主から、力を貸して頂きたいとの事で参ったのです」エリックが言った。
「へえ。バロム伯直々に。でも俺は会った事ないからまた別の誰かに俺のこと聞いたんだね」
「どうしても我々では手に負えませんで。腕の良いプロを雇った事もあったのですが、結果は散々でした」エリックが説明した。
「まあ、人数でも武力でもないからね。そういうのは。どう言ったらいいか。登るの?潜るの?」マルブランクは椅子に横に座って部屋の壁を見つめながら、何か考えているみたいだった。仕事を受けるかどうかを思案しているのだろうか。
「潜る方です。洞穴だと思っていたのですが、人工的な遺跡であるらしく」レーヤン騎士団長が言った。
「俺が仕事を受ける時はさ、条件があるのよ。それは聞いてる?」
「いえ……」2人は口をつぐんだ。
「その遺跡の奥に何をしに行くの?それを俺に知らせるって事」マルブランクは2人を見やる。
少しのためらいの間。それは2人が組織の幹部で中枢を担うからならではであろうか。しかし、知らせてはならないというお達しはなかった。
「ある、本が眠るらしいのです」レーヤンが口を開いた。
「本?」
「そうです。魔導書。奥義書らしいのですが」エリックの声は誰かに聴かれまいと静かだ。
「ああ。そう。大体わかるよ。でも運がいいよ。普段ならもうそういう仕事は受けないようにしてたけど、受けるよ」
2人に安堵と不安。2つが合わさってゼロに近かったが。
「そろそろ蓄えがなくなってさ。まあ任せなよ」
そう言うマルブランクは始終酒臭かった。
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