第20話 王国の御旗
〈マフィ・ゴルデン、ここに眠る〉
エドガーは慣れない義足を動かしながら、レイチェルと共に拠点にしていた森の奥に訪れていた。遺体はドラゴンの炎に包まれ、未だに見つからない。なかば捜索を諦めた二人は、拠点のあった場所に石を置き、木の枝で彼の名前を書いた。
事件の全貌をエドガーは新聞で知った。発端は十五年前のミシェル姫の死。それに関わった王族と貴族、国民に怒りを抱いたウォルター・エヴァンズがドラゴンの封印を破ったことが原因だ。ウォルターがヴァージルだったというのは驚きだが、革命軍の状況を知るために革命軍の内部に入り込むのは、国崩しのためにエドガーが使った手段と同じだった。
「マフィを殺すのも、きっとヴァージルの作戦のうちだったんだと思う」
エドガーがそういうと、レイチェルは頷いた。
「内部分裂をさせて、革命軍に騎士の注意を引き付け、そのうちに王族の首を刎ねる算段だったんだろうな……」
ヴァージル、否、ウォルターに恨みこそあれ、彼はすでに死んだと聞く。そしてその止めをさしたのはローランだとも風の噂で耳にした。友人を殺した彼の気持ちはわからない。ローランは真意を隠すことがとてもうまい人間だ。
「これからどうする?」
横に倒れている大木に腰を下ろし、レイチェルがそう切り出した。エドガーは返答に詰まる。
自分たちは、恨んだ国に救われた。たしかに〈夢幻の射手隊〉を発動させて、この国を救いもしたが、怪我をした自分たちを懸命な処置で救ってもらった恩が消えるわけではない。
「あたしは旅に出ようと思う」
だしぬけにレイチェルが言う。
「この国にはやっぱりいられない。それに海を渡ったことがないだろう? 大きな船に乗って、世界中を旅してみたい」
レイチェルの瞳は輝いてこそいなかったが、現実味を帯びていた。彼女の行動力ならば、世界を渡り歩くことだってできるだろう。
俺も──。
そう言いかけたエドガーを、レイチェルはその微笑みだけで止めてしまう。
「あたし達、双子みたいに生きてきたよな。生き方は違ったけど、感じ方は似てた。考えてることはすぐわかるし、なんで怒って、なんで喜ぶのかも、いつも絶対にわかった。お前といられてよかった」
それは別離の言葉だった。
そして、その言葉を発せられることをエドガーは心のどこかでわかっていた。わかっていたが、怖かった、
「……置いていかないでくれ」
レイチェルはにこりと笑う。
「違うよ、エル。そうじゃない。お前はここに残るべきだ。大事なものがあるなら、守るべきだ。あたしはもうエルに守ってもらう必要はない。あたしは十分強いし、今まで守ってくれたのでお互いに一生分だ」
──だから。
違う生き方をしよう、とレイチェルは言う。穏やかな微笑に何と返事をすればいいのかわからなくなる。
大事なもの。大事なひと。守りたいもの。守りたい人。
この国を滅ぼすには、この国に様々なものができすぎてしまった。過去に戻れないのならば、未来に歩み出すしかない。立ち止まっていても過ぎていく時間には誰も抗えないのだから。
「ここでもう、さよならだ」
立ち上がったレイチェルは、泣きながら笑っていた。
離れたほうが良い。それはエドガーにもよくわかっている。自分たちはお互いの半身だ。過去への憎しみと故郷への愛情が詰まった思い出だ。その痛みを、傷を、レイチェルはエドガーの分を、エドガーはレイチェルの分を背負って、生きていく。それがきっと一番いい選択なのだ。
わかっていても、涙が流れた。身体が裂かれるように辛かった。
きっともう一生会うことはない。それでもこの決断はきっと間違っていない。
「さよなら、レイチェル」
反対の方向に一歩を踏み出す。
ああ、どうかこの一歩が、レイチェルにとって、よりよい人生に繋がっていますように。
エドガーはそう祈らずにはいられなかった。そして毎朝、彼女を想うだろうという予感がした。
世界のどこかで、向日葵のように笑う彼女を。
***
これからこの国でどう生きるか、エドガーは考えてはいたものの、結局その足はハリウェル邸に向かっていた。
ドラゴンが首都を襲ってから一週間。街の復興はまだまだ時間がかかりそうだ。比較的被害の少なかったハリウェル邸の庭も、灰を被っていた。
クレアとシドはもう自分が革命軍のメンバーであることを知っているだろう。
裏切り者だとなじられても仕方がない。甘んじて受け入れるべきだ。
そんな気持ちでエドガーはドアベルを鳴らす。開いたドアの向こう側には、メイド服姿のクレアが立っていた。
「エドガーさま……!」
その表情は驚きから、次第に喜びへと変わっていく。
「スクランブルエッグ、作っておいた甲斐がありました」
クレアは嬉しそうな顔で笑っている。いたたまれないのはエドガーの方だった。
「……まずは謝罪を」
「いいんです。またこうして出会えた。それだけでいいんですよ」
続いて、どんっという衝撃が身体を襲った。見れば、シドがこちらを抱きしめていた。泣いているのか、肩が震えていて、顔を俯かせている。エドガーはそっと彼の赤い髪を撫でた。
「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした、シドさま」
「馬鹿っ。エドガーの大馬鹿者!」
罵倒しつつも、シドがこちらを離してくれる気配はない。
「足、なくなったって聞いた……。ドラゴンから街を守るために犠牲にしたんだって」
街を守るためというよりは、目の前のこの二人やレイチェルたちを守るためだったのだが、シニフィスが英雄を創り上げるため、エドガーをそういう設定に仕立て上げたのだろう。
「平気ですよ。シニフィスさまが魔法仕掛けの義足をくださいましたから、問題なく走れます」
「そっか。よかった」
ようやくシドがエドガーを離すと、リビングのある方の部屋からローランが顔を出した。彼の顔にはこれといった感情はなく、淡々としていた。
「執務室に。二人だけで話がしたい」
エドガーはにこりと仕事用の笑みを浮かべる。
「かしこまりました」
執務室の椅子にローランが座り、エドガーは机の前に立っていた。以前まで、壁際の机で書類作業に追われていたことが、遠い昔のことのようだった。
「簡潔に言うと」ローランは羽ペンで書き物をしながら言った。「英雄様を丁重に扱えと、うちの師匠から命令が下った」
「今まで通り接するようにと?」
「俺は善処する。あとはお前次第だ」
「何もかも、今まで通りに戻るとでも?」
エドガーから漂ってきただろう殺気にも、ローランは気づいていないふりをする。その様子を見てエドガーはわずかに苛立った。
「あのクソババアが」
「クソババアか、傑作だな。はははっ」
師を悪く言われてもローランは怒るどころか笑っていた。エドガーはまだ自分の中でくすぶっている復讐心の穂先をローランへと向けた。
「生き残った仲間たちは全員この国を出ていく。だがそれで何もかもが終わったわけじゃない。俺たちは忘れない。ずっと覚えているし、憎しみ続ける。俺はあんたを許さない。あんたがどれだけ周りから尊敬されても、たとえ素晴らしい聖人だとしても、絶対に許さない」
しばらく間をおいてから、ローランは「そうか」とだけ言った。
「…………随分と余裕があるな」
ローランはゆっくりと首を横に振る。
「お前に殺されるのも、まあ悪くはないと一時は思ったからな。今は死ぬに死ねなくなってしまったが」
死ねない理由は聞くまでもない。この館にいるクレアとシド。大切な人がいるからだ。愛されているという自覚を多少ともローランは持ったらしい。
「ドラゴンに死霊術をかけたと聞いた。お前はもし大きな戦争が起これば、必ず中心人物として戦争に巻き込まれることになる」
「じゃあそのときはお前が俺の首を刎ねろ」
死ねないといいながら、こともなさげにローランはそう言った。それがエドガーの癪に障る。
「自分で死ね」
エドガーはそういって、そっぽを向いた。その様子をローランは笑った。
「戦争が起きないように、せいぜい尽力するよ」
そういって、羊皮紙を渡される。雇用契約書だった。
「必要だろ? ここにサインを」
エドガーは何も言わず、羽ペンをローランからひったくり名前を書いた。
〈エドガー・ランベルト〉
新しい名前を。
執務室のドアがノックされる。入ってきたのは射影機を手にしたシドとクレアだった。
「写真、もう一度、撮ろうよ!」
「そんなに撮ってどうするんだよ」
呆れたようにローランが言う。
「お部屋に飾りましょう」
と言って、クレアが手を合わせる。
灰を少しかぶった庭に出て、夕日で照らされた街を眼下に四人で並ぶ。
「じゃあ、撮るよー! せーの!」
初秋の風に吹かれ、王国の御旗がたなびいていた。
***
塔の上にミシェル・ヴァルスタインはいた。窓際の縁に足をかけ、あと一歩踏み出せば、今にも彼女の身体は真っ逆さまに落下していくだろう。
胸に深々と矢が突き刺さっているにもかかわらず、実の父親や大切なものたちに裏切られたにもかかわらず、ミシェルは微笑を崩さない。
──ああ、私としたことがいけないわ。こんなことになるなんて。
ウォルターは平気だろうか。ローランは無事だろうか。色んな考えが頭によぎる。ふと、そのとき屋根の上に立っている御旗に目がいった。夜風にたなびく旗を見ながら、ミシェルは誓いをたてた。
──私は、どうなっても構いません。ですから、どうか。この国をお守りください。私の大切な人の笑顔をお守りください。
どうか、どうか。
死への恐怖は彼女にはあまりなかった。王族という身分で生まれてきたときから、どんな死にざまも覚悟してきた。ただ恐ろしいのは自分の死後、大切な人たちを守れなくなることだ。だから自分の代わりにせめてと御旗に祈った。
──ウォルターが暗殺者を許せますように。
──ローランと……またどこかで会えますように。
「馬鹿ね」
ふふふっとミシェルは笑う。彼は死後の世界を信じていないのに、こんなことを想像するのはおかしなことだ。
でも、もし会えたらそのときはダンスに誘おう。
そのためにミシェルはマコーマック王国の騎士に装飾の施されたリバードレスを手に持つことを願い出た。彼と踊るならこのドレスがぴったりだ。
ミシェルは片足を空に出す。見上げると夜空に無数の小さな星が舞っていた。
──ダンスの特訓をしなくっちゃ。
そして、もう一歩を踏み出した。
御旗がはためいた。小さな少女の願いを見届けるように。恋をした少女の最期を見届けるように。
〈了〉
死霊術師とその秘書官‐王国の御旗‐ 青猫 @AONeKO_09
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