第19話 取引
目を開けると、窓の外に真っ赤な夕焼け空が広がっていた。
自分は死んだのではなかったのか?
そんなことを思いながら、エドガーは病院で目を覚ました。病院だとわかったのは独特の薬草や薬湯の香りのせいだ。廊下を見れば、負傷した市民たちが次々と運び込まれているのが見える。一方自分は狭い独居房のような部屋にベッドと共に閉じ込められている。
ぼんやりとしていた頭をはたくように右足の付け根が痛んだ。原因は明らかだった。右足がすっかりなくなっている。
代償、ね。
しかし弓兵はたしかに命を捧げろと言った。しかし自分はまだどうやらしぶとく生きているらしい。これはいったいどういうことなのだろう。そもそもいったいなぜ革命軍の幹部である自分を監房に入れているとはいえ、生かしておいているのだろう。
その答えは向こうからやってきた。
「失礼するぞ。エル・ピンシア殿」
そういってシニフィスが監房の中へと入ってくる。エドガーは嫌そうに顔をしかめたが、シニフィスがこちらに配慮する気配はない。
「実に不可思議な事態じゃ……」
シニフィスは何もかもを見通しているといったしたり顔で言う。
「国に紛れ込んだ密偵が、この国を救った。右足と引き換えにな」
「……よくいう。〈夢幻の射手隊〉の発動条件をあんたは知っていたはずだ。知っていて、それを任せたんだろう?」
シニフィスは持っていた扇子で自らの口元を隠す。
「知らなかったと言えば嘘になるのう。本当は自分で行きたかったのじゃが、そうはできそうになかったので、仕方なしにそなたに任せたのじゃ。もちろん、あのときはそなたの化け狐ぶりには気づいていなかったがの」
「で、俺はどうして生きている?」
「すっかり化けの皮がはがれてしまって、つまらんのう。じゃが、まあ、説明して進ぜよう。そなた、〈魔術師殺しの契約者〉らしいのう。つまり一つの身体にそなた分、合わせ七つの魂が入っているわけじゃ。〈夢幻の射手隊〉はその魂も命として少しは勘定に入れて、六つの魂とそなたの右足で手を打ったのじゃろう」
たしかにそれならば自分が弓兵に命を奪われなかった説明はつく。この国に復讐をするための魔術が、この国を救ったなど笑いの種にもならないが。
「そんなことは聞いていない。なぜをあんたが俺をまだ生かしているかを聞いている」
「……言ってもそなたにとって良い返答はできぬな。まあ、簡単に言えば殺すほどの脅威ではないと考えたからじゃ」
「ぶっ殺すぞ、クソババア……」
猫をかぶる気もしないので、思ったままのことを口にする。どうせ怒りを買って殺されても仕方がないのだから、かしこまっている方が馬鹿らしい。
「威勢のいい猫ちゃんじゃのう。そう怒らずともよいではないか。そなたの連れの娘も無事じゃ。こちらが手当てをしたのじゃから、感謝してもよいくらいじゃぞ」
「誰が」
「ふふふ。そうそう、クレアもシドも、ローランも無事じゃ。そなたが革命軍であることもほんの一部の人間にしか知られていない」
「どうしてそんなことをする。あんたたちに利益がない」
利益ならある、とシニフィスは微笑む。
「今やこの国は崩壊したも同然じゃ。そんなときに必要なのは身をていし人々を救った英雄じゃよ」
「俺にその英雄になれって?」
「もうなったのじゃよ」
烏頭の杖をシニフィスが振ると、エドガーの足に機械仕掛けの銀色の義足が取り付けられた。
「ささやかながら、英雄への感謝の気持ちじゃ」
「……吐き気がするね」
***
エドガーの奮闘によりドラゴンが倒され、三日。ヴァルスタイン王国の首都は壊滅的被害を受け、多くの家々が燃え尽き、人々は騎士団や国家魔術師により建てられた仮設小屋で過ごしていた。王城の一部も一般市民に開放され、大広間の中で大勢の人々が身を寄せ合っている。ローランは大魔術師として王城の中の管理を任されていた。家を失った民の嘆きに耳を傾けていると、部屋の扉が厳かに開かれた。
「ルークさま……」
ひとり騎士がぼそりと呟く。扉の前に立っていたのは、いつものように気難しい顔をしたルーク・ヴァルスタインだった。ウォルターに父と兄を殺されたルークは王位継承の儀を経れば、若干十六歳でこの国の王になることが決定している。まだ子供だというのに、あまりの重荷と悲惨な経験だとローランは思ったが、ルークは気丈だった。
ルークは真っすぐに前を見据えたまま、広間の奥にある壇の上に立った。
「皆よ、聞いてくれ」
背筋がピンと伸びていて、漆黒の瞳には迷いがない。誰もが静まり、幼い国王の言葉を待った。
「我々は大きな傷を負った。大切なものを失った者も多いことと思う。しかしそれでも、多くの犠牲を払い、かの悪逆なる竜王を討ち取った。今より、城下にて魔術による奇跡を見せる。皆の心がその奇跡で少しでも静まれば幸いだ」
騎士に護衛されながらルークは広間を後にする。
「城下?」
「とにかく外に出てみよう」
のろのろと人々が広間から出ていく。ローランはルークの言っていることがわからなかった。するとそこへシニフィスが姿を現す。
「猫かぶりの意識が戻ったぞ」
「猫かぶり?」
「エドガー・ランベルトじゃ。わしに向かってひどい暴言を吐きおった。おいおい。わし、泣いてしまうぞ」
エドガーの意識が戻ったと聞いて、ローランは安堵した。さすがにあのまま死なれたのでは目覚めが悪すぎる。
「もう一人、娘がいたと聞いたが?」
「その娘も無事じゃ。まあどのみち、二人とも死罪は避けられぬじゃろうが」
死罪と聞いて、ローランは驚いた。
「待てよ。エドガーはこの国を救ったんだろ!? 〈夢幻の射手隊〉は命を対価に発動する魔術だ。あいつは命を捨ててまで──」
「お前が何を思うと関係はない」シニフィスが冷淡に切り捨てる。「国家反逆罪は死罪。これは覆らぬ。簡単なことではな」
「……取引か?」
シニフィスが目を眇める。
「聡い弟子で助かるのう。今からお前には城下で奇跡を起こしてもらう。仔細は話さずともわかるじゃろう? お前も薄々は気づいていたはずじゃ」
ローランはシニフィスから目をそらした。
考えたくはなかった可能性について、シニフィスはこちらに喋らせようとしていた。
「ドラゴンに死霊術をかけろと言うんだろう?」
「その通りじゃ。どのみち、あの怪物の死骸を大通りに寝かしておくわけにもいかぬ。冬山に戻すのがいいじゃろう」
「腐敗しないよう術を施しこの国の兵とするために、か? 師匠、もしかして初めからウォルターの不穏な動きに気づいてたんじゃないか? たしかに発端こそ与り知らぬことだったのかもしれない。けど、ドラゴンを戦力として獲得するために見て見ぬふりをしていたんじゃ……」
沸々と湧いてくる怒りを、ローランは抑えていた。相手は自分の師匠だ。ローランだってシニフィスに温情は感じているし、疑いたくなどない。けれど、あまりにも出来すぎている。
シニフィスは心外だとばかりに肩をすくめた。
「まさか。こんなに大量に市民が亡くなったのじゃぞ。いいか? わしはこの国を心の底から愛しておる。政治家や王族を、というわけではない。市民も含め、生きとし生けるものを尊く思い庇護したいと願っている。ドラゴンに国を襲わせることなど、恐ろしくて思いつきもせんよ」
「……わかった」
愛。この師匠はときどきそれを口に出す。ローランはひとまずシニフィスが一件に絡んでいたのかは保留とすることにした。どうせどう問い詰めたところで、口でも魔術でも、この師匠には敵わない。死んでも、事の真相は教えてもらえないだろう。
「それで、取引は成立か?」
「ああ」
王城の外に出たローランは陽光に目を細める。王城に垂直になるようにある大通りには無数の矢で射抜かれたドラゴンが倒れている。城からローランが出てきたのを見て、箒で周りを飛んでいた魔術師たちが下に降り、市民たちが彼を見上げる。シニフィスが高らかに声を上げた。
「刮目せよ! これが我が国の力である!」
ドラゴンの身体の下に紫の魔法陣が浮かび上がる。くるくると回転を始め、風がゆるりと巻き上がる。
「〈甦れ〉」
ぐぐぐっとドラゴンの重たい瞼が開く。濁った瞳がローランの方を見た。
人は、神さえも使役しようというのか……。
複雑な心境のまま、ローランは片手を上げる。
「〈飛び立て〉」
ドラゴンが四肢に力を籠め、翼を震わせる。そして石畳に爪で大きな跡を残して跳躍し、そのまま翼を羽ばたかせ、上空で旋回を始める。次の瞬間、意気消沈していた市民たちから爆発的な歓声が上がった。誰もが、目の前の奇跡に心を躍らせていた。神など、もはや畏れるに足りずと思っていることだろう。
忌々しい術だ。
ローランはそのまま、シニフィスの指示通りウェルガルドへ戻るようにドラゴンに命じた。翼を一段と大きく広げ、ドラゴンは北の空の彼方へ消えていった。残ったのは市民たちの喝采だけだ。ローランは愛想笑いでそれに答えて、すぐさまに持ち場へ戻った。シニフィスと城の廊下を歩いていると、シニフィスは何気ない口調で言った。
「あの青年はお前を殺したいだろうな」
「…………でも殺さなかった」
殺せなかった、の方が正しいのかもしれない。
思い出される言葉は、ただエドガー・ランベルトの人となりを現していた。復讐心に身を焦がされ、なおも人を愛する心を失わなかった青年。だからわかったのだろう。ローランが周囲の人々から、どれだけ愛されているか。大切にされているか。死んでしまったら、悲しむ人がいることを、エドガーはローラン自身よりも深く理解していた。だから殺さなかった。
「まあ、なんにせよ。取引は成立した。人権的措置に基づき革命軍に死罪は求めぬ。では、わしは復興会議に戻るとするかの」
螺旋階段を上り始めたシニフィスは、ああそうだと言って振り返った。
「姫君の墓に寄ってやるといい。今日はあの方の誕生日じゃ」
「…………何といえばいいのか」
よほど情けない顔をしていたのだろう、シニフィスはけらけらと笑い、何も言わず上階へ向かってしまった。
とはいえ、ローランももとより彼女の誕生日を忘れていたわけではなく、墓に参るつもりだった。王族の墓は敷地内の端にあり、王家の紋章にもある白い百合が生えている。いくつかの墓石を通り過ぎていき、ミシェルの名前の前でローランは立ち止まる。
命日と誕生日にはいつもウォルターとここに来ては昔の話をした。ウォルターはどんな気持ちでローランのする昔話を聞いていたのだろうか。
そんなこと、わからないよな……。
ひとつため息を吐き、ローランはひざを折ってミシェルに語りかけた。
「ミシェルさま、お誕生日おめでとうございます。……ウォルターは傍にいますか?」
死霊術師として、ローランは死後の世界を信じてはいない。けれどそれでも、幻想に縋ってしまう人間の気持ちがわからないわけではないし、無駄と切り捨てることもできない。
「……どうかあいつを許してやってくださいね。あいつは確かに大勢を巻き込んで大きな被害を出した。全国民が彼を悪人と認め、生きていれば石を投げていたでしょう。けれど、ですから、せめてあなたにだけは恨んでほしくないのです」
愛。
シニフィスがよく口にする言葉。この世で最も理解することが難しい概念。
ひとつだけローランがわかることは、ウォルターがミシェルを愛していたということだけだ。ローランはそれを悪と断じた。けれどミシェルにだけは、そう思ってほしくなかった。
「今年の山車も綺麗でした。あなたにそっくりな人形が乗っていて、子供から花びらを両手いっぱいにもらいました。それから……。それから──」
言葉を探す。伝えたいことはあるのに、胸に詰まって出てこない。ただ涙だけが頬を伝った。
「ウォルターを殺してしまいました……。あなたは私を許さないかもしれない。それでも自分が間違っていたとは思いません。私は私の責務を全うした。なのに、なぜ……。こんなにも苦しいのでしょうか……」
独りぼっちになったローランを励ますように、白百合が風に揺れた。誰かが語りかけてくるような風だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます