第18話 夢幻の射手隊


 ウォルターの口から語られた十五年前の真実は、ローランを失望させ、そしてなにより困惑させた。

「どうして何も言ってくれなかったんだ……」

「お前が復讐を望んでいないからだよ、ローラン。こんな計画に乗るとは思えなかった。現にそうだろう。お前はザルツェを庇おうとしている」

 いつの間にか腰を抜かしたザルツェは這うようにして部屋から出ていこうとしていた。それを見逃すウォルターではない。

「やめろ!」

 ローランが魔術を使うよりも早く、ウォルターは俊敏に動き、剣を振り上げザルツェの首を刎ねた。

「はははっ!」

 ウォルターは笑いながら、泣いていた。

「ははははははは! ざまあないな! この国も、これで終わりだ!」

「ウォルター!」

 拘束しようと魔術を飛ばすが、ウォルターはそれを交わす。さすがはヴァルスタイン王国随一の騎士。対魔術師の戦闘も手慣れたものらしい。

「俺を捕まえようというのか、ローラン? なぜだ? お前はなぜこの国を許す?」

「たとえミシェルさまがこの国に殺されたのだとしても、ミシェルさまは今でもこの国を愛しておられるはずだ!」

「馬鹿を言うな、ローラン。死んだ人間は何かを愛したりはしない。幻想を抱くのはもうやめろ! 散々だ!」

 すべてが夢であってくれ。

 ローランはそう思わずにはいられなかった。唯一の親友が国を裏切り、ドラゴンを召喚し、国王陛下を惨殺した。しかしこれは夢ではない。自分ができることは、すべきことは明白だ。

「国家魔術師として、俺はお前を捕らえなければならない」

「捕らえる? お前が私を?」

 できるはずがない、とウォルターは続けた。だが、ローランは本気だった。

「お前は罪を重ねすぎた。もうこうするしかない。──〈甦れ〉」

 ローランはザルツェとハインに死霊術をかけ、両者をつと立たせる。ウォルターは不気味な笑みを浮かべて剣を握り締めた。

「いいだろう。邪魔をするなら、たとえお前でも容赦はしないぞ」

ぴんと指を立て、ローランは操り糸をたぐるようにザルツェとハインを動かした。ウォルターを取り押さえようとするが、彼は容赦なく二人の遺体を斬り捨てようとする。ハインの死体が両手を挙げてウォルターにとびかかる。瞬間、ウォルターが彼を横薙ぎにした。

「〈貫け〉」

 ローランの詠唱により、〈白銀の間〉のガラスがぐるりと捻じれ、槍のような形になる。槍の穂先がハインの背中に隠れ、間髪入れずにウォルターの胸元に向かって伸びていた。ハインを斬り捨てた瞬間の隙を狙い、槍が伸びる。しかし、あと少しで胸に届くというところで、ウォルターの剣で防がれた。

「本気らしいな」

 ローランが全力で応戦しているというのに、やはりウォルターは笑っていた。とっくの昔に、彼の中で理性は消え、復讐の獣となっているのだろう。

「あの夜、旗が見えた。王城の上でヴァルスタイン王国の御旗がはためいていたんだ」

 硝子の槍を避け続けて、なおもウォルターは語り続けた。

「俺はあの旗に誓った。この国を焼き尽くし、全てを灰燼に帰すと」

「こんなことは誰も喜ばない……!」

「喜ぶ? 当たり前だ。復讐は何も生まない。生まなくていい。そんな必要はない。ただ俺はそうしたいからするだけだ。戦争や殺戮と同じ、理由なんてたいそうなものは、本当はいらないんだよ」

 純粋な破壊。原因がないゆえに、解決する術のない、暴力。

 この期に及んでも、ローランの腕は鈍っていた。どうしても最後の一撃で迷いが出るのではないかと自分自身が怖かった。それでもこの男を止めるにはもうこれしか方法はない。

「どうした、ローラン? この程度か?」

 ぶおんと風を切ってウォルターの鋭い剣戟が降り注ぐ。ローランはザルツェを盾にして、それらを交わした。だが、迷っている時間はない。もう、やるしないのだ。

「ウォルター、お前は良いやつだったよ」

 途端に地響きのような音が聞こえ、ウォルターの攻撃がふと止まる。

「何を──!」

「お前を捕まえると言った。だがどのみち、お前は処刑されるだろう。ならばせめて」

 ──俺の手で殺してやろう。

 〈白銀の間〉の床全体が大きく傾き始める。外の景色が斜めになる。この塔全体が揺れている。

「この建物ごと破壊するつもりか!?」

「お前は、俺が殺せはしないと思っているんだろう……?」

 自嘲気味な笑みを浮かべ、ローランはウォルターを見た。ローランの足元には紫色の魔法陣が浮かび上がり、ふわりと彼自身の身体を浮かび上がらせた。そしてそのまま窓の縁に立つ。

「殺せてしまうんだよ、ウォルター。お前は優しいやつだから、知らないんだろうけど。俺はもう人を殺せてしまうんだ」

 困ったような笑みだった。けれどとても寂し気で、疲れていて、悲しい微笑みだった。

 とん、と縁を蹴り、ローランが塔から落ちていく。まるでいつの日か、彼女が選んだように、塔から身を投げた。けれど魔術師であるローランは風を操り、ふわりと浮かぶ。

「ローラン……」

 崩落していく塔の中にいるウォルターはみっともなく逃げようとはしなかった。ローランの明確な殺意から逃れる手段はないと悟ったのだろう。

「本当はミシェルさまから頼まれていたんだ。お前のことを」

「……」

 ウォルターは悪戯が見つかってしまった子供のように笑った。まるで悪い憑き物がとれたかのようだった。

「だが、お前に迷惑をかけてしまったな」

 天井が落ち、ウォルターの姿が見えなくなる。

「いいさ」

 一言、ローランがそう呟く。返事はもうなかった。

「友達なんだから」

 王城の一角である塔は完全に崩れ、粉塵が舞う。地面に降り立ったローランはその青い瞳を空へと向ける。悠々と空を飛ぶドラゴンが街中に降臨していた。


 ***


 地下道を通り王城から脱出したエドガーは、ようやく日の光を浴びた。太陽の傾きからすれば朝と昼の合間だろうか。そんなことをぼおっとした頭で考えていると、焦げた匂いが鼻についた。物が燃える匂いだ。

 空をドラゴンが滑空していた。その周りを魔術師たちが飛び回っている。なんとか制御しようとしているようだが、ドラゴンは気にも留めずに街に向かって炎を吐き続けていた。

 レイチェルを探さないと……。

 エドガーは燃える街中を歩き、必死にレイチェルを探した。街の中は業火に包まれ、悲鳴をあげ逃げ惑う人々で溢れていた。

まるで十五年前のあの日みたいだ。

今までの自分なら、喜んでいただろうか。復讐が叶い、この国の人々に絶望を味合わせることができたと、嬉しく思っただろうか。けれど、今はそう思えない。クレアとシドのことが心配だった。幸い、人混みから離れたところにあるハリウェル邸の方角には火の手は行っていない。無事を祈ることしかできないのが歯がゆかった。

どれだけ歩いただろうか。拠点の方へ向かう途中、エドガーはレイチェルを見つけた。彼女は煤まみれで倒れていた。

「レイチェル! しっかりしろ!」

 体を揺さぶると、彼女が目を見開く。

「エル? エル!」

 ぎゅっと体を抱きしめられ、ひとまずエドガーは安堵した。けれどレイチェルが泣き出したので、驚いた。

「どうした?」

「マフィが死んだ! 殺された! 仲間に! ヴァージルのせいだ!」

 事情が呑み込めず、ゆっくりと話すように言う。事を理解したエドガーは大きく息を吐いた。

「そうか……」

 いつかはこんなことになるのではないかとは思った。

 俺がもっと早く行動していれば……。

「俺からも言うことがあるんだ、レイチェル……」

「どうした?」

「ローラン・ハリウェルを殺せなかった……」

 レイチェルはじっとこちらの表情を見た。その顔に非難の色も、落胆の色もない。かわりに、遠くに行ってしまった友を想う気持ちがあった。

「いいんだ。もういいんだよ、エル。お前が生きてさえいれば、私は幸せだったんだ」

「俺もだ……。俺も、そうだったんだよ」

 涙が溢れてきて、止まらなくなった。

 ずっとそうだった。

 ただ、大切な人が生きてさえいてくれれば本当はそれだけでよかった。

 レイチェルが、クレアが、シドが。そして彼らが大切に想う人が。彼らの笑顔が。

 何よりも、大切でかけがえがなかったんだ。

 そのときだった。森の上から何かが落ちてきた。見るとそれは人だった。

「シニフィス・アストライア!?」

 箒に乗っていたシニフィスが、ぐったりとして地面に倒れている。体中、小さな傷跡だらけだ。シニフィスがうっすらと目を開ける。

「ランベルトか……」

 幸い、シニフィスはエドガーが裏切り者であることをまだ知らないらしい。

「そなた、この国のために働くと申したな? 今一度その言葉の真偽、確かめさせてもらうぞ……」

 シニフィスはエドガーの返答も聞かず、続けた。

「王門には〈夢幻の射手隊〉と呼ばれる魔術装置が置かれている。ドラゴンを討伐するにはあれを起動するほかあるまい。あいにくと、我はこのざま。そなたに託すぞ……」

「待て……!」

 がくりと、シニフィスは地面に突っ伏す。恐る恐るとレイチェルが言う。

「死んだのか?」

「いや、気を失っているだけだ……」

 〈夢幻の射手隊〉、王門。

 ふと顔を上げて、王城の方を見る。

無理だ。間に合うはずがない。それ以前に、無傷で王門までたどり着けるかわからない。けれど、このままドラゴンを野放しにすれば、自分たちも無事では済まないだろう。

「…………」

 レイチェルは押し黙っている。エドガーは目を伏せて言った。

「行ってくる」

「正気か!? お前がそこまでする義理は──!」

 そこまで言いかけて、レイチェルははっと息をのんだ。

「あるんだな……」

 脳裏に浮かぶのはクレアとシドの顔だった。彼らの傷つくところは見たくなかった。

「いいぜ。行こう。あたしも行く」

「危険だ。俺だけでいい」

「馬鹿言うな。あたしたちはいつでも一緒だ」

 レイチェルは炎で燃える街を駆けていく。エドガーも後に続いた。

 どうにか王門までたどり着いたものの、そこにも火の手が迫っていた。王門には堀があり、市民たちが集まっている。これだけの人波ならば、自分の姿を見られても平気だろう。

「〈夢幻の射手隊〉とかいうのはどこだ?」

「魔術装置っていうくらいなんだ。きっと大掛かりなものだろう」

 ふと王門の前に飾られている大きな弓兵の像に目をやる。たしかに感じる。これは魔術の気配だ。

「レイチェル、注意をそらしてくれ。あの像に近づきたい」

「わかった」

 頷くなりレイチェルは城の裏手に隠れられる森があることを人々に伝えた。その森には小さいが湖もある。まるで故郷と同じだ。

 ドラゴンに恐れをなして騎士たちもいなくなっており、エドガーは像に近づくことができた。触れてみるが、動く気配はない。

魔術師でなければ動かせないのか? しかしシニフィスはたしかにこちらを見ていた。何か方法があるのだ。

ぺたぺたとあちらこちらを触っていると、矢じりで指を切った。血が流れ、ふとローランがシドに話していた言い伝えを思い出す。

 ──葡萄酒を浴びると、この石像は動き出す。

 その伝説はあながち間違いではない。ただそれは葡萄酒ではなくて……。

 エドガーは矢じりで手のひらを裂く。だらりと流れる血を弓兵の口元にやると、石像が動いた。

馬に乗っている弓兵がまるで生物のように動き始め、無言のまま、手を挙げる。見ると、高い城壁の上が金色に輝いていた。輝きはやがて形を保ち、それが千にも及びそうな弓兵であることがわかった。

これが〈夢幻の射手隊〉……。

 ヴァルスタイン王国が誇る、おそらく最古にして最大の防衛魔術か。

 騎乗している弓兵がドラゴンを視界に入れる。その顔色は兜に覆われて見えない。

 荒れ狂うドラゴンが〈夢幻の射手隊〉を認め、こちらへ飛来しようと加速する。〈夢幻の射手隊〉は十分にドラゴンをひきつけ、その羽ばたきが城壁を破壊するというところまで弓を引き絞っていた。

「〈撃て〉!」

 馬上の弓兵が合図をすると、数千の光の矢がドラゴンの身体を射抜く。それでもドラゴンは屈せずに炎を巻き散らす。このままでは城ごと燃え尽きる。そう思ったときだった。

「〈なんじ、この世ならざる神を殺す力を求めるか?〉」

 弓兵がこちらに声をかけてきた。エドガーに考えている暇はなかった。

「当然だ!」

「〈その代償として、なんじの命をこの国に捧げよ〉」

「命?」

「〈あれは人ならざる神域の魔物。なんの代償もなしに息の根を止められるとでも?〉」

 命。

 ごくりとエドガーは生唾を飲み込んだ。

 けれど、だけど。

 このままではレイチェルも、クレアも、シドも死んでしまう。シニフィスですらやられたのだ。ドラゴンを倒すには他に手段はない。

 死んでもいいとは、思えない。命は惜しい。まだ死にたくない。

 しかし、それ以上に、もう大切な人を失いたくない。

 ──エル。

 思い出すんだ。あの日、あの夜、手を取れなかった仲間たちのことを。業火の中で死んでいった仲間たちのことを。

 ──エル。

 怖くない。大丈夫。みんなのところに行くだけだ。

「支払う。だから──あれを撃ち落とせ!」

「〈御意に〉」

 弓兵たちの雰囲気が変わり、凄まじい光を放つ、幾千もの閃光がドラゴンに向かって飛んでいく。光の矢をまともに身体に喰らったドラゴンは市中の大通りに倒れた。

 途端、エドガーの足元に黒い魔法陣が浮かび上がる。

「〈なんじ、ヴァルスタイン王国の英雄となり、その名を刻まれし者となるだろう〉」

 それがエドガーの聞いた最後の言葉だった。


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