【第5章 王国の御旗】

第17話 幼馴染

【第5章 王国の御旗】



──十五年前。

ウォルターは地下道からこっそりと王城に入り込んでいた。迷路のようになっている地下道だが、小さい頃からローランと共に忍び込んではミシェルと遊んでいたウォルターにとっては、自分の庭先と言っても過言ではなかった。

満月の出ている夜更け、ウォルターは久々にその地下道を使うことにした。もちろん危険は承知の上だ。子供ならば王城に入り込んでも拳骨ひとつのお咎めで済むが、十八を迎えたウォルターならば騎士団からの罰は免れないだろう。それでも王城へ向かったのは、ひとえにミシェルが心配だったからだ。

地下道を通り、夜露に濡れた庭に出る。口約束をしたわけではないけれど、いつも三人で遊んでいた木製のブランコにミシェルは静かに座っていた。足音が聞こえたのか、彼女は顔を上げ驚いた表情をした。

「ウォルター!? どうして……」

ウォルターは微笑を浮かべ、彼女の前に膝をつく。

「今日はローランの初陣でしょう? あいつのことを、ご心配なさっているのではないかと」

ミシェルの顔色は晴れない。それから呟くような声音で言った。

「……ローランが戦争に往くのは、私のせいなのです。私が皆を止められなかったから……。彼にもしものことがあれば、全ては私のせい」

思いつめた様子のミシェルを励ますように、ウォルターはその杞憂を笑い飛ばした。

「考えすぎですよ。あいつは死霊術師。陣営の後ろで騎士に守られながら仕事をするだけです」

それでもやはりミシェルの顔色は晴れない。かける言葉をウォルターが探していると、がさりと木々の揺れる音がした。

 瞬間、風を切る音がした。ウォルターが音のした方へと振り向こうとすると、ミシェルがウォルターの身体をどんと押した。押された方によろめいたウォルターは、一瞬、何が起きたのかわからなかった。そして次の瞬間、理解した。

 弓矢!

 ミシェルの方を向くと、彼女の胸元に深々と黒い羽根の矢が突き刺さっていた。

「ミシェルさま!」

 ミシェルはその場で膝から崩れ落ち、手のひらの中に血を吐いた。ひゅーひゅーという不気味な音で呼吸をしながら、ミシェルは冷や汗をかきながら困ったように笑った。

「怪我はない?」

「──っ!」

 この方は──。

「どうして私を庇ったりなさったのですか。ああ、喋らないで、すぐに騎士を呼んで参ります」

「ダメよ。まだ敵はこちらを見張っています。あなたが殺されていないということは、そういうことなのでしょう」

 冷静さを欠いているウォルターにはミシェルが何を理解していたのかはわからなかった。ミシェルの顔がどんどん青白くなり、体温が冷えていく。抱きしめている腕からそれを感じながら、ウォルターは初めて喪失という恐怖を覚えた。その様子を見て、ミシェルはなおも笑った。「もしも私を殺した人を見つけたら、許しなさい。いいですね。それから──それから」

 瞳から生気が消えていく。唇だけがぱくぱくと動き、ウォルターは涙を流しながら、ミシェルの口元に自身の耳を近づけた。

「それから──ローランをよろしくね」

 そうして、ミシェルは目を閉じた。

 いったい誰が。

 何者が?

 許さない。

 ウォルターはミシェルの身体をそっと芝生の上に置くと、剣を抜いて矢が射出された方向を見やる。

「出て来い! その首を刎ねてやる!」

 がさがさと林が揺れる。そこから出てきたのはウォルターのよく知った人物だった。

「どうして……」

 世界中の何者からかも拒絶されたかのような衝撃がウォルターの頭を襲う。

 現れた男性は、ため息を吐いてこちらを睨みつけていた。

「なぜおまえがここに居る?」

「どうしてですか、父上……」

 ディギン・エヴァンズ。

マコーマック王国の騎士を率いたウォルターの父がそこにいた。


 何が起こっているのか、まるで理解できなかった。

 頭を冷やせと言われ、ウォルターはここ二日ほどエヴァンズ家の館に幽閉されている。部屋にメイドが持ってきた新聞は明確にミシェルの死を伝えている。しかしその死は、歪められていた。

 ──ミシェル姫は塔から身を落としたと考えられ……。

 そんな馬鹿なことがあるか。

 ウォルターは唇を噛む。

 殺されたんだ! 

 そう叫び出したくて仕方がない。けれど叫んだところでこの声は誰にも届かない。

 部屋の中は荒れ果てていた。ウォルターが手当たり次第に物を破壊したせいだ。それでも父はウォルターを部屋から出さず、話すらしなかった。部屋の扉はおそらく魔術が施されているのだろう、びくともしない。

 ウォルターは破れたソファにどさりと崩れるように腰かける。頭を冷やせというのは父の言葉だが、たしかにウォルターは冷静さを取り戻しつつあった。

 父上がミシェル姫の暗殺に関わっていたことは疑いようがない。しかし、主犯は別にいるはずだ。

 エヴァンズ家は貴族ではあるが、そのへんの商人の家の方がよほど裕福だ。とてもではないが、手練れのマコーマック王国の騎士を雇えるだけの金はない。そうとなると考えられるのはエヴァンズ家が何者かに利用された可能性だ。いや、可能性というよりもそう考えて然るべきだろう。

 ではいったい誰が?

 扉がノックされ、父が入ってきた。部屋のありさまを見て短くため息を吐く。

「少しは落ち着いたか?」

 こちらを慰めるというよりは面倒そうな言い方だった。ウォルターは自らに仮面をかぶることにした。

「ええ、少しは……」

「ミシェルさまの国葬がある。親しかったお前が出席しないのは不自然だ。出なさい。しかしくれぐれも」

「──余計な真似は致しません」

 あまりにも聞き分けのいい息子に対して、父は一瞬、訝し気な表情をしたが、頷いた。

 国葬は盛大で虚しかった。うわべだけの偽善者たちが大勢、涙にくれていた。反戦の訴えを掲げたミシェルに賛同しなかった政治家たちが熱弁を振るい、彼女を讃えていた。何もかもが白々しく見え、誰も彼もが敵に思えた。

 誰がミシェルさまを殺したのか?

 犯人を見極めるために、ウォルターは自分の人生を捧げてもいいと思った。そしてその者に復讐を遂げた暁には、死んでもいいとすら思えた。

 ミシェルを慕っていた。

 ローランと同じように。けれどこれが叶わぬ気持だとも知っていた。親友として、ローランとミシェルが上手くいけばいいと、心の底から思っていたのは決して嘘ではないのだ。けれどその想いも全て泡となり消えてしまった。

 家の外に出たウォルターは闇市へと出向いた。館からこっそりと盗み出した宝石や貴金属を頼りに情報屋を見つけ、マコーマック王国の元騎士で殺し屋だと名乗る男へとたどり着いた。裏路地にある古びた家に男は住んでいて、ウォルターを見るなり、逃げ出そうとした。こちらの顔に見覚えがあるということは、ミシェルを射殺した騎士なのだろう。

「殺しはしない」

 ウォルターはそういって男を壁に向かって投げ飛ばした。

「だが聞きたい。お前を雇ったのは誰だ?」

 背中の骨を折ったらしい男は脂汗と涙を流しながら答えた。

「エヴァンズ家だ」

「もう一度聞こう」

自分が冷静なことが、自分でも不思議だった。それとも冷静だと思い込んでいるだけで、この男からすれば自分は怒髪冠を衝くような形相なのだろうか。

「誰に雇われた?」

 今度は首の骨を折るぞ、と言うと男はいよいよ目を見開き、口を動かした。

「言ったら殺されちまう!」

「では死ね」

 ウォルターが指先に力を入れた、そのときだった。

「ザルツェ! ザルツェ・ヴァルスタインだ!」

「嘘だ!」

 反射的にウォルターはそう叫んでいた。

 実の娘で、王位継承者だったミシェルさまを、ザルツェ国王が殺した?

そんな馬鹿な。

「本当だ。信じてくれよ。ザルツェは反戦派の娘が跡を継ぐことをずっと不安視していた。弟のハインこそ王に相応しいとずっと考えていたんだ」

「しかし、だとしても殺す機会などいくらでもあったはずだ!」

「あの夜、姫が塔から身を投げたのは、事実だ。たしかに矢は胸を貫いたが、心臓は射抜いていない。お前が父親とともに姿を消してから、私は姫を塔の上に連れていき、今回の主犯を伝えた。すべてを知ったうえで、姫は自死を選んだ。いや、ザルツェは姫に選ばせたかった」

 浮かんでくる想像は最悪で、吐き気のするものだった。

 自室の窓を開けて、胸から真っ赤な血を流しながらミシェルが立っている。ミシェルは、自分が父親に殺されかけたと知ったのだろう。

「なぜ……」

「わからないのか?」男はあざけるように笑った。「自分がもし生きながらえれば、開戦派の父との対立は決定的なものとなり、貴族や商家を交えた開戦派、反戦派の戦いになる。姫はそれを恐れたんだ。しかしここで自らが命を絶てば、少なくとも国内で血が流れることはない。この国のために、殉じられたのだよ」

 傑作だな、といい男は笑った。ウォルターは頭を殴られたかのような衝撃を受け、ザルツェへの怒りに震えた。

 すべて見据えたうえで、そのうえで、ミシェルさまを殺したのか……。

 その怒りは制御ができず、男の首を絞めていく。

「まっ、待て──」

 懇願の声は首の骨が折れる音であっけなく消えた。

 翌日、ローランが初陣からヴァルスタイン王国に帰還した。既にミシェルの死は伝達されていたらしく、普段は飄々としているローランもさすがに子供のように泣いた。ウォルターは彼に自分の家に王族からの圧力がかかり、ミシェルを殺したことを打ち明けようと思った。

「俺にできることは……。この国を守ることだけだ」

 ふと呟かれたローランの言葉に、ウォルターは一瞬息を止めた。

 守る?

 この男は今、何と言った?

 違う。違う、違う! そうではないはずだ、ローラン!

 喉元まで出かかった絶叫を、ウォルターはなんとか拳を握り締めることで押しとどめた。それと同時に理解もした。

 ローランは、この復讐を望まないだろう。

 自分とは違う。

 俺は、耐えられない。

 ザルツェのことも、ミシェルさまを裏切ったこの国を絶対に許さない。


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