第16話 ウェルガルドのドラゴン


 永久凍土の冬山ウェルガルドの麓、その上空に十一人の大魔術師たちはいた。各々が箒や空飛ぶ馬車に乗り、冬山の頂を見上げる。

「大変なことになっているな、シニフィス」

 年老いた白髭の男が箒にまたがりながら、息を吐く。

「ナンベルグニに追いやることは難しいか?」

 シニフィスが訊ねると、白髭の大魔術師は眉間にしわを作った。

「どうかな。誘導をしてみる価値はあるが……。にしても奇妙だ」

「何がじゃ?」

「この山にはドラゴンが目覚めにぬように幾重にも魔術で封がしてあった。それらが全て破られておる」

「魔術の匂いは?」

 若作りをしている大魔術師が言うと、白髭の大魔術師は首を横に振る。

「するが、嗅いだこともない匂いじゃ。異国の魔術師のものじゃろう」

「異国? まさかマコーマック王国じゃないだろうな?」

 マコーマック王国とヴァルスタイン王国の微妙な関係は大魔術師たち、全員が知っている。ごほんと、シニフィスが咳をする。

「諸君、犯人捜しは後でもよかろう。今はドラゴンじゃ」

 山の頂へと一気に昇り、シニフィスは黒い烏の頭がついた杖を取り出した。

「〈我が幻惑に踊るがいい〉!」

 呪文を唱えるなり、ドラゴンの周囲を眩い花火が飛び散る。ドラゴンは火の粉が瞳に入らないように目を細め、山際に降り立った。

『人間か……』

 地鳴りのような声が頭に直接、響き渡る。ドラゴンは人の言葉を理解しているが、発音はしない。その代わり、その超常的な力で人の頭に語りかけてくる。

 頭痛のような鋭い痛みを覚えながらも、シニフィスは恐ろしいドラゴンに対峙する。

「冬山の竜王よ。目覚めてどこに行こうというのですか? どこの国も、あなたさまの武勇を恐れ敬っている。それなのに、その人々を蹂躙するというのですか?」

 ドラゴンはくつくつと嗤いを堪えきれないというように、首を少し折り曲げる。

「人間よ。私は知っている。樹木を通じ、川の水を通じ、知っているのだ。人間は奢り、科学や魔術で我々を越えたと思っている。我のことなど、畏れるに足りぬ存在だと思っている。ゆえに、我を神と崇めず、この冬山に閉じ込めようとしたのだろう?」

 シニフィスは圧倒的な力の前にたたずむ自分の矮小さを自覚せずにはいられなかった。幼少から才能に恵まれた彼女にとって、初めてとも思える屈辱であり、恐怖だった。それでも、シニフィスは逃げなかった。

「どうか。どうかお待ちください。」

 箒にまたがりながら魔術を使い、注意を引く。それでもドラゴンはこちらを一顧だにしない。

このままでは王都が……!

 その飛翔は誰にも止めることができないまま、蒼穹の王は自由を欲しいがままにしていた。


 ***


 いっそのこと、殺してほしかった。

 かつて自分が自分の可愛さあまりに殺せなかった少年。彼に殺されるのなら、自分の人生の帰着として正しいと思った。だが、彼は自分を殺さなかった。

 ──だったらどうして、愛されてるんだよ!?

 その言葉が耳から離れない。

 愛されている。

 その自覚がないわけじゃない。ただずっと目を背けてきただけだ。

 クレアのこと、シドのことを想う。自分が死んだら、どんな顔をするか。想像するだけで胸が八つ裂きにされそうな痛みが襲う。けれどその愛情は自分の身に余る。あまりにも優しすぎて温かすぎる。自分のような、穢れてしまった人間がもらってはならないものだと心のどこかで引け目を感じていた。

 地下道で倒れていたローランは立ち上がり、自身の衣についた土を払う。エドガーが走っていった方向を見たが、もうその背中は見えない。無事に逃げきれればいいのだが。

 頭が痛む。それでも、まだ自分にはシニフィスから託された仕事がある。ローランは王城へと戻っていった。

 王族たちは〈白銀の間〉と呼ばれる執務室に集まっていた。そこにはウォルターの姿もある。

「無事だったか、ローラン!」

 ローランは肩をすくめる。

「ああ。だがエドガーには逃げられた」

「鋭意捜索中だ。心配するな」

 ローランとしてはエドガーが見つからないことを祈るばかりだが、ここでその発言をするのは躊躇われた。

 玉座に座っているザルツェ国王が自身の髭を触りながら、息を吐く。

「まさか、大魔術師の秘書官が裏切り者だとはな……」

 隣の席に座っているハインが頷く。

「聞いたこともない。恐るべき事態です」

 ふと、ローランはこの場にルークがいないことに気づいた。

「ルークさまは?」

「護衛付きで別の部屋に。あやつにまだ実務は早い。いても邪魔になるだけだ」

「そうでしたか」

 そのとき、〈白銀の間〉中央にある大きな水晶玉が淡く光った。通信だ。

『国王陛下。こちら、シニフィスであります』

 ところどころ雑音の入っている通信だった。爆ぜる音や魔術の詠唱。何らかの戦闘が起こっているのだとローランはすぐにわかった。

「どうした?」

『ウェルガルドのドラゴンが目覚め、首都に進攻中。足止めをしてはいますが、あと小一時間で到達するかと』

「なんだと!?」

 誰しもが驚愕で息をのんだ。ゆえに、気がつかなかった。──剣が抜かれる音に。

 〈白銀の間〉に鮮血が飛び散る。叫び声さえ上げることなく、剣で胸を貫かれたハインが床に倒れた。ハインは口から血を噴き出し、すぐに絶命した。

 ザルツェを庇うようにローランは彼の前に立ちふさがる。自然、剣を抜いた主、ウォルターと対峙するようになり、ローランは語気を荒げた。

「何のつもりだ!?」

 剣を握ったまま、ウォルターはどこか晴れ晴れとした微笑みを浮かべていた。

「ローラン。十五年間、お前に黙っていたことが一つだけある」

 距離を保ちながら、いつでも魔術で応戦できるようにローランは警戒を緩めない。魔術の使えない騎士であり、対魔術師の戦闘において不利であるにもかかわらず、ウォルターは余裕綽々という態度を崩さない。それはどこか狂っているようにも見えた。

「……今から俺は復讐を果たす。今一度、ウェルガルドのドラゴンの炎でこの地を焦土に還そう。そうすればミシェルさまの気持ちも少しは晴れる……」

「何を言っている……」

 嘲笑うようにウォルターは続ける。

「昔馴染みのよしみで教えてやろう、ローラン。ウェルガルドのドラゴンは封印を解かれ、今の状態にある。その封印を解いたのは俺だ。ヴァージルという偽名で、革命軍を影から操り、国崩しを企んだのも、俺だ」

「なぜそんなことを……」

 ウォルターの顔から微笑みが消え、鋭利な殺意へと姿を変える。

「あの夜、姫君は自死されたわけではない。殺されたのだ。王族に。貴族に。市民に。この国に。裏切られて、殺された! ──ミシェルさまは愛したこの国に殺されたのだ!」


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