第15話 殺意


 早朝、騎士団本部にいたウォルターは革命軍の一部を捕らえたという情報を聞き、彼らを捕らえている監房へ向かった。

 監房には六人の男女が縛られた姿で倒れている。自白剤を飲まされた後らしい。

「彼らは何を話した?」

「まだ聞き出している最中ですが、鉄仮面をつけたヴァージルという男に率いられていたようです。ですが、他にも仲間がいるようで」

「内通者は?」

「内通者?」

 その考えは至っていなかったというように騎士が一人の男の胸倉を掴み、訊ねる。男はふらふらとした目つきで、こう答えた。

「エル・ピンシアと言う男が……」

「偽名は?」

「知らない」

 そのときだった。別の男が声を上げた。

「知っている! だから殺さないでくれ!」

 自白剤の効き目が薄いのか、男は正気らしく思えた。

「俺は拠点の門番をやっていて、エル・ピンシアにも会ったことがある!」

「ほう。ではその名は?」

 男は目をぎらつかせ、生に縋るようにその名を口にした。

「エドガー! エドガー・ランベルトだ!」


 ***


 地下道を歩いていると、ローランが立ち止まった。

「どうしたんですか?」

「連絡だ」

 首からかけていた水晶の欠片を取り出すと、水晶が濃い藍色に輝いた。

『ローラン。ウォルターだ。内通者がいる』

 その声はウォルターからのものだった。内通者と聞き、エドガーは思わず身を硬くする。

「内通者? 騎士団にか?」

 切羽詰まった声でウォルターは続ける。

『違う。エドガー・ランベルトだ! 拠点の門番が彼の名前を挙げている。間違いない! 今傍にいるのか!?』

 ローランが大きく目を見開き、エドガーの方を見た。エドガーは冷たい瞳で見つめ返し、躊躇いなく剣を抜いた。

「冗談だろ……」

 ローランは信じられないというように、笑っている。

「これまでの茶番こそがつまらない冗談だ」

 そう言い捨てて、エドガーは即座にローランに斬りかかる。ローランはひらりとそれを避けるが、服の裾が剣先に引っかかり破れた。しかしそれだけだ。魔術師とはいえ、武術も一通りは習っているらしい。けれどどのみち、エドガーも早々に決着をつけるつもりはなかった。

「俺の生まれはオーリバイン王国のアウステル村! お前が燃やした村が俺の故郷だ!」

「あの村の──」

 中段に刺突を決めようとすると、ローランがそれを交わす。だが、身体の重心を急にずらしたことで体勢を崩し地面に倒れる。

「〈隔てよ〉!」

もう一度、剣で攻撃をしようとすると、透明な壁のようなもので阻まれた。エドガーは舌打ちをして距離をとった。

「魔術か」

 立ち上がりながら、ローランが言う。

「落ち着け、エドガー。俺を殺したところで、他の騎士に殺されるぞ」

 そうだろうか?

そうかもしれない。この城の中には大勢の騎士がいる。しかしローランを殺し、このまま地下道から外に出られれば生き延びられる可能性はある。そもそも今のエドガーは頭に血が上り、目の前のことしか思考できなくなりつつあった。剣を捌く手は冷徹そのものだが、頭の中は鉛が入り込んだかのように重く、痛みがある。

「〈呪いよ〉」

 魔術師ではないはずのエドガーが詠唱をはじめ、ローランは面を喰らった顔をした。

「それは……」

 エドガーの足元に赤黒い血のような魔法陣が浮かび上がり、不気味な風がにわかに吹き始める。エドガーの薄茶色の髪の毛をゆらゆらと揺らし、翡翠の瞳に怒りの感情が燃えていた。

「〈我、禁忌を知り、それを冒(おか)す者。その呪いの名のもとに、闇の魔術をここに解き放つ〉」

 これは秘術中の秘術であり、ローラン・ハリウェルを殺すため、ただの人間が行える唯一の魔術。

──〈魔術師殺しの契約〉

「対価を支払ったのか……?」

〈魔術師殺しの契約〉はその名の通り、任意の一名の魔術師から契約者に向けてのあらゆる魔術を奪う秘術だ。レインが使っていた魔術封じの剣とも似ているが、その効果は契約者が死亡するまで続く。しかしその対価は安いものではなく、六人分の魂が必要だ。

「俺の仲間が、その対価を支払った」

 エドガーが王都に入る前、当時十歳だった子供の前で、六人の仲間が自ら命を絶った。その魂を〈魔術師殺しの契約〉のために捧げたのだ。契約者となったエドガーは、生前の仲間たちと相談の上、この契約を大魔術師シニフィス・アストライアの殺害ために使用する予定だった。しかし幸いにもこの場にシニフィスはいない。今のこの国で目的達成のための最大の障壁は間違いなく唯一の大魔術師、ローラン・ハリウェルだ。

 ローランは冷静さを失わないようにと自分の息を整えているが、エドガーの前でもう魔術は使えない。命を奪われたも同然だった。その無様な表情を見て、エドガーはにたりと嗤う。

「覚えているか、ローラン・ハリウェル。アウステル村で、独りの子供を助けたことを」

「…………っ!」

 ローランは答えない。けれどたしかにその表情には思い当たる節があると語っていた。

「それが俺だ! エル・ピンシアだ! お前のせいで何もかもが失われた! 父も母も殺され、隣人の屍に貴様は術をかけた!」

 冷静にならなければという考えはもはやエドガーの頭にはなかった。

 ついに来た復讐の機会に、頭は沸騰しそうだった。ようやく長かったこの苦しみから解放されるのだと思うと、それだけで息切れする。

 ──お前のせいだ。全部、お前のせいなんだ!

 魔術を失ったローランはエドガーの剣術になすすべなく、今度は仰向けに地面へ倒れた。エドガーはその身体の上に膝をつき、首元に剣先を突き立てる。

 ──殺す。殺してやる。

 ただそれだけを考えて大きく振りかぶる。ローランは抵抗しなかった。運命を受け入れると言わんばかりに、凪いだ瞳で天井を見ている。

 未練はないのか?

 死んでも構わないというのか?

 この男は、何も思わないのか?

 するとまた腹の底から怒りが湧いてくる。この怒りの正体が復讐心だけでないことをエドガーは勘づいていた。

「なぜ抵抗しない……!」

 ローランは自嘲気味に微笑んだ。

「諦めたのさ。〈魔術師殺しの契約者〉の前でもう俺にできることはない。それにこうなるのも仕方がない。天罰が下ったんだ」

 ──殺せよ、と彼は言う。

 何の躊躇いもないその視線に、エドガーは怒りで身が焼かれそうだった。

 この男は何もわかっていない。許せない。だって、そうじゃないか。

 振り下ろした剣先が、ローランの首の皮一枚を斬って地面に突き刺さる。エドガーは息も切れ切れになりながら、獣のように力の限り叫んだ。


「だったらどうして愛されてるんだよ!?」


 この男はわかっていない。クレアがどれだけローラン・ハリウェルの帰りを心待ちにしていたのか。今にも死んでしまいそうなローラン・ハリウェルの手を、どんな気持ちでシドが握っていたのか。何もわかっていない。わかろうとしていない。

 自分は孤独なのだと。孤独こそが罰だと決めつけて、与えられている愛情に見向きもしない。

 この男を殺したい。その気持ちは嘘ではない。

 けれどエドガーは愛していた。クレアを、シドを、大切に想っていた。ローラン・ハリウェルを殺せば、彼らがどれだけ悲しむか、エドガーは失ったことがあるが故に、理解してしまっていた。

「愛されてる癖に、大切にされている癖に! あんたが誰からも嫌われていればよかった! 救いようのない人間ならよかった!」

 怒りのせいか、目から涙があふれてきて、自然と言葉が震えた。

「あんたは何もわかっちゃいない……!」

 エドガーはゆらりとした足取りで、ローランから離れ、地下道を独り進み始めた。この男にもう用はなかった。

「殺してくれよ……。俺にはもう生きている資格はないんだ」

 背後からそんな弱々しい声がする。エドガーは立ち止まらなかった。

「死にたきゃ自分で死ね」

 この男は、死ねない。

 稀代の死霊術師。姫君の友人。大貴族。そして故郷を燃やした男。己の罪と向き合うあまり、愛にさえも臆病になった大人。

 同情なんてするものか。

 エドガーは、出口に向かって、地下道を歩き続ける。

 愛されていることを、知っている。大切な宝物のように、想われていることを知っている。

 世界なんて、どうだっていい。他人なんて関係ない。

 そう割り切れたらよかった。けれど、できなかった。

 だってこの残酷な世界にはあまりにも優しい人がいて、その人に笑っていて欲しいと思ってしまったから。

 本当は、お前も同じなんだろう?

 誰しもが本当は願っているはずだ。大切な人がいつまでも笑っていてくれるようにと。

 だからこそ、この男は死ねない。

 だってあんなにも、あの『家族』たちに愛されているのだから。


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