第14話 大魔術師会


レイチェルは別の拠点との連絡役として文書を運んでいた。いつもの酒屋に入ると、何やら物々しい雰囲気だった。

「もう我慢ならねえ!」

「今日という今日は、ヴァルスタイン人に鉄槌を下すんだ!」

 誰かの声に従うように、人々が部屋から出ていく。レイチェルは必死に止めようとしたが、人波には抗えなかった。酒場の外に出ていった人々を追いかけ、レイチェルも外に出た。

「やめろ!」

 レイチェルが叫ぶが、声は届かない。仲間は次々と石や瓦礫を軒先や周りにいる人々に投げつけ始め、店を襲いだした。慌てふためき逃げていく人々の狂騒が起き、騎士が彼らに剣を向ける。

このままではまずいと思ったレイチェルはその場から逃げ出した。

 必死の思いで逃げた先は森の中にある洞窟だった。

「そんなに急いで、どうした?」

 蝋燭の灯りを頼りに書き物をしていたマフィにレイチェルは何があったのかを打ち明けた。話を聞いたマフィは白髪の髭を撫でる。

「私の責任だ。まさかそんなことが起こるとは……」

「マフィのせいじゃない。でも、何とかしないと」

「仲間たちは恐らく殺されたじゃろう。死霊術師に術をかけられる可能性が高い」

「死霊術って、命令されたら、何でもぺらぺら喋っちゃうんだろ? 大変じゃないか!」

「安心せよ、レイチェル。私もまだ完全にヴァージルを信用したわけではない。ヴァージルと共にいた仲間には、ほとんど内部情報を漏らしていないのじゃ。何かを話したところで、こちらに大きな痛手にはならぬはずだ」

「そう……」

「だが、エルのことは偽名こそ知らぬもの、内通者がいることは知っているはず。エルが動きにくくなることは必定じゃ。対策を練らねばな」

「私にできることは?」

 不安げにいうレイチェルの頭を、マフィは優しく笑って撫でた。

「大丈夫じゃよ。とにかくお前は疲れただろう。よくお休みよ」

「けど……」

 にこにことマフィは笑うと、蝋燭を持って、自分の机の方に向かってしまった。何も手伝えることはないという意味だ。仕方なく、レイチェルは藁の上に布をひき、そこで眠りについた。

 翌朝、大きな悲鳴でレイチェルは目を覚ました。咄嗟に短剣を手に取り、声のした方に走る。すると机に突っ伏して腹から血を流しているマフィと、刃物を持って立ち尽くしている女性が目に入った。

「何をした!?」

 カッと頭に血が上ったレイチェルは獰猛な野獣のように短剣を女性に振りかざそうとした。マフィの悲鳴を聞いて駆けつけた仲間が慌ててレイチェルを取り押さえる。

「落ち着け、レイチェル!」

「落ち着く!? このいかれ女、マフィを刺したんだぞ!?」

 マフィは机に伏したまま、ぴくりとも動かない。女は息も絶え絶えという様子で、血で濡れた刃物を床に取り落とす。目が落ちくぼみ、肌の色は土色だ。とても正気とは思えない。

「何があったんだ?」

 ひとりの仲間が女に問う。

「マフィは力不足よ……。みんな知ってる? 昨日、仲間の幾人がヴァルスタイン王国の騎士に殺された。ヴァージルたちが連れていた奴らよ。彼らは勇敢にあの死神に立ち向かった。私の息子も一緒に」

「でも死んだ! 今、戦っても無駄死にだ!」

 仲間に身体を押さえつけられながら、レイチェルが吠える。勝ち誇ったように女は笑った。

「無駄死に! そうね。でもそれはマフィのせいだわ。ヴァージルはね、きちんと襲撃の計画を立てていた。彼の計画に初めから従えば、こんな暴発は起きなかった。マフィは口を開けば、待てばかり。私達は犬じゃないわ!」

 ごくりと生唾を飲み込む音がする。ここにいる誰もが、女の意見に同調しかけているのをレイチェルは敏感に感じ取っていた。

「待ってよ! そんな。今、動いちゃダメ。冬山への遠征を待つんだ!」

「もう散々、待ったじゃねぇか!」

 仲間の一人が叫ぶ。

「マフィは死んだ。新しい頭(かしら)が必要だ。頭になるのは、剣の腕もたつヴァージルしかいねえ!」

「ちょっと、待って!」

 レイチェルは自分を止める腕から離れ、マフィのもとに駆け寄った。身体が冷たい。顔を見ればその目は見開かれ焦点があっていなかった。

 レイチェルの目から涙があふれ、それでも仲間を止めなければという気持ちが彼女を奮い立たせた。

「ダメだ! ヴァージルなんて素性の知れない奴を──!」

「お前はヴァージルに負けた。だからヴァージルを悪く言うんだろう!?」

 ここぞとばかりに皆がマフィのことを悪く言い始め、ヴァージルを持ち上げ始める。

「みんな……。待って……」

 こんなのおかしいよ。

 レイチェルの声は涙が混じり、言葉にならない。

 みんな、私が知ってるみんなじゃない。怒りで我を失くしてるんだ。


 ***


 翌朝、まだ日が出てそう時間が経っていない頃にエドガーは電話の音で目が覚めた。電話をとるのはクレアの仕事だが、エドガーの部屋にもベルの音は響いてくる。こんな早朝に誰からだろうと思いつつ、身支度を済ませて廊下に出ると、電話室からクレアも出てきた。

「おはようございます、エドガーさま」

「おはようございます。電話はどなたからでしたか?」

 クレアは心配そうな目でこちらを見た。

「シニフィスさまです。至急〈大魔術師会〉を開くので、ローランさまをお呼びするようにと……」

「〈大魔術師会〉?」

 こんな早い時間に?

「私はローランさまを起こしてきます」

「はい。では私は馬車の準備を」

「助かります」

 嫌な胸騒ぎを覚えながら、エドガーとローランは〈大魔術師会〉が開かれる時計塔地下の議場へと向かった。

 すり鉢状の議場の下段に続々と大魔術師たちが姿を現す。シニフィスがいつになく真剣な顔をしている。

「諸君、悪い知らせだ。ウェルガルドのドラゴンが目覚めた。冬山遠征隊などと、のんきなことはもう言ってはおれぬ。一人を残し、大魔術師はウェルガルドへ向かう。ドラゴンを討伐することはできずとも、冬山にとどまらせる。もしくは北に追いやるのだ」

「さらに北……ということは」

 ひとりの秘書官が息をのむ。その先は言わずともわかっていた。シニフィスは目覚めたドラゴンを北国のナンベルグニ王国に追い立てようとしているのだ。

「ヴァルスタイン王国を守るにはこの方法しかない。異議は許さぬ」

「お待ちください」

 意見を述べようとしたのはローランだった。シニフィスはローランの方を見向きもせず言い放つ。

「そなたには城の防衛を任せる。以上だ」

「待ってください!」

 立ち上がったローランを諫めたのは、隣にいる中年くらいの大魔術師だった。

「落ち着きなよ、ローランくん」

「しかし! それではナンベルグニ王国の民がいたたまれません!」

「そうならないように善処する。約束するよ。山脈でドラゴンに止めを刺す」

 エドガーは彼の名前を知らなかったが、ローランは彼の腕を信頼しているのだろう、もの言いたげな視線のままだが、椅子に座った。

「では早速、出立する」

 シニフィスが手をかざすとどこからか箒が現れた。他の大魔術師も同様に箒を手の内に出したり、魔術仕掛けの馬車を現したりして、開かれた扉から陣形を描いて夜空へと飛んでいく。

「ローラン。騎士団上層部にはこの旨すでに伝えておる。すぐに王城へと向かえ。お前は小さい頃からエヴァンズの子せがれとあの城を庭代わりにして遊んでおったじゃろ? 秘密の抜け道も隠れ場所もよく知っておる。じゃからお前に任せるぞ」

「待てよ、師匠。あんた本当にナンベルグニ王国にドラゴンを追いやる気じゃ……」

 シニフィスが面倒そうに眉をひそめた。

「そなたの平和主義者ぶりには、ほとほと呆れるのう。人を殺したことすらないとでも、言うのか?」

 最後の言葉を言う瞬間、シニフィスは目を眇め、試すようにローランを見た。途端に不思議とローランの顔から感情が消えていった。

「では行って参る」

 そう言って、シニフィスを乗せ箒が飛んでいく。ローランはもう何も言わなかった。

 エドガーとローランはその足で王城へと向かった。夜通し城の警備をしている騎士がこちらを見るなり頭を下げる。

「お待ちしておりました。ローランさま。〈白銀の間〉にて陛下がお待ちです」

「わかった」

 通された部屋は贅を尽くした装飾がなされていた。部屋の形は六角形で、硝子窓からは首都が見える。天井には大きなシャンデリアが吊らされ、床には柔らかな素材の絨毯がひかれている。

「よく来てくれた、ローラン」

「陛下」

 二人が膝をついて挨拶をしようとするのを、ザルツェは手で止める。

「城の警備はお前に任せる。私は民のことを考えよう。これから大臣たちと話し合いがある。悪いが時間が惜しい」

「かしこまりました」

 ザルツェや政界の重鎮たちを〈白銀の間〉に残し、ローランとエドガーは部屋から出る。騎士団から派遣されたのだろう黒髪の騎士がローランの前に現れた。

「ローランさま。私は普段、城の警備を担っている近衛兵です。何なりとお申し付けください」

「混乱に乗じて賊が現れないとも限らない。引き続き警備を続けろ。ところで地下道についてお前たちはどれだけ知っている?」

「あそこは迷宮のようで、一歩入れば迷うことは必定です。宝物庫に古い地図はありますが、私達は閲覧を許されていません──」

「私の権限で許可する。一部の騎士をそちらの警備に当たらせなさい。一度、私も地下の現状を見ておきたい」

「了解しました」

 黒髪の騎士の後に続き、庭園の端にひっそりとある地下への大扉の前に行く。騎士が錠前を開けると、ぎぃと嫌な音を立てて扉が開き、かびくさい臭いが風に乗ってやってきた。しかし風が吹く、ということはこの道が外へと続いているということだ。

「〈光を〉」

 ローランの呪文で地下道に橙色の灯りがともる。道は五本にも分かれていて、たしかに地図でもなければ道に迷いそうである。

「俺の子供の頃と変わってないなら、城外に続く道は全部で三本。そこに騎士を配置するべきだな。二人ずつ交代させるとしても最低六人、今から連れてこれるか?」

 黒髪の騎士は頷くと、前の道に戻る。

「ひとまず外まで行ってみるか。土砂が崩れて道がふさがっていればいいんだが……」

「はい」

 めずらしくテキパキと動くローランの背後に従者の如くエドガーは続いた。剣の鞘に手をかけながら。


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