【第4章 冬山の竜王】
第13話 死霊術師の初陣
【第4章 冬山の竜王】
戦場はどこを見ても、人を燃やそうとする炎と、人を殺そうとする煙にあふれていた。
「ローランさま。私どもからお離れにならないよう願います」
──十五年前。
アウステル村を望むようにある崖の上にヴァルスタイン王国の陣営はあった。此度が初陣であるローランはひとり鉄鎧をつけた馬に乗り、騎士に守られるように火が放たれた村へと向かった。
ローランの仕事は死体に死霊術をかけることだった。早速ひとり、若い男の死体を道のわきで見つけた。腹を槍で穿たれて、路肩が血でぬらぬらと濡れている。貴族として育ち、血や汚れと無縁だったローランはむせ返りそうな鉄の香りに吐きそうになった。
「〈甦れ〉」
それでも馬上から手をかざし、男を蘇らせる。
「〈村人を殺せ。そして殺した村人にも同じ術をかけろ〉」
そして作戦通り、無慈悲で恐ろしい命令を下す。
ローランが稀代の死霊術師と呼ばれるのは、その高度な運用方法にある。直接、術をかけた本人を操ることはもちろん、鼠算式に屍を増やしていくことができるのだ。
気持ちが悪い。耐えられない。
しかしそれでも今の自分はハリウェル家の当主だ。家族はとうに死んでいるが、期待をしてくれている師も、帰りを待ってくれている家政婦もいる。彼女たちに失望されたくはなかったし、悲しませたくもない。
しっかりしろ。ここは戦場だ。殺さなければ、殺されるのだ。
そう言い聞かせ、このあまりに非道な作戦に対する嫌悪感を振りほどく。そのとき、急に馬が暴れ出し、ローランを地面に落とした。幸い怪我はなかったが、馬は遠くへ駆けて行ってしまった。
「捕まえて参ります」
一人がそう言い、もう一人はローランを守るために残った。しかしそのとき、ローランは道の向こうで怯える少年を認めた。
襲い掛かろうとする村人に気づかず、知己なのだろう、呆けた様子で立っている。
ああ、このままではあの子も殺されてしまう。
けれど、致し方ない。
ここは戦場で、相手は敵国の人間なのだから。
仕方がない。仕方がないのだ。
──ローラン。
ふと耳に蘇るのは、懐かしい柔らかな少女の声。
──初陣に出ると聞きました。おめでとうございます。
けれどその声はとてもこちらを祝っているとは思えなかった。彼女は戦いを嫌っていた。無用な血を厭がっていた。こんな一方的な殺戮を良しとせず、国王に逆らい政治の場で暗躍していたことを知らないローランではなかった。それでも彼女は戦争を止めることはできなかった。そのことをとても後悔しているだろう。自分の無力さを嘆いていることだろう。そしてなにより、親友が、ローランが戦場へ行くことを、人を殺すことを、是とは思わないだろう。
気がつけば、ローランはお目付け役の騎士から離れ、通りにいた。
「〈止まれ〉」
炎の向こう。屍者たちが立ち止まるのが見える。少年が一瞬こちらを見た。しかしすぐに逃げていく。
──俺は何をしているんだろう。
強い疲労と濃い煙に襲われ、ローランは今にも倒れそうだった。
こんなところで、あんな少年を独り助けて、罪滅ぼしでもするつもりだろうか。
そんなことは叶わない。
俺は一生、人殺しの業を背負っていかねばならない。
呪わしいこの術を持って生まれたのだから。
こんな術さえなければ。こんな術を身につけてさえいなければ、自分は幸せだっただろうか。
ミシェルさまの前で、何の躊躇もなく笑えたのだろうか。
そんなどうしようもない考えばかりが、頭の中をよぎった。
初陣から無事に帰還したローランはついに国境を越え、ヴァルスタイン王国の端、辺境の地へとたどり着いた。美しい絹でできていた白い戦装束は火炎の煙で煤け、乗っている馬のたてがみも汚れていた。
「ローランさま、お着替えを」
辺境伯の居城にたどり着くなり、自分を守るためについて来た騎士の一人がそう言った。まだ幼さの残る顔立ちを曇らせ、ローランは割り当てられた部屋に入り、首を横に振る。
「今はいい」
「しかし、その恰好で王都へ参上するわけには……」
悲し気な目で騎士がこちらを見てくるので、渋々とローランは服を着替えることにした。服を着替えることひとつでも、大魔術師であるローランには複数人の世話役がつく。
本音を言うならば、一刻も早く独りになりたかった。
しかし地位の高い役職であるからこそ、ローランには複数の仕事がある。夜になり、祝杯をあげる騎士たちを見ながら、頃合いを見てローランは部屋に戻ろうとした。その肩を騎士団長が掴んだ。
「ローランさま。此度は初陣に相応しい、素晴らしいご活躍でした。ご友人のウォルター・エヴァンズも、ローランさまのご活躍を知れば、さぞ喜び、そして自身の研鑽を重ねることでしょう」
「……パブロワ。私は上手く戦うことができただろうか」
パブロワ騎士団長は、にこりと微笑みながらもどこか棘のある言い方をした。
「そういえば、護衛の兵士を撒いて、ひとりの子供を逃がしたとか」
「……ああ。私の生み出した屍に殺されかけていた子供を」
「ご慈悲からですね。ですが戦場でそのような慈愛は不要です」
「そうだな。殺さなければ、殺される。そういう場だと、父も言っていた」
しかしその声色は弱々しく、とても自分を鼓舞しているようには聞こえなかった。
「ご自分の力が恐ろしいですかな?」ぞっとするような冷たい声で、パブロフは続ける。「どうかお気をつけなさい、若き大魔術師さま。これから先も今日のように、貴方を謀り利用しようとするものが次から次へと現れまする。その度に貴方は傷つき、決断を迫られる。どうぞ心を強く持ち、相手を利用する聡明さをお持ちください」
パブロフ騎士団長はそれだけ言うと、いつも通りの温和そうな笑顔に戻り、どこかへ行ってしまった。
そこへ急に扉が開き、辺境伯の侍従がやってくる。
「大変でございます!」
何事かと、誰かが問う。侍従は涙ながらに叫んだ。
「ミシェル姫が自死されました!」
王城にたどり着くまでの三日間、ローランは一睡もできなかった。気絶をするように意識を失ってはいたが、ほとんど食事も水も取らず、死人のように過ごした。それでも心のどこかでは侍従の話が誤報で、王城に戻ればミシェルがいるような気がした。
「王都だ!」
隊列の前方が騒がしくなる。しばらく進むと、王都の街並みが見えてきた。いつもならば戦に勝利した兵士を華々しく迎えるはずの街には活気がない。それどころか皆、家の軒先に王族を弔うための白い百合を飾っている。そのことが今更ながらローランの頭に大きな衝撃を与えた。
ミシェルさまが死んだ……。
街の人々は帰還してきた兵士を見ても、喜びの声を上げない。しずしずと部隊は騎士団本部に戻っていった。任が解けると、すぐにローランは騎士団の宿舎に残っていたウォルターを探した。ローランを見るなり、他の騎士がウォルターの部屋の場所を教えてくれた。ドアをノックすると、ゆっくりと扉が開く。
「帰ってきたのか……」
ウォルターの目は落ちくぼみ、ローラン同様ここ数日何も喉を通らないのだと推察できた。
「おかえり、ローラン」
ウォルターがそっとローランを抱きしめる。ローランもその抱擁を受け入れた。途端に、今まで三人で話した他愛のないことや小さい頃に遊んだ記憶がまるで走馬灯のようによみがえり、嗚咽が止まらなくなった。
二人、そこで人目もはばからず、声が枯れるまで泣いた。
夕暮れ時。宿舎の外。訓練場が見える場所で二人は並んで地べたに座った。もう誰も走り込みも鍛錬もしておらず、夕焼け空を鳥の群れが飛んでいる。高台にある宿舎から、喪に服している街の景色がよく見えた。
「ミシェルさまの最期は?」
ようやく彼女の死を受け入れ始めたローランは国葬に参加したというウォルターに問うた。
「……真夜中、塔から身投げなされたらしい」
「遺書は?」
ウォルターは首を横に振る。ローランは言葉を詰まらせた。
「……実はずっと考えていたことがある」
「何を?」
「俺が初陣すると知ったとき、ミシェルさまは言葉では励ましてくださったが、内心ではよく思っていないと感じた。あの方は戦争を厭(いと)うていたから」
苦々し気にウォルターは首肯する。
「それは戦争が悪いのであって、お前を嫌ったわけではない」
「ああ。だが、戦場に行くまでずっと考えていた。人を殺した身で、俺はあの方に会うことが許されるのだろうかと。ずっと悩んでいた。しかしもう遅いな。俺は大勢を殺し、その返り血を浴びた。ミシェルさまは俺を憐れむだろうか。それとも怪物だと──」
「ふざけるな!」
言いかけたローランに対し、ウォルターは怒りを露わにした。
「あの方がお前をそのように思うはずがないだろう! 俺もだ。俺たちはお前を怪物だなんて思わない。お前は国のために立派に戦ったんだ!」
「……ミシェルさまは死んだ。それを確かめる術などない」
ある、とは二人とも言わなかった。
土葬された遺体に術をかけ、ひとつ問いかければ済むことだ。
けれどローランはそんな恐ろしい真似を思いついた自分を恥じた。
あの方の遺体を暴くなど、死んでもできない。したくもない。
それにもしも、恐ろしいと言われてしまったら?
お前が憎いと言われてしまったら?
それが何よりもローランを思いとどまらせる。
「俺にできることは……」かすれた声は小さく、それでも明確な決意の色を帯びていた。「この国を守ることだけだ」
それがたった一つの、彼女の願いのはずだから。
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