第12話 『家族』


「待てよ……」

 倒れたまま、エドガーは腹部からの出血も気にせずにレインの足首を掴んだ。そして気丈にもレインの顔を睨みつける。

「まだ終わってねえよ、クソ野郎」

 今は、まだ間に合う。

「上等だ。ランベルト」

 出血がひどい。くらくらする頭を必死に働かせて、エドガーは立ち上がり、シドに向かって叫ぶ。

「逃げろ!」

 恐怖で声も出ないのか、シドはドアの前で突っ立っている。

「走れ!」

 エドガーがもう一度、そう叫ぶと、シドは踵を返し階段を降りていった。

「あーあ。逃げちゃった……。まあ、陰惨な現場を子供に見せるのは気が引けるよなあ」

 レインが剣を構える。エドガーもふらつく身体で剣を構えた。そのときだった。エドガーが倒した騎士が立ち上がり、レインの背後をとった。何も気がついていないレインをよそに、騎士は彼の腹部に剣を突き刺した。

「なっ!?」

 死霊術!

 エドガーが倒れているローランの方を見ると、彼は薄目でこちらを見ていた。ケホケホと弱く咳をしながら呪文を唱え、レインを拘束する。

 生きていたのか……。

 敵が動かなくなったのを確認し、エドガーは剣を鞘に納める。部屋は血塗れだった。ローランは再び気を失ったのか眠っている。

 殺してしまおうか。

 どさくさに紛れて剣で刺せばいい。

 エドガーはシドやクレアにこそ情けを持っていたが、大魔術師であるローランには一片の同情も持っていなかった。

 眠っているローランの方に一歩近づく、そのとき階段を複数人が上がってくる音がした。ふりむくと、地元の騎士を連れたシドの姿がある。

「賊は!?」

「もう倒しました」

 殺し損ねた、か。

 剣の柄から手を放し、エドガーはシドと共に一階に降りる。あの現場をあまりシドには見せたくなかった。

「ローランは?」

「生きていますよ。ですが怪我をしているので、あとは騎士団に任せましょう」

「エドガーもひどい怪我だ……」

「ええ、まあ。それほどでも、ありますね」

 二階から担架に乗せられてローランが降りてくる。続々と騎士や医療魔術を得意とする魔術師が現れ、治療を施された。地元の訛りがある騎士にエドガーは訊ねられる。

「驚きましたよ。宿舎に突然、この少年がやってきて、殺し合いが起きているなんて言うのものですから」

 脇腹の傷を手当てしてもらいながら、エドガーは答える。

「とある盗品を追ってみれば、このようなことに巻き込まれてしまいました。あの、さきほど運ばれたローラン・ハリウェル先生は騎士団のウォルター・エヴァンズさまと旧知の仲です。なぜ彼らがこちらに襲ってきたのかも、ウォルターさまを通せばすぐに解決できることと思います」

「わかりました。水晶を使って騎士団本部と連絡を取ります」

 水晶魔術は魔術師が行う連絡手段の一つだ。同じ石からとれた水晶ならば、どこにいても声が通じ合うらしい。

「ローランは大丈夫そう?」

 不安げにシドが聞く。彼の両手の中には横たわっているローランの右手があった。

「幸い傷は臓器にまでは達していません。これなら三日ほど安静にすれば元の通り動けますよ」

 魔術師が優しく微笑むと、シドは涙目でほっと息をついた。

 三日ほどは安静ということは、すぐには首都に戻れない。

 参ったな……。

 冬山遠征について詳細な情報が欲しいのに、思わぬところで足止めだ。

 三日間、ローランたちはクラウスの館で世話になっていた。レインがもっていた首飾りを無事に返し、レインたち開戦派の思惑を話すと、クラウスは唸った。

「なるほど。騎士団も貴族も戦争をしたくてたまらないのですな」

 リビングにいたシドが暗い顔をする。

「なんでそんなにこだわるんだろう」

「マコーマック国は資源が豊富ですからね。奪って自分たちのものにしたいのですよ」

「身勝手だ。それで苦しむのは国民じゃないか」

「おっしゃる通りです」

 そこへメイドがやってくる。

「ローランさまがお目覚めになりました」

「ほんと!?」

 ぱたぱたと走っていくシドを追いかけてエドガーもローランの眠っていた客間に入る。ベッドに上体を上げて寝ているローランはすっかり元気そうだった。

「なんだ。怪我をしてたのは俺だけかよ」

 憎まれ口まで叩けるとは、随分と余裕があるらしい。

「もう平気なのか?」

「ああ。眠りっぱなしで体中が痛いくらいだ。それより、エドガー。脇腹を斬られてなかったか?」

「もう問題ありませんよ」

「ならいい。午後の汽車で帰るぞ」

「動いていいの?」

「いいんだよ」

 そういってローランは今朝の新聞に目を戻す。

「私はクレアさんに電話をしてきます。シドさまはローランさまの鞄の準備をお手伝いしていただけますか?」

「うん」

 一階の電話室に入り、ダイヤルを回す。クレアはすぐに出た。

『もしもし!』

「おはようございます、クレアさん。エドガーです」

『ローランさまの容体は如何ですか?』

 おろおろとした様子の彼女が目に浮かび、エドガーは少し笑ってしまう。いつもは毅然としている強い女性だが、主のこととなると気が気ではないらしい。

「お目覚めになりましたよ。もうすっかり元気みたいです。午後の汽車で帰るので、夜には首都に着くかと」

『ああ、よかった。駅で待っています』

「そこまでされなくてもいいですよ、って私が言うのも変ですけど」

『うふふ』

「夜は冷えますし、まだあちらは花祭りの最中でしょう? クレアさんが良からぬ輩に目をつけられるとも限りませんし」

『わかりました。そこまでエドガーさまがご心配なさるなら、家で待っていますね』

「はい。ではまた」

『はい』

 がちゃんと電話が切られる。クレアは今頃、安堵した表情で今夜の食事を考え始めているだろう。

 ローランの部屋に行きシドと共に荷物をまとめる。汽車に乗って、首都に戻った。

 夜の駅前では馬車を求めて大勢の人が並んでいた。あそこで数十分は待たなければならないと考えると、いつもなら嫌気がさすのだが、今日は山車が見えるので人々は楽し気だった。

 目の前を行く山車はとても巨大で、人が五十人は乗っている。山車の下を練り歩くのは、布と綿でできた羽根を生やした六歳くらいの子供たちだった。

「あなたに かごが ありますように」

 たどたどしい言葉遣いで、人々に白い花びらを手渡していく。花びらはその場にいる全員がもらえるわけではない。少し早い山車の速度に合わせて子供たちは歩くので、全員には渡せないのだ。

「あなたに かごが ありますように」

 ひとりの少女がローランに向かって手を差し出した。ローランが手で器を作ると、花びらを撒く。

「どうもありがとう」

 ローランがお礼を言うと、少女は照れたようにすぐ持ち場に帰ってしまった。

「なかなか男を見る目があるな」

「都市部の子供は忖度を覚えるんですね」

「嫌味な言い方しかできない奴だな、お前は」

「なあ、〈そんたく〉って何?」

 言い合う三人の横を、白い山車が通過する。白銀の小さな山車。

 死んでしまったお姫様の山車。

クレアから話を聞いた後、エドガーはその姫様、ミシェル・ヴァルスタインのことを調べた。

ミシェルはエドガーが故郷のアウステル村を焼かれた同日、王都で亡くなっていた。

 奇妙な偶然。あるいは仕組まれた何か。しかし、誰が何を仕組むというんだ?

「綺麗な山車……」

 シドが陶器できた白銀の姫君に目を奪われている。ローランはただその山車を何の感情もなさそうに見つめていた。

 そんなはずはないのに。

 死んだ友達なんだろう?

 それなのになぜ、この男は、どうとでもいいという顔をしていられるのだろうか。

 ハリウェル邸に帰ると、クレアが喜色満面といった風に主を出迎えた。

「今晩はローランさまの好物ばかり作ってしまいました」

「子供じゃないんだから……」

 呆れ顔をしているが、ローランは嬉しそうだった。

 食事を囲みながら首飾りをめぐる騒動についてクレアに伝えると、彼女は顔色を悪くした。

「マコーマック国と事を構えようとする人がいるだなんて……。あそこは小さいですが、よき人の住む国です。戦争なんて。ひどいことです」

「そうはならなかったんだから、安心しろよ」

 そのとき外の方から火薬の弾ける音がする。カーテンを開けて覗いてみると、花火が夜空に咲いていた。

「すごーい! 虹色の花火だ!」

 嬉しそうなシドが、自室から射影機を持ってくる。

「ねえ、四人で写真を撮ろうよ。花火を背景に、庭でさ」

 返事も聞かず、シドは庭へと続く窓を開けて外に出ていく。クレアはくすくすと笑いながら、ローランは仕方なさそうに外に出る。つづいてエドガーも庭に出た。ローランの魔法で射影機を宙に浮かし、反対側に四人で並んだ。

 写真を撮るなんて、いつぶりだろうか。最後に撮ったのはもう思い出せないくらい昔だ。だけど同じように、『家族』で写真を撮った。

 エドガーは自分の中の掠れつつある復讐心と向き合わざるを得なかった。頭ではわかっているのに、心が追いつかない。殺さなければならないのに、どうしても突き刺せない。

「笑わないんだな、お前」

「笑ってますよ」

 けれど──。

 この男は。この男だけは殺さなければならない。

 十五年前に自分を助けた、この男だけは。

 ──殺さなければならない。


 ***


 永久凍土の冬山・エルガルド。その頂には一頭の竜が二千年も眠っていた。

 現在、世界に竜は七頭いると言われている。竜は人類が誕生するよりも早く、植物が育つよりも前に、海ができるよりも先に生まれたとされている。ここ五千年の歴史で九頭いた竜が二頭死んだ。どちらの竜も、自身の炎に飲み込まれるようにして死んだという伝承が残っているが、定かではない。ともかくも竜は人にとって、形を得ている神であった。絶対に敵うことのない存在であり、畏怖すべき信仰の対象。しかしそれもここ数百年の発展の中で、排除するべき『生物』として捉えられるようになった。けれど、今まで一度も竜の討伐に成功した者はいない。

 昏々と眠っていた竜は、ふと自分の寝床が荒らされている気配を感じ、目を覚ました。どれだけ眠っていたのかはわからないが、竜には時間の経過など些末な問題だった。問題は居心地のいい場所が侵されたということである。

 何者の仕業なのか。

 竜は強いだけではなくとても賢い。賢人のように思考を巡らせ、自分の眠りを妨げたのが人間であると確信する。

 愚かなり。

 四つ足で立ち上がり、伸びをする。エルガルドのドラゴンは全身が青白い鱗に包まれ、宮殿の長い廊下ほどの全長がある。首元が炉心のように赤く灯っていき、灰色の瞳がぎらりと輝いた。

 エルガルドのドラゴンが目覚めた。

 安眠を脅かした人類を死に晒すために。

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