第10話 暗殺の機会


 夜になり燕尾服に着替えた三人はクレアに見送られて馬車に乗った。薄暗い闇の中、王城は黄色い松明の光で黄金のように輝いている。近づくたびに城壁があり、その都度、招待状を改められる厳重な警備を潜り抜け、ようやく城の中に入る。

「これがヴァルスタイン城か……」

 ぽかんと口を開けたシドは遥か闇を切り裂く尖塔を見上げている。

「すごい……」

「あんまりじろじろ見るなよ。こっちが恥ずかしくなる」

 ローランに言われ、シドはようやく周囲の他の客たちがこちらを見ていることに気がついたようだ。慌てた表情で尖塔を見上げるのをやめて、蝶ネクタイを整える振りをする。ふとエドガーは門扉の前に無骨な弓兵の像があることに気がついた。人の身長よりも大きな像で、弓兵が馬に乗っている。

「葡萄酒を浴びると、この石像は動き出す」

「え?」

「古い言い伝えだよ。子供の頃、親父によくそう言われて脅された。だったら嘘か本当か試してみようって、ヴァージルと一緒に夜会の葡萄酒を盗んでこの石像にぶっかけたんだが、びくともしなかったな」

「随分と罰当たりなことしたんですね」

「まあな」けろりとした顔でローランは笑う。「さあ、中に入るぞ」

 近衛兵が城門を開き、城の中が露わになる。真っ赤な絨毯に美しいアーチ状の天井。恭しく数十人のメイドたちがずらりと廊下に並び、一礼をする。

「花祭りの夜会へようこそ」

 ワイングラスを手渡され、ローランはそれを受け取る。エドガーは固辞しようとしたが、他の秘書官さまは受け取られましたと言われて、断り切れずにグラスを持った。シドには林檎を絞った果実水が与えられたが、本人は大人の仲間入りを果たした気分なのか、とても満足そうだった。

 長い廊下を歩き、大広間へと通される。煌びやかな夜会には円卓がいくつも並んでいて、エドガーたちの席も用意されている。広間の一番奥は一段と高いところにあり、横並びに席が並んでいて、座っているのが王族の面々だとわかる。

ローランが言っていた通り、ここからはだいぶ距離があり、辛うじて顔が判別できるほどしかない。中心の玉座に座っているのがこの国の王、ザルツェ・ヴァルスタインだろう。国王は現在、六十五歳。白髪こそまだないが、好々爺然とした顔つきをしている。だがそれは表の顔で、戦となれば容赦はしない獅子王の異名を持つ武人だ。その横にいるのが王位継承権第一位の息子、ハイン・ヴァルスタイン、三十歳。その横が年の離れたハインの弟であるルーク・ヴァルスタイン、十六歳だ。妃は十年ほど前に病で亡くなっており、ハインの妹でルークの姉、ミシェルも亡くなっているので、壇上に女性はいない。

 国王が祝杯を上げ、微笑んだ。

「今日は年に一度の豊作を祈願する花祭りだ。客人たちに心からの感謝を。そして、いや、長話は無用。大いに飲み、騒ごうではないか、友よ!」

 客人たちも一斉に盃を上げるのでエドガーもそれに習う。

「ヴァルスタイン王国を守りたまえかし!」

「守りたまえかし!」

 そうして飲み食いがはじまる。なんとも形式ばっていない夜会で、エドガーとシドは面を喰らった。

「陛下は堅苦しいのはお嫌いなんだよ。昔からあんな感じだ」

 葡萄酒を飲みながらローランが言う。

「先生は国王と親しいのですか?」

 仮にも国を守る〈十二人の大魔術師〉なのだから、話すことくらいはあるだろう。

「親しくなきゃ呼ばれてない」

 それもそうである、とエドガーは納得する。夜会はダンスパーティーの趣向も取り入れているらしく、広間の前方では音楽に合わせて踊る人たちも見えた。大半は用意されたプロの舞踏手のようだが、中には飛び入りで参加する男女もいた。

「ねえ、ローラン。ダンスに誘うのって婚約の意味だって聞いたことあるけど、首都じゃそうなのか?」

 それはエドガーも初耳だった。ローランは笑って頷いた。

「そうだな。でもませるなよ。相手もいないくせに」

「いないとは限らないだろ! そっちだって独身だろ!」

「名誉独身者と呼んで欲しい」

「なんですかその悲しい名前……」

「って、こんなことを話してる場合じゃないぞ」

見ると、国王のもとへ次々と客人たちが挨拶をしに行っている。

「俺たちも後から謁見する」

「嘘! 遠くから眺めてるだけって言ったじゃん!」

 糾弾するようにシドが言い、持っていたチキンを皿の上に取り落とす。

「お前があんまり緊張しちゃ可哀想だと思って言ったんだよ。あれは嘘。だが、〈大魔術師〉になるんなら、国王陛下に挨拶くらいできなきゃいけないだろう?」

 意地悪なことをローランが言い、シドは言葉をぐっと詰まらせる。反論できないのだろう。一方のエドガーも混乱していた。まさかこんなにも早く好機が訪れると思っていなかったからだ。今すぐにでも国王の喉首を掻っ切ってやりたかった。そして十数年に及ぶ復讐に決着をつけてしまいたい。けれどそれではいけないと理性が必死に呼びかける。彼らには本物の地獄を見せてやるのだ。そう簡単に殺してたまるか。

 殺してはいけない。そう言い聞かせながら、席を立ち、国王のいる方へと少しずつ歩み寄る。ローランが自分の名前を執事に告げると、驚かれた。

「貴方様がかの有名な死霊術師さまですか!」

 その声が聞こえたのだろう。金色の髪をした国王がこちらを見る。

「おお、ローランではないか」

 赤色のマントを羽織り、金杖を持った六十代くらいの男性、今代のヴァルスタイン王国の国王、ザルツェ・ヴァルスタインがこちらを向く。

「この方が?」

 にこやかに笑うのがハイン・ヴァルスタイン。

「死霊術師……」

 ぽつりと呟いたのは王位継承権二位、年の離れた息子であり、シドと同い年くらいの王子、ルーク・ヴァルスタインだ。

「ただの死霊術師ではないぞ。ハリウェル家と我がヴァルスタイン家は二百年以上、懇意にしている」

 にこにこと笑いながら、国王は少し高くなっている王族の席からわざわざ降りてきて、ローランの手を握った。

「いやはや、大きくなったな、ローラン。父親にますます似てきたのではないか?」

「やめてくださいよ。親父に似るなんてまっぴらです」

「ほっほほほ。よく言う」

 彼らがわいわいと仲良く話している中、シドがこちらの袖を握り耳打ちした。

「ルーク王子って俺と同い年くらいなんだな」

 王族の情報は新聞などでいくらでも手に入るが、注意して見ようとしていない人間にはなかなか内部の情報は入ってこない。

「ハイン王子とは異母兄弟なんだそうです」

「へえ」

気難しそうな顔で料理を食べたりしているルーク王子は国王というよりも大臣のように見えた。十六歳そこそこで醸し出される雰囲気とは思えない。大したものである。一方の年上のハイン王子はどこか庶民的、といえば聞こえがいいが遊び人らしい空気がある。

 ふとエドガーは亡くなったというミシェル姫のことを思いだした。ハイン王子の妹にあたり、生きていればローランと同い年くらいだったことになるだろう。友人だったと聞くが、どんな人だったのだろうかと、少し興味がわいた。

「そなたが噂の秘書官か!」

 国王の視線が今度はエドガーに注がれる。エドガーはびくりと肩を震わせた。

「噂……?」

「サボり魔のローランを会議に出席させているのは貴殿の功績と聞いておるぞ」

 豪快に笑いながら、国王に背をばんばんと叩かれる。エドガーは今なら殺せるかと咄嗟に算段をたてていた。そばの机に置かれているナイフで喉首を掻っ切ればいい。

できる。

そう思うと歓喜で全身が震えそうだった。しかし、国王はあっという間に次の来賓に目を向け歩を進めてしまう。

「エドガー。行くぞ」

 独り置いてきぼりにされていることに気がつき、エドガーは小走りで王族のテーブルから離れていく二人についていく。どくどくと心臓が動いて、汗が出てくる。胸を取り巻くのは安堵と後悔だった。

 殺せた。殺せなかった。

 これでいいんだ。

 今はまだ、そのときじゃない。

「エドガー?」

 ローランが不審そうにこちらを見ている。エドガーはぎこちなく笑みを作った。

「何でもありません。緊張してしまっただけですよ」


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