第9話 ミシェル・ヴァルスタイン


 街を歩くだけで花の香りがする。この季節になるとエドガーは何となく心が落ち着かない。華やかな街の景色を見ていると、つい苛立ってしまうからだろうか。故郷を貶めたこの国を恨む気持ちが、罪のない草花さえも醜く映してしまうのかもしれない。そうだとしても、それで構わなかったけれど。

「ローランさまは夜会の来賓になっているので飲みに行くのは控えてくださいね」

 ハリウェル邸、一階居間のソファでローランは寝転がっている。

「わかってるよ。何度も何度もうるさいな」

「夜会には王族の方も参加されるのですよね。どんな料理が出たか教えてください。私も作ってみます」

 にこにことクレアが笑う。一方のシドは緊張気味だ。

「俺、大丈夫かな……。王様に会うなんて……」

 夜会にはローランと弟子のシドも招待されていた。秘書官のエドガーは正式な招待状こそないものの、付き人としてもちろん招かれている。不安そうなシドをローランは一笑した。

「会えるわけないだろ。大きな城の広間から遠巻きに眺めるだけだ」

「そっか。なら安心」

 王族。

 その二文字に反応しないエドガーではなかったが、さすがに夜会で暗殺を試みるのは危険すぎるとも思っていた。そもそもエドガーたちの目的は王族の暗殺ではなく、ヴァルスタイン王国の破滅だ。王族を殺し尽くしたところで満足はできないし、今はまだそのときではない。

 だから落ち着け……。

 いくら理性でなだめても、燃え滾る怒りは簡単には消えてくれない。

「エドガー?」

 きょとんとした顔でシドがこちらを見ている。エドガーはパッと微笑んだ。

「なんでしょうか?」

「いや、なんか怖い顔してたから。まあいいや。それより昼は祭りに行ってもいいんだよな! ローラン!」

 ローランは眠たそうにソファのひじ掛けに頭を乗せる。

「好きにしろ。ただ時間には必ず帰ってこいよ」

「やった! クレアとエドガーも行こう!」

 嬉しそうにシドがエドガーの腕を掴む。急に体に触れられると、王立学校時代の癖でつい身構えてしまう。相手は魔術師とはいえ子供なのに情けないなと思いつつ、エドガーは困った顔をした。

「しかし私には仕事が」

「申し訳ありません、シドさま。私も仕事がありまして」

 クレアが申し訳なさそうに言うと、ローランが手をひらひらとした。

「いいよ。どうせ二人とも俺の面倒を見る仕事だろ。俺は時間まで家にいるから、好きに見てこい」

「お酒、飲んじゃダメですよ」

 エドガーが軽く睨むとローランは早く行けという風に手を振った。

「ではお言葉に甘えて参りましょうか」

 クレアがメイド服から普段着に着替えるのを待ってから、三人は街に繰り出した。シドはうきうきとした顔を隠そうともせず、楽しそうに花だらけの街を眺めている。

「そういえばシドさまはどこのお生まれなんですか?」

 エドガーが問うと、シドが恥ずかしそうに答える。

「西方の田舎町。名前を言ったってどうせ知らないくらいの小さな街だよ。だから花祭りを見るのは初めてなんだ」

「実を言うと私も直接見るのは初めてです。騒がしいのが苦手で、王立学校に通っていたころはいつも図書館にこもっていたので」

 まあ、もったいないとクレアは驚く。

「花祭りはヴァルスタイン王国でも屈指の美しいお祭りですよ」

 そんなことを言い合っていると家一つは入りそうな巨大な山車が横を通る。十本脚で器用に動く山車には十人ほどの著名人が椅子に腰かけこちらに手を振ったり、花びらを撒いたりしている。白い花びらを見ながらクレアが言う。

「この花びらには祝福の意味があるんです。好意を寄せている相手に送ると恋が叶うとも言いますし、また病が治るとも言われていますね」

「へえ。あ、ねえ。あれ、シニフィスさまじゃない?」

 シドが指さす中央上段を見ると、蒼い衣を身に纏い椅子に座って微笑むシニフィスの姿が見える。

「シニフィスさまは〈十二人の大魔術師〉の中でも、庶民との交流を積極的に持たれる方ですからね。こういった庶民向けの催事にもよく顔を出されますよ」

 要するに目立ちたがり屋ということではないか、とエドガーは心の中で思うが口には出さない。

「あ! 花びら!」

 山車から淡い橙色の花弁が降り注ぐ。そのひとひらをシドは掴まえて笑う。

「やった!」

 こういう表情を見ると子供らしく思え、思わずエドガーは顔を緩めてしまう。すぐにいつもの仮面を付け直すが、内心少し慌てていた。シドが言う。

「郵便局に行ってもいい? 家族に手紙を出す。その中にこの花びらを入れてあげるんだ」

「良い考えですね。参りましょう」

 中央の郵便局に行き、封筒と手紙を買う。シドは簡潔に元気にしているから心配いらないという旨を便せんに書いてから、花びらに枯れないように魔術をかけた。

「この魔術は永久的に続くのですか?」

 エドガーが訊ねると、残念そうにシドは首を横に振った。

「花なら一か月くらいだな。ローランならもっと上手くできると思うけど、俺じゃ保存の魔法はこれが精いっぱい」

 花びらを入れて郵便局員に代金を払い手紙を渡す。その様子を少し離れた所から見ながら、世間話としてエドガーはクレアに訊ねた。

「そういえばクレアさんのご家族は?」

 代々ハリウェル家に仕えているとは言うが、母親も父親も見かけたことがない。クレアはいつもと変わらない穏やかな表情で答えた。

「母親は私が幼い頃に蒸発してしまって、父親は私が十四のときに戦死しました」

「戦死?」

「我が家は代々ハリウェル家に仕えていますが、父親は婿養子で騎士団の所属だったのです。結婚した後も騎士団員として戦い、亡くなりました」

 クレアの顔が陰る。

「戦争が憎いです」

それでもヴァルスタインは戦勝国ではありませんか、そんな言葉が喉元まで出かかる。しかしそんなことは関係ないのだとクレアの表情を見ればわかる。命は蘇らない。たとえ死霊術を使ったとしても失われた魂までは還らない。家族を失ったクレアの悲しみが、戦争の勝利という形でさっぱり消えてくれるわけがない。

「ローランさまもきっとそう思っているはずです。だからこそ、私はローランさまのおそばにいることを心に決めているのです。少しでもお役に立てればと」

「先生も?」

 クレアははっとした顔をする。自分が言い過ぎたことに気がついたようだ。しかし今更、話をなかったことにするのも不自然だと考えたのか、声を潜めて続けた。

「いずれお噂が耳に入ることでしょうけれど、ローランさまはとある戦争でご友人を亡くされているのです」

 そのとき銀鈴の音があたりに響いた。郵便局にいた誰もが窓の外を見て、歩いている山車を見た。その山車は今まで見たどの山車よりも小さかったが雪のように真っ白で美しかった。上には誰も乗っておらず、魔術仕掛けの人形たちが白い花びらを撒いている。その中央上段には陶器でできたドレスを着た娘が立っている。白い肌に桃色の唇。銀色の髪をした娘の頭には王族のしるしであるティアラが乗っていた。

「ミシェル・ヴァルスタインさま。十年前に亡くなったこの国の姫であったお方です」


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