第7話 対立国


 女はヴァルスタイン王国の捕虜の取り扱いに関する法律に従い、拷問にかけられることこそなかったが秘密裏に自白剤は飲まされたというのがローランとエドガーが聞いた話だった。

 女の名前はレア。マコーマック国の女兵士で死霊術師だった。レアの仕事はヴァルスタイン王国の密偵であり、ひそかに地下道を見つけ死体を自分の代わりにして宿舎に忍ばせていたという。死体には見聞きしたものを記憶させる術をかけており、戻ってきた死体から騎士たちの情報を得ていたと自白した。

 当然といえば当然だが、ヴァルスタイン王国とマコーマック国との間には決定的な亀裂が入った。マコーマック国はこちらに戦争を仕掛けようとしていたのだから、ヴァルスタイン王国が遺憾の意を示すのももっともだろう。だが、ヴァルスタイン王国は寛大だった。国内に忍ばせた密偵たちを全て国へ戻すならば、レアを無事に国へ届けると言ったのだ。だが、そのかわりもしもこの条件を反故にし、今後、マコーマック国の軍人がヴァルスタイン王国領土で活動していた場合は容赦なくその首を落とすとも言った。その条件を飲み、マコーマック国は血を流さずしてヴァルスタイン王国に敗北した。

「なんで俺がこんな仕事を……」

 宿舎でのおおとり物から二週間後。ローラン、エドガー、シド、レアの四人は汽車のコンパートメントの中にいた。レアには手錠がかけられていて、押し黙っている。ローランの隣の席に座っているシドが答えた。

「大事な任務だろ」

「シドさまのおっしゃる通りですよ、先生」

 この汽車はレアをマコーマック国に引き渡すために、砂漠地帯を走行している。一両車まるごと騎士団が囲み、このコンパートメントを見張っていた。

「そんな仕事、騎士団がやればいいだろう」

 エドガーはコンパートメントの外に漏れないように声量を調節して言う。

「失態を犯した騎士団にですか? これ以上の恥は上塗りできない、だからこそ、わざわざ大魔術師を呼んだのでしょう」

「面倒なことしやがって……」

 呆れた顔でローランはレアの方を見る。

「自慢するわけじゃないが、ヴァルスタインに戦争を挑むなんてどこの国でも無理な話だろ」

 エドガーは内心、舌打ちをしたいような気持になるが、ローランの言葉もあながち間違ってはいないのを認めざるを得なかった。

「…………」

 レアは何も言わず、床を睨んでいる。

「ま、あんたはただの兵隊。上のお考えに従うしかないって部分は同情するけどな」

 ローランは伸びをしてから欠伸をする。つくづく緊張感のない男である。

「──きで、好きでこんなことをしたわけでは、ない」

 相変わらず床を睨みつけているが、レアの瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだった。

「私は、このままでは、処刑される……」

 だろうな。

 淡白にエドガーはそう思った。任務に失敗し、国に泥を塗った兵士。その責任は彼女一人の命では足りないほどだろう。だが、エドガーはレアを哀れには思わなかった。ただ馬鹿な女だと思った。

「どうにかならないのか……?」

 シドがローランの方を見る。

「俺に言うなよ。外交問題ならまだしも、国内のごたごたに干渉してみろ。たちまち本当の戦争がはじまるぞ」

 まだ幼いシドには難しいことかもしれないが、今回の失敗がマコーマック国から数名の犠牲で丸く収まるのなら、それに越したことがないというのが両国の判断だったのだろう。ここでヴァルスタイン王国側のローランがレアを助けようとすれば、内政干渉を理由に戦争の火種を新たに作ることになってしまう。

「キャアァー!!」

 空気を裂くような悲鳴が聞こえ、四人はそちらに視線を向けた。隣の車両で何かあったようだ。エドガーがコンパートメントから出て、外で待機している騎士に話しかける。

「どうしたのですか?」

 隣の車両に近いところにいた騎士が大きな声を上げる。

「殺しです!」

「殺し……?」

 エドガーが訝しむよりも早く、隣の車両の扉が開き黒いスカーフをかぶった男が現れた。

 マコーマックの兵士⁉

 男が鉈のような刃物を振りかざす。すかさずエドガーは銀色の剣を抜いた。剣と鉈の刃がぶつかり合い、青い火花が散る。男の力に圧されかけそうになるが、エドガーはなんとか体勢を立て直す。

「何者だ⁉」

「…………」

 人二人分ほどの距離を保ちながら、双方が睨みあう。その瞬間、エドガーの正面、男の背後に倒れていた死体が立ち上がり、男の体を両腕で掴んだ。

「……⁉」

 ローランの死霊術が発動し、殺された人間が動き出したのだろう。エドガーは男が怯んだ一瞬の意表をつき、剣を心臓に突き立て死人ごと倒した。絶命した男の体から血があふれ出し、床を濡らしていく。

「お見事でした、秘書官殿」

 エドガーの背後にいた騎士が驚いたように言う。

「先生のおかげですよ」

 振り返るとコンパートメントから出てきていたローランがいる。幸い、シドはまだコンパートメントの中にいるようだ。子供に死体を見せるのは流石に気が引ける。

「お前の剣は飾りだと思っていたんだが、人には誰しも特技があるものだな」

 さして褒める風でもなくローランは笑う。エドガーも微笑んだ。

「先生が言うと説得力がありますね」

「よく言う」

「ローラン! 無事か⁉」

 人をかき分け後方の車両からやってきたのはウォルターだった。彼も同行していたのだ。死体を見てウォルターは顔をしかめる。

「これは……マコーマックの者か?」

「レアを殺しに来たのかもな」

「だったら国に帰ってからいくらでも機会があるはずだ。なぜ今……」

 そのとき、前方の車両から騎士が駆けてきた。

「エヴァンズ部隊長!」

「どうした」

「たった今、凶刃を受けた一般市民が亡くなりました……」

「なっ。一般市民だと?」

 騎士に囲まれているのは三両目から六両目、それ以外の車両には当然、何も知らない市民が座っている。マコーマック人の男は騎士だけではなく、罪のないヴァルスタイン人まで手にかけたらしい。

 まもなく騎士団の要請を受け、車両点検の名目で、何もない砂漠地帯で列車が停車する。ここにいる騎士たちの中で一番、地位の高いエヴァンズは重要な判断を迫られ、頭を抱えている。

「マコーマックの軍人がヴァルスタインの一般市民を殺した……。ことが公になれば、戦争が始まるぞ」

「だろうな」

 涼しい顔でローランが答える。

「澄ました顔でよくも! 事の重大さがわかっていないのか?」

「わかっているさ。だが……よくこの死体のスカーフを見てみろ」

 言われ、エドガーもスカーフを見る。レアの被っているスカーフと同じように黒色の布に宝石が刺繍されている。だがよく見るとおかしかった。

「宝石に傷がついてる……」

「そりゃ、傷くらいつくだろう。石なんだから」

 どうやら男らしい見た目を裏切らず、ウォルターは宝石に明るくはないらしい。

「これはガーネットです。とても固くダイヤモンドなどではないと傷はつけられません。そのガーネットが傷だらけというのは変です」

「おそらくこの刺繍されている宝石は全部偽物だ。マコーマックの民はこの衣装と伝統をとても重んじている。特にこの黒いスカーフは軍人にとっては死に装束になるかもしれないものだ。その服の宝石をないがしろにするとは思えない」

 ウォルターが呟くように言う。

「ではこの男は……?」

「偽物だよ」

 ローランは男の体の上に手をかざす。

「〈甦れ。そして真実のみを述べよ〉」

 かたかたと男の体が震え、目がカッと見開かれる。紫色の魔法陣の上から冷たい風が吹き始めた。

「〈お前はマコーマックの軍人ではないな? どこの所属だ?〉」

 男の口が開き、唇がわなわなと震える。

「〈王立騎士団……。ヴァルスタイン王立騎士団の秘密作戦部隊だ……〉」

 ローランがぱちんと指を鳴らし、術を解く。

「どうしてやめるんだ? まだ情報を聞き出していない」

「聞かずともわかるだろ。こいつはマコーマック人じゃないヴァルスタイン人だ」

 補足するようにエドガーが続ける。

「つまりこういうことではないでしょうか? ヴァルスタイン王立騎士団秘密作戦部隊はマコーマックの軍人になりすまし、一般市民を殺害し、両国間に戦争の火種を作ろうとした」

「なぜそんなことを」

「今回、〈十二人の大魔術師〉会の協議により、捕虜は解放され、両国の正面衝突は回避されることになりました。ですが、おそらく騎士団上層部はそれをよくは思わなかった。戦争を引き起こし、マコーマックの領地を奪いたかったのでしょう。ですからマコーマックの軍人になりすまし、一般市民を殺害した。まさか死後もお話ができる大魔術師が汽車に乗り合わせているとは夢にも思わなかったのでしょうけれど」

「上層部が……?」

 ローランがエドガーの発言を訂正する。

「もしくは貴族院の連中が騎士団にそうするように進言したか、だな。年々土地は減るばかり。戦争を起こして領地の拡大を狙う輩は多い」

「なんたることだ……。いいか、皆、ここで見聞きしたことは他言無用だ。よいな?」

 ぎろりと不機嫌なウォルターに睨まれた部下たちは首振り人形のように何度も頷いた。

「俺はこの作戦を手引きした連中を探す。おそらくこの死体が知らないような大物が絡んでいるはずだ」

「それがいい」ローランは我関せずという風にコンパートメントに戻る。「あれ?」

 コンパートメントの窓が開いていた。取り残されたシドが困ったような顔をしている。

「逃げられちゃった……」

 レアの姿は砂漠の水平線のはるか遠く、もう追いつけそうになかった。

「追いかけろ!」

 ウォルターが檄を飛ばす。

「無駄だ」

「お前、こうなるとわかっていたな!」

「まさか。俺の不肖の弟子がついていながらこんなことになったのは謝罪するが、騎士団の面子もあるだろう? 全部、俺の責任する気かよ」

「くっ……」

 ウォルターは唇をかみしめてから、なおも諦めずレアを追いかけるよう部下に命じた。しばらくしても密偵を捕らえたという連絡はなかった。

「国際問題になるぞ」

 ウォルターがローランを睨むが、ローランはどこ吹く風という態度を崩さない。

「そっちこそ、騎士団での茶番劇が知れてみろ、どうなる?」

「あの一般市民を殺害したのは砂漠地帯に住み着いている賊ということで処理する。これならば、問題にはならないはずだ」

「お偉いさんは大変だねぇ」

「ローラン! 貴様はいつもそうだ。なぜ上に立つ力がありながら、それを振るわない。その力に伴う責任を果たせ!」

「好きで手に入れた力じゃない」

 そういうとローランはコンパートメントの扉をバタンと閉める。もう話す気はないらしい。エドガーは主人の代わりに頭を下げた。

「どうかお許しください、エヴァンズ部隊長」

「いや、いいのだ。国内に裏切り者がいるのは確か。調べてみるとも」

 それきり、汽車の中でローランとウォルターが話すことはなく、エドガーたちはマコーマック国の中央駅到着後、すぐに別の汽車でヴァルスタイン王国にとんぼ返りをすることになった。

「俺、レアさんのこと逃がしたんだ。窓を開けて、行きなよって言った……。」

 帰りの汽車の中、シドは実はレアを逃がしてやったのだと本当のことを話した。

「間違ってたのかな……」

 不安げな瞳でシドはローランの方を見る。普段は強がってはいるが、案外ローランを己の師としてしっかり見ているらしい。

「いいや。いいのさ。あとのことはどうとでもなる。命は消えれば元には戻らん」

「でも俺のせいで、エヴァンズさんと喧嘩しちゃったんだろう?」

「喧嘩ぁ? ははっ。年に何度もあることだ。気にするな」

 そういうローランは嘘を吐いているようには見えなかった。

道半ばほどになると、緊張が解けたのかシドは眠ってしまう。そのひざ元にブランケットを乗せながら、エドガーが訊ねる。

「マコーマック国を手に入れようとしていた者は捕まるでしょうか?」

「さあ。貴族の連中は意地汚くて賢いからな」

「先生も貴族でしょう?」

「実体験からそう言ってるんだよ。まあ、ウォルターは清廉潔白を絵にかいたような奴だからな。不浄は許さず、戦ってくれるだろ」

「もしも、戦争になれば先生も忙しくなりますね」

 ふと出た言葉だった。言葉に棘がないか、言ってから不安になった。ローランは窓枠に頬杖をついたまま、何気なく答える。

「仕事だからな」

 ──ああ、やはり、許せない。

 復讐という名の炎が胸の奥で蛇のように舌を出し燃えていく。

 この男を殺さねば。


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