【第2章 忠節の騎士】

第6話 悪友


【第2章 忠節の騎士】



 エドガーがローランの秘書官になって一週間が経とうとしていた頃、ようやく手に入れられた休みをどう潰すかエドガーは考えていた。もちろん無駄にできる時間などないので、できれば大魔術師たちがいつ冬山へ遠征に行くのかが知りたかったが、こればかりは情報が回ってこない。だが、いつかシニフィスがローランを訪れにやってくるかもしれないと思うと、館を離れる気にもならなかった。そもそも手土産もなしに拠点に帰るのも忍びない。

「今日は休暇だったよな」

 確認をしたいのかローランが秘書室を訪れた。

「ええ。何かご予定が?」

「客人が来る。古い友人だ」

「ご友人?」

「なんだその目……。俺に友人がいるのがそんなにおかしいか」

「いえ、日々おひとりで飲んだくれているので少々意外だっただけです」

「正直が美徳とか言ったやつはどこのどいつなんだろうなあ」

「私もご挨拶しても?」

「構わないが、つまらない奴だぞ。堅物だし」

 友人というものの、エドガーはあまり浮足立っている様子はなかった。いや、勝手知ったる間柄だからこそ気安く思っているのかもしれない。

 昼過ぎにその友人はやってきた。彼の顔を見るなり声を上げたのはエドガーの方だった。

「エヴァンズ部隊長!?」

 ウォルター・エヴァンズ。王立騎士団第一部隊の部隊長であり、実質的な三番手。それが彼だ。王立学校時代に何度かその姿と名前を聞いたのでエドガーは知っていた。アッシュグレーの短髪に、男らしい体格。そして溌溂とした笑みからはとてもローランの友人とは思えない。陰と陽。むしろ対極にすら見える。

「俺を知ってくれているのか。嬉しいね」広々とした客間のソファに腰掛けるウォルターはにこにこと笑っている。「ローラン、この方は?」

「エドガー・ランベルト。新しい秘書官だ」

「なるほど。こいつには手を焼いているだろう。シニフィスさまでも持て余す落第生だからな」

「うるさい」

「エヴァンズ部隊長は先生とはどのようなお知り合いなのですか?」

 ウォルターは笑った。

「陰気な死霊術師と馬鹿騒ぎが好きな騎士団員の組み合わせはそんなに変か?」

「いえ、失礼いたしました。そのようなことは決して」

「いいんだよ。気にしないでくれ。ハリウェル家とエヴァンズ家は五百年ほど交流が続いているんだ。たまたま年が近かったからそのまま子供の頃、遊び相手になったのさ。お互い、大人になってみると随分と遠い職種についてしまったけどな」

「そうだったのですか……」

クレアの出してくれる紅茶を飲み、二人はしばし歓談をする。エドガーは庭先に出てその様子を遠巻きに見ていた。

騎士団の様子も探れたらいいのだが……。

シニフィスに語った通り、国家魔術師の多いヴァルスタイン王国で王立騎士団の意味はあまりない。もちろん数では圧倒的に多いので治安維持の面では必要不可欠な存在だが、所詮はその程度。国防に深くかかわる存在ではない。だが、情報が多くて困ることはないだろう。

 半時ほどが経ちエドガーは居間に戻ってきた。そのときエヴァンズは奇妙なことを口にしていた。

「ところでローラン。……お前は幽霊を信じるか?」

 真剣な顔でウォルターが言うので、思わずという風にローランは噴き出した。

「あっははは! 死霊術師にそれを聞くのかよ」

「いや、お前が蘇らせる屍人のことではなくて、魂や怨念のある実体のない幽鬼のことだ」

「ありえない。本当にいるなら代々死霊術を血眼で研究している我が家が見つけないはずがないだろう」

「だよなあ……」

 思わずという風にエドガーは訊ねてみた。

「ご歓談中、失礼します。エヴァンズさまはその幽霊とやらを目撃なさったのですか?」

 突然割り行ってきたエドガーにも気さくにウォルターは答える。

「まさか。ただ騎士団の宿舎に夜な夜な幽霊が現れるという噂がたっていて困ってるんだ。騎士たるもの、そんな噂に振り回されるなど弛んでいるとは思うのだが、事実、二人ばかりだが失踪者もいる」

「それは大事では?」

「訓練が辛くて逃げ出したんだろ」とローランは相手にしない。

「かもしれませんが……」

「そこでだローラン。ひとつ頼まれてくれないか?」

「嫌だね」

「即答で断るな。お前に宿舎を調査してほしいんだ。高名な大魔術師殿が何もないと言えばすべて丸く収まる」

 嫌そうな顔でローランはそっぽを向く。

「師匠あたりに頼めないのか?」

「シニフィスさまのお手を煩わせるほどのことでもないだろう。だが、ローラン。気をつけてくれ。どうにもきな臭い」

「俺はまだ引き受けるとは一言も……」

「友達だろ?」

 エヴァンズがてらうことなく、太陽のように笑う。裏表のない笑顔に焼かれるようにローランはぎゅっと目を細めしぶしぶと頷いた。

「わかったよ……」

 ローランはエヴァンズには敵わないらしかった。


 ***


 王立騎士団の宿舎は王城近くの城下町に立っている。学生時代に訓練場によく行ったなとエドガーはふと思い返していた。

「今日は休暇なんだから、お前までついてくる必要はないんだぞ」

 一応の気遣いなのかローランはエドガーにそう言った。

「いえ、ハリウェル先生にお供するのが私の仕事ですので」

 万が一にでも騎士団の情報が手に入るかもしれない機会を逃すわけにはいかない。

「俺もついて来いってどういうことだよ」

 シドが問う。

「何事も勉強ってことだ」

「俺に面倒ごとを押し付けようとしているような……」

「そんなわけないだろ。もっと師匠を敬いなさい」

 宿舎は三階建てで白い要塞のような建物だった。中は清潔に掃除されているがそれなりに古い建物らしい。エヴァンズの案内で中に入る。

「幽霊とやらは夜に現れる。それまでは部屋の中でくつろいでくれ。お前の家の部屋に比べたらだいぶ狭いが勘弁してくれよ」

 エヴァンズは仕事があるといい席を外す。三人は宿舎の食堂で夜が更けるのを待った。日が沈み、夕食を食べにくる騎士たちで食堂が賑わいだす。頬杖をついてローランが気怠そうに呟いた。

「何も起きないじゃないか。やっぱり噂はただの噂だな」

「そのようですね」

 そのときつんざくような悲鳴があたりに響き、三人は弾かれるように立ち上がる。

「なんだ!?」

 ローランが食堂を飛び出し、エドガーとシドも後に続く。声の方へ向かって廊下を走ると、地下室で腰を抜かしている新米騎士がいた。

「どうした?」

「ゆ、幽霊が!」

「幽霊なんていない。落ち着け。そいつはどっちに行った?」

「地下道の方に……」

「行こう!」

 言うが早いか、シドが地下室の扉を開けて、暗い地下道に向かって走り出してしまう。

「待て、馬鹿!」

「お待ちください!」

 勇敢だが愚かな小さな背中を慌てて二人は追いかけた。

 もう使われていない暗い地下道に当然、明かりはない。シドは器用に魔術で指先に炎を灯し、それで進んでいるようだ。慌てて二人はシドに追いつく。

「勝手に走っていくな。何かの罠だったらどうする」

「罠だろうと、俺なら突破できる」

「そのわけわからない自信を別のことで発揮してくれ……」

 呆れ半分、安心半分で、ローランは肩をすくめる。

「この先は一本道だ。例の幽霊もどきは奥に逃げていったんだろうな。とりあえず進むか……」

 三人はローランを先頭にして地下道を進んだ。蜘蛛や蝙蝠の巣があり不気味なことこの上ないが粛々と進んでいくしかない。

「匂いがする……。わかるか?」

 シドは首を横に振る。エドガーも当然わからない。

「なんの匂いですか?」

「魔術の匂いだ。香りというより、肌で感じ取れる雰囲気だが。……誰かいるのかもしれない。油断するなよ」

 二人が頷き、進んでいく。鍾乳洞になっている地下道は厳かで冷たかった。不安そうなシドと緊張を解かないローランの間で、エドガーは別のことを考えていた。

 この地下道、革命軍が潜んではいないだろうか……。

 さすがに騎士団宿舎に繋がっている地下道に仲間が潜伏しているとは思いたくないが、知らずと使っている可能性はある。ヴァルスタイン王国は革命軍の存在こそ気づいてはいれど、国内にも入れない小さな軍団でしかないと高をくくっている。そこにこそ付け込む隙があるのだが、もしこのことで革命軍が国権の喉元まで迫っているとわかれば、冬山遠征もなくなり国防に徹してしまうかもしれない。それだけは避けなければ。

もし万が一、拠点を突き止められた際は──。

──二人とも殺してしまうしかない。

 エドガーは剣の柄に触れ、息を吐く。シドの魔術師としての素養は知らないが、まだ子供だ。隙をつけば殺せる。問題はローランだ。死霊術師とは言え、他の魔術も使えると本人も言っていた。何を繰り出してくるかわからないが、拠点にいる革命軍と一息に袋叩きにすれば、勝てない相手ではないはずだ。

「いたっ! 幽霊だ!」

 シドが大きな声を出して指をさす。ふらふらとした足取りで男が歩いていた。その先に走りこむと、黒いスカーフを身に着けた異国の女がいた。

「なんだ貴様!」

 艶のある黒い長髪の若い女が声を上げる。

「それは、こっちの台詞だ!」

 間髪入れずにローランが魔法陣を展開し、蛇のようなうごめく紐を召喚した。しゅるりとあっという間に紐が女の手足を縛り上げ、女は尻もちをついて地面に倒れた。

「何をする!」

「さて、授業の時間だ、シド。この女は誰だと思う?」

 問われたシドはきょろきょろと辺りを見回す。

「えっと男を操っていたみたいだから、洗脳薬を使ったのかな……。いや、よく見るとこの男の人、死体だ! ってことはこの女の人は死霊術師!?」

「ではこのスカーフは?」

 黒い布地のスカーフには緑や青の宝石が縫い付けてある。本物なのかはわからないが、闇の中でもきらきらと輝いていて美しかった。シドが首を傾げているので、エドガーは助け舟を出してやった。

「マコーマック国の古い民族衣装ですね」

「そうだ。正確には、今は軍服だがな」

「軍人?」とシド。

「そうなんだろ?」

 ローランに訊ねられた女は舌を噛み切らんばかりの表情でそっぽを向く。正解らしい。

「マコーマックの死霊術師か。俺は自分の家系以外の術師にほとんど会ったことはないが、こんな美人がいたとはな」

「黙れ! ヴァルスタインの飼い犬。貴様、死霊術師のローラン・ハリウェルだろう?」

「ほう。俺はあんまり表舞台に出ていく柄じゃないんだが。よく調べたな」

「くそっ。こんなはずでは……」

 マコーマック国はヴァルスタイン王国から南西に位置する国だ。国土はヴァルスタイン王国と同程度だが、熱砂の砂漠で覆われており、人口は少なく、財政も芳しくはない。ヴァルスタイン王国がまだ強大な国力を持っていなかった数百年前には豊かな大地をめぐり戦争が絶えなかった因縁の間柄だと聞く。

「とりあえず密偵であることは間違いないだろう。ウォルターのところまで持っていこう」

「わかった。任せて」

 シドがひとさし指を下から上に動かした。女の体の下に赤色の魔法陣が浮かび上がると、女がふわりと空中に浮いた。そのまま指を横に動かすと、ついてくるように女が動く。女は両手足を縛られたまま、そうして地下から騎士団の宿舎へ運ばれていった。

 宿舎に戻り、部屋を借りた。ウォルターを呼び出している間、女を椅子に座らせる。女はこちらを気丈に睨みつけていた。その瞳はなんとなくレイチェルに似ている。女性は怒らせると怖いものだなと場違いなことをエドガーは思っていた。

「幽霊の正体がわかったって?」

 ウォルターが部屋に入ってくる。その隣には白髪で厳めしい顔つきのパブロフ・ロア騎士団長の姿もある。

「パブロフ──」

 ローランが挨拶をしようとすると、騎士団長は手でそれを遮った。

「よいのです、ローラン先生。お互いご挨拶は後にしましょう。それよりも今は一刻も早く、賊のことを」

 女は黙ったまま、静かにこちらを睨みつけていた。

「さて、先生。あとの仕事は我々騎士団が引き受けます。ご協力、心より感謝いたします」

 厳めしい顔つきから一転、騎士団長は朗らかに微笑んだ。これから後ろ暗いことをするのだろうということは、シド以外の全員が察した。


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