第5話 魂の在処


 エドガーは八時ぴったりにハリウェル邸に戻ってきた。公務の時間は九時から。クレアの作ってくれる美味しい目玉焼きとパンケーキを食べても十分に間に合う。

 裏口から入ってきたエドガーに誰かが声をかける。箒を持っているメイド服姿のクレアだった。

「エドガーさま? お出かけされていたのですか?」

「朝の散歩を。日課のようなものです」

「そうでしたか。朝食はもう用意してありますので、お召し上がりください」

「ありがとうございます。それで、ハリウェル先生は?」

「もう食堂にいらっしゃいますよ。シドさまもいらっしゃいますし、エドガーさまも一緒に食べましょう」

 秘書官が食事に同席してもいいものかと一瞬躊躇ったが、出迎えてきてくれたときのクレアの言葉を思い出した。『家族』。クレアは新しい秘書官をそう表現した。彼女にとってこの館に住まう者は、みな家族なのだろう。もちろん主人であるローランは特別なのだろうけれど。

 十人ほどが座れる長机のある食堂に行くと、当然上座には主たるローランがいる。眠たげな顔でフォークとナイフを持ち、緩慢な動作で食事を口に運ぶ。対するシドは食べ盛りなのもあって、ぱくぱくと美味しそうに朝食を食べていた。

「おはようございます」

「ああ」

「おはよー。エドガー」

 もちろんエドガーは一番下座に座り朝食を食べた。予想通り、否、予想以上にクレアの料理は美味しい。

 ふとエドガーはシドからの視線を感じ取り、にこりと微笑んだ。

「シドさま。何でしょうか?」

「クレアの料理、美味いだろ。特別に俺のパンケーキも一枚やるよ」

「えっ、いえ、ですが」

 相変わらずこの家の主人は眠たそうに言う。

「もらっとけ、もらっとけ。シドが飯をやるなんてめずらしいぞ。年が近いお前が気に入ったのかもな」

「気に入ってなんかない! ただ今までの秘書官たちは、なんていうか、俺のことをないがしろにして『シドさま』なんて呼ばなかったからな。ムカついてはいた」

 あくまでもエドガーもローランの秘書官なので、弟子のシドに礼儀を尽くす必要はないのだが、エドガー・ランベルトならばこうするだろうと、エドガーは彼のことを『さま』付けで呼んでいる。

「ところで今日の予定ですが、先生。シャキッとしてくださいね」

「今日の予定? 今日は休暇じゃなかったか?」

「そうでしたか、昨日変わりました。今日はアッシュデリー家のご子息がお出でになるそうです。なるべく早くお会いしたいそうで──」

 カランカランと庭先のベルが鳴る。エドガーが席を立って窓からのぞくと道路に馬車が止まっている。中から出てきたのは十五歳くらいの少年だった。

「こんな朝っぱらから誰だ?」

「アッシュデリー家の依頼人です。さて、朝食はここまで。執務室に行きますよ」

「え、俺、まだ食べ終わって──」

「問答無用!」


 ***


クレアの案内でアッシュデリー家の跡取り息子は執務室にやってきた。朝食を早く切り上げ、執務室にいたかのようにしてローランとエドガーは彼を出迎える。

「はじめまして、ハリウェル先生。私はロズ・アッシュデリーと申します。こんなに早く押しかけてしまい申し訳ありません」

「いえいえ。こちらこそはじめまして。ローラン・ハリウェルです」

 ロズはソファに腰を掛ける。心なしか、顔色が悪く見えるなとエドガーは思った。

「依頼内容を申し上げますと、わが父を蘇らせてほしいのです」

「お父上を?」

「……父は昨夜亡くなりました」

「それはそれは……お悔やみ申し上げます」

 また開かずの金庫や財産の話だろうかと、エドガーは辟易とする。しかし、ロズが言い出したのは至極当たり前のことだった。

「父を蘇らせてはくれませんか?」

「それは構いませんが、理由をお訊ねしても?」

 ロズはきょとんとした丸い瞳でローランを見た。

「そんなものは……また父に会いたいからに決まっています。私はまだ跡取りとしてあまりに力不足ですし、まだまだ父に教えてもらいたいことは無数にあります。それにまだちゃんとお別れもできていない……」

 ロズは言葉を詰まらせ、涙を流さないように必死にこらえていた。その痛々しさにエドガーは同情した。しかしローランは違ったようだ。

「残念ながら、それはできません」

「なぜです! あなたは稀代の死霊術師と伺いました。蘇らせることができるはずです!」

「そうですね。では少し長くなるかもしれませんが、我が家に伝わるおぞましく愚かなお話を聞いていただきましょう」

 ローランの話はかいつまむとこのような話だった。

 むかしむかしあるところに老夫婦が仲良く暮らしていた。しかしその妻は夫に先立って亡くなってしまう。夫はいたく悲しんだ。だが、夫は幸か不幸か稀代の死霊術師であった。夫は魔術師に依頼し妻に遺体が腐らない魔術を施してもらった。人形師に頼みこみ、身体が動くようにもした。そして妻を蘇らせた。

 妻は無事に蘇った。朝になれば花に水をやり、昼になれば猫を撫で、夜になれば編み物をした。話しかければ微笑みを浮かべて相手をしてくれたし、生前と相違はなかった。しかし平穏は長くは続かなかった。

『奥さんの様子がおかしいの』

 妻の友人が青い顔をしてそう言ってきた。友人は当然、妻が一度死んでいることなど知らない。

『おかしいって、どう?』

『それは──。以前と全く別人みたいで……』

 友人は言葉を詰まらせた。あまり深くは語りたがらず、自分の気のせいだといって帰っていった。しかし異変はそれだけではなかった。あるときは若い男が来た。男はいたく狼狽していた。

『どうして来てくれないんだ? 僕のことは遊びだったのか!?』

 男は意味不明な言葉を言った。だがよくよく聞いてみると話の筋がわかってきた。どうやら男は自分が年の離れた妻と付き合っていたと誤解しているようだった。男は幻惑か何かに囚われているのだろうと、夫は取り合わなかった。

 しかし疑問は残った。

 妻の友人の言葉と若い男の言葉。自分は何か大きな間違いを犯しているのではないかという不安感が胸の中で大きくなる。夫は妻に訊ねた。

『あの男とはどういう関係なんだ?』

 妻は首を傾げた。

『知りも知らない方ですわ』

『ではあの友人は?』

 妻は微笑んだ。

『もちろん仲の良いご近所さんです』

 夫は気づいてしまった。この死霊術の大いなる矛盾に。しかし認めたくはない一心でこう聞いた。

『最後に夫婦喧嘩をしたのはいつだったかな?』

 妻はにっこりと笑った。

『あらいやだ。夫婦喧嘩なんて一度もしたことがないじゃない』

 嘘だった。喧嘩なんて何度もしてきた。ただ妻が嘘を吐いたわけではなかった。夫が、彼こそが、妻に嘘を吐かせたのだ。

 死霊術は遺体からその者の記憶や体を蘇らせる。しかしその動きはあくまでも死霊術師の命令に従ったものにすぎない。夫は妻に『我が妻であれ』と命じた。妻は無意識のうちに〈夫が理想とする妻〉であり続けた。それは友人の前で夫の愚痴をこぼさず、若い男と不倫をしない完璧な妻だったが、妻本人ではなかった。

 夫は泣きながら、包丁で妻を刺殺した。正確にはもう死んでいるので殺したことにはならないが、何度も何度も刺して動きを止めた。

 死霊術は完璧ではない。そのものの魂までは取り戻すことはできないのだ。

 話し終えたローランはいつになく暗い表情だった。

「これは私が先々代から聞いた、遠い先祖の話です。我が家に伝わる死霊術をもってしても魂の復活はなしえなかった。申し訳ありませんが、ロズさまの望みを叶えることはできません。どうか天の国に上られたお父上の魂の安寧をお祈りください」

「……そんな」

 ロズ少年は身もふたもなく泣いていた。彼にとって縋る唯一の先がこの死霊術師だったのだろう。

「申し訳ありません」

 しかしいくら少年とはいえ、大貴族の跡取りだ。しばらく涙を流したのち、彼は気丈にも立ち上がり礼を述べると去っていった。年齢のわりには毅然とした態度だった。

客人のいなくなった執務室で、どこからローランは小さな酒瓶を取り出して飲んでいた。

「先生!」

 エドガーは眉を顰める。ローランは窓の外から馬車に乗り込むロズを見ていた。

「俺は死霊術なんて嫌いだ。こんな力、世にない方がいい」

 それは彼が時々しか見せない本音のように思えた。それでもエドガーは受け止めることができず、つい言い返してしまう。

「それは先生がご自分を無力と感じたことがないから、そう思うのではありませんか?」

 強大な力にはそれなりの対価が発生する。だが力もない虫けらは焼き払われるだけである。ただ焼かれるよりは悩み苦しみながらも大いなる力を持っている方がどれだけいいか。

 ローランは自嘲気味にくすりと笑った。

「嫌な奴だな、お前は」


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