第4話 革命軍
それから一週間、シニフィスの言う通り怠惰なローランを如何に働かせるかでエドガーは苦心した。というのも気がつくとローランは消えているのだ。大抵は酒場にいるのですぐ見つけて家まで連れ帰るのだが、書類仕事を前に彼は文句ばかり並べている。
「そんなことを言ったって、仕事が減るわけではないじゃないですか」
至極当然なことをエドガーが述べると、ローランは子供のように口をすぼめる。
「俺は働かずに楽して生きていきたいんだよ」
「じゃあどうして〈十二人の大魔術師〉になんて……」
「好きでやってるわけじゃない。死霊術師がめずらしいから選ばれただけだ」
羽ペンをくるくると動かしながら、ローランは息を吐く。
「うちは代々死霊術師を生んでいる。国家魔術師になって当然。〈十二人の大魔術師〉に選ばれることは名誉なこと。王家からの寵愛を受けている、名門貴族……。はっ。言ってて嫌になってくるね」
「どうしてです? 十分、素晴らしい経歴だと思いますが」
「経歴。経歴ねえ……」
ローランは欠伸をして伸びをする。何を考えているのかよくわからない人だなとエドガーは心の中で小首をかしげた。
「そうそう〈十二人の大魔術師〉といえば今夜は魔術師会議があるんでしたね。準備をしないと」
「出ないとダメか?」
「当然でしょう。でも少し変なんですよ」
「変って?」
「他の国家魔術師が呼ばれていないんです」
エドガーも一度同席したが、魔術師会議は城下町にある時計塔の大広間を貸し切り、魔術師と秘書官合わせ、二百人規模で行われている。けれど今回の会議は〈十二人の大魔術師〉とその秘書官だけしか招集されていない。
「……何時からだ?」
ローランが時計を見る。その顔つきは、嫌な予感がすると語っていた。
夜。広間に蝋燭の灯りがともっていて眩しい。すり鉢状になっている広間の下部には黒いローブを着たシニフィスや老人といって差し支えない年齢の魔術師、いやに若作りしている魔術師もいる。その末席にローランが腰かけ、エドガーは背後に立った。他の秘書官の面々も静かに立っている。議長席にいるシニフィスが口を開いた。
「定刻じゃな。これより魔術師会議、いや、大魔術師会議を始める。この会を開くのは久方ぶりじゃ。というのも、開く必要がないほど、我らがヴァルスタイン王国は安泰だったからじゃ」
「逆に言えば、今は安泰ではないと?」
一人の男が問う。シニフィスは笑い飛ばさなかった。
「そなたたちの中にも勘づいている者もいるかもしれぬ。黙っていても仕方があるまい。単刀直入に言おう。永久凍土の冬山・ウェルガルドに住むドラゴンが目覚めかけているらしい」
ぞわりと空気が揺れた。ざわめきの中、とある秘書官の声が聞こえる。
「馬鹿な……。二千年も眠っていたのに……」
ウェルガルドのドラゴン。エドガーも王立学校の歴史の授業で習ったことがある名前だ。二千年前、そのドラゴンが深い森であった陸地を炎で焼き尽くした。その焦土の上に建てられたのがヴァルスタイン王国だ。このドラゴンがいなければ、ヴァルスタイン王国がここまで広大な面積を誇る国にはならなかっただろう。だが、それは同時に、ウェルガルドのドラゴンは国一つを燃やし尽くすほどの凶暴で強力なドラゴンだということだ。
「騒ぐでない」シニフィスの声が議場に響く。「まだ目覚めたと決まったわけではなく、その兆候がないかを調査に行かねばならぬという話じゃ。調査隊は既に決めておる」
シニフィスが自分と三名の大魔術師の名前をあげる。当然といえば当然だが、その中に死霊術を得意とするローランの名前はなかった。
「ことが公になれば混乱を招きかねん。わしを含めた三名は外交のため北のナンベルグニ王国に出立したことにしておく。残る者たちは、わしらが不在の合間、留守を任せたぞ」
残された面々が慎重そうな面持ちで頷く。ローランは無表情だったか、真正面から師匠に向き合うつもりもないのか静かに座っているだけだった。
会議が終わり外に出ると、すっかり夜更けになっていた。各自が待たせていた馬車に乗り込む中、ふとエドガーは時計塔の上にはためくヴァルスタイン王国の御旗に気がついた。
国防の要となる〈十二人の大魔術師〉が三人も不在になる。
それはエドガーにとってこの上ない幸運を意味してした。
このときを待っていた。十五年間、ずっとずっと待っていた。しかし歓喜に打ち震えるのはまだ早いと旗を見上げながら思う。
エル・ピンシア。
──十五年前に捨てた名前。今こそ、あの殺戮で奪われたものを取り返すときだ。
はためく御旗にエルは嘲笑うかのような冷笑を浮かべる。
本物の地獄を見せてやる。
***
早朝。空が白み始めた頃にエドガーは目を覚ました。身支度を整え廊下に出るが、幸い、クレアはまだ起きていなかった。腕時計を見ると朝の五時半だった。
あんな情報を聞かされたのだから当然だが、興奮したエドガーはあまり眠れなかった。エドガーはそのまま裏口から外に出た。向かう先は郊外の森の奥にある寂れた地下洞窟だ。以前の大戦で避難場所代わりに使われたものらしいが、今は子供の姿すらない。だが、もぬけの殻というわけではなかった。
「何者だ?」
森の中、洞窟の入口にみすぼらしい格好の男がいた。
「同志だ」
エドガーは答える。
「生まれは?」
「……アウステル村」
男は驚いた顔でこちらを見た。
「あんたがエルか」
「ああ。入ってもいいか?」
「もちろんだ」
暗い洞窟の奥に進んでいくと、やがて橙色に輝く灯りが見え始める。奥には五十人ほどの革命軍(レジスタンス)の仲間達がいた。木箱に腰かけたり、藁の上で眠ったりしている仲間達が一斉にこちらを見る。
「エル?」
「エルか!!」
皆は喜んでエルを出迎えた。とはいってもここには馳走も酒もないので言葉ばかりの歓迎だが、それでもエルには十分だった。
「おかえり、エル!」
「レイチェル」
赤毛の長い髪をひとつに縛っているレイチェルがこちらを見て、歯を見せてにこりと笑った。
「久しぶりだな。一年ぶりか?」
手紙でやり取りはしていたが、レイチェルに会うのは久方ぶりだった。
「お前が王立学校に入ってからめっきり会えなくなったからな。よほど厳しいところなんだな、あの学校は」
「そうでもなかったさ」
なんでもないことのようにエルは言う。革命軍の仲間達は明日の食糧をもしれない毎日を送っている中、エルは毎日パンと水、果実だって与えられていた。それを申し訳なく思い続ける日々だった。
「そんな顔をするな、エル。お前はあたしたちのために王都の学校に行ったんだ」
「わかってる」
十五年前、戦火で家々を失ったエルとレイチェルは、ヴァルスタイン王国に反旗を翻す革命軍に拾われた。決して衣食住に満足のいく生活ではなかったが、同じ境遇の仲間がいることは心強かった。革命軍はエルたちと同じようにヴァルスタイン王国に恨みを持った人々の集まりだ。しかし、たったの二百人ほどが集まったところで何ができるというのだろう。そこで革命軍の長であるマフィは内部情報を集めることを選んだ。国崩しを行うにあたり、まず一番必要なものがそれだった。
『だったら俺がやる』
エルがたったの十歳のとき、自らそう進言した。マフィは戸惑った顔をした。
『自分が何を言っておるのかわかっているのか? 密偵になるということだぞ』
『俺は物覚えがいい方だ。騎士団に所属して、国防に関わる情報を得る。そのために王立学校に入れてほしい』
無論、素性を偽るためには多額の金もいる。マフィは見定めるようにじっとエルを見つめ、やがて頷いた。
『エルに任せてみよう……』
そうしてエルは十二歳のときにヴァルスタイン王国首都にある王立学校中等科に入学した。田舎から出てきた小市民という素性で、名前をエドガー・ランベルトと名乗った。全寮制の学校で学び、成績はいつも一番上。そのまま王国内で最難関といわれる王立学校高等科に進学した。
『騎士団には入らない』
しかしエドガーは革命軍の仲間達にそう手紙を綴った。
『この国の守りを担っているのは魔術師たちだ。奴らの動きを見る方が後々役に立つと思う。だから俺は魔術師の秘書官になる。なるだけ高位の、できれば〈十二人の大魔術師〉のうち誰かがいい。なるだけ上手く交渉してみるから、待っていてくれ』
長い長い、八年だった。けれど、まだ始まったばかりとも言える。
歓迎の声を静めるように、エルは手を下げる。それからよく響く声で話し始めた。
「みんな聞いてくれ。近々、〈十二人の大魔術師〉のうち四人が、北方のドラゴンを調査するため国を留守にする。詳しい日程はまだわからないが、これは機運が巡ってきたと考えていいだろう」
エルの言葉に周囲の仲間たちがどよめく。
「よくやってくれた、エル!」
話しかけてきたのは、この革命軍をとりまとめる長、マフィ・ゴルデンという男だった。マフィは黒い髪の毛を結っていて、賢者のような風格がある。どこかの小国の王様であったという噂も聞くが、本人に訊ねるといつも笑って誤魔化されてしまう。
「マフィ! ただいま」
エルにとってマフィは第二の父親である。いつもの張り詰めた糸のような緊張も彼の前では緩んでしまう。
「おかえり。立派に務めを果たしてくれたな」
「まだだよ。詳しい日程を掴まないと。他の魔術師たちの足止めもしたい。王城の中も、まだ調べる必要が──」
「そう急くな。焦ればことを仕損じる」
「……ごめんなさい。そういえば他の仲間たちは?」
「他の隠れ家に分散させている。お前がいない一年で、仲間がまた増えた。喜ばしいことだが、それだけヴァルスタイン王国にやられてしまったということでもある。悲しいことだ」
「仲間といえば」レイチェルが言う。「新しい仲間の中になかなか見所のある奴がいる」
「どんなやつだ?」
「それが火傷を負ったとかで鉄仮面をつけている男なんだけど、統率力があって仲間からも一目置かれ始めてる。剣の腕もなかなかのもんだった。ヴァージルとかいう名前の奴だ」
どこか苦々しげに言うレイチェルを見て、エルは悪戯っぽくにやりと笑う。
「さてはお前、剣でそいつに負けたんだな」
「ち、違う! 足が滑っただけだ。だからあの勝負はなしだ、なし!!」
「勝負にありもなしもないわ。というか、革命軍内部での私闘は禁止だが?」
ニコリと笑いながらもどこか冷たい瞳でマフィがレイチェルを見る。レイチェルもエル同様、マフィに頭が上がらないので「ごめんなさーい」としょぼくれた顔で言う。
くすりとエルは笑う。
「笑うな!」
レイチェルがこちらを小突く。するとマフィも笑った。やがて馬鹿らしくなったのかレイチェルも笑う。三人で笑うこの時間が、エルは何よりも大切で、愛おしかった。
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