第76話


 狭い室内には、大人2人が並んで寝れるギリギリのサイズのベッドが1つ置いてあった。

 窓際にある小さなテーブルには一輪の花が刺さった花瓶とランタンだけが置かれていて、木製の小ぶりな椅子がテーブルの下に控えめに置いてあった。

 必要最低限のもののみで構成された客室だけど、郊外の小さな村にある宿なのだから仕方がない。むしろ泊まるところがあっただけでも幸せね。


 スープとパンとボトルが運ばれてきて、私たちはその小さなテーブルの上で軽く食事をとった。


「このボトルは‥?」


「これは果実酒ですね。この地域の酒は随分と度数が高いようですよ」


 赤茶色の瓶には産地が書かれたラベルが貼ってあった。ご当地のお酒を出してくれているのね。


 私はお酒に興味がないから飲まなくていいけど、レオンは飲みたいんじゃないかしら?


「せっかくなら飲んでみたらいいんじゃない?」


 私が首を傾げると、レオンは顔の前で手を何度も横に振った。


「俺は飲みません」


「どうして?」


「‥もし酔っている時に魔女が現れたら大変じゃないですか」


「そんなに酔うまで飲まなきゃいい話じゃない」


 私は別に泥酔しろと言ってるわけじゃなく、少し嗜んだら?と言ってるだけなんだけど‥。


「いや、飲みません」


「お酒嫌いなの?それとも飲めないの?」


 頑なに飲まないと言い切るレオンは私を少しばかりジト目で睨んだあとにため息を吐いた。


「何かしたら一生許さないと言ったのは皇女様ですよね」


「‥‥え?」


「魔女のせいで色々と経験や知識が乏しいのは百も承知ですが、今がどんな状況だかわかってますか?」


 呆れたようにグシグシと髪を掻いているレオン。猫であることをカミングアウトしたり、2人で行動しているということも相まってか、離宮の時とは違って少しフランクな感じがする。


 少なくとも離宮の時は愛想の良い真面目な騎士って感じだったものね。こうして私に対して明らかに苛立ったりしてなかったわ。


「魔女の母から逃げている最中だってことくらいもちろん分かってるわよ。いざという時に困るから酔えないと言いたいんでしょ」


「‥はぁ」


「あ、あのねぇ、レオン!!私は別に皇女だからって偉ぶるつもりもないし、敬ってくれだなんて思ってないけど!!でもそうやってあからさまに呆れた態度を取るなんて失礼じゃない?!離宮にいた頃と全然キャラが違うじゃないの」


 捲し立てるように文句を並べた私に対し、レオンは「うっ」と反応した。


「ーーーすみません。つい‥」


「どうせ過去に戻ってやり直すから、いま不敬な態度を取ったって構わないって思ってるんでしょ。フランクなのは別にいいけど馬鹿にされるのは私だって嫌な気持ちになるんだから!」


 こうしてレオンに対しての文句を一気に言い切ると、心がスカッと晴れたような気がした。

 そういえばいつも負い目を感じたり気を遣ってばかりで、なかなか相手に対して自分の気持ちを曝け出すこともなかったから‥。

 レオンという特殊な相手だからこそ、私もこうして素でぶつかれるのかもしれない。

 王宮でレオンと2人で会話をしている時も、レオンのことは困らせたくなったりしていたし‥。


「‥皇女様、すみません。馬鹿にしてるわけではないんですが‥‥。はっきり伝えた方が伝わる様なので言いますね」


「え?」


「‥‥‥ベッドがひとつしかないこの部屋で‥‥若い男女が2人。しかも酒が入ったら、どうなるかわかりますか?」


 ベッド、男女、2人‥。お酒‥‥。

あれ、もしかしてもしかするとそういうこと‥?


「っ、いや、だって!!何かしたら許さないって最初に念を押していたじゃない」


「酒に酔ってベッドがひとつしかなくても、予め口約束してたんだから襲わないでってことですか?皇女様すっごい酷なこと言ってますけど大丈夫ですか」


「こ、酷なことって言ったって!!!むしろ魔女の母から逃げてるこの時に、あんなことやこんなことを?!」


「だから、そうならない為にもお酒を飲まないって言ってるんです!!」


 レオンがまたもや髪をぐしゃぐしゃと掻きながら投げ捨てるようにそう言った。

 レオンは本気で困っていたのかもしれない。こんな風に言わないといけないくらい、これは大人として当たり前のことだったのかも‥。


「‥‥ごめんなさい‥。私、男性の性欲というものがそこまで大変なものだって知らなくて」


 私がそう言うとレオンはまだジト目をしていた。


「本当、貴女にははっきり言わないといけないみたいなんで言いますけど、俺は皇女様と2人きりだから自制してるんです。これ、意味分かってますか」


 レオンの圧が強い。どうやら私は自分が思っていた以上に世間知らずだったみたい。


「‥‥わかったわ」


 大人しく頷いておこう、と首を縦に振ると「本当にわかってますかぁ‥?」と力のないレオンの声が響いたのだった。


 ーーレオンは喜んで尻尾を振る忠犬のような姿も持っているけど、案外自分が抱く不満や意見は素直に相手に伝えるタイプみたいね。


 そして私は自分のことをしっかりしている方だと思っていたけど、レオンの反応を見る限り全然そんなことはなかったみたい。

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