第75話


 空がだんだんと明るくなって、夜の終わりを知らせていた。真っ暗だった夜空は一度明るくなると急に足早に朝になっていく。


 ーーそんなことさえも今日初めて知った。何処に向かっているのか分からないまま、馬の速度を上げたり緩めたりを繰り返しながら今に至る。


 夜通し馬に乗っている時にはしばしば目がひっくり返りそうになったけど、夜中よりも涼しい朝方の冷たい風で目が覚めた。


 ピチチチ、と響く小鳥の声。薄くなっていく空。少し白く色付く吐息。


「ーーーなんか今実感したわ」


 いま私たちがいるのは川のほとり。馬に水を飲ませたり、草を食べさせながらゆっくりと進んでいた。レオンはいま馬から降りて手綱を引いている。


「何をですか?」


「‥逃げてるってこと」


「‥ははっ」


 何故か笑みをこぼしたレオンを横目で見る。若夫婦のおかげで変装した私たちは何処からどう見てもただの庶民。駆け落ち中か、はたまた旅の途中のカップルだ。


「何がおかしいの?」


「‥いえ、なんかほのぼのしてしまいました」


 さっきの私の発言のどこにほのぼの要素があったのかしら。

私は呑気に両手をあげて体を伸ばすレオンを横目で見た。澄んだ空気を大きく吸い込むレオンは、一切の毒気を感じられない。


「ーーーねぇ」


「はい?なんでしょうか」


 朝霧の中にレオンの赤茶色の髪が映える。どう見たって明るくて爽やかな、正統派のヒーローにしか見えないのに。つい最近まで復讐の為に生きていたなんて、なんだか信じられないわ。


「レオンはどうして私を殺そうとしたの?」


 軽い調子で聞いてみたけど、レオンは突然咽せながら大いに動揺していた。‥これは禁句だったかしら??‥‥でも、レオンのことを信用するつもりはないけど、やっぱり少しでも理解しておきたい。


「‥‥‥‥皇女様、すみません‥」

「あ、やめてやめて。顔を上げてよ」


 レオンが深く頭を下げようとしたから、私は思わずそれを遮った。


「責めたくて聞いてるんじゃないの。別に謝って欲しいわけでもないわ。ただ理由を聞いておきたくて」


 純粋に私に仕えているような顔をしたり、突然現れて本気で首を絞めてきたり、頬を赤くしてキスをしてきたり。正直レオンのことがさっぱり分からない。


 レオンは数秒の間唇を真横に結んでから、困ったように眉を下げた。


「‥‥あの時は、未来にひとつも希望を持ててなくて‥。でも魔女のやり方にはもう賛同できなかったんです。この先皇女様が更に辛い思いをしていくことが不憫に思えて仕方がありませんでした。‥‥それならばいっそ終わらせてしまおうと‥‥」


 レオンの言葉に嘘はないように思えた。猟奇的に殺したくなったとか、そんな理由なんかではなくて‥本当に思い遣った故の行動だったのかもしれない。


「‥‥そう‥」


 私が小さくそう呟くと、レオンは困った顔をしたまま口を開いた。


「猫だった俺のことなんて信用できないかもしれませんが、俺はもう随分前からどうすれば皇女様を救えるのかばかり考えてます」


 レオンの真剣な瞳は真っ直ぐに私を見ていた。

‥‥信用できないと決めつけないで、少しは心を開くべきなのかしら。


 そうは思っても人を信用するというのは怖い。レオンの正体が猫であるとわかった時に一度裏切られているようなものだし、尚のこと簡単に踏み出せない。


「‥‥‥皇女様、俺は許して欲しいとも、信用して欲しいとも思ってません。でも皇女様のことは守り通して見せます」


「うん、ありがとう」


 心から信用できると思っていない状態で口先だけで「信じる」と伝えるのもおかしな話だと思うから、感謝だけを伝えた。


 ほんの少し気まずい空気が流れる中、馬が声を上げて鳴いたことを皮切りに、私たちは再び馬に跨って駆け出した。


 ーーレオンはいま帝国の最東端にある谷に向かっているらしい。なんでも、そこには魔力を上げることができると言い伝えられている果実があるらしい。


 きっと私たちがやろうとしていることには多くの魔力が必要だと思う。だからこそその果実で魔力を増幅させるのが狙い。


「あとどのくらいかかるの?」


「あと2~3日かかると思いますよ」


「ええっ、そんなにかかるの‥?」


「北西にも同じ果実が生っているそうですが、そちらのほうが王宮からも近いんです。でもそっちはきっと魔女が狙っているでしょうから敢えて遠くまで行かなくては」


「‥心理戦なのね」


 見慣れぬ景色を眺めているうちにあっという間に時間は過ぎていくもので、丁度お腹が鳴る頃に辿り着いた街でパンを齧り、近くの村の情報を掴んではまた馬に乗って先へ進んだ。

 夜更け前に村に辿り着くと小さな宿に案内された。当然の如く2人部屋の鍵を渡してきた店主に断りを入れようとしたがレオンがそれを制した。


 いつ魔女の母が追ってくるか分からないし、誰が襲いにくるかも分からない。だから同じ部屋で寝泊まりするのが当然なんだそう。


「‥‥何かしたら一生許さないからね」


「‥‥‥‥はい」


 あまりにも間が長かったような気がしてレオンを見ると、レオンはこめかみをポリポリと掻いていた。


「なによ」


「いや、心底信用ないなと‥」


 レオンが自虐的にそう言うと、なんだかおかしくなって小さく吹き出してしまった。そんな私を見てレオンも小さく笑う。


 ーー宿屋の主人から見れば、私たちはただただ仲の良いカップルにでも見えているんだろうな。


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