第17話


 皇帝たちが暮らす王宮と、サマンサが暮らす離宮は馬車で2時間ほどの距離がある。ーーサマンサが離宮に移り住んで以来、皇帝が離宮に近付くことはなかった。


 皇帝が心から愛していた筈の愛娘は、突然タガが外れたかのように狂い始めてしまった。皇女として正しく生きていこうと、勉学に励み、どんな者にも手を差し伸べる女神のような博愛の心を持っていた筈のサマンサは、いつしか誰もが目を背けるような存在になってしまっていた。


 その美しい見た目と相まって、帝国中から愛されていたサマンサだった‥のだが。


 気に入らない従者たちを叩きつけ、時には皿まで投げつける。あんなにも熱心に取り組んでいた筈の勉学は全て放り出し、皇女付きの教師たちは皆彼女の豹変ぶりに慄いて逃げ出す始末だった。

 交流のあった貴族の令嬢たちにも散々暴言を浴びせ、腹が立った日には平気で頭から唾を吐きかけた。


 謹慎と銘打って15歳の時に離宮に送れば、サマンサは両手を上げて喜んだ。そのうち男遊びも始めるようになり、未成年に関わらず酒に溺れるようにもなった。


 従者たちに男も酒も禁止させるよう命令しても、気に入らないことがあれば暴れて手が付けられなくなるサマンサに、従者たちは逆らえなくなっていた。

 サマンサに立ち向かう従者がいたとしても、彼女にコテンパにイジメ抜かれて、心を病んで退職してしまうのが常だった。


 何より‥男を遠ざけても、サマンサのその美貌で言い寄られれば、誇り高き騎士すらも心を揺さぶられてしまう。酒を処分しても、空を飛べるサマンサは離宮を抜け出して酒を買うことができた。



 ーーサマンサの義母であるマリアナ皇后はサマンサに処罰を与えるべきだと訴え続けたが、皇帝は険しい表情をして口籠もるのみだった。


「‥‥北の塔に幽閉するならまだしも、離宮で好き勝手自由にさせているなんて。‥‥それに、騎士の屯所をすぐ近くに置くなんて過保護にも程があるわ。嗚呼、すべてが気に入らないわ。あんな阿婆擦れとっとと追放するなり鞭を打つなりすればいいのよ」


 マリアナ皇后は目を細めながらティーカップを置いた。苛立ちが籠ったその台詞は、マリアナ皇后の愛息子であるロジェに向けて吐き捨てられたものだった。


 ロジェはサマンサの腹違いの弟であり、この国の皇太子だ。この帝国の皇位継承権は男性優位である為、サマンサの3歳年下であるロジェが生まれた時点で次期皇帝はロジェとされてきた。


 サマンサはロジェのことを心から可愛がり、ロジェもまたサマンサに甘え、誰よりもサマンサに懐いていた可愛い弟だった。

 ロジェが厳しい教育にも耐え抜くことができたのは間違いなくサマンサの存在が大きく影響していた‥のだが。


 サマンサの変貌は、ロジェの心を大きく傷付けた。


「ーーー皇族の威厳を著しく落とす存在ですからね」


 ロジェは顎辺りまで伸びたグレーの髪を耳にかけ、ぱっちりと大きな二重を細めながら同意した。ロジェにドレスを着せたら、間違いなく麗しく可憐な姫にしか見えないだろう。


「でも私はもうこのまま黙っているのはやめたの。私が用意したメイドを離宮に送り込んだわ」


「‥そうですか」


「サマンサの悪事を全て曝け出して、皇帝に叩きつけるつもりよ」


 ロジェはヒステリック気味に愚痴を呟く母を内心哀れんでいた。

 マリアナ皇后は、元々サマンサへの嫉妬心があった。若く、美しく、聡明だったサマンサへのとしての嫉妬。完璧だった筈のサマンサの悪行を耳にするたびにほくそ笑むマリアナ皇后を見て、ロジェは実母にいつも冷ややかな視線を送っていた。


「‥‥そうですか」


(悪事を曝け出したところで今更何も変わらない。そんなことすら考えつかないくらい周りが見えていないんだ。‥そもそも皇后が阿婆擦れという言葉を使うなんて、どうかしてる。本当、可哀想な人だ)


「それでもダメなら、そろそろ本気で暗殺を考えようかしら」


 マリアナ皇后は、ロジェを“何が何でも自分を決して裏切ることのない”存在だと思っている。それ故、このような発言をロジェには平気で言ってしまう。


 そしてその度にロジェは白けた目をしているのだが、マリアナ皇后はそんなことにも気付かない。


「殺してしまったら、もう姉上の悪事を見れませんよ」


 サマンサの悪い噂を聞くことが貴女の趣味でしょ、という嫌味なのだが、マリアナ皇后はその真意を汲み取れない。


「姉上だなんて呼ぶ必要ないわよ!あんな女!」


「‥はぁ」


 ロジェはまた目を細め、遠くを見た。

サマンサが急におかしくなってから、ロジェの心にはずっともやがかかっているようだった。

 母よりも、腹違いの姉が好き。こんなことを口にしたらマリアナ皇后は生きたまま内臓を引き抜かれるほどの衝撃を受けるかもしれない。


 ロジェはサマンサの話を聞くたびに、嫌気がさすのではなく苦しくなった。彼はまだ、幼い頃のサマンサを心の支えにしていたのだった。

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