第13話


 ここ離宮は昔からある建物で、趣があると言えば聞こえはいいけど、どちらかと言えば永らく放っておかれていた建物だ。

 私の部屋も、隙間風がしょっちゅう窓枠をかたかたと揺らす。


 置き時計の針の音と風に触れて響く窓枠の音が、しん、と静まり返る部屋の中に響く。その隙間を縫うように、私が本を捲る音が控えめに鳴った。


「ーーーーもう22時になりますが」


 何も起こらないのか、と言いたげなテッドの声に、私は本を捲る指を止めた。


「‥‥そうね」


 1時間前と全く同じやりとりを繰り返しながら、私の心中は全く穏やかじゃなかった。窓の外には、煌々と夜の闇を照らす丸い月がある。

 本当に今日が満月の夜だったの‥?1日くらいズレていたりして?!‥なんて思うけど、そこら辺はテッドが間違えると思えない。


「‥‥皇女様。単刀直入にお聞きしますが、一体何が怖かったのですか」


 わざわざ怖いからとテッドにお願いをしたうえに、あろうことか『その目で確かめればいいじゃない』なんて言ってしまったのに‥!!!

 どうして何も起こらないの~?!?!‥絶対何かあると思ったのに。


 このあとに何か起きる可能性もあるかもしれないけど‥これ以上テッドと2人きりの無言で重苦しい時間は過ごしたくないし‥もう引き伸ばせないし‥。幸い今日はまだ一回もリセットをしてないから、とりあえず22時までは何事もないっていうのがわかれば、例えこのあとリセットする展開になったとしても何とかなりそうだし‥。


「‥‥‥‥こ、こほん。‥‥そ、の、恥ずかしいんだけど‥」


「はい?」


「‥‥。その、お酒も飲まず、男の人とも一緒に寝ない夜っていうのを、昨日久しぶりに過ごして‥」


 テッドは無言で丸眼鏡をあげた。段々とヒュオオオオオッと音を立てて、テッドの周りが氷点下になっていっているような‥。吹雪まで、吹いているような‥。


「‥‥‥まさか、なんて言わないですよね?」


 そんなくだらない理由で私を呼んだのか、と言いたそうだ。


「‥夜って、すごく静かで、長いんだなぁと思って」


 ああああっ。駄目だわ。テッドの氷の矢のような視線を浴びると、うまく誤魔化せない。

 だって私、そもそも魔女が満月の夜に何をしていたかなんて知らなかったんだもの!でも、何かとてつもなく嫌な予感がしたから、近くで守ってくれる人が欲しかったんだもの!!


「‥‥‥」


「‥‥ごめんなさい‥」


「‥‥はぁ。‥まぁ、男遊びをしない為にも、私を選んだことについては正解だったとは思いますが‥。‥夜もいいものですよ。満月を見て、窓辺で読書をし、心を安らかにする時間も必要です」


 そう言って、テッドは窓の外を見やった。

てっきりもっと盛大に呆れられて冷たい言葉を掛けられると思ったのに。


「そうよね‥。明日からは1人で過ごすわ」


 というか普段は別に全然1人で良いのよ‥。今日が怖かっただけなの。


「そうして頂けると助かります。‥‥‥ん?」


 テッドが窓の外に何かを見つけたようだった。元々吊り目気味の切長な瞳を細め、暗闇に潜む何かを凝視している。


「何かあったの?」


「‥‥何か、人影が見えた気がしたのですが‥気のせいのようです。念の為今日は更に警戒するよう護衛たちに声を掛けてきます。皇女様も、今日のところはごゆっくりお休みください」


「わ、わかったわ‥」


 テッドはくるっと踵を返して扉の方へ向かった。テッドに視線をやったあと、私も窓の外を見てみる。眼前には真っ黒な森が広がっていて、私には何も見つけることができなかった。



 結局、満月の夜には何も起こらずに、私は次の日の朝を迎えた。昨日はノエルともしっかり向き合えたし、結局一度もリセットをせずに1日を終えることができて、今更ながらに安堵した。


 ぐぅっと背伸びをして、今日も昨日同様何事も起こらないことを願った矢先のことだった。

 朝の支度と食事を終えてふと一息をついていると、何やら廊下が騒がしくなった。

 サリーが様子を見て参りますと廊下に出て行ったけど、真っ青な顔をしてすぐに戻ってきた。


「こ、皇女様!!騎士団長のバートン卿が、皇女様に面会にいらっしゃっているそうです」


 ーえ?今なんて?


「き、騎士団長?な、な、なぜ?」


「分かりません‥が、貴賓室でお待ちになられているそうで」


「わ、わかったわ」


 魔女と騎士団長には関わりがある。ノエルを欲しがった魔女が、騎士団長に何かを協力したってレオンから聞いていたもの。

 ちょうどノエルを解放していいものか迷っていたところだし、何の用で来たのかわからないけど、ちょうどいいタイミングかもしれないわね。


 ドキドキしながら貴賓室の扉を開けると、そこにはソファに座る美丈夫がいた。やっぱり‥魔女はつくづく美しい男と関わろうとするみたいね‥。まぁ、さすがに騎士団長とは男女の仲ではないでしょうけど。普段この孤城内にいるわけでもないし。


 ドレスの裾を掴み頭を下げて挨拶をしてみせると、騎士団長は小さく「人払いを‥」と言った。


 血も涙もない、鬼のような男ーー。そう聞いていた騎士団長は、まさしくこの世のものではないようなオーラを纏っていた。

 テッドのような人間味のある冷たさではなく、ゾッと背筋が凍るような、目が合うだけで殺されるような、そんな印象‥‥。って、え?目が合うだけで殺されるって‥‥あれ、なんか、騎士団長、めちゃくちゃ殺気向けてきてない??

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