第8話


 午後も特に変わったことはなく、大荷物を持って孤城を後にするミーナの後ろ姿を窓から見送ってホッと息を吐いた。


 サリーが部屋に来て、一体ミーナが何をしでかしたのか尋ねてきた。どうやらミーナが自分で「もうここには居られないことをしてしまった」とサリーに頭を下げたみたい。


 私が「さぁ?」と首を傾げると、サリーは眉を下げて「そうですか」と答えた。


 サリーは私が魔女に体を乗っ取られる前から、私の側で働き続けてくれている。非人道的な悪女街道まっしぐらだった私を見ておきながら、どうしてメイドのままでいてくれていたのか分からないけど、魔女もサリーはだったようで、サリーのことをよく呼びつけていた。


 サリーは淡々としていて、顔色もあまり変えないクールなメイド。歳は私より5歳ほどお姉さんだ。


 そんなサリーが、眉を下げている。


「どうしたの?サリー」


「‥‥‥いえ、その‥。まるで、昔の皇女様に戻られたようで‥」


「‥‥‥え?泣いてる??」


「ま、まさか。泣いてなどおりません」


 サリーはそう言って、顔の前でブンブンと手を横に振った。


 本当は、魔女に体を乗っ取られていたのだと言ってしまいたい。でもそれは賭けだ。お父様の耳に入れば、『前皇帝が嘘の宣言をしたと言いたいのか』なんて言われてしまうかもしれないし、魔女が入り込んでいた不吉な体なんて、やっぱり魔女狩りと称して殺されるかもしれない。


「‥‥‥‥‥長い反抗期が、終わったのかもね」


 そう言って笑ってみると、サリーの瞳からは堪え切れずにポロっと涙が溢れ落ちた。こんな私の為に泣いてくれる人がいるんだ‥、と心が温かくなる。


 リセット魔法が使えても、どれだけの死を回避してどのくらい長く生きていられるかは分からない。でも、生きていられる限り‥もう2度と周りの人達を悲しませたくない。


「‥‥‥‥‥明日王宮に行き、新しいメイドを送ってもらえるように手配します。今日のところは、ごゆっくりとお過ごし下さい」


「わかったわ。ありがとう」



 昼までのやり直しのために2回もリセット魔法を使ってしまう程、怒涛のスタートだった。そりゃあ魔女もこの体を投げ出すわ、と自虐的に笑ってしまう。


 でも、私の為に泣いてくれる人もいる。ミーナのように、向き合える人もいる。‥魔女が行ってきたことを無かったことにはできないけど、今まで傀儡だった分‥‥‥これからは必死に生きたい。また魔女の過ちに押し潰されて心が折れることもあるかもしれないけど、やっぱり生きていたいよ。



 この日の夜、私は古い置き時計が8時を差したのを見て心臓がドクンと跳ねた。

 夜8時。ここからは10年間‥私の知らなかった世界。


 扉のノック音と共に、騎士のテッドの声がした。


「‥皇女様、今日の奴隷はギデオンです」


 まるで日課を告げているかのような、淡々としたテッドの声。確かに意識が飛ぶ時間帯、毎日こんな声を聞いていたような‥。

 たぶん私の意識が飛ぶタイミングは魔女の匙加減だったんだと思う。奴隷が部屋に来る前に意識がなくなることも多かったから‥。


 勝手に来るパターンなのか‥と扉の方を見ると、水色の髪をしたギデオンが控えめに私を見ていた。


「‥私、今日具合が良くなくて‥」


 テッドにもギデオンにも聞こえるようにそう言うと、テッドは直ぐ様かしこまりましたと頭を下げた。


「テッド‥」


「はい、なんでしょうか」


「‥‥明日も、奴隷は呼ばなくていいわ」


 ミーナのことは解決したし、今日はきっとこのまま無事に眠りにつけるはず。明日は奴隷たちと接触を図って、いつ爆発するか分からないノエルと向き合いたい‥。


 テッドがいつまで経っても返答をしないから、思わず眉を顰めてしまった‥‥んだけど、テッドは明らかに怪訝そうな顔をしていた。


 え、私‥何かおかしなこと言った?


「‥明日は満月の夜ですので‥もちろん奴隷を送りはしません」


 ‥‥満月だから奴隷を送らない??何故?!


「‥‥テッド。私ね、毎晩お酒に酔っていて‥」


「満月の日の約束は、皇女様が飲酒される前から続いていましたよね」


 ええっ。

なによその満月の日の約束って‥‥!!!


「‥‥‥‥」


「‥5年前から、満月の日には干渉するなと仰っていたではありませんか。夜絶対に皇女様の部屋を訪れてはいけないというのがルールでしたのに‥一体どうしてしまったのですか」


 一見洒落て見える丸眼鏡を携えて、テッドは呆れたように呟いていた。



 5年前‥。なかなかに歴史があるけど、私は10年前からの10年間、夜間の意識なんてない。

 満月の日の約束って‥一体なんなのよ‥。恐怖からか余計なことを考え過ぎて、体を取り戻してから迎える始めての夜はなかなか寝付くことができなかった。

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