第9話
ーー現在騎士団長を務める、リシャール・レイ・バートンは、5年前に初めて皇女に刃を向けた。
正確に言えば、皇女の中に入っている魔女に対して、だ。
リシャールは彼女がいつからか人格もろとも変貌したのを、ずっと疑い続けていた。リシャールと皇女に当時接点はなかったが、品行方正で聡明だと聞いていた皇女がみるみる汚名高くなっていくことに強い違和感を抱いていたのだ。
皇女と数名の従者のみが住む離宮の近くには、騎士団の屯所がある。リシャールはどうにか皇女の正体を暴くことができないかと、夜な夜な屯所から抜け出ては離宮の様子を探っていた。
まさかその皇女が箒に乗って目の前に現れるとは夢にも思っていなかった。
「ふぅん。ちょこまか探ってるやつがいると思っていたけど‥。すごく好みだわ」
箒から降り立った魔女はリシャールを頭の天辺から足の爪先までまじまじと観察した。
リシャールの真っ直ぐに落ちる長く黒い髪も、箒で現れた皇女を見ておきながら眉ひとつ動かさないそのポーカーフェイスぶりも、全て魔女好みだった。
顔立ちは非常に端正で男前だが、その瞳がなんとも冷たいのがまた良かった。
「‥‥皇女様の体に魔女が入り込んだ。この解釈で合ってるか?」
そう言って、魔女の喉元に剣を向けたリシャールに、魔女はうっとりと微笑んだ。
「理解力があるところも気に入ったけど‥よく考えてみなさい」
「?」
「あなたの言う通り私は皇女の体に入り込んでる。私が出ていけば彼女の体は彼女に戻るのよ。今私を刺せば、本物の皇女も死ぬわ」
「‥だからなんだ。皇女様だって、これ以上お前に好き勝手されるくらいなら死んだ方がいいだろう」
リシャールのその言葉に、魔女はプッと吹き出して嬉しそうに笑った。リシャールの言動を冷たく感じるかもしれないが、これには彼なりの優しさも含まれていた。
ーー魔女の行動は、皇女にとって屈辱でしかない。魔女は今を楽しんでいるようだから、簡単にその体を手放すとも思えないし、仮にその体が皇女に戻っても、その時の皇女の絶望を想像したら耐えられるものではないはずだ、と考えたのである。
「堪らないわ」
「何がだ」
「貴方みたいなタイプの男を、ずぶずぶにさせるのが私の趣味なの」
魔女がそう言ってウィンクをした途端、リシャールの心臓は鷲掴みにされたような感覚に陥った。
酷く明るい満月が、森の中の2人を照らす。リシャールの肌にはいくつもの太い血管が浮き上がり、目眩がし、目の前の白い肌に齧り付きたい衝動に襲われた。
「俺に、何を、した」
息が上がり、頬が紅潮していた。リシャールにはいつのまにか女の肌を突き破る為だけにある、吸血鬼の牙まで生えていた。
「私の魔法は、目と目を合わせることで成立するものが多いのよ。貴方に魔法をかけたわ。月に一度、満月の夜‥貴方はこの世で一番乱暴で欲深い吸血鬼になる。私の血が欲しくて欲しくて堪らなくなるわ。でも、大変ね。私の血を飲むと貴方は更に興奮して、欲情を抑えきれなくなる。私も貴方に血を吸われることで欲情してしまう。どう、最高でしょ?」
「おい‥魔法を解け、くそ女」
口調とは裏腹に、リシャールは既に魔女の両肩をがっちりと掴んでいた。
「この魔法は、貴方が真実の愛に目覚めるまで解けないわ。どう?世に溢れるよくあるお伽話みたいでしょう?でも、貴方には真実の愛はきっと見つけられない。だって月に一度、貴方はこの国の皇女を襲いたくて堪らなくなっちゃうから。って、あらあら。もう我慢できないのね」
リシャールは無我夢中で、魔女の首筋に牙を刺していた。ある程度血を飲むと、欲しいのはもう彼女の血ではなく、体だった。
その後の展開は、魔女の言葉通りである。2人は満月に照らされながら互いを求め合い、陽が登るまで欲情し続けた。ポーカーフェイスである筈のリシャールが、快楽に顔を歪ませているのを見て、魔女はここ最近で一番の幸せを感じた。
ーーリシャールは魔女の魔法のせいで、満月の夜に吸血鬼になってしまう。
それは、5年経ち騎士団長にまで上り詰めた今でも変わらない。
満月の夜に箒で離宮からやってくる魔女と、森の中での密会。
何度も魔女を殺そうと思ったが、満月の夜には彼の理性はない。
それ以外のタイミングで魔女と対面した時も、魔女はいつだって魔法を使ってその身を守っていた。
世の人々から嫌われ、恐れられていた魔女の力は、やはり並大抵のものではなかったのだ。
よって、リシャールは魔女の命を奪えずにいた。
それどころか、その魔女にまんまと魔法をかけられてしまったせいで、皇帝にも魔女の存在を報告することができなかった。
魔女の魔法のせいとはいえ、皇女の体を貪っているのは事実。抗えない欲望のせいで、何度も何度も罪を重ねている。
リシャールは自身を毎日責めながら、魔女を討つことだけを考えてがむしゃらに己を鍛え上げた。結果、若くして騎士団長にまで上り詰めたのだ。
リシャールは今日も、魔女をどうすれば殺せるかだけを考えている。
‥もう皇女の体は魔女のものではないということを知らぬまま。
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