第6話


 ミーナだけではなくレオンまで死んでしまった。あまりに衝撃的な出来事にガタガタと体が震えだす。


「ひっ‥‥」


 全力で叫びたかったけど、叫んでノエルを拒否したら直ぐに刺されてしまう気がした。心臓が痛い。耳にも心臓が付いているんじゃないかと思うほど、面白いくらいに鼓動が煩い。


 走って逃げ出したいけど、それは確実に私の寿命を縮ませる行為だと思う。なんとか心を落ち着かせようと、息を小さく長く吐き続ける。


「皇女様、どうしたの?」


 美しい顔をうっとりと歪ませるノエルは、牢にいた時のノエルとまるで態度が違う。ノエルは奴隷用のワンピース状の服ではなく、適当に拵えさせたシャツとズボンを身に付けていた。

 自由に出て行っていいといったのに、わざわざレオンを殺してまでここに来た。‥いや、地下牢からここまでの間に他にも誰かしら殺している可能性もある。どこで手に入れたかわからない短剣を手にしているし。


「‥‥ノエル‥」


 その天使のようなノエルの頬を、返り血がのっぺりと赤く染めている。


 リセットしないといけない。このまま次の日を迎えるわけにはいかない。いまリセットをすれば、今日2度目のリセットになる。リセットは1日3回まで‥。

 前回も今回も、まだ昼だから‥もしこの後に何かが待ち受けていたとしたら、いくら1日3回のリセット魔法を授けられていたって、間に合わない可能性だってある。


 ーーー‥どうせリセットするならば、実のあるものにしなければ。


「‥ねぇ、皇女様?俺のこと捨てたりしないよね?」


 ‥‥敗戦国の貴族が、どうしてここまで魔女に依存したんだろう。

何かきっかけがあった‥‥?ただ魔女が選んだ奴隷のうちのひとりに過ぎない筈なのに、どうしてノエルはここまで病的に魔女を想っているんだろう。


 私が知らない夜の時間が、私を酷く焦らせる。


 ‥でも、仮説がひとつ。きっと誰もが認める悪女に、簡単に心を開く筈がないと思う。だから‥‥


「‥‥私たちって、幼い頃にも出会っていたよね?」


 人形のような、天使のような‥‥そんなノエルの整った顔を見つめながら恐る恐る尋ねた。幼かった頃の私の記憶に眠っていた、幼きノエルの姿。それが本当にノエルだったのかも定かではないくらいの、薄らとした記憶。


 ノエルは大きな瞳を丸くさせて、ごくりと息を飲み込んだ。


「‥‥俺のこと、思い出したの‥‥?」


 その瞳には純粋さが滲み出ていた。まるで、突然訪れた幸運を信じられないと言いたげに、ノエルの声が震えている。


 ーーーやっぱり‥、ノエルが私に依存する理由は‥昔の知り合いだったから‥?


「‥‥昔、カートライト帝国に来てくれたことがあったよね」


 心臓が煩い。目の前にいるノエルが、いつ牙を剥くか分からない。未来がわからないが故に、丁寧にノエルの反応を探った。


 じわりと目を潤ませたノエル。まるで念願が叶ったかのような彼の姿に、段々と焦りすら感じ始める。

 なんとなく幼い頃会った記憶はあったけど‥その当時の記憶なんてさっぱり覚えていない。もし私に固執する理由が過去であったとしても、これ以上は思い出せなそう‥。


 ーーリセットしたあと‥一生ノエルを牢に入れたままでいるなんて出来ればしたくないけど、まるで時限爆弾のようなノエルを外に出して無事に済むとも思えない。

 もう私は魔女じゃないから、夜な夜なノエルを部屋に呼びつけることだってないし、牢に入れたままノエルは更に病んでしまうかもしれない。


 どうすれば‥ノエルを拗らせないで済むんだろう。そんな方法、もうどこにもないのかな。


「俺‥あの時初めて皇女様に出会って、一目惚れだったんだぁ」


 返り血さえ浴びていなければ、いまのノエルはただ純粋に淡い恋を語る少年なのに。

 ーーどうせリセットするんだから、色々と踏み込んでノエルのことを知っていかないと。


「‥‥‥そうだったんだね。ノエル、あのね。私、信じてもらえないかもしれないけど、10歳の頃からずっと魔女に体を乗っ取られていたの‥。今日体を返してもらえたんだ。奴隷たちを買っていたのは魔女の趣味だったから‥だから、私は今日みんなを解放したの」


 ノエルはきょとんと目を丸めた。この間が、とてつもなく怖い。いつでも指を鳴らせるようにしながら、ノエルの反応を探る。


「え‥?魔女‥‥??」


「‥そう。いつも夜になると私の意識は飛ばされてたの。だから、昨日までの私がノエルとどんな日々を送っていたのか私にはわからない」


「‥‥‥う、そ‥でしょ?じゃ、俺‥皇女様じゃなくて、魔女に心を救われてたの‥?」


 魔女が一体どのようにしてノエルの心を救っていたのかはわからないけど、ノエルを真っ直ぐ見つめながら小さく頷いた。


「‥うん。ごめんね。幼い頃に出会ったのは私だけど、昨日までノエルと触れ合っていたのは私じゃない」


 ノエルは心臓あたりを抑えながら、目に涙をためて首を横に振った。


「‥‥そんなの、そんなの俺を、遠ざける為の嘘だ!!」


 信じたくない、と叫ぶ彼は心の底から傷付いているようだった。


「本当だよ。だから、ノエルのことを“大好き”と言った私はもうここにはいないの」


「‥っ」


 ノエルは嘘だ嘘だとシクシク泣き続けた。でも昨日までと違って私はドレスを着ているし、喋り方だって違う。ノエルは段々と現実を受け入れ始めた。


「私のこと、殺したい?」


「‥わか、らない‥」


 結局そのあと、暫くの間ノエルは静かに泣き続けた。

ノエルにはきっとこうして素直に魔女の存在を伝えるのが効果的なんだ。


 ずっと目の前に横たわったままのレオン、部屋で泡を吹くミーナ。この異常事態に誰も騒ぎ立てない城内。

 ここまで時間が経つと、ノエルが粗方みんなを殺してしまったんだということが想像できる。


 すっかり大人しくなったノエルを見つめながら、私は2度目のリセットを行った。

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