応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • この時代は上も下も己の欲望と保身に忠実で、人間らしいと言うか、
    泥臭すぎると言うか、そんな感じですね。

    ただ、このエッセイの文章そのものは、書き方が固すぎると思います。
    歴史嫌いが通読するのは難しい様な…。
    起った事を羅列している様に見えるので、キャラクターを
    もっと押し出した方が良いと感じました。

    作者からの返信

    お読みいただきありがとうございました!

  • おはようございます。
    参加していただいた自主企画「『太平記』の世界」について、まとめを作りました。
    ご笑納いただければ幸いです。

    https://kakuyomu.jp/works/16816452219697894912/episodes/16816927861064246385

    ありがとうございました!

    作者からの返信

    企画運営ならびにお読みいただきありがとうございました!
    そちらでもお褒めいただきとても嬉しく思います。重ね重ね、本当にありがとうございました。

  • さいごにへの応援コメント

    お疲れ様です。

    とてもわかりやすかったです。ありがとうございます。

    こうやって概観してみると、色んなエッセンスがこの時代には詰まっているように見えますね。

    分裂の始まりは、後嵯峨天皇ですが、彼自身、幕府の強い意向に従って即位した天皇であり、もはや天皇と言う存在は「幕府なしでは成り立たない」ものになっていく。本来なら公家が行わければならなかったものを幕府が肩代わりせざるを得なくなり、「もう一杯一杯だから、面倒はやめてね」と、生まれたのが、文保の和談。

    ただし、そうなるとピンチヒッターの後醍醐はたまらない。それが討幕運動へと繋がっていく。とは言え「幕府を倒すしかないじゃーん」って感じの軽いノリで始めたようにすら見えるこれが成功してしまう一因にはやはり「権威」というものの存在が見え隠れしますね。

    天皇の実効性はなくなったものの、「権威」はこの時代だけでなく、日本の歴史を通じて意味を持ってくるわけで、それが分裂してしまったのがこの時代ですから、荒れるのはある意味当たり前。「大義名分」さえあれば強い方が勝ち、それを無くすといくら強くても勝てない。

    ちなみに私的には、尊氏が引きこもりになって弟任せにせずに、ちゃんとやってれば観応の擾乱は起きなかったとは思うのですが、二頭体制にしてしまったがために拗らせてしまいましたね。

    天皇の権威を尊重し、その上で幕府の礎を気付こうとした直義と、荒くれ者たちの言葉を代弁し、天皇なんか「木か金で作ればいい」と言い張る師直。もう対立は必至。

    さらには尊氏には直冬という白拍子に産ませた子供がいるし、各地で「悪党」どもが幅を利かせるわ、中先代の乱を起こした北条時行なんかが元気に飛び回っていたりするわで、あらゆる対立が事あるごとに2つに分かれた「権威」と結びついて、あっちに行ったりこっちに行ったり。

    このグラグラ感が、この時代の魅力なので、いろんな角度から眺めてみると、ひょっとしたら一番面白い時代なんじゃないかなと思って、最近、すこしずつ本を読んでいます。

    個人的には光厳院あたりの視点からこの時代を眺めてみるのもアリかなと。地獄を二度(?)も見た天皇ですね。なかったことにされたのが3回(笑)

    その内、なんか書けたらいいなぁ。その時はまた参考にさせてもらいます。

    作者からの返信

    こちらこそ、これほどまでに熱心にお読みいただき光栄です!
    いずれもおっしゃる通りで、夢蜻蛉のこのコメントが素晴らしき要約となっていますね。

    南北朝で朝廷が、応仁の乱・戦国で武士の権威・権力が再検討され、そしてその結果として数百年の徳川幕府と「禁中並びに公家諸法度」の関係性。
    そういう意味では、とことん社会矛盾が露見し、動き出した(動乱)時代なのでしょうね。

    『太平記』における出家後の行脚など。私も光厳院には興味がありますので、自他含めて、今後の南北朝カクヨム作品に期待です!

    微力ながら、御執筆の一助となれるようでしたら幸いです!

  • さいごにへの応援コメント

    完結、おつかれさまでした。
    これほどまでに見事なエッセイがカクヨムにあったとは、と頭が下がる思いです。

    私自身が南北朝に興味を持ったのは、「新田義貞の鎌倉攻め」を書こうと思ったことがきっかけでした。
    その時、カクヨムの中で南北朝について検索しなかったのは失策だったなぁ、と思うくらい、素晴らしいエッセイでした。
    今後、南北朝について書く時は、このエッセイを参考にして書かせて頂こうと思います。

    それでは、最後に。
    面白かったです!

    ではではノシ

    作者からの返信

    こちらこそ、企画立案ならびに最後まで熱心にお読みいただき、本当にありがとうございました!

    数々のお褒めの言葉、非常に恐縮ですが、それと同時にとても光栄です。
    簡略的であったり、拙い箇所もあったでしょうが、微力ながら素晴らしき作品の一助となれれば幸いです。

    ではではノシ

  • 7:歴史から消える旧南朝への応援コメント

    「禁闕の変」とか、神器を守って奮戦するお公家さんがいたりして、創作意欲をそそられる事件だと思うんですけど、たぶん誰も書いていないんですよね。
    「長禄の変」や赤松氏と絡めれば面白いと思うんですけど。
    足利義教の小説も出てきているんだし、こういうのを扱った作品が出てもいいと思うんですが……^^;

    西陣南帝、日本史苦手な人からしたら「もういい加減にしろよ」と言いたい案件でしょうね(笑)

    しかし熊沢天皇まで……超懐かしいです。
    結局北朝でないとアカンから、という結末になるのが何とも言えません。

    面白かったです。

    ではではノシ

    作者からの返信

    そうですよね。それこそ吉野の山ほどに奥深い世界なのに(だからなのかもしれませんが)。専門書もほとんど絶版…………

    歴史のifを書くに際しては西陣南帝も熊沢天皇も面白そうですけどね(笑)

  • 授業では、足利義満が南北朝合一を達成した、とか習います。
    けど、実は義満が「両統迭立」で持ち掛けたので、あとになって南朝が「あれ? 次はこっちでしょ?」となるのが何とも言えません。

    楠木正儀、この人もいろいろと苦労が絶えませんね。
    これだけマクロにものを考えられる人って、この時代滅多にいないからこそ、可哀想なイメージです。

    面白かったです。

    ではではノシ

    作者からの返信

    義満の提案であって、北朝のしっかりとした合意があった訳ではないようですね。こういう詐欺に近い余地が、のちのち明治・昭和において「南朝こそ正統」という考え・イデオロギーを生みだしたのでしょうね。

    ある種、いずれかの信者的でないとこの「動乱」に希望は見出しがたい………。

  • 新田義貞も頑張った方ですけど、いかんせんブレーンがいなかったことが痛かった印象です。
    師直や直義に匹敵する人材がいるかというと、そりゃ無理ですけど。
    北陸で踏ん張るのは悪くない構想でしたけど、他の南朝勢力との連携が……。

    征西大将軍は初耳でした。
    明からすれば、そりゃあ近場で済ましたくなるでしょうし、倭寇対策だったら、なおさら九州にいる人を選びたくなるでしょうね。

    面白かったです。

    ではではノシ

    作者からの返信

    なるほどブレーンですか!
    確かに義貞の他にいる南朝軍は北畠顕家など、誰が大将かあやふやであったかもしれませんね。それに対して、総大将は尊氏で、それを補佐する人々がいた……
    (師直の職は「執事」でしたし。)

    もし明に南朝が援助を願っていれば、結果は変わったかもしれませんが、明の臣下にならざるを得ないなど、葛藤は多いですね。

  • このあたりの時期が分かりにくいために、南北朝は避けられる傾向にあると思います。
    授業でもさらっと触れて終了で、「さ、足利義満について……」となってしまいました。
    私も今になって執筆のため勉強しましたが、よく分からなかったので、非常に助かります。
    しかし楠木に始まり、楠木に終わるとは……歴史の妙というものですね^^;

    あと、私の近況についてお察しいただき、まことにありがとうございます。
    息抜きという意味でも見させていただいておりますので、どうぞ、お気になさらず。

    ではではノシ

    作者からの返信

    とにかく明らかなのは南朝は負けがちということでしょうね(笑)
    楠木はゲリラ戦的であったようですし、他の武将の合戦であれば、実力の差で勝敗が決まってしまうのでしょうね。だからこそ楠木に終わる……

    はい、ありがとうございます。どうぞご参考になれば幸いです!

  • 4:南北朝・シーズン1への応援コメント

    簡にして要を得たダイジェストだと思います。素晴らしいです。
    しかし、賀名生って、この時点では叶名生だったんですか!?
    何も知らずに賀名生って書いてました……。

    面白かったです。

    ではではノシ

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    どうやら改めて賀名生という名は付けられたようです。
    しかしそれも南北朝時代の内ですので、もしかするとセーフかも?(笑)

    それと、近況ノート拝見しました、どうぞお大事に。これまでお読みいただきまことに恐縮です。

    編集済
  • おさらい編:後鳥羽上皇への応援コメント

    後鳥羽上皇も、なかなかの人生を送っておいでです。
    たしかに上手くいっていれば、公武合体的な王者、覇者として後世に伝えられたかもしれません。
    しかし……というか、北条一族が異常という印象です。
    しかも、うまいこと御家人を動員してけしかけて、勝ってしまうとかありえないでしょ、と^^;

    面白かったです。

    ではではノシ

    作者からの返信

    お読みいただきありがとうございます。

    「馴染みのない天皇(後鳥羽)Vs.リーダー(北条)」なのに対して、
    もしかすると「綸旨万能主義で、何でも自分で決めた後醍醐Vs.圧政を強いた北条」という構図の差が、結果を変える一因となったのかもしれませんね。

  • ここで護良親王ではなく、足利尊氏を征夷大将軍にして、後醍醐天皇の下の足利幕府という形にソフトランディングを……できるわけがなさそうですね。

    陸奥将軍府、これがうまくいったとしても、後々、某関東公方と同じ運命をたどりそうなところがなぁ、と思います。

    さて、足利尊氏も、さすがにこのままじゃまずいと思ったのか、ついに鎌倉に起つワケですが、この人もなかなか本気にならないからなぁ……^^;
    持明院統をかつぐなど、目の付け所は良いと思うのですが。

    面白かったです。

    ではではノシ

    作者からの返信

    後醍醐天皇が捕まっている間に護良親王が約束した恩賞と、武家の棟梁であった尊氏が武士たちに出したい恩賞と、親政で後醍醐天皇の決めた恩賞などなど、それぞれの思惑に矛盾が生じてきたのでしょうね。
    ありがとうございます!

  • 2:二度の討幕計画への応援コメント

    今風に言えば、やはり後醍醐天皇は「持ってる」人だったんでしょうね。
    あれだけやらかしておいて、それでも天下を取っちゃう展開は無いでしょ……と言いたいです(笑)

    しかし、天下を取って、名実ともに帝として建武の新政を始めたのはいいんですが……。
    登りつめたら、その後は周りが見えなくなったというか、理想に殉じたというか……^^;

    面白かったです。

    ではではノシ

    作者からの返信

    親政と言いつつ、ある種、成り上がり者な側近がはばをきかせたというのも、武士サイドにとっての不満の種だったようですね。
    そういう意味では、「持ってる」のを過信し過ぎたのかもしれませんね(笑)

  • 1:討幕前夜・両統迭立への応援コメント

    この「治天の君」って言葉が謎でした。
    そういう設定だったんですね。
    そして後醍醐。
    こういう「中継ぎ」に限って、史上、傑物が登場するのですが、後醍醐天皇もそうだったんですね。

    勉強になります!

    ではではノシ

    作者からの返信

    現代の上皇を「太上天皇(だいじょうてんのう・だじょうてんのう)」とは呼ばないなど、
    色々と時代ごとに変化もあって難しくもありますが、少しでも分かると理解が進んで面白くなりますよね。

    少しでもそういった豆知識が、いろいろな方々の小説に活かされれば、この上もなく嬉しいです!

  • はじめにへの応援コメント

    企画への参加、ありがとうございます!
    綾波さんといえばアオハルとかヤンデレだと勝手に思っていましたが、南北朝時代もいけるとは!
    私も、学生時代は「ふ〜ん」と思っていた南北朝時代、今改めて触れてみるとこれが面白くて……。
    そんな訳で読みに来ました!
    よろしくお願いします!

    作者からの返信

    こちらこそお読みいただけた上に、お知りおきいただけていたとは光栄です!

    私は後醍醐天皇から関心を持ったのですが、今は北畠親房や光厳天皇の方が好きですかね(笑)