セミと補習 2


「さ、はよ帰るで」


 海斗は結局わけが分からないまま怒鳴られ続け、やっと私の機嫌が直ったことに安心したように自分も立ち上がる。


 そして、私たちはいつものように一緒に自転車置き場へ向かう。私は海斗の自転車のかごに自分の鞄を突っ込んでさっさと荷台へちょこんと座った。それを見届けた海斗が前のサドルに乗り、自転車を漕ぎ始める。


 学校への行き帰りはいつもこうして自転車で二人乗りをしている。危ないので良い子はマネしないように。もちろん、先生に見つかると厄介なので、大抵は学校へ入ってから、または学校を出るまでの間は自転車を押していく。


 毎朝毎夕のその光景を見たクラスメイト達は今日の調子ノリの国見のように私たちを時たま冷やかすが、別に私と海斗は付き合っているわけではない。お互い告白してもいなければされてもいない。私たちはただの幼馴染で腐れ縁。その証拠に、私は現在進行形で彼氏大募集中だ。


「もう夏やな~蝉も五月蝿いし、明日からや~っと夏休みやしな~」


 蝉の声にも負けないいつもの大きな声でそう言った海斗の言葉に、私は半分呆れながら言葉を返す。


「あんた、爆睡してて知らんやろうから教えたるけどな~私ら、明日から一週間ずーっと補習やねんで」


「はあ!? なんでぇ!?」


 寝耳に水の言葉に、思わず振り向いた海斗。その拍子に自転車が大きく揺れて、危うく自動車がビュンビュン走っている車道に飛び出すところだった。


「あ、あぶ、あぶないやろ! 前見て運転せえ、前見て!! まったく、あんたは私の一週間どころかこの先の人生全部奪う気か!?」


 私は未だに煩く鳴っている心臓を押さえながら、海斗の大きな背中を叩く。


「はは、ごめんごめん。それよか、なんで俺らが補習なんて受けなあかんねん」


「なんでも何も無いわ。私らがアホやからやろー」


「ははっ、それは違いないな~」


「笑い事ちゃうわ。明日からもちゃんと迎えに来てや、寝坊したら許さんからな~!」


「わかってる、わかってる」


 そう言いながら海斗がハンドルを切って角を曲がると、そこはもう私の家だった。そしてその隣は海斗の家。


 私はひょいっと慣れた動作で身軽に自転車を降り、海斗が鞄を私に向かって投げる。それを受け取って、「じゃあ明日~」と気だるく手を振って家の門をくぐる。それを見届けながら海斗は、「お~」と声を投げかけて自分も家の中へ入っていった。





 ――翌日。今日も太陽は元気いっぱいでうだるような暑さだった。


「えー加減にせえよ! 太陽のドアホー!!」


 私は海斗が漕ぐ自転車の後ろで、あ゛ー!! と叫びながら言う。


「太陽は有給を取りなさい!! そして海で一泳ぎしてきなさい!!」


 そんなありえない命令を、そ知らぬ顔で輝き続ける太陽に向ける私の顔には汗がだくだくと流れている。そして、そんな私の前で自転車を漕いでいる方の海斗はもっと汗を掻いていた。


「なんなん、夏!! もう嫌や!! 祭りも花火もプールも海も出会いも無い夏なんて、ただ暑いだけやんけー!!」


「何言うてんねん、夏はまだ始まったばっかやろうが」


「出だしが悪けりゃ全て悪しや! モチベーションが地の底なんやけど~」


 二人の会話は、蝉の声にかき消されないよう、かなりの大音量だ。聞こえてくる鳴き声から想像すると、かなり大量の蝉が止まっているであろう木々が生い茂る道。その中を自転車で颯爽と通り抜けながら、ふと思う。


「それにしても、蝉って何処で鳴いてるんやろ~?」


「そりゃ、木の上やろ」


「そんなん分かってるわ、アホ。ただ、蝉が鳴いてる声は聞こえるけど、蝉の鳴き声が聞こえてくる木を見上げても蝉が鳴いてるとこって見いへんな~って思ったの」


「あー、そう言われてみれば、そうかもな~」


「見るんは、道路の端っこで転がってる蝉の亡骸ぐらいや」


 そう言うなり、自転車が横を通った風圧でゆらゆらと揺れる蝉の死体を通り過ぎ様見送った。夏一番に鳴き始めた蝉たちが続々と寿命を迎え始めたのだ。


 すると突然、海斗が急ブレーキを引いて、自転車のハンドルを曲げた。自転車が大きく傾いてガシャーンッと大きな音を立てる。自転車は私と海斗を乗せたまま豪快に道の脇にずっこけた。


 道の脇はちょうど川原の土手になっていて、茫々と生い茂っていた草が自転車から振り飛ばされた私の体を受け止める。何が起きたのかよく分からないままに、勢いに乗って草叢を転がり、ようやく止まった。かなり吹っ飛んだ気がするが、不思議と痛みはあまり感じない。


「ってェ~……! あ、紗良! 大丈夫か!?」


 少し離れたところで起き上がった海斗が、仰向けに寝転がっていた私を見つけて慌てて駆け寄ってくる。その気配を感じながらも、私は草叢に背中を預けたまま、きれいに晴れ渡る青い空を見上げていた。眩しい空と入道雲の白さ。太陽に暖められた少し湿っぽい土と草の匂い。耳というより頭に鳴り響く蝉の声。ああ、夏だなあ。


「紗良!?」


「……――青が、空いなぁ」


「は!?」


 空を仰いだまま呆然とそう言った私に、海斗が怪訝そうな声を上げる。


「だ、大丈夫か紗良!? 頭打ったんか!?」


「なによ、人がおかしくなったみたいに」


「いや、おかしいやろ!」


「私はただ青が空……あ、間違えた。空が青いや。アハ」


「アハ……って、やっぱりおかしいで、紗良」


 海斗は何か恐ろしいものを見るような目つきで私を見つめている。


「おかしくないわ。ただびっくりしすぎて言葉が混ざったって言うか。つーか、何!? なんであんな何も無い所でずっこけるわけ!?」


 私はガバッと勢いよく起き上がって、道とその辺にこけたままの自転車を見る。


「あ~、ははっ、悪い。道に蝉が落ちてたから。避けようとしたら転んでもうた」


「蝉?」


 私は這うように土手を登って、道を見る。すると、確かに海斗の言ったとおり道の真ん中に蝉が一匹力尽きて転がっていた。


「……ホンマや」


 その鳴かなくなった蝉の姿に、なんとなく遣る瀬無くて、切ない気持ちが込み上げてきた。


 ――こんなに一生懸命、命を懸けて鳴き続けても、人間には煩くて暑苦しいと煙たがられて、死んだら死んだで、誰にも惜しまれることも悲しまれることもなく、ただ道に転がる。


 そんな蝉がどうしようもなく哀れに思えてきた。


 運よく、ここを通った自転車を漕いでいたのが海斗でよかった、と思う。もし、他の人間だったら、蝉を踏むことを選ぶか自分が転ぶことを選ぶかといって、自分が転ぶという選択肢を選ぶ人はそう多くは無いだろう。その証拠に、私が今まで道端で見てきた蝉の何匹かはもう踏まれて潰れてしまっていた。


「埋めたるか。コンクリートの上じゃ、土には帰られへんし」


「うん」


 普段はおどけているし、いろいろとイラつくことが多い海斗だが、本質的には周りにいるどの人間よりも「いい奴」だと思う。


 土手の土を掘り返して、二人で蝉の亡骸を埋めた。


 しばらく曲げていた腰をうーんと伸ばして立ち上がった私たちの耳に、四方から蝉の鳴き声が聞こえてくる。 


「この煩い蝉の声は、死んだ蝉を送る鎮魂歌やったりしてな」


「かもなあ」


 蝉の声に耳を澄ませながら、目の前でカッターシャツに汗を滲ませている海斗の背中を見て、授業中のあの丸まった背中を思い出した。


 きっと、今日補習に行ったところでこの男はいつものように平然と居眠りをするだろう。そして、それを見た私も、きっと居眠りをしてしまうだろう。そうなる自信があった。


「昨日まで煩かった蝉が、もう死んでまうなんて。早いよな~、まだ夏はこれからやのに」


「しゃーないわ。蝉が地上に出てきてからの寿命は一週間くらいらしいからな~」


「一週間、か~」


 海斗の言葉にそう呟いてからもう一度土手に座り、ごろんと草の上に寝転んだ。


「それって、私らの補習と同じ期間やん」


「せやな~」


 海斗も言いながら、私の隣に寝そべる。


「蝉がそれまでの人生懸けて必死で鳴いてんのに、私らは何してるん!? こんなんでええん!? ええわけないやろ!」


 寝転んだまま拳を青い空に突き上げて力説し始める私。


「もっと、この一週間に誠心誠意をこめて向き合わなあかん!」


「おー」


「てなわけで、補習なんてしてる場合ちゃうわ、海斗!」


「ええ!?」


「もっと一週間という長く短い時間を謳歌しに行くで!」


「補習どうすんねん」


「そんなんサボりや、サボり!」


 草の上から身を起こして座り直すついでに、私はすっかり開き直っていた。そんな私に最初は驚いてみせたものの、やはり似た者同士の幼馴染。海斗はニッと笑んで日焼けした顔に白い歯を光らせた。「せやな、サボりや!」そう言うなり立ち上がって自転車を起こす。


「で、どこ行くん?」


「決まってるやん、夏といえばー?」


『甲子園!!』


 私と海斗は見事にハモった。さすがに付き合いが長いだけはある、とお互い目を合わせて笑う。


「野球では行かれへんくても、自転車で行ったる!」


「おお! 海斗、その意気や!」


 すっかりテンションが上がった私たちは二人で自転車に跨った。


「ところで、甲子園ってどっち?」


 自転車を漕ぎ出そうとした海斗が、ふと大事なことを思い出したように足を止めて振り返る。


「兵庫やろ、なんとなくあっちの方ちゃん?」


「マジか。そんなノリなん? え、地図は?」


「そこは真面目か」


「いや、さすがに道も分からんのに行かれへんやろ」


「海斗、アホのくせに細かいねん。ノリで行けや。どこまででも乗せてったるって言うとけや。紗良を甲子園へ連れてってーや!」


「いや、アホでもさすがに考えるやろ。ニケツもしんどいねん。しかも紗良、あんま軽くはないしなぁ」


「おい、何レディに向かって重いとか言うとんねん。しばくぞ」


「痛い痛い! 言いながらしばくなや! しかも、重いとは言うてへんし! 軽くはないて言うたし」


「同じじゃボケぇ!」


「あーもう悪い悪い! しゃあない、何処まででも乗せてったらァ!」


『よっしゃ! 目指せ甲子園~!!』


 私たちはそう叫んで、甲子園へと自転車を走らせた。




END




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


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セミと補習〈2話完結〉 PONずっこ @P0nzukko

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