セミと補習〈2話完結〉

PONずっこ

セミと補習 1




 じーわじーわと暑苦しい空気の中、いい加減休まないと羽根が千切れるんじゃないの、と思うほど窓の外でミンミン鳴き続ける蝉。


 さっき配られたプリントはもう汗で湿っている。


 ――暑い……。


 この教室にいる全員が今そう思っているだろう。


「えー、明日から待望の夏休みなわけやけど……」


 教卓の前に立って、いつも以上にだるそうな声を出す担任の浅田先生。


 ミンミンミンミンという何重にも重なる蝉の声にとり付かれた様になって、浅田先生が何を言っているのかだんだん分からなくなってきていたその時だった。


「松下と水嶋ー」


 かろうじて自分の名前が挙がったことに気付いた私、水嶋紗良みずしま さらは、ゆっくりと机にへばりついていた頭を持ち上げた。同時に、汗で頬っぺたにくっついていたプリントがペラリと剥がれ落ちる。私と一緒に名前を呼ばれたもう一人、松下海斗まつした かいとは前の席で、汗ばむ背中を丸めて机に突っ伏したまま起きる気配もない。


「お前らー夏休みの最初の一週間、補習やから」


 その言葉に、私は一瞬眉毛をぴくんと上下させる。「はあ?」と暑苦しさと浅田先生の言葉の不可解さに苛立って声を荒らげた。


「先生ー、何言うてるか聞こえへんかったんやけどー。アレ、蝉がうるさすぎてー」


「お前ら夏休み補習やからー」


 浅田先生はさっきと変わらない声の張りでもう一度同じセリフを繰り返す。


「はあ~? なんでぇ!?」

 

 私は思わず立ち上がっていた。


「なんでもクソもあるか。お前らがありえんくらいアホやからや」


 そう言った先生の声には少なからず怒気がこもっている。


「アホなんは知ってるけど! なんで私らだけ!? 他のみんなは!?」


 そう言いながら周りの席を見渡す。すると、皆哀れんだ目や、蔑んだ目で私を見ては、笑ったり溜め息を吐いた。


「一学期に現国で赤点取ったん、お前らだけ」


 浅田先生が呆れた顔で、これから渡す予定の通知表を二枚抜き取って、ピラピラと全員の前に曝した。前から二番目の席にいる私には、その通知表に書かれた名前も数字もはっきりと見て取れる。自慢じゃないが視力は二.○だ。その立派な視力で見た二枚の通知表は、私と海斗のものだった。


「わあああ!! ちょっ、先生何やってんの!? プライベートの損害やあ!」


「ソレを言うなら、プライバシーの侵害な。ったく、これやからお前は現国がピー点なんや」


「な、なによ!? そんな放送禁止用語みたいな言い方やめてくれる!?」


「十分放送禁止用語やろうが。お前今回の国語の平均点がなんぼか知ってるか?」


「平均? そんなん知るわけないやん」


「八十五や」


「……ええええ!?」


 平均点で八十五点。まずありえない数字だ。


「ありえへんやろ!? ええ!? このクラスで!? は、八十五!? ええええぇ!?」


「ありえんのはお前やアホ」


「そうやぞ、水嶋ー」


 右隣に座っているかっこつけ男の安田がはあ~っと深い溜め息を吐いて、左隣に座っているチャラ男の田辺がからかうように言って笑った。


「なんで!? なんでみんながそんな良い点取れるんよ!? あ、分かった!! コレは夢なんか!! そうかそうか、そうに違いなっ!!」


 開き直ろうとした私のおでこに、真っ白で長い新品のチョークが直撃する。


「ったいな~!! 何すんねん!」


「夢ちゃうやろ」


 あ、ホンマや、痛かった。私は呆然とそんなことを思ってから、がくりと項垂れて椅子に座った。


「ったく、なんでいい点が取れたんかって? 俺から言わせたら、なんでお前らがいい点取れんかってん!? っつー話や。この心優し~先生が丹精こめてあんなもんまで作ってやったっちゅーのに」


 浅田先生は嘆くように言って、額を押さえた。


「あんなもん?」


 クエスチョンマークが飛び交う私の前に、安田が「これや」と言いながら一枚のプリントをちらつかせた。浅田先生が作った『あんなもん』とは、本番の試験と全く同じ問題が並べられたプリントだった。――つまり、テスト問題を事前に配っていたということだ。


 その事を今更ながらに知った私は、また「ええええ!?」と蝉にも負けない大声で叫んだ。


「そ、そんなプリントあったぁ!?」


「紗良は居眠りしとったから聞いてなかったもんねぇ」


 安田の前の席にいる黒髪美少女の真紀ちゃんが哀れむような目で私を見る。


「そんなあ~……。つーか先生、そんなことしていいん!?」


「いいわけないやろ。それやのに、俺が危険を犯してまでお前らにいい点取らせて、補習をゼロにし、夏休みを満喫するという予定をお前ら二人がみんなぶち壊しにしたんや。この責任はきっちり取ってもらうからな」


「……うう」


「ちなみに、クーラーは先週からやけど、ぶっ壊れてきかへんままやから」


「ええ!? こんなクソあっつい部屋で勉強なんて出来るわけないやん!」


「おーい、お前分かってんのかー? 一番かわいそうなんは先生なんやからなー」


「もう嫌やー!! 全部こいつのせいや!!」


 私は言いながら、前の席でずっと気持ちよさそうに寝息を立てている海斗の椅子を蹴り飛ばした。それでもなお、海斗は眠り続け、何の夢を見ているのか、いきなり笑い出す始末だ。


「先生ー! コイツとクラス変えてくださいー!!」


「クラス変わりたかったら、居眠りせずに真面目に勉強せえ。ほんなら、勝手にクラスも変わるわ」


 この高校は成績順でクラス替えが行われる。ちなみにこのクラスは最悪最低のおつむ達が集まった最下位のクラスである。


「そんなん無理!! 先生に分かる!? 目の前の席でずーっとぐーすかぐーすか気持ちよさそ~に眠る背中を見せられる私の気持ちが!」


「じゃあ、お前に分かるんか? 最前列とその真後ろで授業一時間丸まる居眠りされ続ける教師の気持ちが」


「……うっ」さすがに言葉に詰まりながらも、私は負けじと抗ってみる。「そ、それやったら、せめて席替えしてや~。こいつの後ろの席におったら、私一生このまんまやって」


「席替えやったら、この間したやろうが」


「しても、こいつが私の前なんは変わってへんやんか!」


 浅田先生の言うとおり、一か月ほど前に席替えは行われた。だが、結局私と海斗の席の関係は変わらず前後だ。最初は名前の順で、松下、水嶋で前後だった。次にくじ引きで席替えをしても同じ前後で、またくじ引きをしても前後だった。


「もう一回! もう一回やろう!」


「あのなあ、水嶋ー。お前らのために席替えばっかやってられると思うか。くじ引きやってもやっても、お前らは前後や。こういうのをなんて言うか知ってるかー?」


「なによ」


「運命や。諦め」


「教師のくせにキモいこと言うなやー! サブイボ立つわ!」


「とにかく、明日から一週間補習やからな。遅れたら……どうなるか分かってるやろうな」


「スルーされたし! ううー、なんで大事な大事な夏休みの始めをこんなむさくるしい男共と……っ」


「ヒューヒュー! 二人揃って補習やなんて、やっぱ仲ええな~キミら」


 そう言って私の後ろの席から冷やかしたのはじゃんけんが強いことしか取り柄のない国見だった。


「黙れ国見。上履きに押しピン敷き詰めたろか」


「す、すいませんでした」


 半分以上本気の剣幕で言うと、本当は気の小さい調子ノリの国見はすっかり小さくなって椅子に納まる。


 そんなこんなで、騒がしい終業式は終わりを告げ、クラスメイト達はみんな明日からの楽しい夏休みを思い描きながら教室を出て行った。


 私は一人鞄を肩にかけ、海斗の眠っている机の前に威圧感バリバリで立ち構える。


 机に突っ伏したスポーツ刈りの頭。白いシャツに汗の滲んだ背中。机の横には大きなスポーツバッグ。海斗はこの学校の野球部に所属している。ポジションはキャッチャー。身長は百八十センチ。肩幅も広くて体格も良い。ちなみに、この高校の野球部は驚くほど弱くて、高校球児が目指すべく甲子園には指先も掠らないところにいる。高校最後の年の今年も、予選の一回戦で無残に敗退。私たちの夏は終わった。


 私と海斗は小学校から高校までずっと学校もクラスも一緒だ。おまけに家は隣同士の幼馴染で、私も海斗も野球好き。小学校は同じチームで野球をして、中学校からは選手とマネージャーという間柄になっている。多分、学力も大差ないので、大学も同じところへ行くのだろう。浅田先生の言うようにこれが運命だというのなら、私の人生はもう呪われているとしか思えない。


「松下海斗ーッ!!」


 ドスの聞いた低い声で海斗のフルネームを口にした直後、海斗の眠る机を星一徹のちゃぶ台返しさながら投げ捨てた。


 すると、机と一緒に吹っ飛ばされた海斗が隣に置いてあった机の角で頭を打ち、危ういところで永眠を免れて目を覚ました。


「いったァ~! な、何すんねん! って紗良か、相変わらず荒っぽい起こし方やな~」


 海斗はぶつけた後頭部を擦りながら、涙目で私を見上げる。ぶつくさ文句を垂れているが、文句を言いたいのは私の方だ。


「荒っぽくもなるわ。あんたのせいで私まで巻き添え食ってんねんからな!!」


「はあ? なんの話や」


「私にはなあ、夏休みの計画が山のようにあったんや!」


 まずプールには行きたいし、もちろん夏祭りや花火大会なんかも欠かせない。高校生最後の夏だ。やりたいことなんてあげ出したらきりがないほど出てくる。二年生までと違って、もう野球部の練習に行くこともない。今年の夏は遊びまくると決めていた。


 別に夏休み全部が無くなるわけではないが、夏休みの最初の一週間が丸潰れになるのはかなり痛い。


 しかも、私の夏休み計画ではこの夏に絶対彼氏を作るという目標が組み込まれていたのだ。ダ〇ビッシュ並のイケメンに出逢って素敵な恋をする予定だったのに。それがなんだ。いきなり出端からこのふざけたスポーツ刈りと出会いもクソも無い暑いだけの教室で補習なんて。


「私の夏休み返せ!」


 それより受験生なんだから勉強しろよ、という気もするが、まあ人生今が大事なんでと現実逃避してみる。


 寝起きの海斗に散々罵声を浴びせたおかげですっきりした私は、ようやく落ち着いて鞄を手に取った。




つづく↓

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