第11話

 幹夫は年内には浴室の改築を終え、正月は新しい風呂に入って快適に過ごすというビジョンを立てた。待っていてはズルズルと先へ延びるだけなのだ。幹夫と菜香はメーカー各社のシステムバスのカタログを集めた。それを検討し、気に入った会社の製品を見に行くことになった。二人はミサエを伴って、メーカーの展示場に行った。ミサエの意見も聞こうということだったが、外出好きのミサエは、浴室を見ることより、その前後のショッピングや食事に重心を置いてついてきた。メーカーのショールームには浴室と洗面室が合体した形で展示されていた。これは都合がいいと幹夫は思った。あれこれ考えなくてもこのセットをそのまま家に嵌め込めばいいと思った。壁、バスタブ、床などは合成樹脂製で、カビもつきにくく、モーターボートを製造する会社の商品らしく防水も完璧なようだった。説明してくれる人に訊くと、幹夫の予想通り、設置工事は簡単で、二日で終るということだった。幹夫はその場で契約して、すぐ工事に取り掛かってもらいたい気持だったが、一応見積書を書いてもらうことにした。幹夫は代金は親と折半すればいいと考えていた。自分の要求で始まった改築だが、幹夫には全額を負担する気はなかった。彼には家の施設の不備なのだから家主が払うべきだという考えがあった。だから彼は金のことは自分からは口に出さないできた。と言って全額親に払わせるのはさすがに厚かましいと感じていた。彼の心づもりとしては折半だった。老夫婦には年金収入が月に三十万ほどあった。八割近くが宗造の年金だった。貯金もかなりあり、負担能力は十分にあった。ミサエはその日幹夫達が選んだ商品に反対はしなかった。

 施工はやはりミサエの実家の製材所に頼むことになった。ミサエの実家は彼女の祖父の代から製材所をしていて、ミサエの父親の後は末っ子で唯一の男の子だった弟が継いでいた。ミサエは自分の実家の話もよくした。母親と早く死に別れたミサエは父親が懐かしいようで、「製材所のじいさん」の思い出話が中心だった。宗造の家系は代々百姓だったが、ミサエの父親の家系は士族であり、父親はその家から相当の土地を持つ地主だった製材所に養子として入ったのだ。養子といっても家のなかでは一番威張っていたという。ミサエの語る話は、その父親に長女である自分が他の妹弟よりも特別に可愛がられたこと、父親の善行や実家の裕福さなど、自慢話が多かった。ミサエが懐かしむ肉親は父親しかいなかった。彼女がまだ若い頃、道を歩いていて易者に呼び止められ、手を見せると、「あんたは肉親の縁が薄い人だ」と言われて涙が出たという。製材所は現在、弟の息子が後を継いでいて、建設業の看板も掲げていた。宗造は家の工事に関しては全て製材所に頼んでいた。幹夫は製材所に頼むことにあまり気は進まなかった。後を継いだ息子が手掛ける仕事には雑なところがあるからだった。その息子は顔形から気性までミサエとよく似ていた。親子以上の年の差があったがミサエとは気が合ってよく行き来していた。妹弟とはあまり接触のないミサエの最も親しい血族と言えた。しかし彼は幹夫にとっては、そのミサエそっくりの性格から敬遠される存在だった。施工を製材所に頼むことは幹夫の望むところではなかったが、他の業者を指定することはミサエの絶対に承知しないことだった。

 システムバスの寸法に合う設置場所も決まった。年内着工の予定が、年末は製材所が忙しいということで翌年に延びた。幹夫はジリジリした思いで年末年始を過ごした。一月が過ぎた。一度展示された商品は価格が大幅に下がるらしく、二月にシステムバスの展示会があるということで、それを待つことになった。選んだのと同じ商品がそこに出されるので、それを購入すれば安く手に入るのだった。そして三月が近づいたある日、製材所にシステムバスのセットが届いた。いよいよ設置場所にある物品を取り除ける作業を始めなければならないという時になってトラブルが持ち上がった。合併槽の設置には町から補助金が出ることがわかった。補助金をもらうためには工事の図面を付けて申請しなければならない。その受付が四月始めにあるというのだ。それでそれまで待とうとミサエが言い出したのだ。合併槽の設置にはトイレの改修の件が絡んでおり、ミサエの発言は夫の不如意を気遣う妻の言葉という意味合いもあり、幹夫としても無視はできなかった。幹夫は焦燥を覚えた。

「どのくらいの補助金が出るの」

「二十万くらいかね」

 と宗造が答えた。

「そのくらいやったら僕が出してもいいよ」

 幹夫は痛みを覚えたが、背に腹はかえられぬという思いで言った。

「申請した人にはみんな補助金がでるの」

 幹夫がさらに尋ねると、

「いや、抽選がある」

 と宗造が答えた。

「何だ、それじゃあ四月まで待っても、外れたら意味ないやん」

「そんな不確かなものを待って工事を延ばすというのもね」

 幹夫は苛立ちを覚えながら言った。その時、

「工事はまだできんよ」

 とミサエが幹夫の顔を見て断定的に言った。何を言うんだろう、この人は、という思いで幹夫はミサエの顔を見つめた。

「どうして」

「合併槽ができんと排水ができんのやから、風呂は使えんやろ」

 ミサエは当然のことだという表情で言った。幹夫は怒りと焦燥で顔が熱くなるのを感じた。

「そんな、今頃になって」

 幹夫は絶句したが、気を取り直して、

「合併槽の工事はいつやるの」

 と訊いてみた。

「補助金を貰ってからよ」

 とミサエが答えた。

「外れたらどうするん」

「次の機会を待たんとね」

「次の機会というと」

「来年かね」

 宗造が答えた。

「補助金が出るというのに貰わにゃ損やろ」

 とミサエが言った。幹夫はカッとなった。  

「来年とか僕は待てん。今まで四年間我慢してきたんだ。これ以上、我慢できん」

 と大きな声で言った。幹夫がミサエに対して久々に上げる怒声だった。

 それはミサエの最後の抵抗だった。その後間もなく製材所から二、三日中に着工すると言ってきたのだ。製材所にしても早く工事をして金を得たいだろうし、大きなシステムバスのセットをいつまでも倉庫に置いてもおられないはずだった。ミサエは製材所が言ってくることには抵抗しなかった。合併槽がなくても、深さ三十センチほどの排水溝を掘ることで、システムバスは設置できた。いままでも風呂はあり、排水していたのだから、これは考えれば当然のことだった。幹夫はその事実を見て、新たにミサエへの憎しみを覚えた。自分がこれだけ不快に思っている現状を、うそをついてまで、あるいは好意的に考えれば、不確かなことを断定的に言ってまで、引き延ばそうとしたミサエの冷たさを思うのだった。 

 合併槽については、浴室の改築が始まって以降、それが完成した後も、ミサエは全く口にしなくなった。そのことはミサエの発言が宗造を気遣ってのものではなく、工事を遅らせるための口実、あるいは純粋に資金の節約のためであったと幹夫に思わせた。

 

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