第5話

 食卓のある部屋にテレビが置かれている。幹夫や菜香が座る席からは体を捩じらないと見えない。テレビの見やすい位置には宗造とミサエが座っている。食事をしながら体を捩じるのは苦痛であるし、胃にも悪い。そう思う幹夫は食事中はテレビを見ないようにしている。しかし、一メートルほどしか離れていないテレビの音声は容赦なく耳に入ってくる。どうしても気をとられてしまう。幹夫の正面にはミサエが座っている。ミサエの視線はテレビに注がれている。それは幹夫の顔の三十センチほど横を通過する視線だ。政治の批判が話題になっていない時、あるいはミサエが自分の過去を語り出していない時、幹夫とミサエとの間には殆ど会話はない。そんな時は菜香とミサエとの間の会話が食卓を沈黙から救う唯一のものとなる。しかし、ミサエと菜香が何らかの理由で喧嘩している時は、テレビの音だけが食卓を支配することになる。そんな場合、自分から話題を提供して座を和ませるようなことをミサエは決してしない。菜香に対する怒り、あるいは幹夫を含めたその場の雰囲気に対する不快感をそのまま表す不機嫌な表情でミサエはテレビを見ている。そうなると幹夫も意地になって、自分から何かを話そうという気がなくなる。菜香もミサエの視線を避けるように体を横に向けてテレビを見続けるだけだ。普段でもミサエと視線を合わせることに抵抗を覚える幹夫は、不機嫌をそのまま表情にしたような、彼の実感で言えば鬼瓦のようなミサエの顔はなおさら見たくない。下手に視線を合わせれば、不快感同志が衝突して発火しそうな危惧も覚える。となると、テレビから笑い声や驚きの声が聞こえた時は、気づまりな雰囲気から一瞬でも自分を救うために体を捩じってテレビを見ざるを得ない。すると今度は胃に苦痛を覚えるという次第だった。そんな時、食事中にテレビなど見る必要はないのだという考えをかって自分が持っていたことを幹夫は思い出す。そしてその考えがテレビに齧りつくミサエがいるこの家では実行できず、口に出して言うことさえも難しいことに苦い思いを抱くのだ。家に帰って、一番寛げるはずの夕食時に、職場にいる時と同じようなストレスを覚えている自分に、俺の寿命も長くはないな、という暗澹たる思いにまで至る時もあった。                        

 テレビの横に浴室の出入口がある。アルミサッシ枠に曇りガラスの入った開き戸だ。それを開けると、いきなり流し場と浴槽だ。脱衣場がない。脱衣場がない風呂場というのは幹夫が初めて経験するもので、これもまた彼を悩ませるものだった。一番風呂には宗造が入った。宗造は午後五時を過ぎる頃から風呂を沸かし始め、六時にはだいたい入浴を済ませていた。脱衣場がないので、宗造は食卓の自分の椅子の後ろで服を脱ぎ、それを椅子の背に掛けて、パンツ一枚になって浴室に入った。出入口の曇りガラス戸を透かして、浴槽の前に座り、湯を浴びる宗造の裸身の動きが見て取れた。幹夫が役所から帰って来る時には宗造の入浴は終っていた。次は幹夫が入浴するのだが、脱衣場がないので、やはり下着姿になってから浴室に入る他はないが、幹夫は宗造のように食卓の脇で服を脱ぐ気にはなれない。夕食前でそこには人がいるし、そもそも食卓のある部屋で服を脱ぐことに幹夫は抵抗を覚えるのだ。それで彼は食卓の間に隣接する四畳半で服を脱いだ。風呂から上がってきた時もそこまで行って服を着た。浴室とその部屋を行き来する間、人前で下着姿であることが幹夫には不快であり、苦痛だった。それは彼の自尊心にさえ、触れるようだった。もう一つ悪いことには、浴室は外部に対して遮蔽されてはいなかった。曇りガラスを透かして、明瞭ではないにしても中で動く裸身は見えるのだった。土人の暮らしだな、と幹夫は自嘲した。                                   

 下着姿になった幹夫、浴室の中の幹夫が最も意識する他者の目がミサエの目だった。その理由の第一は物理的なものだった。ミサエが食卓のある部屋に一番長くいるからだ。ミサエは起きてから午前二時頃に就寝するまで、家にいる間は殆どその部屋にいるのだ。どの時間帯に入浴しようとミサエの目を避けることはできなかった。幹夫の入浴は夕食前だった。幹夫が夕食前に入浴するのは、職場での疲れに一区切りつけて、早く気分的にゆっくりしたいことや、ビールも風呂上がりの方がうまいということもあるが、億劫なことは早く済ませておきたいという心理も強く働いていた。夕食を終えたら、ほろ酔い気分のまま二階に上がって横になりたかった。ビールを飲んだ後に入浴などというのは苦行のように思われるのだ。その最大の理由がミサエの存在だった。夕食前は食事の準備などで動いているミサエだが、夕食後は食卓の椅子に腰を据えてテレビを見始める。テレビの二十センチほど横が浴室の出入口なのだ。夕食後に入浴すれば、無言でテレビに見入るミサエの前を下着姿で動くことになる。浴室の出入口は座っているミサエのほぼ正面に位置する。つまり、浴室に出入りする際はミサエの正面に立つことになる。幹夫が曇りガラスの戸を開けて浴室から出てくると、ミサエと向き合う形になる。ミサエは知らぬふりでテレビを見続けているのだが、視線を数十センチずらせば幹夫の下着姿を正面から見つめることになるのだ。それはまた、ミサエがテレビを見つめる視線をわずかに横にずらせば、曇りガラスを透かして浴室の中の自分の姿が見えることを幹夫に意識させた。入浴中の自分の姿を見られていると思うことは幹夫にとって不快なことだった。それはもちろん恥ずかしいというような感情ではなく、入浴という寛ぎの時間に他者の目を意識しなければならないことに対する嫌悪であり、怒りだった。これが幹夫が抵抗を覚えないですむ相手であれば、妻の母親をそれほど意識することはなかったかも知れない。しかし、ミサエは幹夫にとって対立的な存在だった。自分に対して不愉快なことを押しつけ続けるという点で嫌悪感と対抗心をつねに喚起する存在だった。

 最初の同居の時、幹夫の要求で、浴室の出入口の前を半円に覆うカーテンを垂らして、その中で服を脱着するようにしたことがあった。しかし、それはいかにも即席の、お粗末な対策であり、食卓の間を狭くしたうえに見た目も悪かった。それにカーテンを引くのは幹夫だけであり、脱衣場がないことにこだわっているのは家族の中で彼だけであることを使用の度に際立たせることになった。幹夫は体裁が悪かった。男の癖にそんなことを気にして、と思われるのが嫌だった。それで程なくカーテンは使われなくなり、天井に取り付けた半円形のレールも撤去されてしまった。以後、幹夫は下着姿で人前をうろうろすることも、浴室の中が外から見えることも気にしないように努め、それなりに耐性がうまれたが、慣れてしまうことは決してなかった。その頃のことだが、酔って入浴した幹夫は、裸で浴室から出て来て、テレビを見ているミサエに自分の性器を、「おい、見ろ」と言って突き出したことがあった。ミサエは笑って取り合わなかったが、菜香は、「かあちゃんはあんなことは嫌いなの」と幹夫を柔らかく諫めた。出口の正面に座っているミサエの存在が浴室にいる幹夫の意識の中で不快感とともに膨れあがり、酔っていたので自制がきかなかったのだ。幹夫は後でそんな行為をしたことを恥じるとともに、ミサエの目を気にしている小心な自分の内心を晒したような気がして、情けなく思ったものだ。


 

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