第4話


 ミサエは朝鮮人を悪く言った。叔父の最期に関する思い出も影響しているだろうが、ミサエの言葉は日本人一般の中になお残存する朝鮮人差別意識に重なるものだった。これは幹夫とミサエの新たな対立点となった。朝鮮人の意地の悪さを言うミサエに、「日本人は侵略したんだから、言ってみれば家に押し入った強盗みたいなもんだよ。そんな日本人に朝鮮人がよい感情をもつわけがないじゃないか」と幹夫が反論すると、ミサエは叔父が朝鮮人や中国人を優しく扱っていたことをあげて、朝鮮人の二面性や欲深さを悪罵した。侵略ということについても、ミサエは、それはアメリカやイギリスもやっていたことで、日本だけが責められることではないと応じた。「悪いことは悪いことでしょう。よその国もやったことだということで許される問題じゃない」と幹夫が言っても全く納得しなかった。そして、日本の統治は朝鮮の近代化に役だったとさえ言うのだった。それは宗造も同じだった。朝鮮人が日本人によい感情をもつわけがないということには頷いても、日本の統治は是認するのだった。

「それは朝鮮にとっては要らぬおせっかいと言うものだよ。盗人猛々しいとも言える」  

 と幹夫は苦笑を浮かべながら反論する。この辺りから彼も興奮してくる。     

「あんたは体験もないのに何を言うかね。ちょっと本を読んだだけで何がわかるものか」 

 とミサエも負けてはいない。                          

「体験があろうとなかろうと事実は事実だよ」                    

 と幹夫が応じた時、                              

「あんた、何人? 朝鮮人に生まれたらよかったね」                 

 とミサエが言った。幹夫は怒りのあまり絶句した。そして、一息ついて、      

「俺はもちろん日本人だがね。朝鮮人を差別することで自分を偉いと思うような日本人でありたくないと思うだけだ」                            

 と唇を震わせて応じた。幹夫の政治批判が朝鮮人の問題につながり、こうしたミサエとの対立に終わることもしばしばあった。幹夫の母親が来て一泊した時、食卓で朝鮮人のことが話題になった。幹夫の母親もミサエと同じように朝鮮人を悪く言った。ミサエは鬼の首を取ったように、「あんたのお母さんも私と同じことを言いよるやないね」と幹夫を責めた。「何で私だけが言われないかんかね」と不満を示した。確かに幹夫にとって自分の母親は盲点だった。しかし、幹夫が結婚して家を出るまで、彼の実家ではそんな問題を家族と話し合うことはなかった。幹夫は自分の母親が朝鮮人に対して差別的な見解の持ち主であることを改めて認識したが、それは意外なことではなかった。ミサエの手前、彼は強い言葉で母親を批判したが、ミサエに感じるほど、許せないという気持にならないのは事実だった。血は汚いものだと彼は思わざるを得なかった。ミサエはその後も幹夫を挑発するように、朝鮮人への悪罵を繰り返した。                                      

 幹夫にはもう一つミサエに関して不愉快に思うことがあった。それは例えば次のようなことだった。

 食卓での会話で聖徳太子が話題になったことがある。たまたまテレビで聖徳太子を主人公とした番組があったことがきっかけだった。                   

「聖徳太子は何をしたんやったかね」                        

 とミサエが言った。                              

「十七条憲法と冠位十二階を作った」                        

 と幹夫が答えた。                               

「ああ、そうよね」                                

 とミサエは思い出したように頷いた。そして、                  

「この人は七人の人が同時に話すことを聞き分けたらしいね。ものすごく頭がよかったらしい」                                      

 と続けた。                                  

「伝来したばかりのお経の注釈書を書いとるもんね」                 

 と幹夫が応ずるように言うと、ミサエは「ほう」と言ったが、すぐに、       

「蘇我馬子を殺したのは聖徳太子やったやろ」                    

 と話題を変えた。                               

「蘇我馬子じゃないよ、殺されたのは。あれは入鹿で、殺したのは中大兄皇子。大化の改新でしょ」                                    

 と幹夫が訂正すると、                             

「ああ、そう、そう。あたしが女学校の時、そんなこと習ったね。中大兄皇子よね。何とか言う人もおったね、カマタリとか、何とか」                  

 「中臣鎌足、後の藤原鎌足かね」                          

 と、幹夫が言うと、「うん、うん」と、ミサエは知っていたというように頷いた。  

「あの時代もひどい時代やったみたいやね」                     

 と幹夫は言葉を継いだ。彼は聖徳太子の時代から大化の改新を経て壬申の乱に至る間の皇位をめぐる血縁の皇族同士の血みどろの争闘を語りたいと思ったのだ。ところが、  

「とにかく、聖徳太子は頭がよかったらしいね」                   

 とミサエは話を元に戻した。幹夫は話の腰を折られて沈黙した。彼は不快だった。幹夫は学生時代、日本史を専攻し、役所勤めの現在も、地元の郷土史会に入って研究者の講演を聞いたり、史跡を訪ねたりしていた。彼の中に今なお革新的な思想が残存しているのも、一つには歴史研究が彼にその自覚を促すからだった。ミサエは幹夫が歴史を勉強していることを知っているのに、歴史について幹夫の語ることを聞こうという態度は全く示さなかった。むしろ、幹夫の知っていることくらい自分も知っているという口振りを常にする一方で、自分の知らないことが話題になると、すぐに話題を変えようとした。幹夫はこんなことにも負けん気を出すミサエに少し驚く思いがあった。ミサエの我執の強さを感じた。こんなことが何度かあったので、彼は歴史を語りたい欲求はあったが、食卓で歴史に関する話を自分から始めることはやめることにした。ミサエに張り合って自分の知識を示そうとするようで、そのことに低劣さを感じたのだ。幹夫は沈黙したが、自分が取り組んでいることを認めようとしないミサエに自尊心を傷つけられたような不快感と嫌悪を覚えた。    

 幹夫はミサエのこうした態度は、彼の歴史の話にだけ向けられたものではないことをしだいに知るようになった。例えばこんなことがあった。幹夫夫婦が飼っている犬の話から、幹夫が自分の父親が生き物が好きで、犬だけでなく、兎や小鳥などを飼っていたという話を始めた途端、ミサエは自分の父親も雑種の大形犬を飼っていたという話を始め、それがなかなか終らず、犬以外の話にまで及んでいくのだった。食卓に置かれた花瓶がたまたま幹夫が昔買ってきたものだったので、彼がそのことに触れると、それを受ける言葉もなく、すぐにミサエは花瓶に差している花について話し始める。その花は彼女が植え、花瓶に差したもので、その色合いの良さを自らほめるのだ。そしてその話が次から次につながって終らない。ミサエの会話はすべてこんな具合だった。相手が幹夫に限らなかった。菜香であろうが宗造であろうが同様だった。時折訪れる近所の人を相手にしている時も、ミサエが話している時間は相手を大きく上回っていた。彼女は常に語り手であろうとし、自分の言いたいことだけを言おうとするのだった。自分が聞き手でしかあり得ないような話題は変えようとした。話題の転換が時に強引であり、脈絡がなくておかしなこともあったがミサエは平気だった。また、こんな例もあった。畑仕事から帰った宗造が、「膝が痛い」と言うと、ミサエはすぐ、「父ちゃん、何回も同じことを言いなさんな。聞く方は嫌らしいよ」と返した。膝の痛みは宗造の長年の持病だった。ミサエは宗造の言葉に、一緒に畑に出なかった自分を責めるものを感じ、予防的に反発したのだ。その癖、自分が畑から帰ってくると、「腰が痛い」を連発した。宗造はそれに対して、「いかんな」「無理をするな」などと応じるのだが、幹夫はミサエの宗造に対する言葉との矛盾を思って、ミサエを労う言葉をかける気にならないのだった。これらのことはミサエの自己中心的な性格を鮮やかに語っているように幹夫には思われた。ミサエの性格的な欠陥を見出だした思いの幹夫はミサエへの嫌悪をさらに強めた。                          

 確かにミサエは常に表出を求める自我の持ち主だった。こうした自我を持つ彼女にとっては人の話を黙って聞かなければならないことは生理的な苦痛ですらあった。彼女の自我は降りかかってくる他者の言葉を常に払いのけようとし、代りに自分の思いを相手に浴びせかけようとしていた。彼女が習い事が続かないのもこの性格が原因だった。水墨画と俳句を学ぼうとしたことがあったが、どちらも一年足らずで会を出た。ミサエは先生と言えども他人の話を黙って聞いていることができないのだ。じきに彼女の自我は反発を始める。そんなことは分かっている、何度も同じことを言うな、と。そして自分のやり方を上に立てるようになるのだ。そこにはミサエの自我のもう一つの特徴がでている。他者に対する批判の激しさだ。彼女は、この地域の言葉で言えば、よく人をた。他者の欠点をよく論った。ミサエが幹夫の政治批判に同調するのは、幹夫の考えに同調するというよりも、それがこうした彼女の自我の欲求を満たすからだった。幹夫の話を黙って聞いているよりは、自分も口を開いて愚かな政治家連中を罵る方が愉快だった。自分の青春讃歌である満洲譚や宗造への尽きぬ悪罵も同じ根に繋がっていた。こうした自我の表出を憚ることなく続けられるところに彼女の性格の強さがあった。                  

 こうした自我を持つこととも関連しているだろうが、体の強健さとも相俟って、ミサエの頭脳活動は八十が近いという年齢から想像される域を遥かに越えて活発だった。娘時代から読書は好きで、満洲にいた頃は叔父の本棚から古今東西の名作を抜き出しては読んでいた。彼女の知的基盤はその頃形成された。十年程前でも興味を持った本を年に五、六冊くらいは読んでいた。近頃は活字を追うことはめっきり少なくなったが、その代りをしているのがテレビだ。彼女が深夜見る番組は大体国営放送が流す教養番組だった。歴史・文学・芸術・科学、あらゆる知的情報が分かりやすい映像と語りによって流れてくる。ミサエは食卓の椅子に一人座ってそれを吸収するのだ。時折、側を通過する幹夫の冷ややかな眼差しは不快だったが、こうして仕入れた知識も食卓で展開される彼女の活発な発言の材料になるのだった。

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