第3話


 ミサエは食卓でよく宗造を批判し、悪罵した。食事中にミサエが突然、苛立たしげに、「父ちゃん、ピチャピチャ言わせなさんな」と言う。幹夫の耳には聞こえない、あるいは気にならない宗造の咀嚼の音だ。また、宗造がたまにミサエたちの話に口を挟むと、「父ちゃん、黙っとき。誰もあんたの意見をききたいとは言っとらんのやから」とピシャリと口を封じる。食卓で宗造が寡黙である原因の一つは確かにこれだった。幹夫にとっては宗造が話に加わってくれた方が、ミサエばかりを相手にしているよりは寛げるのだが。宗造は大食漢だった。食卓におけるミサエの宗造に対する悪罵の大半はそれに関係していた。夕食の料理が焼き肉やすき焼きの場合、箸を出した宗造に、「父ちゃん、考えて食べな。皆の分がなくなるよ」とミサエは言う。宗造は箸を引っ込める。「早いんやから、父ちゃんは。ツルツル食べてしまう。さっきからあんた、相当食べとるよ」とミサエは続ける。宗造は肉が好物なのだ。だからミサエの警戒もあるわけだが、ミサエのそんな言葉を聞くと、幹夫は自分の食べる量まで制限されたような気がする。そして、ミサエにそうした自分の気持への配慮がないことに不満を抱く。食べたいだけ食べさせたらいいではないか、と幹夫は思う。「惜しむわけやないけどね」とミサエは付け加えるのだが、幹夫には惜しんでいるようにしか聞こえない。鍋料理をした時など、ミサエは、魚の切り身がいくつあるから、一人宛はいくつと素早く決めてまう。割当が豆腐や野菜などに及ぶこともある。幹夫は割当以上食べるのではとミサエから監視されているような気になるが、ミサエの注意は主に宗造に向いているのだ。

 無職の宗造の現在の仕事は農作業だ。宗造夫婦は七反の田と一反の畑を持っている。これは親から譲り受けたものではない。夫婦が少しずつ買い取っていったものだ。サラリーマンの収入でこれだけの田畑を買収できた始末の良さが、妻としてのミサエの自慢だった。宗造はほぼ毎日畑に出た。ミサエも週の半分は畑仕事をしていた。これにその時々の田の仕事が加わった。これが現役を離れた老夫婦の仕事だった。これらの農作業が食卓の話題になることもあった。それを口にするのは大抵ミサエだった。その日、ミサエと宗造が畑に行ったとする。すると、ミサエは宗造の仕事の粗雑さや、考えのなさを、歯に衣を着せない言葉で告発し始める。まだ熟していない胡瓜をむしり取ってしまったとか、雑草を刈取っていないから野菜がよく育たないとか、あるいは刈った雑草をそのまま畑の上に置いておくからまた根を下ろしてしまう、とかいったことだ。宗造の肥料のやり方や土の被せ方の効率の悪さも「何年やってもわからんが」とミサエは忌ま忌ましげに罵った。

 宗造が庭の植木の手入れをした場合もミサエの批判の種となる。ミサエは宗造の手入れは何でもかでも切ってしまうことだと非難する。庭にはミサエが草花や野菜を植えている。ミサエは宗造がそれを台無しにしたと非難する。「父ちゃん、あんたはどうして私の嫌なことばかりするんかね」とミサエはヒステリックに声を高める。宗造は何のことかわからないというような素振りをする。「何回言うてもあんただけは分からんね。私が植えとるもんにいらんこと触りなさんな、ち言いよろうがね」と悔しそうにボリュームを上げる。「ブルーベリーを切ってしもうたが。もうすぐ実がなるのに」「知らんがな」と宗造は応じる。「何が知らんね。せっかく根付いとったのに。人が植えときゃ切ってしまうが。いるもんといらんもんと区別がつかんのやから、あんたは」とミサエは厳しく責め続ける。 宗造の過去の行状も批判の対象となる。まだ宗造が若い頃のことだろう。「毎晩、酔っ払って帰ってきて。おとなしく寝ればいいのに、人を起こして大騒ぎするんやけ。訳のわからんことをグダグダ言うて。こっちは疲れて寝とるのに、毎晩毎晩、どれだけ嫌な思いをしてきたか! 」そんな昔のことを言わなくてもいいだろうに、と幹夫は苦笑を浮かべるのだが、ミサエの怒りは昨日のことのように新鮮なのだ。「前のおいさんがからかいよったよ。夜中にミサエ、ミサエと鳴く虫がおるち」夜中に帰ってきた宗造が、戸を開けてくれ、とミサエを呼ぶ声なのだ。前とは同じ並びの隣家のことだ。黙っていた宗造も、この時にはさすがに幹夫の方を見て「そんなことを」と言って舌打ちした。幹夫もその時は宗造の顔をまともに見兼ねた。

 幹夫がミサエと最初に衝突したのは、この食卓での宗造への悪罵が原因だった。幹夫にとっては食事時に妻が夫を口汚なく罵るということは経験にないことだった。幹夫の母親は子供の前で父親を罵ることはなかった。ミサエが宗造を批判し始めると幹夫は困った。義理の息子の前でクソミソに言われる宗造は面目ないことだろうと思った。幹夫はミサエをなだめるような言い方で抑えようとはしたが、正面から、もうやめなさい、とはやはり遠慮があって言えなかった。聞かぬふりをしてミサエの悪罵が早く過ぎることを願うほかはないが、一旦言い出すとミサエはなかなか止めなかった。菜香が「もうやめり。しつこいね、あんたも」と言ってようやく終息に向かうという具合だった。しかも殆ど夕食の度にミサエはそれを始めるのだった。これが和やかな会話であればどれだけ夕食の時間は過ごしやすいだろうと幹夫は思った。こうした性の合わない夫婦が何十年も連れ添っていることに、冷え冷えとした人間の不幸を幹夫は思ったりした。

 ミサエの悪罵に対して宗造は殆ど反論せず、聞き流しているのだった。それは幹夫には耐えているように見えた。もっとも、ミサエによれば、宗造は幹夫達がいない時には相当きついことをミサエに言うのであり、幹夫達がいるからこそ、それを力に自分は宗造に対してこれだけ物が言えるということになるのだ。宗造は「外ヅラが良く」「家の者には厳しい」と決めつけるのだった。しかし、面前でそう言われても宗造はなお沈黙していた。そうなるとやはり、宗造は耐えている存在として幹夫の目には映るのだった。その見方に立つと、ミサエが批判の材料として挙げる宗造の数々の悪行も、陰で行うというミサエへの攻撃も、直接には知らない幹夫には、宗造を悪とする説得力はなかった。そのあまりの執拗さに、ミサエは宗造を悪罵することで、宗造との対比において、自分の正しさや善さを、新入りの家族である自分にアピールしているのではないかと幹夫は思った。しかし宗造が殆ど無抵抗であるために、それは逆効果となっていた。幹夫は宗造を面前で悪罵して、義理の息子である自分に心理的な負担をかけるミサエより、十を言われて二を返すぐらいの抵抗しかせず、けちょんけちょんに貶される宗造の方に心情的には傾いた。周囲の人間の気持を考えず、自分の鬱憤の発散のために悪罵を放ち続けるミサエへの嫌悪が募った。

 普段、幹夫は夕食が済めば大体さっと二階の自分達夫婦の部屋に引きあげるので、トラブルは起きないのだが、衝突したその日は、飲みごとがあって、彼は遅く帰ってきた。ミサエはいつものように食卓の椅子に座ってテレビを見ていた。すぐ二階に上がればよかったのだが、酔って気持ちが開放的になっていた幹夫はミサエに話しかけ、そこに腰を下ろしてしまった。ビールを一本開け、飲み直す形になった。政治の話か満州を巡る歴史の話か、そんな話が何かのことで対立したのだろう。それが導火線の役割をして、幹夫はミサエに対する怒りを爆発させたと思われる。「夫婦のいざこざは自分達がいないときにやってくれ。食事時に嫌な話は聞きたくない」とかなりぞんざいな言葉で幹夫は言い、「クソババア」という言葉も吐いたようだ。今までおとなしかった幹夫が突然牙をむいた感じで、これはミサエにはショックだった。翌日、幹夫はミサエに謝ったのだが、ミサエはむっとした表情を変えなかった。それから幹夫とミサエの隠微な対立が始まり、それが最初の同居を打ち切る基本的な原因となったのだった。

 だからアパート暮らしをやめて、菜香の両親と再び同居を始めることになった時、ミサエとの対立が幹夫の頭を過らないことはなかったし、ミサエに対して身構える気持が幹夫にはあった。しかし、七年という歳月がやはり緩和剤として働き、ミサエも年を取って変っているだろうという思いもあって、さして気にせずに戻ってきたのだった。菜香の言葉から、老夫婦は自分達を頼っているはずだという意識、必要とされているのだという意識が幹夫の気持を強くしていた。確かに幹夫を迎えるミサエの態度は歓迎的であって、敵対的な素振りはなかった。しかし、二人の対立の原因であった食事時における宗造への悪口は変らなかった。それは幹夫にミサエの気性の強(こわ)さを不快感とともに改めて印象づけた。 しかし、二度目の同居を始めた幹夫には、今後は老夫婦の諍いに関与すまいという心組みができていた。夫婦喧嘩は犬も食わないと言うが、口を挟む馬鹿らしさを思うからだ。ミサエの悪罵を宗造自身は大して苦にもしていないのだ。それどころか、「今日の料理はうまい。さすが母ちゃんは大したもんだ」とか、ミサエがパーマに行って髪をセットしてくると、「母ちゃんが一段と美人になった」とか、歯の浮くような世辞を、自分が悪罵された直後ですら言うのだ。ミサエはそれに対して、「父ちゃんは口のがいい」などと返しながらも、満更でもない表情を浮かべる。そんなやりとりを見ると、幹夫は、ミサエと対立してまで宗造への悪罵を抑えようとした自分がアホらしく思えてくる。それに、幹夫がミサエと衝突した時、宗造との間にも一種険しい雰囲気が生まれたことを幹夫は忘れることはできなかった。幹夫は宗造の側に立ってミサエと対立した形だったのだが、対幹夫という対抗線が引かれると、宗造とミサエは一体になるということを幹夫は学んだのだ。宗造とミサエは数年前に金婚式を迎えていた。半世紀を共に生きてきたのだ。夕食を終え、幹夫達が二階に引きあげると、宗造もだいたい自分の部屋に入るのだが、時折、食卓に残って、ミサエと話をしている時がある。夫のことをあれほどクソミソに言う妻と、言われる夫との間にどんな会話が成り立つのか、と幹夫は思ったものだが、二人は深夜まで話しこむこともあった。この夫婦にはこの夫婦なりの繋がりがあるのだと幹夫は考えるようになった。そうでなければ半世紀を共に過ごすことは出来ぬはずだ。こうした観察や考えがミサエの悪罵にはもう関与すまいという気持に幹夫をさせていた。

 食事に関係して、老夫婦にはもう一つ不調和な事があった。食事時間が違うのだ。宗造は朝六時に起きて朝食を攝り、正午になれば昼食と、食事時間が定まっていた。それに対してミサエは起床が八時頃で、朝食を攝らないことも多かった。だから宗造は自分で朝食を作ってたべるのだ。卵を落としただけのミソ汁と漬物など、一、二品のおかずで飯をかきこんだ。宗造はそんな状況でも三食を必ず攝り、抜くことはなかった。ついでに述べれば、二人の生活時間も食い違っていた。宗造は夕食が終わると自室に入り、午後九時過ぎには就寝してしまう。ミサエの方は夕食後も食卓を離れず、テレビを見続け、午前二時頃にまで及ぶことも稀ではない。午前零時前に寝ることは決してなかった。必然的に朝は遅くなるのだ。二人はそれぞれ自分の生活時間を頑固に保持していた。幹夫の目から見れば、朝食を作ってもらえない宗造は夫として惨めな存在に思われたし、八時を過ぎて起きてきて、パジャマ姿のまま食卓の自分の椅子に座り、昨夜遅くまで見ていたテレビにまたぞろ見入るミサエは、妻として好ましい存在とは思えなかった。


 

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