第6話 暴力的な力

 「シ、ビア・・・?」


 俺は掠れた声で彼女の名前を呼ぶ。

 だが、彼女は口を動かすどころか脱力したようにぴくりとも動かなかった。

 

 「い、いつもみたいにからかってるだけ、なんだろ・・・? さすがに洒落にならないって・・・」


 シビアという女の子は、俺のことを弄ぶことが大好きな女の子だ。

 だから、これもきっと彼女の悪ふざけで、「ドッキリでしたー! びっくりした~?」なんて言って俺を嘲笑いながら頬を突いてくるに違いない。

 そうだ、きっとそうだ。

 なのに、それなのに、シビアは口を開く気配を一向に見せない—————


 「な、なあ、もういいって。これ以上は心臓に悪いからやめてくれよ・・・」


 そう言いながら彼女を抱き寄せたのだが、左手がやけに生暖かい。

 さっきまでまるで感じなかった温もりが、左手の感覚神経を強烈に刺激する。

 ヌルヌルとした生暖かい感触、今までに感じたことのない感触だ。

 そして俺は、見たくもないものを見てしまった。

 抱き寄せた際に見えた、彼女の胸部を貫通する左手の姿を—————


 「な、な、なん、なんで・・・」

 

 さっきまで俺の左手に張り付いていたはずの闇色の物体はいつの間にか綺麗さっぱり消えており、彼女の背中に突き出ていたのは、の左手だけだった。


 「どう・・・して、どうして今、消えるんだよっ・・・!」


 なんで、このタイミングで気色悪い物体が消えたのか分からなかった。

 これじゃあまるで、俺に全て罪を擦りつけたようなもんじゃないか。

 

 俺は、俺は、彼女を————————殺したんだ。


 意味不明な力を抑えられなかった俺が、彼女を殺した。

 手に掛けたくなかった命に、手を掛けた。

 この左手が、シビアの命を奪った。


 俺が、俺が、彼女を————————シビアを!


 己の無力さとシビアを奪った呪われた左手に、腹の底から怒りを沸々と湧き立てていた、そんな時だった。


 「き、貴様! そこから動くんじゃない!」

 「あ゛?」


 声のした方へ視線を向けてみると、そこには完全武装した兵士百名程度が鋼の剣をこちらに向けて構えていた。


 「通報を受けて駆け付けてみれば、なんだこの見るに堪えない光景は。貴様がここにいる者全てを殺したのか?」

 「殺したのは俺じゃない、この左手だ」


 彼女の胸からゆっくりと左手を引き抜き、血まみれになった左手を兵士に差し出す。


 「そんな屁理屈が通用すると思ってんのか? もう一度聞く、貴様がここにいる者全てを殺したのか?」

 「何度も言わせんなよ。この左手がここにいる全員を殺したんだ。俺が殺したくて殺したんじゃない」

 「通報通りだな、お前は人間の皮を被った悪魔だよ。常人には考えられないその発想力、お前は心情のないモンスターだ。モンスタ―はここで処分しとかないとな」


 そう言うと、兵士二十名は俺に向けて一斉に攻撃を開始し始めた。


 なんだよ、ここで何があったか知らないくせに知ったような口で俺を否定して。

 なんだよ、俺がどんな気持ちで彼女を殺してしまったのかも知らないで俺を否定して。

 なんで、何もしてない俺が人間性を否定されなきゃいけないんだよ。

 全ての元凶はこの左手だって言ってんのに、どうして誰一人信じようともしてくれないんだ。


 俺は、俺はな———————


 「殺したくて殺したんじゃねぇんだよ!!!」


 己の無力さ、無差別殺人をした呪われた左手、そして何を言っても信じてもらえないことへの苛立ち。

 全ての『怒り』が複合され、そして———————


 『憤怒因子を体内に循環、補填を確認し、すぐさま実行に移す』


 左手に再び、あの闇色をした物体が現れる。

 しかし、先ほどとはかなり様子が違った。

 右手にも、左手と同じように闇色の物体を用意し、更には左半身を占めていた痣が全身を覆い尽くすように真っ黒に染まっている。

 そして、ただならぬ気配をしたオーラが全身から溢れ出ていた。


 「この悪魔め! 早急に処分してくれるわ!」

 「ふん、我は、大魔王だ! 貴様ら人間如きに殺される器ではないわ!」


 なんで大魔王と名乗ったのか、自分でもよく分からなかった。

 だが、何だろう。

 凄く、気分が良かった。


 「自ら大魔王を名乗ろうとは馬鹿な奴め! 総員、取り囲んで奴に逃げる隙を与えるな!」

 「逃げる? 我が貴様ら相手に逃げるはずがあるまい。我を殺そうと本気で思ってるなら、「天霊勇者」でも呼んでくることだな! だが、今の我は「天霊勇者」如きで殺される器ではないわ!」


 「天霊勇者」? 一体なんだそれ。

 「天霊勇者」とやらが一体どんな連中かは知らないが、大魔王となぜか名乗ってしまった以上、勇者に命を狙われ続けることになるのは目に見えて分かることだった。

 それで罪が償えるのなら殺されるのも悪くないな。


 「ほぅ? どうやら器が我の魔源力とうまく馴染めてきたようだ。さて、貴様ら全員皆殺しにくれるわ!」


 左手と右手で不規則に動く闇色の物体が、襲い掛かってくる兵士たちの首を次から次へと跳ねていく。


 聞こえる、兵士たちの悲痛な叫び声が。

 聞こえる、俺が笑いながら人の首を跳ねている、実に愉快そうな声が。


 俺は今、人を———————殺しているのか?

 なんで、俺は人を殺しているんだ?

 罪を償うために殺されるのなら一向に構わない。

 だけど、なんで、俺が、人を、殺してるんだ?


 俺が望んでいる結末とは、あまりにも違いすぎる。

 早くこの状況を抑えないと、またこの手で人を殺してしまう。

 それだけは、もう二度としたくない。


 「止まれ! 止まってくれ!」


 攻撃するその手を抑えようと試みる。

 だが、俺のじゃないみたいに身体の自由が利かなかった。


 ————もしかしてこれ、身体を乗っ取られてるのか!?


 だとしたら、かなりまずい。

 このままでは、また皆殺しにしかねない。

 だからと言って、この状況をどうしたらいいのか分からず、とりあえず俺は必死に抗い続けた。

 殺したくない気持ちを強く持って——————


 「むぅ? 器が拒絶し始めたな。もう少しの間眠っててもらおうか」


 俺の声でそのようなことを口にした、まさにその時だった。

 首を絞められているような激痛が俺を襲ってきたのだ。


 ————何だこれ、肉体には問題ないのに、く、苦しい! 息が、できない・・・!


 息をしようと必死に抗い続けた。

 だが、俺が息をしようとすると更なる激痛が首元に走る。

 呼吸がままならない状態が続いたせいか、身体が痺れ始めてきた。

 乗っ取られた肉体上では、何も問題は起こっていないのに—————


 ————クソ、このままじゃ人を、人を殺し続けてしまう・・・!


 打開策を脳裏に過らせていたその時、なぜか身体が不思議な既視感を覚えたのだ。

 なんで今、その既視感を覚えたのかは分からない。

 だが、誰かに首を絞められたことは一度もなかった。


 ————って、そんなことよりも、意識が・・・


 呼吸を封じられて一体どのくらいの時間が経過しただろうか?

 次第に意識が暗闇の中へと消え失せていき、意識が完全に無くなる直前に言葉を投げられた気がした。


 『お前の使命は、「天霊勇者」を始末することだ』————と。

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