第5話 暴走する闇

 また、あの声だ。

 あの、若々しい男の声だ。

 だけど、どこから声がしているのか全く分からない。

 一体どこにいるんだ? と、できる限りの範囲で辺りを見渡そうとしたその数秒の間に状況は一変した。

 抑えつけられて苦しかったはずの身体が不思議と軽く感じるのだ。

 それだけじゃなく、錆びた鉄の匂いが鼻孔を僅かにくすぐっている。


 ————————鼻血でも出たか? でも、身体が軽く感じるのは一体・・・


 と、思考を巡らせていた次の瞬間、専門教会内に声にもならない女の甲高い悲鳴が響き渡った。


 「シビア!!!」


 兵士たちの拘束を力づくで振り払って彼女の元へ、と思ったのだが、いつの間にか拘束が解けている。

 こんな千載一遇のチャンスを逃す手はない。

 すぐさま立ち上がり、シビアを助けに駆け出そうとしたその時————————


 「う、動くな・・・! こ、この悪魔め・・・!」


 酷く怯えた様子で、兵士数名が剣先を微小に震わせながらこちらに向けてくる。

 しかし、彼らの敵意はさほど気ならなかった。

 それより気なったのは、口を抑えつけられているシビアの方だ。


 その状態では喋るのも、ましてや悲鳴をあげるのも困難のはずなのに、一体どうやって悲鳴をあげたのか。

 そして俺は、シビアを助けたい一心で見事に忘れていたことをようやく思い出した。

 この状況を自ら作り出した、諸悪の根源の存在を————————


 「あ、あなた、一体何者なの!? どう見ても、悪魔とかそんなちゃちな存在じゃない・・・!」

 「そもそも悪魔じゃない、確かに『聖霊解放石』を壊したことは反省もしてるし、ちゃんと償うつもりです。それなのに、どうして聞く耳を持ってくれないんですか?」

 「そんな悍ましい姿をしていてまだそんな戯言を口にしますか!? 悪魔の囁きなんか聞きたくありません!」


 『聖霊解放石』を壊してしまっただけで、俺の姿が悍ましいものに変貌を遂げるわけがない。

 彼女は、ただ罪人と話がしたくないだけなのだ。

 俺はただ、面と向かって話がしたいだけなのに。


 「兵士の皆さん! 同志の仇を今ここで討ち取るのです!」

 「は? 一体何を言って————————」


 そう言いながら足を踏みしめたその瞬間、ビチョッと、まるで水溜まりに足を踏み入れたような不愉快な感触が足裏の細胞神経を通じて脳に伝わった。

 だが、今日の天候は熱中症になりかけるほどの猛暑日であり、更に言えば専門教会内には雨漏りするような不備は一切見当たらない。


 つまり、この水溜まりみたいな不快な感触は————————


 俺がそれを確認する前に、もの凄い剣幕をした兵士たちが剣を前に突き出して襲い掛かってくる。

 本気で、俺を殺しに来ているようだ。


 「お、俺の話を聞いてくれ!!!」


 それが心の底からの願いだった。

 俺だって、一体何がどうなっているのか分からないと言うのに、いきなり殺意を向けられても受け止めきれない。

 だが、すでにその必要はなくなった。

 気が付けば、全てが無に返っていたからだ。


 四人の兵士が向けてきていた鋼の剣は、目にも留まらぬ速さで動いたによって見事に塵と化していた。

 それだけに留まらず、前衛で剣を突き出してきた兵士とシビアの口を塞いでいた兵士の頭を弊害に屈することなく、簡単に跳ね飛ばしてみせたのだ。


 「キャアアアアアア!」

 「こ、この人の形をした悪魔! 生きて帰れると思わないでくださいね!」


 シビアは悲鳴をあげ、案内係の女性はここで仕留めると言わんばかりの鬼の形相をしながらそう告げる。

 でも、俺は何も知らない。

 気が付けば兵士たちが勝手に————————

 

 「—————なんだよ、これ・・・」


 視界にわざと移り込んできたものに俺は思わず驚愕した。 

 蛇のような、はたまた竜の尻尾のような、先の尖った闇色の三本の物体が左手を覆い尽くしているのだ。

 しかも、よく見てみたらその闇色は延長線上にある左半身までも飲み込んでいるじゃないか。


 「何だよ、これ! 一体どうなってんだ!?」

 「とぼけても無駄ですよ! 私の能力『伝達パテレシー』ですでに討伐部隊を国に要請しましたので、時期に駆けつけ—————」

 「何してるんだ! 早く逃げろ!」

 「え・・・?」


 今の俺には、彼女の話に耳を傾ける余裕は一切なかった。

 一秒でも早くこの場から二人を避難させなければならないという使命感が、脳内を完全に支配していたからだ。

 こうも焦ってしまう理由は、一つしかない。


 「力のコントロールが効いてない! これ、勝手に動いてるんだよ!」

 「そ、そんな馬鹿な話を信じろと? 嘘を並べれば殺した罪が消えると—————」

 「嘘じゃねぇよ!」


 抑えの効かない力が再び暴走して二人を殺さないよう早く避難させたいのに、そんな俺の意思を無視して無駄口を叩く彼女にイライラが爆発してしまう。

 そして、ついには恐れていた事態が現実に起こってしまった。


 左手を覆い隠す謎の物体が、彼女の心臓に目掛けていきなり動き出したのだ。

 もちろん、俺が意図して動かしたわけじゃない。

 寧ろ、俺はどうにかして力を抑え込もうと思考錯誤を繰り返していた。


 だが、この闇色をした謎の物体は一向に止まる気配を感じさせない————————


 「おい、早く逃げろ!」

 「悪魔の指示に誰が従うものですか。こういう時の非常事態を想定して常に持たされてるんですよ」


 すると、案内女はポケットに仕舞いこんでいた金色の宝石を取り出し、飛んでくる闇色の物体にかざしながら叫び出す。


 「我らの守護神<<天炎司ウリエル>>よ、神の炎で不浄なる力を焼き滅ぼす力を我に与えたまえ!」


 彼女の言霊に応じるように、金色の宝石が目を眩ませるほどの白光を発光し出した。

 それと同時に真紅の炎が不浄の存在を焼き焦がそうと言わんばかりの勢いで、こちらに向かって一直線に飛んでくる。


 二つの攻撃が衝突するまでの時間は、秒単位にして僅か一秒。

 俺が目視して確認できた頃にはすでに彼女は——————死んでいた。 


 気付いた頃には、案内女の胸部に突き刺さった闇色の物体は、彼女の胸部の九割をも占める大きさへと膨れ上がっており、胸部を全壊させられた彼女は誰がどう見ても即死状態だった。


 「止まってくれ! もう、誰も傷つけたくないのに!」


 闇色の物体は、案内女の心臓を抉り取るような動きで彼女の胸部から豪快に引き抜く。

 そして、俺の鋭利な左手は次なるターゲットへと矛先を定め始める。

 兵士、案内女と来て、次なる標的となる人物は言うまでもなくシビアだった。


 「あ、ぅあ・・・あ・・・っと・・・」

 「シビア、早くここから逃げろ!」


 左手が不用意に動かないように、足を使って思い切り踏み潰す。

 もう、どうしていいか分からなかった。


 「ヴァ、ヴァル・・・ア・・・」

 「俺にはどうすることもできないんだ! だから逃げてくれ! 頼む、お前を、お前だけは、俺の手で殺させないでくれ!」


 その切実な思いがシビアに届いたのか、彼女は抜かした腰をどうにか持ち上げてこの場から立ち去ろうとする。


 だが、この左手がその愚行を見逃すはずがない。

 シビアを殺そうとする闇色の物体の行く手を阻むように手を天高くへと上げたり、地面に叩きつけたりと、彼女が逃げ切るだけの時間を精一杯稼ぐ。

 コントロールが効かない現状は、こんな足止め方法しかできなかった。


 ————————もう少しだ、あともう少し・・・!


 彼女と扉との距離は、およそ二十メートル。

 あと、もう少し踏ん張ればシビアをこの手で殺さなくて済むんだ。


 俺は、負けない。

 これ以上の犠牲者を出さないためにも、俺はこのでたらめな左手に負けるわけにはいかない。


 彼女を逃がして、左手こいつが二度と暴れないように調教してやる。

 それから俺は、きちんと罪を償うんだ。


 俺の意思はそこらの岩石よりも固い自信があった。

 恐らく、それがダメだったのだろう。

 

 『傲慢因子を体内に循環、補填を確認し、すぐさま実行に移す』


 再び、あの声が聞こえると、すぐさま俺の身体に異常が発生した。

 突然、自発的に行動する闇色の物体を抑えられなくなったのだ。

 まるで、力の量が大幅に増加されたような————————


 「まずいっ! シビア、早く逃げろ!」

 

 抑えきれなくなった左手に引っ張られながらシビアの懐へと向かうように飛んで行く。

 俺とシビアは距離にして二百メートル程度離れている。

 シビアと扉との間には僅か十メートルしか残されていないのだが、足を止めてしまったのかと思ってしまう程、彼女の逃げる動作一つ一つがスローモーションにしか見えなくなっていた。

 

 「頼む! 逃げ切ってくれぇぇぇぇぇぇ!」


 俺は必死に瞼を閉じて、シビアが無事に逃げ切ったことをただひたすら願い続ける。


 そして、静止したと同時に重々しい瞼をゆっくりと開けてみると、すぐそこには————————血まみれになったシビアがいた。

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