第54話  GINGA「木星」

涼の家が見えてきたところで、オレたちの歩くスピードは自然と遅くなった。


きっと、お互いに二人でいる時間をもっと伸ばしたいという気持ちが無意識に働いているからなのだと、そう思った。


今まで抱いてきたことのないこの新鮮な気持ちを、どう対処すればいいのか考えていく。


「ねぇ陸人くん、向こうから来てるあの生徒って…」


涼とどこか寄り道して帰ろうか考えていたところ、彼女は前方からやって来る同じ学校の生徒、天王寺谷理仁を見ていた。


理仁の歩みは大きく速く、もはや競歩と呼べるくらいであり、300メートルほどの距離はあったはずなのだが、いつの間にかオレたちの目の前まで来ていた。


「オヤオヤ? ガールフレンドがいたんだね、シルバーボーイ!」


「なんでお前がこんなところにいるんだ?」


こいつはこう見えて1年4組の学級代表委員であり、学級代表委員会の会議に出席していた。難を逃れたオレたち以外の生徒を見逃してほしいと青柳に頼んだが、きちんと約束を果たしてくれたようだ。


青柳はあの時、『候補生』をバラバラにし、各自学級委員を始末させる命令を下した。それ以降の明日人たちの動向は不明だが、今青柳が調べている最中だろう。


理仁以外の残りの4組の学級代表委員は、チャラい容姿の直江と天沢、そして途中退出した浅見。


直江と天沢は『候補生』である鴫原に連行され殺害されたとのこと。一方浅見は岡本研究所の計らいで身柄を確保してもらっている。


しかし…前から何か引っかかる。


この気がかりは間違いなくこの男の存在のことだろう。


冷静ではなかったものの、多少の護身術は備えていた『協力者』平野ツバサの腕を粉砕。『基礎的訓練』に近い訓練カリキュラムを受けている『候補生』小笠原明日人にあの時間で殺されずに済んむとは。


和解という形で青柳と話し合ったものの、その間の時間はそう短くはなかった。明日人の実力ならまだしも、理仁という男の実力は未知数。


見たところ傷など見当たらなく、おまけに制服のシワひとつすらついていない。あんなに喧嘩腰だであった明日人が胸ぐらをつかんだり、どこかを引っ張ったりした形跡がないとはな。


それに遠目から見えていたが、オレの家の方向から来たことも不可解だ。


「そう警戒しないでほしいねぇ~ガールフレンドを奪おうとは思ってはいないよ? ワタシは君に用事があってね、直接君の家に訪ねてきたところなんだよ。ハハハ」


「オレに用事…? 一体なんだ」


「オヤオヤ 忘れたのかい? 平野ティーチャーの件でお礼をするということを。そのためにわざわざ君の家へ行ったのに留守だったからね…イヤァー実に悲しいことさ!ハハハ!」


「お礼は別にいらないと言っただろう。留守だったのは申し訳ないが、その話は忘れてくれ」


それよりついさっきまであんなことが起きていたのに、よく平然としていられるな。


「陸人くん。話が全然見えてこないんだけど…?」


ぽかーっとした顔でオレを見る涼。この話は理仁とオレの問題であり、涼には知られてはいけない話だ。平野先生の件については尚更口外してはいけない。


「…ナルホド。君は自分のガールフレンドにあのことは伝えていないんだね。それは申し訳なかった。しかし、このワタシが直々にお礼をするなんて滅多にないことさ!今日はこのワタシに付き合ってもらおう!ついてきたまえ!」


そう言ってオレらが来た道をズカズカと一人で歩いて行くも、あとについてこないオレたちに気づいて勢いよくUターンし、オレと涼に近づき無理矢理腕を組んで引っ張って行こうとする。


「え、ちょ…ちょっと陸人くん!どうするの!?」


「おいおい、強引に連れて行こうとするな。涼も困っているだろう」


「ハハハッ!ノープロブレム!今のワタシはとても気分がいい!特別に君のガールフレンドにも厚いオモテナシをしようじゃないか!ハッハッハ!」


「マジかよ…全く離れない」


強引に腕を離そうとしてもビクともせず、理仁の誘いを何度も断ろうとしたが聞き耳を一切もってくれなかった。


そしてオレらは理仁のなすがままに、ある場所へと連行されていった。



_______



外はだんだんとオレンジ色に染まり、速足で歩きつつも少し肌寒く感じてくる。


「高校の近くまで連れてこられるとはな。それにここは…」


涼と歩いてきた道を引き返すルートで理仁に連れてかれた先はオレの見知った店だった。


「オヤ、もしかしてシルバーボーイはこのラーメン屋GINGAを知っていたのかい?」


ここは最初に悟に紹介してもらった店であり、銀二の書斎の地下に潜り込む作戦を話し合った場所。そしてこの店独特のラーメンに肝を抜かれた。


「まぁな。食通の知り合いに紹介してもらって一度ここに来たことがある」


「君の食通の知り合いさんの目はどうやら曇っていないようだ!ハハハッ!」


状況を把握できていない涼は不安な顔を浮かべながらオレの腕にしがみつく。


ゆっくり三人で薄暗いビルの中に入り、三階まで上がって店内へと足を運んだ。

店の中から大きな声が聞こえてくる。


「全く、おめぇさんとはホント気が合わないな!……お、客なんて珍しいねぇ。おい相模さんよぉ~ちゃんと接客しねぇと逃げちまうぜぇ?」


薄暗いカウンター席の一番奥側、口に爪楊枝つまようじをくわえ、季節外れの赤いアロハシャツに金髪のアフロ、金ぴかのアクセサリーを首や腕に身につけた、中背で細目の20、30代に見える男がオレたちの存在に気づいた。


「…いらっしゃい。…空いている席へどうぞ」


そして相変わらず不愛想な感じの店長の接客に応じ、入口手前の三席を確保。

そしてなぜだかわからないがオレと涼の間に割って入る形で理仁が座ることになった。


チラチラとこちらを見て、不安な顔をのぞかせる涼から「帰りたいよー」と口パクでこちらに知らせてくる。


学校では学級代表委員会の会議で命を奪われかけ、そしてこの訳の分からない状況だ…頭がおかしくなるのはオレとて同じだ。ま、後者の方が圧倒的に頭を悩まされているが。


「お前さんたち、高等教育高の生徒さんだよなぁ~? いいねぇ~青春してるじゃないのぉ~!」


ニヤニヤと頬杖をつきながら、金髪アフロの男がオレらに話しかけてきた。


「俺っちが高校生の頃なんて、趣味でナンパするのが忙しくて高校生らしい青春なんて遅れなかったんだぜ。おまけに付き合えた女性なんてゼロ!ナンパした女性ほぼ全員からのビンタ炸裂!口が血の味でそまる三年間!そう…まさに青ではなく赤色の春を送っていたのさ。はぁ…自分で言っててなんか後悔するぜぇ」


勝手に昔話を始めておきながら勝手に気分を落としていた。店に入る前に店長と何か口論になっていたのも気になるし、色々突っ込みたいところだ。


「ハッハッハッ!哀れなものだねーミスターナンバ!ワタシは君とは違って多くの友に囲まれ、優雅な日常を送っているよ!」


いやいや、学校ではいつも一人だろ。おまけに問題児扱いされ、とても優雅な日常を送っているとは思えない。と、そんな突っ込みを入れるより先に、気になる点が一つ見つかった。


「理仁、あの人と知り合いなのか?」


ミスターナンバと言っていたし、少なくとも初対面ではないはず。


「ウーム、まぁそんなものだね」


理仁がそう言うと、ミスターナンバと呼ばれる男は少し椅子からずっこけそうになった。


「お、おいおい…俺っちと同じこの店の常連客仲間だろ?これまでに何度か話す機会もあったし!…ま、細かいことは気にしねぇし、何でもいいんだけどな」


男は椅子に座り直し、口に咥えていた爪楊枝をテーブルの楊枝捨てに入れた。新しい爪楊枝をくわえ、自己紹介してくる。


「初めて会う人が二人いるし、一応自己紹介しとくかぁ!

俺っちは南波史郎なんばしろうってもんだ!よろしくな!」


南波という男は席から立ち上がり、オレと涼に握手を求め、名前を聞いてきたので軽く自己紹介をしあった。


「はいぃ~握手握手!これでお前たちもこの店の常連な?」


「え…っと」


眉を曲げ、混乱している涼はオレの顔を再度見てきた。


「彼女の方はこの店は始めてなんですが、オレは一度この店で地球ラーメンを食べました」


話のタネが涼の方へ向かわないよう、男の意識をこちらにい向かせる。


「ふふっ…そうかいそうかい!お前さんなかなかいい目をしてるじゃないのぉ~」


南波はオレの瞳の奥を覗き込むようにして顔を近づけ、ニヤニヤと笑った。てか理仁も言っていたが、この店に一度着たことがあるだけで目がいいってどういう判断基準なんだ。


「地球ラーメン…実はそのラーメン、この俺っちが考案したものなのだ!なはははっ!」


そう言って自分の席へと戻り、ふんぞり返る。


「…お前は命名しただけだ。レシピ自体は俺が考えた」


厨房の奥から出てきた店長は地球ラーメンを南波の席に置いて、オレたちのところへ近づいてきた。


「…以前悟と一緒に来てた、佐渡陸人だな。あぁ…名前は悟から聞いた。そう警戒するな。それと…」


店長はオレから涼の方へ視線を移し、真顔でじっと涼の方を見つめて十秒くらいの沈黙が生まれる。


「…な、何でしょうか?」


「……」


これ以上の沈黙に耐えきれなくなった涼が口を開くも、店長は動かない。


「…な、名前を教えればいいのでしょうか? な、成田涼といいます…」


「……」


「…え、えっと…」


「…」



_____タラー ポタッ



「…」


「え、えーっと!て、店長さん!?」


「失礼」


ぽたぽたと店長の鼻から血が流れ落ち、地に落ちていた。


「…ズズッ あぁ~そういやお前さんたちに言ったなかったな!こいつ小さい頃から男ばかりと生活してきたから女慣れしてねぇんだ。どういう原理で起きてんのか分からんが女を見ただけで鼻血を出す変な奴さ」


ラーメンのスープをすする南波から店長の意外な部分を教えられた。それと店長の本名は相模重明さがみしげあきというらしい。


「ひぃ~!」


ドン引きする涼は席から立ち上がり、オレの背中に隠れた。


「悪い。別に変なことを考えているわけでは」


表情を崩さずに弁明する店長。声に抑揚がなく、感情が伝わってこない。


「陸人くん…そろそろ帰ろうよ…」


我慢の限界がきたのか、オレの腕を引っ張っていこうとする。


「不快な思いをさせた。すまない。今日頼むラーメンすべて半額にする。許してほしい」


半額にされても涼は帰りたがろうとしたが、店長や理仁、それに南波にも食い止められしまい、しぶしぶここに残ることに。


「隣が陸人くんじゃなきゃ…やだよ」


涼の必死のお願いで彼女の右隣の空いた席にオレは無理やり移動され、体を密着される。


「いいねぇ~陸っち! 恋人同士そうじゃねぇーとな!あはは!」


「陸っちって…勝手に変なあだ名付けないでくださいよ。それにオレらは付き合っていませんし」


「えぇ、付き合ってないの!?二人ともお似合いなのにな!」



____ポタポタ



「あと相模さんよぉ~さっきから鼻血垂れたままなんだよ。ティッシュ鼻に突っ込んどけや」


南波は空いた客席のティッシュボックスを相模に強引に投げてよこす。


「これで大丈夫だな。見苦しいところを見せてすまなかった。ところで君たちはどのラーメンをご所望だ」


相模はティッシュを鼻パンパンに詰め、鼻詰まりのような声で、そして平然な顔で注文をうかがった。


「ワタシはいつものやつを頼むよ」


目をつむり、腕組みしたままの理仁が真っ先に注文。

いつもの、ということはやはりここの常連なのだろうな。


こいつはてっきり高級レストランや一流の店しか眼中にない人間だと思っていたが、意外と質のいい料理を提供する店に目がいく人間なのかもしれない。


「えっ…なにこれ。太陽系スペシャルラーメン…銀河系ラーメン(スペシャルラーメンに変更可)、土星ラーメン…あの、メニュー写真とか見れないのですか?」


メニュー表を眺める涼の目が点になっていて、何だか初めてここに来た自分と重ねてしまっていた。きっとあの時の悟もこんな感情を抱いていたのだろう。


「相模さんよぉ、まだメニュー写真貼ってなかったんか? ここのメニュー分かりづらいから写真貼り付けとけって口酸っぱく言ったのに…全く」


ラーメンをいつの間にか完食していた南波が相模に対して深くため息をついた。


「分かった。忘れないうちに今日写真を貼り付けよう。それではどのラーメンをご所望で?」


「じゃあオレは木星ラーメンで」


「わ、私は地球ラーメンにしようかな…」


「少々お待ちを」


全員分の注文を聞き終えた相模は再び厨房の奥へと姿を消していった。


地球ラーメン。


生でそのラーメンを見た涼はきっと驚くだろうな。

オレがここで初めて食べたラーメンであり、自分もまたあの味を堪能したいと思っていたが、他のラーメンはどんな見栄えか、どんな味なのか気になってしまい、ちょっとした好奇心に負け、木星ラーメンを頼んだ。


「…」


…そして、オレと涼は心の中で同じことを思っただろう。


いつの間にか南波がつけたあだ名が相模にも浸透していることに。涼っちは相模がつけたのものだが。


「ハハッ!今日は、やけにご機嫌だね…テンチョーサガミ」


この場の空気に慣れないオレと涼は互いに顔を見あい、なぜこうなってしまったんだろうと、ため息を吐くことしかできなかった。




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