第45話 開示
表情には出していないが、ミリーの目の瞳孔の奥には陰りができている。頭を必死に働かせている。感情を無視し、理論的に考えるための彼女の癖といったものだろう。先ほどの会話から、この癖ははっきりと視認できていた。
「黙るってことは、合ってるっていう解釈でいいかな。君は知的好奇心が強いにもかかわらず、僕に関する情報を直接聞き出さなかった。それよりも真っ先に自分の情報を開示した。まずそのことから不思議に思ったんだよね。知識のインプットより先に知識をアウトプット…まさに君の性格と逆なことをしているんだよ」
「…話し合いを勧めたのは私からです。まず自分の話をしていくのが普通じゃないですか?」
「普通はそうだね。だけど今僕らは普通じゃない立場にいることは理解しているはずだ。僕に関する情報をすべて知っていたら、こんな遠回りなやり方はしない。『僕に何か納得できるものを最初に提供して、それから交渉する』こんな風に簡単なやり方はすぐに思いつくはずだよ。だけど僕を味方に引き入れるための交渉材料が集まらなかった。だからこうして生身で接触してきた。命がけでね。違うかい?」
「…味方に引き入れる考えがあったことは認めますが、あくまでも考えです。目的とは別物ですよ」
「確かにそうだ。しかし利害が一致していて、なおかつ僕が納得できる材料を用意してくれているのなら、直接こちらに潜り込む危険を冒す真似はしない」
そもそもの話、予め納得できる材料を持っていれば、パソコンとかのメールで送信して渡すはずだ。直接敵陣に潜入すること自体おかしい。
「…その通りです。仲間を増やすという私の考えがあなたにばれても何ら差し支えありません。むしろ都合よく解釈してくれていることはよく分かりました」
都合よく解釈…?
「…それってどういう」
「これで私に関することはよく分かったのではないでしょうか。性格的な部分も含め、代々情報屋だった私のことを。『基礎的訓練』の情報を持っていること。あなたの組織の長である円谷校長が心酔する『英国科学研究所』…その機関が秘密裏に研究している前代未聞の後天的に完全な人間を育成するプログラム、通称『ゼウス計画』のことも。…もうこれ以上開示するのは止めにしましょうか。そろそろあなたの真意を聞かせてください」
こちらに目を向け、揺らがない瞳を覗かせる。彼女の瞳の奥には確固たる信念、いや…もっと何か強い願望が根底にあるような。
「…うーん」
僕の返答次第で事が大きく変わる。彼女の仲間になることは、労力を割く時間的な部分を除けばありがたい申し出だ。彼女のような優秀な人材はこちらの陣営に欲しい。
『英国科学研究所』を調べる目的でここまでの情報を揃えているとなると『基礎的訓練』を修了した者にのみ行われる、さらに上の訓練プログラム『応用的訓練』のことも知っているだろう。銀二さんや陸人もいつか知りえることだ。なら多少その機会を早めてしまっても別に……
「聞かせてほしい。今日この話を持ち掛けたのはなぜだ。ここまでの算段を用意しているのなら、検視の時に僕への接触を図るのは何か違和感がある」
こんな重要な話は、そもそもこんな場所で話すものではない。誰にも聞かれる心配がない密室などで話し合う内容だ。
彼女の立場からして、話が外部に漏れるリスクは完全に防げないはず。命の危険を冒してでもこの話し合いをした理由は何か…
「検視の時、だからですよ。あなたも薄々気づいてると思いますが、遺体留置所に預かっている影山家と十九名もの身元不明と思われる遺体。
まだ空さんは確認していないようですが、その内十九名もの彼らの所持品内にボイスレコーダーがありました。しかし普通のボイスレコーダーとは違い、リアルタイムで音声を一方的に他の人に連絡できる回路が施してあったのですよ。いわば盗聴器みたいなものですね。検視の時までそのボイスレコーダーは作動していましたし、ここの情報は相手方に筒抜けになっているでしょう」
「…まさか、そんなものが隠してあったなんて。話の続きはそのボイスレコーダーを確認してからだ!」
このことについていくつか疑問が湧く。
なぜボイスレコーダーにそんな連絡回路を仕掛けた。
スマホなどの方が機能的に優れているはず。本来の使用用途とは違う機械を用いることで発見を遅らせるのが目的であった。その方が盗める情報量も増える。
二つ目の疑問。あの者たちの遺体がもし岡本研究所の研究員であったなら、なぜ岡本研究所は仲間をこちらに送り込んできた。
ミリーは岡本研究所と関わりがある。検視のとき、ここに潜伏していたのも十中八九それが理由だろう。しかしこれだけだと判断材料としては薄い。円谷組織に敵対する組織は多いが、その中でも岡本研究所の名は組織のリストに上がっているほど。そしてあの遺体が岡本研究所の研究員であったなら彼女の友人である例のハッカーとは『多田悟』のこと。
悟さんとミリーが繋がっているとなれば、ボイスレコーダーで得た情報は互いに共有され、持ち主が殺されたあの夜からこちらの内情が筒抜けだった。敵の弱みを握ったミリーがこうして単身で動けることもうなづける。
彼らの遺体が高等教育高内で発見されたこともそうだし、根本一義の暴行事件との関連性もあると僕は考えている。
これらのことで結論が見えてくる。
仲間が殺されることを前提に仕掛けたトラップ。これはどういうつもりだ。
岡本研究所には陸人や江坂さん、悟さん、あと…新人の荻本優弥だっけ?彼らのような強い手駒を送り込めばよかったものの…なぜ敵の懐を掴んでいない状態で、あのような部下たちを送り込んだんだ。
陸人は『基礎的訓練』の時、同じ仲間…だったし、その実力はよく分かっているつもりだ。彼一人で円谷組織を壊滅に追い込むことも、成長した陸人なら十分可能だ。
江坂さんも同じ訓練生としてその力は見たことがある。あの人の戦闘スタイルは力任せのごり押しで容赦なく相手を
荻本優弥に関してはまだ調査中だが、彼の姉が『応用的訓練』の訓練候補生と聞く。彼もまた同様に優秀な素質を持つ人間だろう。
いずれにせよ彼らを送り込めば、部下の死は免れていた。
___________
警察署内の保管室へと足を運び、お互い遺留品棚にしまわれた例のボイスレコーダーを手に取り、慎重に分解をしていく。
見た目は黒色でコンパクトな長方形型の一般的な機器。
「許可なく遺留品をいじっても大丈夫なのですか?」
「大丈夫大丈夫!ここは僕たちの管轄だから多少のことは許されるよ」
「私にもお手伝いさせてください。二人なら早く終わりますし…分解作業やってみたいです」
「なんか…目キラキラしてるね。いいよ。じゃあ僕が言うとおりに分解していってほしい」
「了解しました」
___カチャカチャ
二人で黙々と作業していく。
たまにしゃべりながらも、部品一個一個取外すことに神経を使う。盗聴器が仕組まれているみたいに他にも何か細工がしてあるに違いない。
「これが連絡回路の基板か…後は」
慣れた手つきで順調に分解していく。パパっと適当に説明しただけなのに彼女も僕と同じくらいの速さでどんどん部品を取り出していき、もうラスト二個のところまできてしまった。
仕事が早く進むのはやっぱりいいな。
お互い切りの良いタイミングができたので、たわいもない話を吹っかけてみる。
「ミリーって僕より何歳年下なんだい」
「二歳年下ですよ。言っておきますけど空さんの年齢は調べがついています。ですが安心してください。それ以外の個人情報はまだ分かりません」
「ホント怖いよ君…どんだけ知っているのさ」
「あなたが思っている以上に私は何も知らない人ですよ。知識や情報があっても、それに伴う思考力が全然足りません。与えられたものをすぐこなすことは得意ですが、自分から考えて行動するとなると、よく分からないストッパーがかかるのですよ。途端に慎重深くなって、ゴールのところまで来たというのにあと一歩のところで引き下がってしまう…といいますか」
「君は自分のことを客観的に見ることが下手みたいだね。現に命を落とす覚悟でここまで来ているし、慎重なそぶりは一切ないと見受けられる。自分の命より大切なもののために君は動いているんじゃないかな。それも周りが見えなくなるほど強烈な原動力が働いてさ」
完全に僕にブーメランが刺さることを言ってしまった。
怒りと焦りと後悔。様々な感情がうずき、ドライバーを握っていた手に力が込められる。
「ごめん、今言ったことは忘れて…」
「空さん。これって刑事ものの爆弾処理班みたいな作業ですね」
うっすらと笑みを浮かべるミリー。なぜこんなところで楽しそうなんだ。彼女がどこか気分をよさそうにしているところを見ていたら、なぜだか僕も同じ気分になってくる。何か狙いがあるとしても、その意図を汲み取るのは難しいな。いったい何を考えているのだろう。僕の真意を聞きたい、とさっき言っていたけど、彼女の真意も直接的には口に出していない。言ったのは持ちうる有益な情報だけ。
「子供みたいなこと言うんだね~。そういう一面があるのは素敵なことだと思うよ。もし君に彼氏がいるなら、それを言ってみたらどうだい?もうイチコロだろうね!」
「ホントですか!?そんな可愛げありましたか!?あ…、えっと、すみません。取り乱してしまいました。フゥ…」
そう言って、少し呼吸を整えてから再び作業に戻る彼女。
…えぇ!なんか想像していた反応じゃなかった!側近の子と同じやり取りをかましてみたけどあのときは「空さんも恋愛とか興味あるんですね」とか「私のこと誘ってるんですか?気持ち悪いです」って言い返す感じで完全に引いてたのに。
ま、まさかとは思うけど、ミリーって僕のこと意識しているんじゃあ……
「こほんっ。ここまでお互いのこと…いえ、私のことを話したのですから、もうお気づきになられましたよね」
手持ちの道具を置いて、僕の方へと目を向ける。
「え、もしかして」
ホントに僕のこと好きなんじゃ、いやいや確かに過去に一度会ったことあるけど、彼女のことはほとんど覚えていないし、何かかっこいいことをしたわけでもないし…待て待て、敵陣にわざわざ潜り込んで僕に接近してきたってことは、命を捨てる覚悟もあって僕に会いに来てくれたと解釈できる。重要な情報を教えたり、僕のことを事細かに分析したり、第一仲間に入れる目的があるのだから、信頼や好意を持ってくれているのも当然だよね。
お互い腹の探り合いをしてたのは、ミステリアスな女性を演じ、自分に興味を惹かせたかった。僕という人物をもっと知りたかった。その後は真剣なムードに持込み、ラストは彼女の可愛げのある仕草で、僕はイチコロ…っていう流れだな、うん。
「私には好きな人がいます。数年前からずっと片思いしてきました…」
はい、もうこれ確定演出来たじゃん。その後は僕に告白して…って僕はどう返答すればいいんだろう。やばいやばいっ全然考えていなかった!
と、とりあえずここは丁重にお断りして、まずは友達からのお付き合いを…いや、乙女か!ダメだー!真面目な恋愛とか僕に合わない気がする。
「相手の名前は個人情報なので言えないのですが…」
彼女の白い肌が赤らめ、見るからに恋している女性の顔をしていた。
「…そ、その相手ってもしかして…」
____ガタンッ! バりんっ!
保管室の入り口のドアが押し倒されるように強引に破壊され、その衝撃でドアのガラス破片が勢いよく散布した。
幸い僕たちのところから距離が離れていたため、怪我はなかった。
しかしドアを破壊した本人、全身黒のローブを身にまとった狂人ちゃんがミリーの元へ駆け出し、彼女の目元に右手の手刀を構える。
「……ッ!?」
「空さん。なんで部外者をこんなところに入れたの?」
「狂人ちゃんこそ…なんでわざわざこんなところに来たんだい?」
「私が殺してあげた死体を愛でるため。それ以外の理由はないよ? そんなことよりも私の質問に答えて」
マズイ状況になったなぁ。ミリーがここに潜伏していた、それを話せば狂人ちゃんは80パーセントの確率で殺す。残りの20パーセントは何なのかというと、殺さずに痛めつける。どちらも残虐な選択だ。何を考えているのか分からないくらい頭が狂っている彼女をどう上手く対処すればいいのか…
「…あ、あなたの手…凄くきれいですね。手入れが隅々まで行き届いているようです」
ミリーが急に狂人ちゃんの手を見て、そんなことを言い出した。今、死地に立っている人間が言うセリフではない。
「お褒めいただき光栄です…なんて言葉は堅苦しいかな。 あなたも上品な女性で良かったよ。…もしかして新人さん?」
おっ、この流れは…
「…は、はい。空さんと一緒に遺留品を整理していました」
「ふーん」
「この新人さんの言う通りだよ、狂人ちゃん。僕らが仕事している最中にいきなりドアを壊した挙句、可愛い後輩をいたぶるなんて先輩としてどうかと思うよ?」
「そっか、新人さんか…うん、それならいいんだよ。あなたたちの言うことを信じるよ。失礼な真似してごめんなさい。新人さん」
そう言って手を引き、軽く頭を下げた。
「いえ、この組織に怪しいと思えるような人がいれば、そうするのも当然ですよ。気にしないでください。…私はこの間入隊してきたばかりの未熟者ですが、今後ともお世話になります。…ちなみにあなたの名前を聞いてもよろしいですか?」
後半はややグダグダな感じだったけど、自分の名前を言わず、相手の名前を知るつもりか…って言ってもミリーがそんなことをする必要あるのか。既に調べていると思っていたけど…まぁローブで顔が完全に隠れている狂人ちゃんが誰なのかは顔を見ないと分からないか。
「……わ、私の名前は…」
ミリーから数歩下がり、体がこわばっていた。どうかしたんだろうか。
「…ご、ごめんなさい!」
そう言って狂人ちゃんは逃げるように退出していった。
「…一体どうしたんでしょうか。彼女は何かに恐れているように感じました」
「僕にも分からないよ。あの子は悪い意味で特殊だから気にするだけ無駄だよ」
「で、ですが…少し気になりますね」
「深追いは禁物だよ。遊び半分で殺されても知らないよ?」
「そ、それは近づきにくいですね。やめときましょう」
「うん。賢明な判断だね…」
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