第37話 予兆
「また四組のやつが騒いでましたね。平野先生のクラスは本当に大変そうで…。そう思いませんか?小池先生」
「私のクラスの生徒が主な原因でしたけどね……でも、四組はにぎやかでいいクラスだなぁーと思いますよ。永野くんたちの喧嘩を止めに入ってきてくれた勇敢な生徒もいましたし……その生徒が今日転校してきた子だってのはびっくりしましたが、気絶しちゃったときはもっとびっくりしましたね。
たしか…荻本くんでしたっけ? その子をすぐに保健室に連れていった、若野さんたちの対応もしっかりしていましたし、私は好きですよ」
二限目が終了して、その間の準備時間に私と三組の担任の勝俣先生は、一学年フロアの中央廊下の端の方で、今朝の喧嘩について話し合っていた。
「確かに真面目な子もいると聞きましたが、大半は問題児であふれかえってるみたいじゃないですか。にぎやかなのはいいですけど、関係のない人に迷惑をかけることは見過ごせませんね」
「そう思うのは仕方ないですけど……、ちなみに勝俣先生のクラスはどうなんですか?」
まだ新学期早々二週間くらいしか経っていないけど、徐々に自分のクラスの特徴は分かってきているはず。私たち教職員は入学式の頃、仕事が忙しかった分、他のクラスの様子を見る余裕はあまりなかった。そのためだんだんと落ち着いてきたこの機会に、他のクラスのことをもっと知っておきたいな、と思っている。
「あっはっはっ。私のクラスは優秀な者ばかりですよ?うちの学級代表委員の委員長、
そう自慢げに自分のクラスの子たちについて教えてきてくれ、「次はあなたのクラスのことを教えてくださいよ」と目で話してくる。
スポーツと同じように何事にも勝負好きな彼は、何かと私に絡んできては自分の方が上だと豪語してくる。
きっと子供みたいな私をからかうのが好きなんだろうな…まったく、私の方が年上なのに。
そう分かっていても、つい私も勝負になると熱くなってしまうせいか。感情的になって彼に対抗してしまう。
「うふふっ、勝俣先生のクラスに引けはとりませんよ?私のクラス委員長の宮田奈々さんは、みんなをまとめるカリスマ性がありますし、周りからの信頼は学年を越えて人気なんです。書記の三浦弓さんは、動物の話になると周りのことが見えなくなってしまいますが、誰とでも打ち解けられる性格で、二人の高いコミュニケーション力はきっと社会人にも通用するでしょう。一方、副委員長の成田涼さんは会計の佐渡陸人くんっていう生徒と仲がいいのですが…」
…なんだろう
急に口が
自分でもなんでこうなったのかよく分からない。
「…恋愛、とかでしょうか」
…そう、なのかな…。
男性にしては勘が鋭い、というよりまさか
「勝俣先生の口からそんな単語が出てくるとは思いもしませんでした。ちょっとどころか……すごい意外です」
「そんな冷たい目で見ないでくださいよっ!…私だって大人ですし、今どきの若者はそういう話題には興味を持つ年ごろでしょう」
「そうですね…」
……え、え!?もしかしてあの二人は恋人同士の関係だったりするの…!?
涼さんと陸人くんは仲がいい。二人一緒に下校するところを何度か見た時あるし、始業式の次の日、二人は付き合っているという噂が上がっていた。あの日の放課後、陸人くんと話す機会あったんだし、その時二人の関係性を確かめればよかったなー。
教師が生徒間のプライバシーに踏み込むのは、絶対ダメって分かっているけど…すごく気になって仕方がない。実際のところどうなんだろう。
「佐渡……佐渡ってたしか、この学校のPTA会長の佐渡銀二さんと同じ苗字ですよね。あの方の……」
不思議そうに考える勝俣先生の口から、恋愛の話から一変して、陸人くんの話に切り替わる。
「もしかして陸人くんって佐渡会長の息子さんでしょうか!?」
自分でも素っ
「担任であるあなたが知らなかったんですか? 佐渡という名字はここには一人しかいませんし、職員室で耳にした程度ですが、彼の息子さんだという話も聞き覚えがあります」
そういえば陸人くんの入学手続きの書類に佐渡会長の名前が書いてあった気がするような…ないような。
「全然似てないですし、気づきませんでした…えへへ。県教育委員会の佐渡会長の息子さんか……どおりですごいわけだ~」
「陸人という生徒の何がすごいんですか? 学業とかですか?」
「ふふふ……驚かないで聞いてほしいんですけど…」
…あ、そうだった。彼の入学試験の話はこれ以上話してはいけないんだった。危ない危ないっ!思わず勝負に乗った勢いで話すところだった……。
「えーっと……」
どうしよう!何か言い訳しなくちゃいけないんだけど、何も思いつかない…うーん、困ったな…。
「あぁー!そうだった!」
「きゃっ!ど、どうかしたんですか勝俣先生っ!」
いきなり彼が大声を出し、それに釣られた私も大きな声を上げて飛び跳ねてしまった。
近くにいた生徒たちが、私たちの声に
ここは一学年の廊下だし、おまけに今は次の授業の準備時間。休憩時間と言っても等しいこの時間は、一学年に限らず、他学年の生徒もこの廊下を行き来する。
なんだかとてつもなく恥ずかしい。
「ちょっと勝俣先生…?周りには生徒さんもいますので、急に大声を上げるのはやめてくださいね」
やや怒りを含めた言い方で、彼に注意を促す。
「いやぁー!すみません、すみません。ははは。そういえば陸人のやつ、今日体育の授業出ていなかったことを思い出しましてね。放課後に居残りで体力測定をしなくてはならないんですよ」
え…あの陸人くんが?
「そうだったんですか…どうして陸人くんは体育の授業に出なかったんですか?彼は授業をサボる生徒ではないですし、何か理由があったんじゃないですか?」
今までの彼の行動は、他の生徒さんよりよく見ている。なんだかいけないことをしているというのは自分でも分かっているけど、単純にすごく気になるのだ。陸人くんみたいな生徒は今まで見たことないってこともあるけど、彼に関しては何かと知らない部分が多い。
そうだっ!ほかの先生にも陸人くんのことについて教えてもらおっと!なんで今までそうしなかったんだろ…
「それがですね…陸人と平野先生が一緒に、私のところに来ましてね。『一限目の体育の授業お借りします』と言って、二人はそのまま行っちゃったんですよ。現代文や数学とかの主要科目同様、体育の授業も大切ですからって言って、反対したかったんですが、何やらいつもの平野先生の顔じゃなかったっていいますか…すごく焦っているように見えました」
焦り?平野先生が?……それも気になるけど一番は…
「平野先生と陸人くんが一緒に……そうですか。え、えぇ!なんでですか!」
「ちょ、小池先生!声がでかいですよ。周りにいる生徒さんたちが驚いてますって」
「し、失礼しましたぁ…」
さっき勝俣先生に注意したことが、自分にも当てはまってしまった。
え…もしかして平野先生は、陸人くんの入学試験の話で何か
「何か困りごとですか?」
後ろから野太い声が聞こえ、振り向くと、190はある巨体を目の当たりにする。
特徴的な赤マフラーと顔にある大やけどの傷跡で誰なのかはすぐにわかった。
「……あ、赤坂教頭先生!おはようございます!」
彼に深く頭を下げて挨拶すると、隣で私と同じようにして勝俣先生も深くお辞儀をする。
…近くに来るまで全然気づかなかった…ていうかやっぱりすごく怖いな…
「小池先生、勝俣先生。おはようございます」
「ど、どうかなされたのですか?一学年フロアにわざわざ足を運ぶなんて珍しいですね」
勝俣先生の言う通り、赤坂教頭先生はいつも職員室にいて、ずっとパソコンに向き合って仕事をしている。教頭先生として全校集会で話したり、出張でいない先生の変わりに臨時で授業を受け持つこと以外、ほとんど目立った行動はしない。
その顔の火傷の跡もそうだけど、常に無口無表情かつヤクザみたいに屈強そうなところは多くの生徒さんから怖がられている。
私たち教師でもそんな赤坂教頭先生にいつも
「平野先生が今どこにいるのかご存知ですか?」
…平野先生を? 彼女を探しにここまで来たのかな。
「そういえば、もうすぐ二限目始まるのに見ないですね…勝俣先生は平野先生がどこに行ったか聞いていなかったんですか?」
彼から逃げるようにして、目線を勝俣先生の方へ向ける。
「…すみません。聞きそびれましたね。平野先生は一年二組の陸人と一緒に私のもとに来て……」
そう言っている中、不服そうに黙り込む赤坂教頭先生を見た勝俣先生は、より詳しくその時の話をしなければならないと思ったのだろうか。詳細な状況説明を述べていった。
一限目の体育の授業前に、職員室で体力測定の器具や用紙を準備していた勝俣先生のところに、どこか浮かない表情をした平野先生が陸人くんを連れて「体育の授業を借りる」と言って来たこと。そのまま彼らは職員室から退出していったこと。
そしてここからは初めて知った情報なんだけど、その後二人が一緒にこのA棟から出て行くところを勝俣先生は見たらしい。
今日彼女は一限目の授業を担当していないため、その空き時間に外で、あるいはB棟やC棟の他の校舎で陸人くんと何かをしていた。
「ほう…なるほど。
勝俣先生の先生からたびたび出てくる陸人くんの存在に、当然疑問に思う赤坂先生。
「あのっ!私のクラスの…一年二組の生徒さんで、佐渡陸人くんと言います」
「佐渡陸人……佐渡銀二の息子か」
「佐渡会長のことを呼び捨てなのですね…赤坂教頭先生は佐渡会長とお知り合いなのですか?」
少し考える仕草を見せた彼の眉間には、僅かだけどしわが寄っていた。
「まぁ少々」
無口無表情の赤坂教頭先生だからこそ、微妙な変化には敏感に感じ取れるのかもしれない。もしかしたら平野先生と陸人くん、それに佐渡会長や彼も何か関係性があるのではないかと、良くも悪くもない勘が働く。
赤坂教頭先生は左腕に身に着けたシルバーの腕時計を見て、次の授業が迫っているためか、やや急ぎ足で話す。
「そろそろ授業開始時間ですね。二人に頼みたいことがあるのですが、小池先生は今、陸人という生徒が教室にいるかどうか確かめてきてください。勝俣先生は授業の担当になっていませんよね。あなたは平野先生の方をお願いします」
「は、はい!」
「了解しました!」
な、なんだろう…嫌な予感がする。分からないけど、陸人くんと平野先生の身に何かあったのかな…? すごく心配…!
_______
生徒に「廊下を走ってはいけません」としょっちゅう口に出している自分に
思いっきり走って行って、程なくして二組へと到着する。
「り、陸人くんっ!い、いる!?」
教室の中に入り、辺りを見回しながら陸人くんがいるかを声で確認する。ほぼ全員が着席していている中、窓際一番前の彼の席は空席。それを見た途端にぞっと冷汗をかく。
…いない。あと二分で授業開始なのに、やっぱり何か……
「先生?陸人さんなら先生の後ろにいますわよ?」
ちょうど真ん中の席で姿勢よく座っている宮田さんの声に反応し、後ろを振り向くと、
「え…り、陸人くん…?」
そこには手に持ったハンカチで両手を拭いている、いつものようにパッとしない陸人くんの姿があった。
「どうかしたんですか」
今頃になって、相当焦っていたことに気がつく。彼らに何かあったときはどうしようって考えただけで心臓バクバクだった。
「陸人くんっ!…さ、さっきまで何してたの?」
「用を足しに行ってただけですよ。先生こそなんでそんなこと聞くんですか」
お手洗い行ってただけか~……ほんと良かった。うん、良かった…
「ううんっ!なんでもないっ!えへへ」
ほっと胸をなで下ろし、心の中で思いっきり安堵の息を吐く。
「ちょっと小池せんせー!陸人のことなんか意識しちゃってません?うちにはそう見えましたー!」
小西さんの一声で多くの生徒が立上り、私たちはブーイングやら歓声やらを受け取る。
「えっ…そ、そんなわけないじゃないですかー!クラスのみんなの前でそんなこと言わないでくださいっ!」
両手を振り、全力で否定する姿勢を見せても、みんなから向けられる目は全然変わらない。
「えぇ~?だって小池先生可愛いし、うちは応援するよー? 頑張って!小池せんせー!ひゅーひゅー!」
「ちょっと、みなさん…!」
彼の顔をちらっと見ると、この状況の中でも平然な顔をしていた。
「オレ、席戻りますね」
そう言って彼は、みんなの注目からさっと抜けるようにして自分の席へと戻っていった。
ご、ごめんなさい…陸人くん…。
自分のせいで変に彼が目立ってしまった。心の中で彼に謝る。
とりあえず陸人くんがなんともなさそうで良かった。
赤坂教頭先生の話から何か嫌なものを感じたから、すごく心配したけど、陸人くんが大丈夫なら平野先生もきっと大丈夫だよね。
きっと私の思い過ごし…だよね。
放課後、いつものように私に構ってくる平野先生を想像しただけで、なんだかうれしくなった。早く平野先生に会いたい、早くじゃれあいたい…今日はそんな気分。
そんな楽しみを心待ちにして、今日の授業は特に気合を入れて行っていた。
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