第36話 前兆

一限目の体育の授業を終え、男子更衣室で制服に着替えた後、教室へと戻った僕は、机にどっかり足を乗せて、満面の笑みを浮かべている理仁君に話しかける。


「理仁君。聞きたいことがあるんだ…あの」


「なんだね?ワタシに何か用事でもあるのかな」


右手でサラッと髪を流し、僕の目を見ずにそう言う。


50メートル走の記録を測っている時。

僕が完走し終える頃、理仁君が陸人さんと一緒にA棟から出ていくところを目の当たりにした。なぜクラスが離れた彼らが、体育の授業を休んで同行していたのか。その理由をずっと考えていた。理仁君が例の刺客あるいは護衛の人間か。それとも陸人さんと同じ『別隊』に属する人間なのか……。


だけどそれは後で陸人さんに確認すれば分かることでもある。

僕に【刺客や護衛の動きを封じ込める任務】を与えた陸人さん本人が一番、敵の手がかりを掴んでいる。もしくは既に正体を突きとめているはずなのだ。


「で、ミスターオギモト。ワタシに声をかけておいてそのまま黙り込むとは、どうかしたのかい?」


陸人さんとA棟で何をしていたのかを確かめるつもりだった。だけど彼の正体を知らない状況でそのことを確かめるのは危険な気がする。


転校初日の僕が、なぜクラスの離れた陸人さんと知り合いなのか。


恐らくそう思うだろう。敵であれば僕たちの関係性に目をつけると思うし、その時僕だけではなく、陸人さんや岡本研究所のみんなにも飛び火が行く。

敵か味方か分からない以上、任務に支障が出る真似はできない。


「いやっ!ごめんごめん。なんでもないんだ」


彼の前で両手を前に振り、謝罪する。


「そうかい? 次からは気を付けておくれ。今ワタシは忙しいのだからね!フハハハハ!」


「え、あ…うん!気を付けるよ!ごめん」


忙しいと言っても、自分の右腕に巻かれた高級時計を見つめているだけじゃないか。

そう心の中でツッコミを入れてしまった。


「荻本くんっ!こんなやつに関わるだけ無駄だって!」


「そうそう。理仁はまじでクラスのこと全く考えないし、自分にしか興味がない問題児だからさ。ほっとけよ」


クラスの人たちが僕にそう言ってくれ、気にかけてくれる。それは嬉しい。だけど彼もまた同じクラスメイトだ。こんな風に他人から毛嫌いされたまま、高校生活を送るなんて、きっと寂しいはず。


小、中学の頃、人との関わりを断ってきた僕と通じる部分もあってか。今彼が置かれている立場は、きっとこの先僕みたいに後悔する未来を辿る。そう思ってしまった。


「う、うーん」


「考えるまでもないって、行こうぜ」


まだ名前を知らない男子生徒に腕を引っ張られ、彼から引き離される。



……



何か腑に落ちない。



朝の時教室へ入ることにしり込みしていた僕よりも先に、理仁君が教室へ入った。いつも遅刻していると言っていたし、あの時間に登校していても何ら不思議はない。だけど、そんな彼の行動に何か違和感を感じたのだ。

僕の無駄な緊張感を無くすようにしてくれた……他にも、自己紹介の時には僕の腕を見せてくれって言って、みんなの注意を僕に集めてくれた。


結果、周囲に対する僕の評価を上げてくれた。


少し話が飛躍しすぎかもしれないけど、少なくとも悪い人ではないのは確かだ。



______



廊下側一番後ろの自分の席へと座り、クラスの人たちに囲まれながら、体力測定の話をしたり、この高校について色々なことを教えてくれた。


すると教室の後ドアから永野君たち三人が顔を覗かせてくる。


「おーい、荻本っ!言い忘れてたけど……ってお前、浅見和人あざみかずと!」


僕に何か用事があったのかもしれないが、永野君の横を通り過ぎて行く、一人のクラスメイトに強い反応を示す。


永野君に呼び止められた浅見君は歩みを止め、ピクリとも動かない表情で彼ら三人と対峙たいじする。はたから見ても彼らの場の空気が良くないことは見て明らか。


「おいっ!お前、どこに行くんだよっ!無視すんな!」


彼らのことをシカトし、この場から立ち去ろうとする浅見君。だがしかし永野君がそんな彼の前に出て、進路をふさぐ。


「なんだ?どうせまた勝負の話だろ。中学の頃、もうしないと約束したはずだが」


低音の浅見君の声には、不思議と信念のような力強さが感じ取れた。


中学…、約束…?もしかして永野君たちと浅見君は同じ中学の陸上部だったのかな。


「そういう余裕こいてるとこがむかつくんだよ。……聞くけどよ、なんで今日の体力測定サボりやがった?」


体育の授業を欠席したのは二組では陸人さん。四組では理仁君と浅見君の計三人。


「それを答える義理もないが、どいてくれないか。邪魔だ」


眼鏡をクイっと上げ、七三分けにした髪が僅かに揺れる。再び彼らの横を抜けて歩き出す浅見君には、涼しげなスポーツマンのオーラが漂っていて、性格やたたずまいにもクールさがあった。男前で無口なところはかっこいいと思うけど、やっぱり…怖いというイメージが先行してしまう。


「なんだとっ、お前…!」


「やめろよ、永野っ!あきらめてもう引こうぜ…」


そう言って先ほどから静観していた生天目君が、永野君の右腕を掴んで抑える。


「んだよっ生天目っ!あいつがあんな風になっちまって、ほっとけねぇだろ!」


「いいから…生天目の注意を聞けよ。あきらめろって言ってんだよ、永野」


何かとふざけたり、おかしなことを言ったりする柏木君が険悪な顔をして、彼もまた永野君を抑えようとする。


柏木君がこんな顔をするとは思いもしなかった…


「はっ?…柏木、お前まで何言ってんだよ。…お前まであいつのことを!」


片腕ずつ抑え込んだ二人を振り払って、永野君が浅見君のもとへと駆け寄ろうとするも、生天目君、柏木君も粘るようにして彼を抑え込もうとする。


先ほどから二人は必死に彼を止めようとしているのは分かる。だけどその顔は暗くて、あきらめのようなものが見て取れるのは何故だろう。


「おいっ、あいつらやばいって!荻本っ!お前が止めに行ってくれ!あいつらと仲良くなってただろ?」


「荻本くんっ!お願い!止めてあげて!」


少し前まで一緒に話していた人たちが、あの三人と関わりを持っている僕に難題を押しつけてくる。


「…ちょっ、ちょっ!無理無理!僕なんかがあの人たちの間に割って入るなんて身の程知らずだよ…」


彼らが悪い人ではないってことは分かっているけど、僕なんかが止められるはずもないって…


激しく嫌がる素振りを見せているのに、そんなのお構いなしに背中を押され、彼らのもとへと突き出される。


「……あ?」


三人は僕を一瞥いちべつした後、完全に無視。そして再び言い争いを続けていく。僕が入って、より悪化したのだろうか。更に三人の声量が大きくなって、言い争いにおいて使われる単語に「クソ」とか「クズ」などのトゲのある言葉が増えていく。必死に永野君の肩を掴んで抑制する二人も、激しい怒りを示す永野君に圧倒されつつある。


遠めから僕に向けて「喧嘩を止めろ」と小声で言うクラスの人たちに渋々従い、


「えっと…ちょっ、喧嘩は…」


喧嘩はやめようよ、と言うだけ言えばいいか。自分の中で妥協点を見つけて、そう言おうとしたものの、彼らから痛い言葉が飛んでくることを想像してしまい、思わずたじろいでしまった。


「なんだよ、荻本っ!今俺は浅見に用があんだっ!関係ないお前はあっち行ってろ!」


語気を強めた永野君から、痛く罵倒される。


「ご、ごめん…だけど、クラスの人たち見てるから、もう…」


「ちょっと荻本さ……。こいつを止めようとしてくれんのは嬉しいけど。もっとハキハキしゃべれよ。それにさ…俺らより足速いからってマウント取りに来たわけ?」


「そ、そんなこと思ってないよ!僕はただ…」


柏木君からも心が弱い僕に向けて、精神的ダメージを与えてくる。


体育の時間、彼らと仲良くすることができて…この学校で初めてできた友達だったのに、今まさにその関係が崩れていく前兆のようなものが見えた気がした。気が動転して、もうどうにかなりそうだ…。


「大丈夫か、荻本。ごめんな、お前だけに任せて…」


僕に喧嘩を止めさせようとした人たちが、罪悪感を感じたのだろうか。恐る恐る僕の方へ駆け寄ってきて謝罪の言葉を述べる。


「おぎも…と………」


徐々に彼らの声が遠のいて聞こえる。永野君たちの騒がしい声も、何を言っているのか分からないほどにどんどん小さくなっていく。


全身の力も抜けて、急に目の前が真っ暗になり、膝から落ちていく感覚だけが残った。




______




「喧嘩やら失神するやら迷惑なやつばかりだな。全く、見るに堪えん」


「おいっ待てよ!浅見!」



_______



____



__



「………う、ん」


「あっ、気がついたんだね。良かった~」


う、うーん…なんか柔らかい感触が手のひらに…


「えっ…//ちょっと、萩本くんっ!?どこ触ってるのー!?」



____パァーンッ!



「ブフゥッ! 痛いっ!…って僕、なんで保健室の前にいるの?」


目を覚ました瞬間、右にいる女子生徒からいきなり僕の左頬に強烈なビンタをお見舞いされた。なぜビンタされたのか訳が分からないし、どうしてこんな状況に陥っているのか謎なんですけど…。


両脇には二人の女子生徒がいるし、僕の肩を担ぎながら保健室まで……僕を一生懸命運んでくれていたのか。


「ご、ごめん!つい反射的にビンタしちゃったっ!大丈夫…じゃないよね。頬すごく赤くなってる……」


「あ、あの…もう大丈夫なので、大丈夫です!」


寝起きのせいか。はたまた目覚めのビンタのせいで頭の働きが鈍ったのか、おかしな日本語が口走った。


「ほんとにごめんねっ!さっきのはわざとじゃないから!…で、でも荻本くんがいきなり変なところ触ってきたからさ…」


へ、変なところってなんだ…?


「…えーっと。な、なんかごめんなさい!色々と覚えてないんですけど、ホントごめんなさい!」


「……お、覚えてないならそれでいいよ…。私こそごめんね。……やっぱり面白いね、荻本くんって。ふふっ……なんでそんな挙動不審なの?」


そう言って、ビンタしてきた女子生徒がクスッと笑う。


「いやいやっ!どこにも面白要素なんてないよっ!?……えっと」


「私は同じクラスの若野菜々花。一応、私保健委員だからね、君をここまで運んできたんだよ。敬語じゃなくてタメ口で話そう? ね?」


若野さんっていうのか。近くで見るとこんなかわいい人だったんだ。肩まである髪型や髪色が茶髪なのもすごく似合ってるし、何より天使を彷彿ほうふつさせるような、その容姿には目を引くものがあった。


「わ、わかりましたっ! じゃなくて…わかった」


「よくできました、…ふふっ。あと荻本くんの左肩持ってあげてるのは、同じクラスメイトの加藤美優かとうみゆうさん。加藤さんも私と同じ保健委員なんだ」


「加藤美優です。よろしくね、荻本くん」


「よ、よろしく」


加藤さんはパッとしないっていうか、存在感が薄い?そんな感じが……いやいや!ここまで僕を運んできてくれた彼女に失礼極まりない!


でも、よく見たら色白できめ細かな肌だ。ボブの髪型で、サラサラとその髪が揺れるたびにいい匂いを放つ。薄い紫の髪には、程よい色合いでピンク色が混在してあった。


可愛いと美人の中間に位置するような…そんな人。明るく話せばきっと目立つんだろうけど、本人はあまり目立つのは好きそうな感じではなさそうだ。




____ガララッ




扉を開けた若野さんに続いて、保健室の中に入る。

一見して普通の保健室。白くて清潔なこの感じ、独特な薬品がかすかに香るところは小、中学校のと変わらない。


「あれっ?保健の先生いないね……一限目始まる前に、私と加藤さんで健康観察簿届けに行ったときは、ちゃんといたんだけど」


辺りを見回しても、人気がない。薬棚とか近くにあるのに、流石に鍵開けっぱなしはまずいと思う。


「誰もいないみたいだし…ここを勝手に使っちゃまずいよね。…僕はこのまま教室に戻るから…ありがとね」


そうお礼を言って立ち去ろうとするも、肩を組んだまま離さないようにしてくる若野さんに止められる。


「だーめ。荻本くんはベッドに座ってて。私がビンタしちゃったところまだ赤いし、氷持ってくるから」


一旦僕から離れ、そばにある冷凍庫の中の氷をコップのような容器ですくい出し、ジップロックに入れたその袋を、まだ少しジンジンする僕の左頬にそっと優しく当てる。


「あ、ありがとう…あとは自分で持つから大丈夫だよ」


彼女にこのまま処置してもらうのは男として気が引けるため、その氷の袋を受け取る。それから僕は二人から抜け出すようにして、そそくさと退出しようとするも、


「ちゃんと横になって休んでないとだめだよ?」


もう片方の肩を持つ加藤さんに、若野さん同様に止められ、ベッドで寝るようにと催促される。




____




うーん…


若干固いマットレスに、ごわついてあまり弾力がない枕。おまけに肌心地があまりよくない分厚い布団。寝心地の観点からして保健室のベッドは個人的に好きじゃない。


二人分の丸椅子を加藤さんが、そっとベッドの横わきに置いて、彼女たちは僕の方に体を向けて座った。


「さっきの喧嘩のこと覚えてる?荻本君が二組の男子三人の喧嘩を止めようとしている最中、突然気を失ったんだよ?」


倒れた僕でも薄々そんな気はしていた。

それよりも僕がベッドに入ってから、若野さんの口調がゆったりになっていたことに気が行く。


彼女もそうだけど、加藤さんも本当に優しくて、細かいところまで気づかいできるところは、本当にすごいと思う。


「…そうだったんだ」


彼女たちから目線を外し、保健室の天井の方へ向けると、ただ真っ白な景色がそこにあった。


ふと、向かい側の壁に立てかけてあるシンプルな時計を見ると、もうとっくに二限目の授業が始まっている時間であることに気がつく。


「二人ともっ!…二限目の授業出ないとまずいよね!?ごめんねっ!僕が勝手に気を失って……」


勢いよく体を起こした僕の体を軽く押さえて「大丈夫。ゆっくりしてて」と言う加藤さんの穏やかな言葉に、素直に従ってしまった。


「だけど…僕、もう大丈夫だから」


ううん、と首を横に振る若野さんが、起きてめくりあげられた布団を、僕の口元まで掛け直してくれる。


「きっと疲れていたんだよ。転校初日ですごく緊張したでしょ?」


心地よく、優しい声で語りかけてくる若野さんの言葉には、癒しが含まれていた。


「いや…まぁ、緊張はしたけど疲れてはいないよ」


「うそ言っちゃダメだよ? 目の下に少しクマができてるし、顔色もなんだか悪いから、疲れているのが見え見えだよ。持久走疲れもあると思うしね」


「…そっか…、なんか気を使わせてごめんね」


「謝らなくていいよ。私もね…中学の頃一度転校した経験があるから、荻本くんの気持ちよく分かるの。みんなの前で自己紹介したときなんて、すごく恥ずかしかったし、あの頃のことははっきり覚えてる。その後の授業なんて緊張しすぎて、なんにも手につかなかったこともね」


「……若野さんもそうだったんだね。確かに緊張したな~、転校なんて初めてだったし……教室入る前からみんな口喧嘩しててびっくりしたよ」


だんだん頭がボーっとしてきて、心地よい空気で満たされる。


「うまく歓迎できなくて本当にごめんね……やっぱりびっくりしちゃったよね。みんな結構個性強い人ばかりで、毎日のように喧嘩してるけど、根はいい人ばかりなんだよ?」


彼女の声がすんなりと頭に入ってきては「お疲れ様。もう休んでいいよ」と語りかけてくるみたいで、もうこのまま眠ってしまいたいという欲が強くなっていく。


「……もちろん、みんないい人なのは…分かってるよ?……これから、仲良くしていきたいし、みんなのこと…もっと……知りたい…」


「…うん。私たちも入学して二週間くらいだし、みんなのことよく知ってるわけじゃないから、荻本くんとほとんど同じ立場だよ。これから仲良くしていこうね」


「……う、うん。ありがとう…何だか落ち着いた気がするよ…」


「お休み。……ゆっくり休んでね」











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