第14話 銀二

今日は陸人の入学式。義理とはいえ父親として息子の成長の喜びを感じていた。

朝五時前に起床し、軽く筋トレを行い、その後は身支度を済ませる。

いつもは出勤するまでに職場で必要な書類や報告書をまとめたりするんだけど、今日はPTA会長としての祝辞の言葉を読み返したり、高校関係者と話す話題について考えたりしていた。


「今日もダメそうか…」


前までは、いつもの時間に陸人の分の朝食も作っていたんだけど、最近は忙しくなって、ろくに朝食を作ってあげる時間も食べる時間もない。手軽に栄養摂取できるモノを食べて、そのまま家を出る生活が続いている。

別問題な話だけど歳をとるにつれて、疲労感が蓄積しやすくなって、なにかと面倒くさいと思うことが増えている気がして、若い頃に戻りたいと本気でそう思い始めている。


キッチンに来た僕はミキサーに果物や野菜を入れ、簡単にスムージーを作り、コップに注いだそれをぐいっと飲み干す。明日こそはちゃんとしたもの作ってあげようと、父親らしい考えが芽生えていたのは僕自身驚きだ。


「…おかしいな」


普段なら、もうリビングに来ているはずの陸人の姿がなく、不思議に思った。


「寝坊かな?そんなことは今までに一度もなかったはずだけど…」


少々気になった僕は、陸人の部屋に行き、様子を見に行くことにした。

リビングを出て長い廊下を歩き、奥のほうへ行くと数段くらいの短い階段がある。

その階段を上がった先に、十帖くらいのオープンスペースがあり、陸人の部屋になっている。 自分で言うのもなんだけど、我が家は、かなり大きめで機能性に富んだ家だ。僕と陸人の二人で生活するには広すぎて、使わない部屋がいっぱいあるのが勿体ない気がして仕方ないんだけどね。


陸人の部屋にはドアがついていなく、中の様子が丸見えになっている。

彼は昔から目立つことが、あまり好きではない性分だけど、日当たりがいいからという理由だけで他の部屋を選ばず、この部屋を選んだことは今でもはっきりと覚えている。まぁ、僕たちの監視対象である陸人には、うってつけな部屋なだし、こちらとしては好都合なんだけど。


階段を上がっていくと、まだベットで寝ている陸人の姿が目に入る。


…ホントに寝坊していたのか


少しからかいながら起こしてみると、相変わらず反抗姿勢を示してくるのは七年前から変わらない。

そんな陸人に朝食を食べるようにと言い残してから、僕は家を出た。

愛車のグレーのレクサスに乗り込み、エンジンをかけ、オーディオにヴィヴァルディの四季「春」を流しながら、陸人が今日通うことになる高校のほうへ向かっていく。


今日は、なんだか気分がいい。


これも父親としての『役目』を果たしているからなのかな。

まだまだその『役目』を続けなくてはいけないのだけれど、少し感情が先走っただけで危機管理能力の低下を招きそうだ。なぜなら僕の立場上、ちょっとした気持ちや心の変化、少しでも油断すれば命取りになるのは当たり前だからね。ホント歳をとるにつれて重荷が増えるのは溜まったものではないな。


「…今日のことが楽しみで寝坊したのかなぁ。あるいは…」


車のオーディオから流れる名曲クラシックメドレーを落ち着いて聴ける余裕もなく、陸人のことを考えながら運転していくと、高校に到着してしまった。車から降りた僕は目に入る正門や本校舎、体育館などあたりを見渡す。


「生で見ると本当に広いな…」


とても県立高校とは思えないほどの規模だ、と陸人も同じことを思っているだろう。


来客用の玄関先で事務室の事務員から入校許可証をもらい、職員室の中へと案内される。


「失礼します!今年からPTA会長に就任いたしました。福島県教育委員の佐渡銀二と申します。よろしくお願い致します!」


開口一番に学校関係者、全員に向けて、大きな声で挨拶をした。時には羞恥しゅうち心を捨てる行動も社会人としては有効な武器になるからね。


宣戦布告しているみたいだが、こうする理由はもちろんある。

大抵の社会人は、仕事の円滑化を図るために人間を無意識にカテゴライズする傾向がある。第一印象だけで、その人がどんな人物なのかを判断されるのもそのためだ。あの人は仕事ができない人間、あいつは責任感あるやつだ、と人の表面だけを抜き取った固定概念が出来上がってくる。


自分の手札を生かした上で保護者方や教職員を味方に引きつける。


利用できるものは何でも利用するのが僕のやり方だ。


「よろしくお願いします!佐渡会長!」


その場にいる教師たちが続々と僕に集まってきて、挨拶を交わしてくる。

PTA会長として、同じPTAの保護者の方や教職員方と入学式の話や各々のお子さんの話をし、親睦しんぼくを深めあうことができた。彼らとの関係を深めることは重要ではあるが、僕の『本命』の人とはまだ挨拶すらしていない。

区切りのいいところで話を手短に済ませ、教頭先生と話している『本命』の人のところまで歩み寄る。


「お久しぶりですね。円谷校長先生」


去年就任したばかりである円谷幸吉つぶらやこうきち校長。

現在の年齢は六十二歳。顔や喉のしわが目立ち、ひ弱な体ではあるが、相変わらず眼光の鋭さだけは健全。

やっとこの男の手の内からのがれ、再び近づくことができた。この時をどれほど待ったことか。 あふれ出す様々な感情を僕は必死に抑え込む。


「これはこれは!佐渡先生…いつぶりでしょうな。元気そうで何よりですよ」


「いえ!円谷校長先生もお元気そうで…。去年就任されたことで、先日お祝いを兼ねた挨拶を手紙に封して送らせていただいたのですが、もうお読みになられましたか?」


「すみませんねぇ!帰宅しましたら、ぜひ読ませていただきます…では……」


相変わらず親しみやすく信用を得やすい笑顔をするものだ、と思いながらも僕も昔、陸人にそのことで指摘されたんだっけ。皮肉なことを思い出していたが…そんなことは今はどうでもいい。


「待ってください。校長先生…僕のこと本当に覚えていらっしゃいますでしょうか?十八年ぶりの再会なんですよ。もう少しお話しましょう」


僕の生き方を変えさせられた十八年前の惨劇さんげき

今日まで抑え込んだきた深い憎しみの感情が、今にも煮えくりかえそうで仕方ない。それが起因したせいか、無意識に尖った口調でなってしまった。まったく年を取ると記憶や情動機能を担う前頭前野の働きがにぶるらしいけど、僕も大概たいがいだな。


「…確かにそうでしたな!ハハハ!いやぁ最近物忘れが激しいものでして…すみません。そういえば佐渡先生はPTA会長に就任されたそうで…今後ともよろしくお願いします」


話題を強制的に切り替えさせられ、これ以上僕と話してくれるつもりはなさそうだ。


…ん?


「…握手しましょう。佐渡先生。何かの縁です…これを機に友好関係を深めていきましょう」


腰に回していた右手がすっと僕の方へ差し出され、変わらず笑顔のままの円谷校長が握手を求めてくる。今にもこのしわくちゃなこの手を握りつぶしたい衝動にかられながらも、僕は握手を交わした。


「よろしくお願いします…また機会がありましたらお話うかがいますね」


「えぇ……ぜひ」


そう言って、円谷校長は早足で職員室から出て行ってしまった。

初日とはいえ敵の懐に攻めすぎたな。情動に駆られて行動してしまうなんて僕らしくもない。


こんなにも感情の制御が下手になってしまったか…



__________



入学式ではPTA会長として祝辞を述べ、後に保護者会で司会あいさつをしたり、教頭先生から学校説明を受けたり、と多くの人とかかわることができた。


お昼の時間帯になると僕たちの仕事や会合が終わり、各々解散する流れになる。


大半の保護者方は、自分らのお子さんに会いに行っていた。

視聴覚室に一人残って書類整理をしている僕は、休憩がてらに窓から外を眺めていると、親子一緒に帰宅している様子をまじまじと見てしまっていた。


「…普通に生きてれば、僕もあんな風になれたのに…」


微笑ほほえましいと感じる反面、嫉妬しっと心が芽生えてきてしまうのが正直な気持ちだ。

書類をファイルに入れてカバンにしまい、視聴覚室の鍵を取り出す。

PTA会長としての仕事はもう終わったため、荷物をもって陸人の教室の方へ行くことにする。


「佐渡会長。このあとお時間よろしいでしょうか。大切なお話があります」


視聴覚室のドアを開けたとたん、まるで待ち伏せされていたかのように二人の保護者に話しかけられる。


硬い表情で話してきた一人は男性の青柳宏あおやぎひろしさん。もう一人は女性の加藤美幸かとうみゆきさん。


確か…彼らの生徒さんは別々のクラスなはず。どういった関係だろう


保護者会については各自の予定を確認したうえで来月に持ち越しのことだと伝えたはずだが、その件のことではないとなると、彼らは円谷校長と接点がある。あるいは『協力者』たちとつながりがあって僕に接近してきたか。


「はい、大丈夫ですよ。何か御用でしょうか?」


話は長くなるとのことで昼食も兼ね、最近できたばかりの近くの洋食店へ向かうことになり、道中でお互い自己紹介をしあった。店に入ると運よく個室スペースに入ることができたため、すぐにメニューを決め、早速話を伺うことに。


「急ぎとはいえ、今日はわざわざありがとうございます。他でもありません。佐渡会長に相談したいことがあります……校長先生の『不審点』についてお話しておきたいことがあるのです」


僕は、この言葉を聞いただけで彼らへの警戒心がほどけたと同時に一瞬笑みがこぼれてしまった。

どれほど、この機を待ったか…どれほど、この屈辱くつじょくや恨みを果たす機会を待ち望んだか。

すべては円谷校長への復讐ふくしゅうのため。何年もの月日を超え、必死に対抗策や体術、暗殺術など使えるものはすべて習得してきた。まだ完ぺきとは言えないけど死に物狂いであがいてきたんだ。


ようやく貴重な駒が手に入る時が来た。やっと運が僕の味方をしてくれたのだ。


「なんでもおっしゃってください。ぜひ力になりたいと思っております」


溢れ出す心の喜びを外面には出さないように注意し、聞きにてっして彼らの相談事を受けた。


青柳さんは企業会計士、加藤さんは同じ事務所に所属する弁護士という関係性であり 、彼らも円谷校長に不正をしいたげたれたり、難癖なんくせをつけられ、彼らの事務所から金品や民事訴訟そしょうの資料など不正に搾取さくしゅされているとのこと。

そのことを二人は警察や裁判所にも訴えたのだが、どうすることもできなかったそうだ。加藤さんは弁護士なのに裁判所にも当てにされないとなると、心中穏やかではないだろう。


円谷校長は当然、警察や裁判所も裏の管理下に置いているため、普通の手段で接近したり、彼の不正行為を止めることは実質不可能。そこで彼らはわらにもすがる思いで県教育委員会と協力し、解決したいと考えたらしく、こちらが知りえない内密な情報も提供された。


話は長丁場になりそうだったので、ほかの客の迷惑にならないように店を変えたりして話を続けた。


彼らにその場に応じた適切な助言をしたり、少しリスクを負った話をして、彼らから上手く信頼を得ることに成功。

これから先、彼らは僕の味方となり、うまく機能していくだろう。まだまだ先が大変な状況ではあるが大きな前進といえる。


「やはり佐渡会長に話を打ち明けて本当に良かったです!ありがとうございます!」


「私も加藤さんと同じ思いです。今後ともよろしくお願いいたします」


「いえ!僕であればいつでも相談に乗ります。何かまた不祥事ふしょうじがありましたら、ご連絡ください」


例え一寸先が闇であっても、道を踏み外さなければいいだけのこと。

僕が今するべきことは、警察などの護衛機関を警戒しつつ、円谷校長の身元を徹底的に調べ上げ、身柄を確保すること。そして、その目的を果たした後は、大切な人を取り返す。たったそれだけのことを成し遂げれば、ようやく僕は元の生活を取り戻すことができるのだ。


…まだ間に合う


そのためにはどんな手段も問わないし、十八年前のあの惨劇からその決意は揺るがない。


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