第3話 使者

「……陸人。君はいろいろな苦難を経験してきたと聞いている。これからは幸せな生活を一緒に送ろう。これからよろしくね」


オレの頭に大きな手を乗せ、やさしくなでる。

本当の父親に撫でられているかのような錯覚を覚えそうだ。


…………思い返してみればいつもそうだ。


オレはいつも大人たちの事情で、自分の人生が脅かされ、愛情とは裏腹に都合のいいことを押し付けられていたのだ。


…強くなりたい


心の中でそう叫んだ。

なんで死にたいと、叫ばなかったのか自分でもわからない。

もう面倒なことや苦しい気持ちをどこかに吐き散らかしたい。


人の『本質』を知らないからこそ、オレはこんなにも苦しめられているのだろうか


この世の善悪の秩序を自分が決められたら、どれほど楽にになれるのだろうか。


怨念おんねん復讐ふくしゅう殺戮さつりく


そんな悪と思われている言葉が次々と頭によぎる。

この呪われた運命に抗いたい…




……力が欲しい……




今の自分に必要な強さは他人を『支配』すること



『…あぁ、そうだ』



先ほど聞こえた声が次は背後からではなく、今度は体の中から語りかけて来る。



場所こそ違えど今度の声は少し違かった。

耳に入りやすくて優しい…そう安心するような声。




「……もう離していいよな」





__________





『使者』の闇の世界に存在する底なし沼に必死に取り込まれないようにずっと握っていた一本しかない命綱を、オレは躊躇ちゅうちょなく離した。


これ以上握る必要がない。これ以上自分が苦しまなくて済むと思ったからだ。




やっと苦しい運命の『導き』がここで終わるんだ。




命綱を離した後、ずっと下の方へ体が落ちていく感覚だけが残る。


徐々に目や耳などの五感が失われていき、とうとう何も感じなくなった。まさに空虚そのものである。

ただ物事を考えるだけの力、意識が働くだけでそれ以外は何もない。


この世のものではないどこかへ堕ちていく。



_________



____



_




ここはどこだろう。どれほどの時が経ったのだろう



あらゆるものの事象を何も無いところで考え続けた。


物事の『本質』について無からほんのわずかだが、有を見出すことができた。だけどオレをずっと悩ませてきた『疑問』や『存在意義』について様々な推測や憶測を重ね、実証、立証を試みて、結論を出そうとするにはまだ早かった。結果その二つの本質についてはよく分からなかった。


だけどその二つの『命題』について考える過程において、やがてそれは抽象的で形はなく、物の有無で判別できるようなものではない『何か』を得た。今の自分は、物質的な観点から肉体は存在しない。



ここは『精神世界』というのが適切だろう。



魂、すなわち精神だけが保たれた、時間や物質の概念が存在しない世界。


その世界の中でオレは理性という邪悪な思考を抑止するための反応機構を制止させ、運命の『導き』に抗う術を得た。






_______






自力で現実の世界に意識を移動させ『精神世界』にいた記憶がおぼろげになっていく。同時に肉体を持っているという感覚がよみがえる。


今までの葛藤かっとうがすっと消え失せる。



…気分がいいし、頭が冴える



現状不利な状況なのは百も承知だが、有利な状況にくつがえすことも可能だ。


そのための打開策を講じるには、やはりこの場の全員を『支配』しなければならない。


『支配』と言っても非力なオレが暴力で相手を服従させることは到底不可能。

包丁やイス、あらゆるものを武器にすれば活路かつろは見出せるかもしれないが、それも不可能。


なぜならこの男、銀二には通用しない。


この男は一見細身に見えるが、サラシなどを巻いているせいか、より太く強靭な肉体を縛り上げている。

なぜあんなに体を圧縮させているのか。そうした理由は、細身な体格に見せてオレからの警戒心をなくさせるため。もしくは元の力を隠し、いざという時のために相手の意表を突くためか。


「ふぅ……」


「リクト…ごめんね。私は母親失格だね」


「あぁ……そうだな」


「……リクト?」


今となっては重荷がゼロになったオレは、人間に備わっている全ての感覚が最高練度まで高まっている。

感覚から入り込む様々な情報を駆使し、都合のいい形で収束させるための方法を考える。この際大人相手に勝てるか負けるかはどうでもいい。


ただ『支配』すればいいだけのこと。


まずは『疑問』を払拭していくために、こいつらと上手く対話しなければならない。


「ねぇこれからオレたちは家族になるんだよね。銀二さんは一体何の仕事についてるの?」


銀二の口元や眉あたりの筋肉が弛緩しかんし、安心した心持ちになっている。一瞬の表情の変化を見逃してはいけない。些細な変化からでも有益な情報をどんどん吸収しろ。


「僕はね、教育委員会っていうところで学校の先生やお偉いさんと関わる仕事をしているんだ。それより、もう落ち着いたのかい? それなら僕は安心だ」


教育委員会。こいつはオレの父親と同じ職種だ。

それならば、なぜ父親がこいつにオレを預けたのか、今では何通りか予想できる。


「ねぇシスターたち…」


口を堅く閉ざしているシスターたちに対象を変え、質問攻めをしていく。


_______


彼女たちは半端な心持ちのせいか、オレへの同情心が強くなり、銀二に口封じされていた情報も話してくれた。その情報を元にシスターたちと銀二との関係性をホットリーディングを駆使して露見させていく。


しばらくして、オレとシスターたちの話を聞いていた銀二は一瞬曇った表情を見せる。


「…陸人?」


その一瞬で得られる情報だけで十分。

銀二はオレからシスターたちを無難に引き離した。どうやら三人で話を進めていくらしい。相手はかなり焦りを見せた行動をしているのは明白。


「ごめんね、陸人……数分くらいで片付くから」


「はい」


「シスターたち…ちょっといいかな?」


「は、はい!」


大人たち同士での大切な話があるらしいとの理由で、オレは来客室から追い出された。中で三人はオレに聞こえない程度の小声で話しているようだが、それは無駄なこと。


この距離ならどんなに些細な物音でも敏感に感知できるため、彼らの話声は丸聞こえだ。


「……陸人はいつもあのような感じなのですか。あなたが言っていたことと違いますよ?」


「い、いえ!…いつもと何か違う気がします。普段の生活では時々顔色が悪くなったり、良くない時は意識が失って急に倒れたりしますが…」


「そのことは前にも聞きました。心的外傷後ストレス障害やうつ病に当てはまる症状です。ですがそれとは別に…」


「とはいえエルシィ、銀二さん。リクトからは何かゆがんだものを感じます…十分に気をつけてください」


「陸人をよく知りもしないあなたは黙っていてください。第一あなたたちは一切他言無用な話を外部に、それも陸人に話してしまった事実は変わりません。ただの子供相手になんてことをしてくれるのですか? ここが無くなってもよいとお考えでしょうか」


身元引き受けの話はこの孤児院の存亡にかかわることだったことを初めて知る。


「「た、大変申し訳ございません!」」


感情が乗せられていない分、銀二の言葉を聞いた者は誰であれ恐怖を感じただろう。見なくともシスターたちが小鹿のように怯えた様子であるのは容易に想像できる。


「…」


相手方の了承もなしにオレは勝手に中へと入る。


「リクト!まだ———」


刹那。

エルシィに向けておぞましく強烈な眼力が放たれる。


「さっ陸人。寒いところで待たせてすまなかったね。僕たちの話はちょうど終わったところだから入っていいよ」


「……」


さっきの銀二の眼力はエルシィだけでなく、オレに向けられたものでもあるか。

恐る恐る中に入り、冷静に物事を考えていく。


不意に外の景色を見てみるとあることに気がつく。


まさか…


それだけじゃない。先ほどから何か違和感を感じてはいたが、まだ夕飯を食べて一時間も経っていないのに、いつも騒がしくしている子供たちの声が一切聞こえないのはなぜだ。


「ねぇ教えてエルシィ。今、ほかの子供たちはどうしているの?」


何やら険悪な顔を向けてくる。もしかして…


「…み、みんな寝ているわよ。明日あなたのお別れパーティをしようと思っていたの。それで……朝早くみんなで準備しようと…早めに寝てね…ってあなたに内緒で言っておいたの」


「そうなんだ…よかった。ずいぶんと用意周到しゅうとうにこの話は進められていたんだね」


「え、えぇ…私もびっくりするぐらいよ……」


そう言ってエルシィの口が止まり、会話が中断する。嘘をつくのが下手な奴は、さもこの状況が苦しいだろう。ボロが出ないように必死に頭を回して、出るのも出ない空事をでっち上げなければならないのだから。その気持ちは痛いほどオレにも分かる。


「もういいよ。エルシィ…残念だよ」


エルシィはその場で膝から崩れ落ちた。

大人の言いなりになり、その上大切に育ててきた子供にまで嘘をつき、全てから見放される感覚を味わったただろう。


「…エルシィ!」


おばあちゃんシスターはエルシィに駆け寄り、彼女をそっとやさしく抱きしめる。



「……同情するよ。エルシィ」



だが——先ほどから銀二の表情にぶれがない。

こうなることはお互い予想していたのだろう。

そろそろこの話の裏側。奴にとって核心に触れた話題を出すことにする。


「銀二さん……話がある」


「お…奇遇だね。僕も今君と話したかったんだ」


「もしオレがあんたの息子になる話を蹴ったとしたら強引にもオレをここから連れ出そうとしていたんだろ。最初からこの部屋にオレが入ってこなくても、強硬きょうこう手段をとって連れ出す。そこまでの準備をしていた」


日本語でそう言うと、少し彼の瞳孔どうこうが大きくなり、変わらず嘘かほんとかわからない愛想笑いを浮かべていた。


「決してそんなことはしないよ。そう思われるとなんだか悲しいな」


同じように日本語で返答し、傷ついたような素振りを見せつけてくる。オレは更に追い討ちをかけて、揺るがなく変化しない外面を壊していくことにする。


「じゃあ、あんた以外の他の三人…彼らが何していたのか話してもらうよ。

ここから入口は近いのに足音一つ聞こえなくて驚いたけど、オレが声主を探していた時…いや…気分がすぐれなかった時、たしかに三人分の匂いを感じた。それに窓から外を見たときに気が付いたんだが、あんたはずっとここにいるのに、ここに停めていた車の位置が微妙に変わっているのが変だ。

位置が変わった理由はそう。一時的につけていたみたいだけど、この部屋の窓に貼られていた反射板のようなもので、その三人に合図を送り合っていたんだろう。その合図が見えやすい位置にまで車を動かす必要があった。圏外であるここでの連絡手段としてトランシーバーを持ってきていたみたいだけど、この状況じゃまず使える機会は少ないよな」


最初こいつが車から降りて、連絡して使っていたものはトランシーバーだ。

反射板の存在は様子がおかしくなったエルシィたちを見て、この部屋に細工してあるのではないかと確認していた時、廊下側の窓に張られていたことに気が付いた。そして銀二たち三人だけで話し合った後にはその反射板は取り外されていた。この場にいる三人だけで合図を送りあうのならその必要はないし、他の仲間に指示などを出したりするのが普通だろう。


このカラクリをシスターたちにも聞かせ、反応を伺うためにイギリス英語に切り替えたのだが…


いきなりこの話を聞いた二人は予想通り面白いほどに顔をゆがませている。


「へぇ…やっぱり普通の子じゃないね君」


日本語だ。


「それはあんたも大概たいがいだろ」


「ふん」


顔の表情筋が弛緩し、なにか合点がいったように安心した声を漏らす銀二。


言語の切り替えを狙い、言語野を優位に働かせ、ボロを出させるように誘導したのだが、うまくわなにかかったな。


二か国語以上話せる人は、なんらかの作用で感情が高まった時、母国語だけで話したり

二か国語以上の言語をうまく使い合わせながら会話を調節していくことがある。

コードスイッチングというものだ。感情が高ぶって、外面にひびが入った今の銀二の反応は間違いなくコードスイッチングによるものだ。


「そろそろ種明かししてもいいんじゃないか」


「……」


今までにないほどオレは冷静でいられているし、感覚の最高練度はまだ維持している。そしてこの場の流れを徐々に掴みつつある。引き続き対話を試み、確実に銀二をつぶしていく流れだが、その前にやるべきことがある。


「シスターたちはもう使い物にならないだろ」


「あぁそうだね…」


そう返すと銀二は、ソファの上にある自分の鞄の中から、黒革のケースに収納された刃渡り十三センチほどのペティナイフを取り出し、


「ぐぅ!……」


エルシィに抱きつくおばあちゃんシスターの心臓を目にも留まらない速さで一突きで貫く。


即死…だな


「お婆さま……!?んんっ!」


悲鳴を上げ、今にも暴れそうになるエルシィの口をオレは力づくで抑え込む。


「ごめんな…エルシィ」


ここでの彼女たちの存在は邪魔になる。叫び声を上げれば、こいつの仲間が駆け付けたり、恐らく生きているであろう子供たちに聞かれれば、後々間違いなく殺される。そう…最小限の犠牲で最大のリスクを無くせるのだ。生憎あいにくと彼女たちは録音機など持ち合わせてはいないが、ここにいたというアリバイが悪い方向に働く。オレとあいつにとって小さすぎる証拠でも確実に消しておきたいところは似ているな。


「くっ…んんっ!」


「さて…陸人。エルシィは君の手でやるかい?」


今の銀二の顔は禍々まがまがしいほどの無表情。

彼はおばあちゃんシスターを刺す時、血が散布しないような突き方で殺した。

この男は対人における殺傷方法を熟知している。刺し方を見ただけでどれほどの人間を殺し、どれほどの修羅場を潜ってきたのだろうかと思わずにはいられない。


「…あぁ。やらせてくれ」


提案を承諾したオレは、彼から未使用のナイフを受け取ると、手を離した隙に

エルシィはクシャクシャな顔をひきつりながら助けを求めようと必死にもがくが、恐怖と緊張のあまり体が硬直。苦し紛れで声を出そうにも出せない。本で読んだことがある。人は一つの感情が抑制できなくなると、相反する感情で抑制しようと働く、と。笑いすぎて涙が出てしまったり、恐怖のあまり笑わずにはいられなくなったりと、不確かな人間の機能に『疑問』が浮かんで仕方がない。

逃げたくても何もできないで悲痛な顔を浮かべているエルシィを見ても、何も感じない。このような結果になったのは自分の力不足によるもの。すべては自業自得だ。


「今までありがとう」



________ッツ! 



ただ静かに銀二と同じやり方でエルシィの心臓を貫いた。


「……リク……ト、ごめ…んなさ…」


耳を澄まさずとも、彼女の心音がすっとなくなっていくのが聞こえた。

目の輝きが無くなって、やがてにごり、どこか遠くへ行ってしまったのだろう。



……人は死んだらどこへ行くんだろうな



こんなにもあっさりと、人は死んでしまうんだな。



ふと『疑問』に思った。



魂、精神とはいったい何なんだろうか。



エルシィを殺した途端、オレは彼女との思い出が頭によぎった。どれも幸せな時間でかけがえのない日々。

だけどオレが好きだったエルシィはもうこの世にはいない。


「死体の処理は僕たちの方でやっとくから心配ないよ。それより初めて人を殺した感想はどうかな」


生憎あいにくと感想を述べたい気持ちではないが、これが最適な方法だと考えた結果だ。あんたもオレと同じ結論に至って少し安心したよ」


「ふっ、可愛くない子供だな。君は」


「早く説明してくれないか。この話を傍聴ぼうちょうする者はもういないし、どの道バレるのだから仕方ないだろ」


手に持った血塗れのナイフを銀二に投げて渡す。


「君は自分の力を過信しすぎている。何が君を突き動かしているのかは分からないけど、やぶをつついて蛇を出さないことが賢明だ」


自供するにはまだ耐えるか。相手に考える暇を与えず、このまま問い詰めて余裕をなくしていくしかなさそうだ。


「話してくれないならオレから話すよ。

二人のシスターたちは、オレが一度退室したときから室内側の窓付近に移動して立っていたよな。三人の話の途中でオレが勝手に入ってきて、その位置のまま動かなかっただけかもしれないけど、それからオレたちは話し合いをするにあたって、二人はそのままの位置。あんただけがソファに座った。なにか妙だよな。それがさっき言った反射板だ。それを隠すため。さっきおばあちゃんシスターがエルシィに駆け寄ったときに、後ろにある棚の中にでも入れたはずだ。…シスターたちもあんたたちのグルってことには変わりないが、彼女たちは味方の情報を漏らしすぎたな」


銀二に再度反射板についての存在の確認をすると同時に、さらに感情に揺さぶりをかけた。


そして、それに応えた銀二は、


「あぁ本当に使えない人たちだったよ。君もそう思うだろう。

陸人…君の言うことは大方正解さ。これ以上無駄話が続くとシスターたちがボロを出してしまうのがオチだからね。早々に始末しておく必要があった。……さて君がご所望しょもうする種明かしだ」


銀二が言葉を発した途端に、この場の空気が一瞬にして凍てついた。今の銀二は先ほどの雰囲気とは大違いなのは分かっているが、感覚全てに危険信号として情報が入りこんでくるのはなんなんだ…


「僕は十人の人間を連れてここに来た。君が気づいたその三人は今もここの敷地内で待機してもらっている。事前にシスターエルシィが君のお別れパーティという噓の口実で、子供たちを一定の部屋に集めさせた後、睡眠ガスで眠らせるよう彼らに手配していた。今頃子供たちはぐっすり寝ているから安心していいよ。今君はどうしてこんなことをしたのか『疑問』に思っているはずだ。

もちろんこうしたことには理由がある。君が身元引き受けの話を聞いて、この部屋から逃げ出してしまうことや僕という不審者に連れていかれる、とか叫びだして他の子供たちと結託けったくし、周りの村の人たちに助けを求められると困るからね。仮にこの部屋での話し合いが盗聴されて、村の人たち全員の耳に入り、君一人のためだけに助けにくるようなことがあっても、指定位置についてもらった残りの七人がいれば完全に事態を収束できる。あらゆる可能性を考慮した上で準備したことさ」


改めて思う。


この男、銀二はオレよりも悲惨な過去を歩んできた。もしくは後悔を積み重ねてきた人間だ。そうでなければ人を殺すことに慣れはしないし、ここまで狡猾こうかつなやり方でのぞむことはない。

嘘や悪事のなんたるかをよく知っていて、良くやってのける人間だ。

オレよりはるかに経験値が高いこの男は、オレが知らない何かを隠していて、何かを知っている。


こいつの内面のごく一部を垣間見ることができても、すぐ綺麗に内面の情報がどんどん改ざんされていく。まるで自分に嘘をつき続け、常時偽りの自分を更新しているかのように。


「待て…なぜ急に白状する気になったんだ。 ”ここではオレの敗北だ” 弱者に情けをかけているつもりか」


こいつは絶対に秘密は秘密のままにさせる。そういう人間なはずだ。


「変な誤解をされては困るね。ただ僕はせっかちだからこうしているだけのこと。まだ続きがあるから大人しく聞いてくれ。車の定位置がわずかに移動していたのも、彼らに手信号が見えやすく調節していたからだ。

この孤児院…いやこの教会から結構離れているところに停めているし、わざわざ視界が悪く、暗くて雨が降っている日を選んできたんだけど…君は自然に囲まれた生活をしてきたせいか、視力はかなりいいのかな…よく気がついたものだ」


「やけに饒舌じょうぜつになったな。あと一つ忘れているぞ」


「反射板そのもののことだろ?

あそこまで読まれていたんだ。別に説明する必要性を感じなくてね…つい省いてしまったよ。

あらかじめこの部屋の廊下側の窓にシスターたちにつけてもらい、君がそれに気付かないようにうまく視線誘導させる役割を与えていたんだが、結局失敗に終わってしまった。でも失敗といっても僕たちの失敗ではなく、シスターたち側の失敗だ。何ら問題はない。かなりレトロで陳腐ちんぷなやり方だったけど、僕たちが手信号しても君の目から映らない角度で合図を送っていたし、仮にそれが見られてもなんら差し障りのない合図を使用してはいたんだけどね。

詰めが甘かったかな…種明かしは以上だよ。質問はあるかい?」


ここまで手の内をひけらかしてくるとは予想していなかった。

それにオレが推理していた通りの結果だ。反論する余地もなく、聞きに徹するしかなかった。しかしここまでの銀二の行動や言動から、どういう人物なのか全く把握できていなかった。


だがこの失態を次に生かして、こいつのことを徐々に知っていけばいいだけだ。



 今の段階では十分。



「なぜそこまでしてオレの身元が欲しい?…それにここの周辺は特別人が多い。

もしオレが助けを呼んだら四十人くらいはすぐにでも駆けつけてくれる優しい奴らだ。おまけに農家や大工などを職にしている屈強なやつだらけで人脈も広い。増援を呼んで助けに来てくれる可能性は非常に高い。さっきあんたは言ったが、どうやって七人で事態を収拾させるつもりだったんだ?」


銀二を合わせて十一人。それに比べて助けに駆けつけてくれるであろうこの村の村民が四十人以上だとすると、現実的に考えれば銀二たちが負ける。無論爆弾やマシンガンなどの強力な武器があれば話は変わってくるが…


だがこいつは勝ちを確信して、これらのカラクリを仕立て上げ、実行してきた。

今の自分には見えない何かを見据えて。


「まず後者から話そう。僕の仲間の七人は厳しい訓練を受けてきた強者ぞろいだ。武器も所持しているし、負ける道理がない。ちなみに最悪死体が出るといったケースも検討していたさ。無論君たちこの村の人のね。

……君の身元の話だけど…陸人…、君は特別だからね…気に入ったのさ。それに始めに言った通りだ。君の父親と僕は同じ職場で働いていてね…彼はとても優秀だったなぁ。僕はいつもかわいがられたもんだよ。けどある日を境にして君の父親が親権を託すと…ね。ちゃんと遺書もあるよ」


そう言うとカバンの中から一枚の茶封筒を取り出してオレに渡してきた。


「これがオレの父親の遺書…本物だと証明できるものはあるのか?」


「本人の印鑑の捺印なついんや筆跡。それくらいかな」


「そうか」


オレは封筒の中の三つ折りにされた紙を取り出し、目を通す。


[私はいつ殺されておかしくない、なぜなら……]


などと後には難しい漢字表現を使っており、今のオレには読めないものであったが、最後には[最愛の息子、陸人のことを頼む]と書かれていた。


「信じられない。まず一つ確認させてほしい。オレの両親の死因はロンドンで起きた自爆テロで間違い無いんだよな?」


そのことを聞いてくると思っていたと思わんばかりの表情を浮かべる銀二は不気味に微笑む。


「……間違い無いよ。君の両親は不幸にもイギリス旅行を家族で楽しんでいるときにロンドン自爆テロの被害にあってしまった。本当に残念だと思っているよ」


残念だと思っている素振りは全くない。

まさかこいつがオレの両親を殺したのではないか…


「察するに僕が君の両親を殺した、とかなにか考えているのかな。

まぁ僕の連れの人たちがいれば自爆テロなんか引き起こさせることも容易だし、事後処理もお手の物だ。けど、僕は無関係だよ。事件があったその日、ちょうど日本にいて仕事をしていたからね。ちゃんとアリバイはあるさ」


オレの感情の制御が不安定になってきたせいか。だんだん相手はオレの考え方など理解しつつあるようだ。腹の探り合いでもそうだが、同時に心の内を探られている。


「おっと…」


「…どうした?」


「長話してしまったね。悪いけどこちらの時間の都合もあるんだ。すぐ君と一緒に日本に帰らなければならない。君のパスポートをチェックしたり、日本とイギリスの時差は九時間もあるから、僕たちは帰国後早めに時差ボケを解消しないとね。とまぁ、これから先色々不安なこともあるけど、今日から君は何が何でも僕の息子さ。あとから君の話はいくらでも聞くし、いっぱいお話ししようじゃないか」


「そうか…だがここから出ていく以上オレは絶対にあんたを父親としてはしたわない。何が何でもだ」


「それは構わないさ…君の父親の宝である陸人を守り、立派に育てていくのが僕の使命だ」


「…あんたと共に生活する上でオレの命は保証されるのか」


「あはは!着眼点がいいね、君は」


決して冗談を言ったわけではないし、オレの発言に不審点やおかしく笑われる点はどこにもないのだが


「大丈夫だよ。安心してほしい。もちろん僕は普通の父親として、君が何一つ不自由ない生活を過ごせるように保証しよう。まだ僕のことを信じていないみたいだけど徐々に慣れてくると思うし、いろいろ分かる日が来るさ」


この状況下でこいつのことを信用できるのは皆無かいむ。謎が多すぎる人間だ。何一つ不自由ない生活といっても、こいつの基準で計られたものかもしれない。牢屋に閉じ込められた囚人のような生活。もしくは奴隷としてこき使われる生活か。そしていつまでその自由な生活が続くかは不明。息子となるオレが用済みだと判断された場合、オレは即座にこいつかこいつのお仲間に始末されるだろう。


「……分かったよ。これからよろしく頼む…銀二」


「あははは!全く…可愛いげのない息子だ。うんうん、よろしくね」


銀二は吹き出すように笑いだした。

だがそれはこいつの自慢の作り笑いではなく、極わずかだが新たにオレの父親になるための一歩を踏み出した、こいつなりのけじめなのかもしれない。最後の最後でようやく見せてくれた



こいつの”勝ち誇った”笑顔だった。



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