第2話 存在意義



今日は朝からずっと強い雨だった。

オレは何冊か本を読んだり、友達とトランプなどの室内遊びをして過ごしていた。


夕食を済ませ、食堂の窓にもたれながら、外の景色を眺めていると、外から砂利道を走る車の音に聞こえた。

この天気で、あたりに街灯がほとんどない中よくここまで来たものだと思いながら、近づいてくる一台の黒い車を見ていた。


「うん?なんの音ー?」


他の子供たちも車の存在に気づき、興味深々に窓へ寄って集まる。ここから少し離れたところで車は停車し、スーツを着た一人の男が車から降りた。

暗くて顔は見えなかったが、男は片手には傘を持ち、もう片方には携帯のようなもので誰かと話しているようだった。


…ここは携帯が繋がらないはず


顔の見えない男に対して警戒心を抱いた。

話が終わったのだろうか。携帯らしきものをカバンにしまい、男は入り口で待っていたエルシィに招き入れられていた。


子供たちは一斉に男の元へ駆けていく。


「ねぇ!リクトは見に行かないの?」


「オレはいいかな…」


一人食堂に残った。

子供たちの騒ぎ声で自ずと男の情報が入ってくるため、移動するのが面倒だと思ったからだ。


男は眼鏡をかけていて、紳士で爽やかな笑顔が似合う人だということ。


見なくとも男がどんな人かは容易に想像できる。

しかし子供たちから漏れ出してくる情報には少し気になる点があった。


大半の子供たちが口をそろえて「変な人」と言っているのだ。


「…一度見てみるか」


玄関に通じる廊下に出てみると、子供たちは来客室の窓周辺に集まっていることに気がつく。


…どうやら男はここにいるらしいな


オレは子供たちの集団の中に無理やり割り込み、子供たちの先頭に立って男を確認しようと、来客室の窓からそっと覗いてみる。


男は傘をさしていたにもかかわらず、雨に濡れたのだろうか。タオルで頭や顔を拭いている。


この角度では上手く顔を見ることができないな


だけど、どこかなつかしい雰囲気を漂わせるような、そんなものを感じた。


「リクト!次はボクたちの番だからね!」


「お、おい…」


子供たち数人がかりで、窓辺から引き離され、尻餅しりもちをついてしまった。見ていた限り、男はエルシィともう一人の年老いたおばあちゃんシスターの三人で話合っていた。


…一体何の話をしているんだろう


「ちょっと外が騒がしいので見てきます」


「や、やべっ!エルシィが来るよ!隠れよー!」


こちらに向かってくるエルシィに怒られるのが嫌だったのか、子供たちはすぐさま部屋に戻っていったが、オレはエルシィに見つからないように廊下の支柱のところに上手く隠れた。


「…ホント元気な子達ねぇ」


軽くため息をついたエルシィは子供たちが向かった部屋へ行き、しばらくしてから来客室へと戻っていった。


「…よし今度こそは」


足音を立てず、オレは再度男の様子を伺うために窓へ近づく。ちらっと顔を出して男を見てみると、今度はタオルなどを持っていなかった。


男の顔を目の当たりにして、驚愕きょうがくした。



「……日本人!?」 



いや待て。骨格や皮膚の色が比較的日本人に似ている韓国人や中国人の可能性も考えられる


しかし異国人がこんなところまで来た目的は何なのだろうか。


「やぁ」


まずい…バレた


オレの視線にすぐ気がついた男は、笑顔でこちらに小さく手を振ってくる。


なぜだろう。


こちらに好意を向けられているはずなのに、胸の内側から冷えた血液が全身を巡る感覚がしたのだ。


…悪い予感しかしない


「ボーッとしてないで中に入りなよ。そんなところいたら風ひいちゃうよ?」


男の誘いを断れず、ドアを開けて中に入ると、男の右隣にある一人用のソファに座るように促された。


「君が陸人君だね? 一目でわかったよ。僕も日本人なんだ。よろしくね」


流ちょうなイギリス英語で、男は愛想を振りまくような笑顔を向けて、こちらに話しかけてくる。


やはり独特の懐かしい空気を感じたのは日本人だったからか


「リクト、この方に挨拶しなさい」


「…う、うん」


男と対面する形で座っているエルシィたちは、何やらこの男に物怖じしている様子。

一見男はおっとりして優しそうな顔をしているが、ただ者ではないことはオレも薄々気づいている。


しかしシスターたちがここまで怯えているとは…


「ここへ来た目的はなんですか。はるばる日本からこの村に来るなんてよほどの理由があるのでしょう?」


無愛想にオレはこの男に質問を投げかけた。


「ちょっと!リクト———」


エルシィの注意を男は手で遮り、


「君がそう思うのも当然だよね。まずは自己紹介からしよう」


男はオレの方へ体を向け、軽くお辞儀をする。


子供相手に礼節を重んじる大人は初めてだ


「僕は佐渡銀二。今は日本の福島県というところで働いているんだけど、仕事の関係で時々イギリスにくるんだ。よろしくね」


福島県…オレには馴染みのない土地だな


なぜそんなところからこんな田舎に来たのか。ますます不審感が増すばかりだ。


銀二さんという男は簡潔に自己紹介をすませ、オレの目を真っ直ぐ見てくる。まるで大切な話でもあるかのような感じだ。


「実はね…。僕は君の身元を引き受けにここまで来たんだ。急な話で本当に済まないと思っている。陸人…僕は亡くなった君の父親にそうするよう頼まれていたんだ…」


「……オレを引き取りに…冗談とかじゃないですよね」


「…うん。本当に急で申し訳ないと思っているよ」


この男の真剣な様子やシスターたちの不穏な顔を見るからに冗談ではないらしいな。


死んだオレの父親がこの身元引受けの話に関係していたことも驚きだが、それ以上に今日初めて会った銀二さんと、これから一緒に生活するなど訳がわからない。


頭が真っ白になっていく。


「……そうですか」


「…リクト。寂しいかもしれないけど、銀二さんがいてくれるから安心しなさい」


「でも……」


ここに来てからもう一年は経つ。

なぜ今になってオレを引き取りに来たんだろうか。


少しの沈黙の後、よどんだ空気が一層強まる。


「はいわかりました、なんてすぐには言えないもんね。けど、僕は君を自分の息子として…本当の家族として一緒に生活していきたいと思っている」


熱意そのものがひしひしと伝わって来る。

その気持ちは嬉しいが、どうしても嬉しい気持ち以上に、この男に抱く警戒心の方がまさってしまう。


「オレはここで……」



……本当の家族



オレは幾度となく想像してきた。

もし母親と父親が生きていて、無事に故郷で一緒に暮らせていたら…。

幸福を感じることができたのだろうか。

オレの『存在意義』は見出せるのだろうか。

自身の生き方を縛る『疑問』も消え失せてくれるのだろうか。

そんなありもしない世界を自分の中で創造してしまっていた気がする。



だけど本当の家族ではなくとも、幸せを感じる瞬間はここでもあったはずだ。



鬼ごっこやトランプ、かくれんぼ、数えたらキリがないほどの遊びをし、同じ時をたくさんの子供たちと一緒に過ごしてきた。

どれもかけがえのない幸福に包まれた時間であり、いつもオレの負の感情を忘れさせてくれていた。



しかしオレは周りに依存しながら幸せを享受きょうじゅしてきたにすぎない。



オレは横柄おうへいな態度をとっているくせに自己評価が低く、取るに足らない人間だ。それに自分の都合の良いようにして、他の人たちを利用し、生き長らえてきた。そういう人間だと自覚している。今日まで彼らと共存してきて、彼ら無しでは生きていけないと思うようになってきているのだ。本当に自分勝手で自己満足な人間。


ここで暮らしてきた友達と別れるのは嫌だ。


もちろん自分の弱さに気づいて接してくれた優しいエルシィと別れることも辛い。

オレはエルシィや子供たちにまだ何のお礼もできていない。尚更ここから出ることは自分が許さない。そんな言い訳を作ってここにとどまりたい理由を考えているみにくい自分がいた。


それでも……素直に男の話を承諾する気はなかった。



「…オレは…」



『………本当にそれでいいのか?』



「…誰だ?」


どこからともなく図太く、邪悪な声が聞こえてくる



『………お前はここにいるべきではない』



真っ暗な闇の中に全身が包み込まれ、今まで感じたことのない恐怖…戦慄せんりつを体感する。

急激に心臓の鼓動が速くなり、異常な程に心拍数が上がる。全身の毛穴からは大量の脂汗しかんが分泌し、滝のように流れだす。


……や、やばいっ!


銀二さんとシスターたちが心配そうにしている様子が目に入る。


「はぁ…はぁ」


一瞬の出来事で収まったようだが、極寒…いや、体感した今なら分かる。


恐らく『使者』に似た何か。


「どうしたんだい、陸人!…急に顔色が悪くなって」


三人は立ち上がってオレに駆け寄ってくる。


「い、いえ…なんでも……」


先程の声の正体は『使者』だったのだろうか。

いや『使者』は生物や物質ではないため、声は発しないはずだが。それ以前に『使者』が何者なのか今のオレには全く分からない…考えても無駄だろう。

しかし、いつも体験しているものとは全く異なる現象であった。


「オレはもう大丈夫です…心配なさらず…」


三人に心配をかけるのが嫌で、必死に平静を保とうとした。


数分間深呼吸を繰り返す。まだ平静さを取り戻してはいないが、無事意識は戻りつつある。



『……』




______背後に、見えない何かがまとわりついている気配を残して





_____





「リクト…いきなりなことで不安なのも分かるけどリラックスよ。深呼吸して…」


「…もう大丈夫だから…ありがとう」


もう大丈夫だ。


先程の苦しみを味わってようやく平静を取り戻した後、不思議なことに徐々に心地いい気分になっていくのだ。

全ての感覚が研ぎ澄まされているかのように、力がみなぎってくる。今まで自分の生き方を拘束こうそくしていた重荷が半減されたかのような清々しい気分。

なぜこんなことが起きているのか…まるで分からない。


「…顔色はもう良くなっているね。安心したよ」


男はホッと安堵あんどの息をもらす。


「良かったぁリクト…心配したわぁ…」


素直にその気持ちは嬉しかった。


だけど…この違和感はなんだろう。


「エルシィ……聞きたいことがあるんだ」


この時この場でエルシィに確かめなければならないことがある。そう思った。


「ど、どうしたの…急に…」


瞳孔どうこうが開き、口元がキツく閉まる。彼女は今緊張状態に陥っている。自律神経の活動が活発になって心拍数増加と共に血流が良くなっているのが証拠だ。

その上オレの発言への反応速度が速かったこともその生体反応におけるものだと裏付けられる。


なぜだろう…今まで見えてこなかったものがよく見える



「……オレに何か隠し事してるでしょ?」



そう思うように至った経緯はオレが窓から銀二さんを観察していて、来客室の三人にまだ気づかれていない時。

シスターたちはいつも通りの様子だった。しかしオレが銀二さんに見つかり、この部屋に入ってきた後からシスターたちの様子がおかしくなった。

些細ささいなことだが、何か引っ掛かりを覚えたのである。


三人はちょうど、オレの身元引き受けの話について話を進めていたのではないか。


そのことについては銀二さんから直接オレに伝えられたのだから当然だ。


だが問題はそこではない。最初はてっきり銀二さんを恐れていたからと思っていたが、感覚が研ぎ澄まされている今のオレにはよく分かる。


果たしてオレが彼らの話に参入しただけで、エルシィたちは悪魔を見るかのような怯えた顔つきになるのだろうか。


オレが入室してから何か危惧きぐしていたアクシデントやイレギュラーが発生したのではないか。彼らがオレについての話をしていくにあたり、ちょうどオレが参加するなら早く話が進むはず。


あくまでもこれは仮定の話だが、真実に近いものだと断言できる。


なぜなら、このオレの問いに対してエルシィたちは黙り込むという選択肢を選んでしまったのだから。


「エルシィはあらかじめ銀二さんが来ることを知っていたんだよね。それならば身元引き受けの話は当然知っていたはず。

何でそのことを事前にオレに教えてくれなかったの?」


エルシィもそうだが、隣に腰をかけているおばあちゃんシスターも何故か銀二さんの方へと目線を送る。

まるで何か不都合でもあったかのように目で助けを仰ぐかのようなものであった。


「…銀二さんとは初対面よ。どうかしたのかしら…まだ体調優れていないんじゃないの?」


「オレはもう平気だよ。それより自分の心配をした方がいいんじゃないの?今のエルシィは何か焦っているように見える」


「……そ、そんなことないわよ」


オレも大概だが、エルシィも嘘をつくことが下手だったことを初めて知った。

苦笑いして必死に嘘を取りつくろって誤魔化しているようにしか見えないし、銀二さんからの異様な圧に押されているためか。より緊張が混ざった話し方になっていた。


「ねぇ、オレの目を見て本当のことを教えてくれよ……エルシィ」


噓をついてこの場をやり過ごそうと考える大人はオレと同様に惨めな存在だと思える。


「…リクト…?」


今の自分に感情があるのかはっきりとは分からないが、物事の『本質』はよく見えている。 


闇の中の底なし沼に誘い込むよう、ドス黒い目の圧を送り込み、エルシィの目線をこちらに無理やり引き寄せる。やがてその情景を目の当たりにしたのか。

エルシィは驚きと畏怖いふの表情を浮かべ、焦点が合わなくなった目をすぐさま閉じ、自供じきょうしてくれた。


「嘘をついていたわ…ごめんなさい!あなたはここから出るべきだと判断したの。

私の勝手な考えかもしれないけど、あなたは世の中を早い時期から知っておいたほうがいいと思ったの。

辛いことを多く経験してきたあなたは、他の人より幸せになる権利があるからよ。

私は前々から銀二さんとあなたの話をしてきたのだけれど、彼ならあなたを本当の息子のように育ててくれると信じているわ…」


「…そっか、ありがとう…本当のこと言ってくれて」


男とはいつから面識があったのか確認しておきたかったが、今はさほど重要ではないため後回しにする。


それに、今この場で言わなければならないことがある。


「でもねエルシィ。オレは嫌だよ。ここでずっと過ごしたい。まだここに来てから一年しか経っていないけど子供たちやエルシィと一緒に暮らしてきて、

そう思い始めてきたんだ。ここのみんなが好きだし、別れたくない」


こんなオレのことを大切にしてくれると言ってくれた銀二さんには本当に申し訳ないが、このオレの思いを受け止めて引き返してほしい。


「そう…そうね」


死んだ父親がなぜオレを銀二さんに託したのか。

その理由は依然として知らない。遺書でも残してあったのか。もしそうならばなぜ銀二さんはもっと早くにオレを連れ戻しに来なかったんだ。


……もう遅い。


本当にすまないと思っている。だけどオレは進むべき道を自分で決めたんだ。

何のしがらみのない人生、そんな自分だけの道をただ走り続けたいと。


「だそうです……銀二さん。すみませんがあとは任せます」


「…エルシィ…?」


オレの理解が追いつかないまま気まずい雰囲気となり、再び沈黙が訪れる。

見るからに三人の様子がおかしい。

何か隠し事しているというオレの推測は当たっていたが、その隠し事はいったい何なのだろうか。


推測の内には『最悪な状況』を幾つか考えてあったが、それらはあまりにも現実性がなく、オレの想像でしかないと踏んでいた。


だけどもしその『最悪な状況』が訪れてしまったら…


「すまないね陸人…もうすでに君は僕の家族になると決まっているんだ」


シスターたちは申し訳なさそうに頭を下げ、オレの顔を極力見ないように努めている。

この話をされた時、悲しみに満ちたオレの表情を想像してしまって見るに堪えないのだろう。


『最悪な状況』になってしまったこの時、悪あがきするしか方法はないのだと知る。


なぜならこの『最悪な状況』は事前に仕組んである話であり、そのために必要な駒も相手方はすでにそろえてあるからである。


勝ち目はもはやない。


この身元引き受けの話は自分のいない時に、この三人の間ですでに確約された話だったことは気がついてはいた。

気付いたからといってどうすることもできないし、涙も出てこない。この状況におちいった今の自分がどういう顔をしているのかすら分からない。


ただ全身の力が抜け落ち、重い頭が項垂うなだれるだけだった。


シスターたちの「ごめんなさい」という言葉が頭の中で反響される。



「本当にごめんなさい……」



「……」



今までオレに向けてきた優しさが、全て嘘だったんじゃないかと思い始める。



この孤児院に引き取ってくれたこと。



『疑問』について一緒に真剣に考えてくれていたこと。



『使者』に取り込まれ、意識を失っているときもずっとそばにいてくれたこと。



孤児院の母だから自分の子供たちに優しくするのは当たり前だと思っていたのかもしれない。



だとすれば……オレにやさしく接してきたにも関わらず、噓までついてここから追い出そうとする理由は一つ。

 


オレの存在を惨めに感じ、同情してくれたら。



この孤児院にオレみたいな弱者はいらないと引き取った後に後悔したのだろう。

だからシスターたちは、こいつの手に渡すと決断したのだ。正直この期に及んで、そんなことを信じたくない気持ちがまだ残っている。


だが、追い討ちをかけるかのようにその気持ちがそぎ落とされていく。


「この話や書類の手続きはもう済ませてあるの。悪いけどあなたはもうここには戻って来れない。

けれどあなたのためにこうすることが一番なのよ。わかって頂戴……」


「お婆さま……今のリクトにそのようなことは…」


オレは鉛のように重くなった頭をゆっくり上げ、

シスターたちの欺瞞ぎまんに満ちた顔を今一度見ておきたいと思った。


あぁ、なんでそんな悲しそうな表情をしているんだろう。なんでそんな嘘で塗り固められた人生を過ごせているのだろう


両親の死を知った時と同じように、ひび割れたオレの心が崩れていく。


この孤児院から離れ、この男について行かなければならない。これからオレだけが不幸になるべくしてつくられた世界で生きていかなければならない。

そう考えた途端に底知れぬ恐怖を感じた。


「今の君は多くの不安やどうしてこうなってしまったのかという『疑問』で、頭の中がいっぱいになっているはずだ。だけどここに僕がいる。君の父親として頼れる僕がいる。一緒に幸せを歩んでいく家族がいる。安心してくれ。君をもうそんな辛い目に合わせたくない。だから僕と一緒にお家へ帰ろう……」


しぶしぶ承諾し、頭を下げるしかなかった。


「ありがとう…陸人」


男は心底嬉しそうな顔をして喜んでいる。




…………外面だけは。




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