LEAD~zeus project~

ヤジン

第1話 疑問


ここはイギリスの北西部にある辺境の地で

地図には載っていない隠里みたいなところだ。

気候は一年を通して悪天候が目立つが、今日は珍しく晴天であった。


周りを見渡せばポツポツと茶色のレンガの小さな家や小屋が建っている。

この村の家屋などはとても少なく、それに伴いここの人口は数百人しかいない程度の限界集落だ。

おまけに少子高齢化が進んでいるため、働き手の若者は少なく、景気はあまりよろしくない。


今年、西暦2023年


よそでは科学技術や産業が急発展しており、生活水準が高くなっていると聞くが、ここは外部とほとんど隔絶されているため、電気や水道がない生活が主流になっている。未だにここの村民のスマホの所有率は低いし、ゲーム機を所有している人なんてオレは一切見たことがない。


「待てー!リクトー!速いよー!」


幼い子供たちは純真無垢じゅんしんむくな笑顔で、荒れ果てた大地を駆け巡る。この広大な荒野で、オレたちは鬼ごっこをして遊んでいた。

孤児院の子供たちの中でもオレが一番年上であり、彼らより身体的にも有利なオレは、鬼になっても逃げる側になってもいつも勝ち残ってしまう。


その退屈しのぎのため、余りある時間に毎度同じ問いを自分に投げかけるのだ。



…本当に自分は生きてていいのだろうか



八歳のオレには、その問いの答えをどうしても知りたくてしょうがなかった。

なぜその問いについて執着しているのかは自分でもよく分からない。逆にオレが知りたいほどだ。


「……眩しいなぁ。今日は一段と」


熱く照った太陽に向けて右手をかざして見る。

季節としては夏だが、気温二十度前後と、ちょうどいい気温で、肌に優しく心地いい風がなびく。


「ちょっリクト〜! どこまで行くんだよ~、いい加減僕たちに捕まってくれよぉ……」


後方からオレを呼ぶ声がしたが、ただの雑音としてオレの脳内は処理したのだろう。

特に気にも留めず、ただひたすら走りつづける。


この村に来てざっと一年か…


子供たちがオレのことをリクトと呼んでいる通り、オレは漢字表記では陸人りくとという名前をもっている。もちろん日本人だ。


そしてニ年前に両親を亡くした。


家族とイギリス旅行に行っている最中に両親とはぐれ、紆余曲折うよきょくせつあってここまでたどりついたのだが、後に両親を失ったオレのことを気にかけてくれた、この村のシスターがオレの身元を引き取ってくれた。オレに親戚はいなかったし、ずい分とかわいがってくれた祖父母はすでに他界していたため、オレの身元の引取手は誰もいなかったのだ。


両親とはぐれた時のことは、断片的にしか覚えていないが、絶望感で仕方がなかった。見知らぬ国、見知らぬ都会の空気に、当時オレは六歳。

日本人とは違った顔立ちや体格が大きな人たちに囲まれ、流されるままにここへ至ったわけだ。

ここへ来る途中は、食べ物や飲み水もなかったため、雨水を飲んだり、草を食べて飢えをしのいだ記憶は鮮明に残っている。


……ずっと独りぼっち


話しかけてくれた大人たちが、何を言ってるのか理解できず、怖くて逃げた。

やがて疲れ果て、倒れていたオレは、この地に住むやさしい老夫婦に拾われ、彼らのもとで一年弱を過ごした。

最初は警戒心しかなかったことは覚えている。

言葉が通じない人と話すこと、話しかけることが嫌で、どうしようもない混乱に自分が押しつぶされるようだった。


「……」


そんな汚い捨て犬のようなオレを、何も言わず、しわくちゃの手を震わせながら、やさしく抱きしめてくれた彼らは、まるで祖父母のように、国境を越えてもなお同じ温かさをくれたのだ。


彼らの家は農業を営んでいたため、オレは農場に牧草を運んだり、牛や鶏などの動物と触れ合うことができた。

初めての経験だらけで、彼らの手伝いをするのが楽しかったし、なにより二人が嬉しそうな顔をするから好きだったのを覚えている。

二人の知り合いの教師にこの地の言葉を教えてもらい、この村のことやイギリスがどういった国なのかもたくさん教えてもらった。


それからはオレは知らないことを知る喜びを知り、勉強というものが好きになっていった。


しかしこの家での生活に少しずつ慣れていき、充実感を感じるようになってきた日々に、突然亀裂が入ったのだ。


「ママとパパが死んだ…」


ある日、近所のおじさんの家で新聞を読んで、この地の言葉の理解を深めようとしていたときだった。

新聞の見出しには「ロンドン自爆テロ」と大きく書かれており、その記事の詳細を読み続けていくと、事件の被害者一覧にオレの両親の名が連なっていたのだ。同時に最近覚えたての[死亡]という単語も目に入った。


なんでオレの両親の名前がここに書いてあるのか不思議で仕方なかった。

きっと何かの間違い、そう信じたかった。

しかし思い返せば思い返すほど、忘れかけていた記憶の断片が徐々に修復されていく。両親とはぐれた場所の地名はロンドンであったし、同じ日本人がいたのだろうか。テロと叫ぶ大人がいたことも思い出した。


あの時、あんな騒動があったんだ。「ロンドン自爆テロ」とみなして当然だろう。

これらの記憶を思い出しただけで、両親の死についての確証が得られたのと同然。



…あぁ、ほんとに死んだんだな



その時のオレは、ショックで暴れまわったのか悲しみにうちひがれていたのかすら覚えていない。



けれど



……ただただ自分の人生を呪った



「リクト…お前さんはもう十分苦しんだよ。一生分苦しんだ…あとは幸福しかこないはずだ」


おじいちゃんはいつもこの言葉を投げかけては、そっとやさしく抱きしめてくれた。おじいちゃんはどん底の生活の後には、幸せな生活が待っていると信じており、辛くて苦しい場面におちいった時、おばあちゃんと共に明るい未来を想像しながら時が過ぎるのを待つという。


そう。時の流るるままに、彼らは幸福というものを得てきたのだ。


「…そんなことあり得るのだろうか」


だけどオレは、その言葉の裏の背景を見てしまうのである。

どん底の下は何もなく、その状態はいつも変動する。

そう考えると確かに幾分か幸せな生活が送れることも期待できるが、その後により辛く過酷な人生を辿るかもしれない。そう解釈してしまっていたのだ。


もし彼らも死んでしまったら、この先どう生きていけばいいのかと考えると、多大な恐怖や孤独感に押しつぶされそうになる。


負の考えが循環し、少しずつ自分が崩壊していき、終いには正常な思考ができなくなってしまっていた。



______




家の手伝いも食事もままならない日が続き、彼らはオレのことを心配してくれ、医者や周りの人たちにも助けを仰いでくれた。


ここの村の孤児院の母、シスターエルシィ。彼らの助けに応えてくれた一人だった。心を病んでいたオレは孤児院に入ることをすすめられたが、かたくなに拒否した。

人と関わりたくなかったし、このまま一人で飢え死にしたいと考えていたのだ。

だがエルシィは何度も何度も、オレのところを訪ねては、自分の歪んだ気持ちや心にいつも寄り添ってくれた。


いつも理解しようとしてくれていた。


そんなエルシィの献身的な励ましもあったおかげで、オレは自分の『存在意義』を見出すことができた気がして、次第に人と関わることへの拒絶心がなくなっていったのだ。


まさしくエルシィは、闇の中にいたオレに光を照らしてくれた太陽そのものだった。




_______________




「みんなー!お昼ご飯できたわよー戻ってきなさーい」


どこからともなくエルシィの声が聞こえる。

孤児院からかなり遠くまで走ってしまっていて、何を言っているのか聞き取れなかったが、時間的にもお昼の時間だし、昼食ができた頃だろう。 


子供たちの面倒を見るのが大好きで、いつも快活なエルシィは、オレたちの母親そのものだ。ここにはオレと同じで、辛い経験をしてきた子供たちが集められており、中には戦災孤児だったり、親に見捨てられた者など様々だ。


そんな過酷な道をたどってきた者同士暮らしていくことで、お互いの痛みを分かち合える。


「…あれ」


気がつくと、一緒に遊んでいたみんなはもうこの場所にはいなくなっていた。


「リクトー!なにぼーっとしてるの。早く戻ってきなさーい」


さすがに、怒らせると怖いエルシィを待たせてはまずいと思い、駆け足で戻っていく。


「また考え事していたの。よかったら教えて頂戴」


エルシィの青くキラキラした眼差しを向けられ、少したじろぐ。


「べ、別にしてないよ…鬼ごっこが少し退屈だなって思ってただけ」


なぜオレは意味のないところで変なプライドを発揮してしまうのだろうか。もっと素直になれたらなといつも思う。


「ふーん、そう……リクトは足速いからね〜。それに年長さんなんだから、少しは下の子に手加減してもいいのよ」


「う、うん…手加減してるよ。オレ…」


…またやってしまった


「手加減なんてしてないでしょ。もうっ、嘘つくの下手なんだから」


そう言って彼女は人差し指でオレのほっぺたを突いてくる。なんだかとても恥ずかしい。


エルシィがすぐ気づいた通り、オレは嘘をつこうとすると、その先何を話したらいいのか頭の中で整理がつかない。

頭が悪いせいか、その先どう言い逃れすればいいのか分からなくなり、話が中断してしまうのである。良い癖でもあり、悪い癖だ。


エルシィと一緒に院内に戻り、玄関先にある十字架の前で両手を合わせ、お帰りのお祈りを済ませる。


「それで?」


「それってなに?」


「ホントは考え事してたんでしょ…良かったら私に聞かせてちょうだい」


「うーん…でも難しいな」


「そのまま思ったことを私に聞かせてちょうだい。いつもそう言っては、最後に話してくれるでしょっ?うふふっ」


オレがその考え事『疑問』を話そうか躊躇ちゅうちょしている間に、いつもエルシィが意地悪してきたり、話させるように誘導してくるため、結果的に言ってしまうのだ。仕方なく。


「…笑わない?」


「笑わないわ。今まで笑ったことないでしょ。リクトが面白おかしい話をしてくる時以外は」


そう言ってエルシィはオレに微笑えんだ。


「…神様はオレが生まれてきたことを祝福してくれたと思う…かな」


この『疑問』は、オレの『存在意義』を考える上で避けては通れないこと。普通の人が聞けば、何を血迷ったことを言っているんだと思うだろう。

だがこの村の人たちやエルシィは違う。『一神教』の『教徒』、唯一神を崇める者たちがたくさんいるこの村では、オレの『疑問』を真剣に聞いてくれ、真剣に考えてくれる。そしていつもオレに適切な答えを与えてくれるのだ。


その『疑問』を聞いたエルシィは、オレの目の位置まで腰を下げ、いつになく純粋で透明な目をこちらに向けて、顔を近づけてくる。


「当たり前でしょ。神様はこの地球を作ってくださり、私たちをも創造してくれたのよ。私たちの身の回りに起きる出来事は何か意味や理由があるの。

もちろん私たちが生まれてきたことにも意味や理由があるのよ。リクトは頭がいいから、自分やその周りのことを疑問に思うことはいっぱいあると思うわ。

…また何かあったら、こっそり私を頼ってね!」


「…そっか、そうだよね…」


両親を亡くしてからのオレは、無意識に心の吐口を探してしまっているのではないか。誰かに迷惑をかけているのではないか。そんなことばかり考えてしまっている。特にエルシィに対してその思いが強く働いてしまい、いつも自分なんかの話をしていいのかと思ってしまうのだ。


エルシィは、親を亡くしたオレの過去を察してくれたのだろうか。オレの目を見つめてそっとやさしく抱きしめてくれた。


「ありがとう……エルシィ」


心の中でエルシィに話をしてよかったと、いつも思う。自己嫌悪になった自分が行きつく先は、いつも空虚であり、その時のオレがいつもすがって頼るのはエルシィだ。


一人じゃ何もできないで廃に染まっているこの命は、エルシィの温かい言葉で現世に繋ぎ止められている。




________




一先ず安心したオレは、エルシィと手をつないで、みんなのところへ向かう。


食堂のドアを開けると


「もうー!リクトたち遅いー!俺たちすごい待ったんだからねー!」


「悪い悪い。ごめんな」


食事はいつもみんなで食べる決まりがあるため、年少組はオレの帰りが遅いことで腹を立てていた。軽くみんなに謝罪してから、オレは席に着き、みんなで両手を合わせ、食前のお祈りをする。


「いただきますっ!」


腹を空かせた子供たちは、勢いよく料理にかぶりつく。ここでは行儀など重んじられるが、そんなこと気にしている子供は少ないだろう。


「こら!行儀良くしなさい!あなたたち!」


…エルシィの目が届かないうちはだが、


「それでねっリクト!…」



食事の時間はみんなと楽しく話せるし、考えることを忘れさせてくれるから好きだ。食事以外にも、ここに来てから初めて経験するようになった沐浴もくよくや聖書の音読。他にも荒野へ行って遊んだり、庭で楽しく遊んだり、家事の手伝いをして気を紛らすことができる。時には悪ふざけをしたり、友達と喧嘩したり、オレはそんな毎日が好きだった。


「ごちそうさまでした!」


みんなで食後のお祈りを済ませ、歯磨きをし、昼寝の時間に入る。

一つの大きな部屋に二段ベッドがずらっと並んでいる寝室で、みんな寝言やいびきをかきながら気持ちよく寝ている。



その時オレは昼寝をせずに、また考え事をしてしまっていた。





_____




オレの『存在意義』とは一体何なんだろうか——



オレの『疑問』を全て払拭ふっしょくしなければ———



頭の中に浮かぶ数多あまたの人生の道筋を編み出していく。



「…………」



来た。



一人で深く考え事をしている状況におちいった時に『使者』がやってくる。


禍々まがまがしくてドロドロした何かにゆっくりと全身を包み込まれ、一瞬気を抜いただけで自我が喪失してしまいそうな感覚。

無論この経験はこれが初めてではない。この不思議な体験は両親が死んだと知った日以来、引き起こされるようになったものである。

悪夢を見ているんだ。最初はそう信じていた。

だが日が経つにつれ、この体験を繰り返していくうちにこれは夢ではないと断言できてしまうものだと認識した。

到底言い表し難いこの体験を大人たちに説明しても、誰も理解してくれなかった。


時が経つにつれて消えてくれるだろう。


大人になれば心身ともに強くなって『使者』を排除することができるだろう。


いつか自分を理解してくれる人と出会えるだろう。


他者依存し、時の流れに身を任せることでいずれ解消する症状。そんな風に楽観的に考えていた。だけどそんな自分を客観的に見てみるといつも思うのだ。




_____なんて惨めなのだろうと




______





「分からない」


「自分のことを考えると、息が詰まる」


「こんな自分…消えてなくなれ」





_______



_____





底無し沼にハマったかのように体の自由が奪われる。不満不快、孤独感、孤立感…無数の負の感情の渦に取り込まれる。



……自分を捨てて何もかも『使者』に身を任せればいいのだ。





_______________________


______________




「リクト…おきて……」


どこからともなく誰かがオレの名前を呼んでいる。その声に反応したオレは目を覚まし、ゆっくりと体を起こす。


オレは今いる場所や自分の体の感覚を確かめる。

特に気分は悪くない。


「良かった…いつも通りだ」


今正常に生きているのだと実感する。

壁にかけてある時計を見ると、オレは昨日の昼寝の時間から今日の朝六時まで寝ていたことが分かった。


「うーん…もう、リクト…すうぅ」


椅子に座りながら、オレのベッドの横端にうつ伏せで寝ているやつはオレと同い年のミリーだ。

どうやら気を失っていたオレのことをずっと見ていたらしい。

彼女にそっとタオルケットをかけ、オレは食堂に行って一杯の水を飲む。


「はぁ……」


思わずため息が出てしまう。


『使者』に取り込まれた時、暗い闇の中で何年もいるかのような感覚を体験する。

時間という概念がない一つの真っ暗な世界に一人。その世界に存在する闇の沼に引き込まれるのだ。

オレはその沼の中にある一本だけの命綱に捕まり、体中の穴という穴から汚物が入り込んでおぼれながらも、ひたすら助けを呼ぶ。

自分一人では…なす術がない。


しかし現実世界でのエルシィや子供たちの声は確かに届くのだ。


みんながオレのことを心配してくれている。

気にかけてくれている。ただそれだけで嬉しい。



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