第二話 受け入れた婚約破棄

 サラーメはスキレットのたくらみを知るまで、夫となった彼に爵位を継承してもらって、ファブリアーノ領の再興を一緒に取り組めたらと期待していた。

 しかし、婚姻後に彼女を殺害して別の令嬢との再婚を計画していると判明して絶望する。


「ああスキレット様、以前はあんなに優しかったのに……。ねぇクラウト、本当なのですか!? 私にはとても信じられません!」


 サラーメはクラウトに食って掛かる。

 しかし老執事は目をつむり首を横に振った。


「スキレット様が関わっているという証拠はあるのですか?」

「こちらが盗賊組織の下っ端を買収して手に入れた……お嬢様殺害の相談記録、この相談記録にある毒草に関しては、同じものをスキレット様が商会に発注されていて、こちらが発注記録です」


 確かに、最近のスキレットは以前とはすっかり変わってしまった。

 顔を合わせても以前の様な微笑みはおろか、サラーメとまともに会話をしようとしなくなった。


 それでもいつか、以前の様に優しい彼に戻って私へ愛情を注いでくれる、そう思ってスキレットを信じ続けた。


 しかしそれは、ファブリアーノ家が絶対の信頼を寄せる老執事によって、証拠と共に否定されてしまった。




 恋焦がれ、毎日のように会いたいと思っていたあの人が、別人のようになってしまった。

 もう、自分への気持ちが一切ないことが分かった。

 それどころか命を奪う対象に成り下がってしまった。


 求めていた愛などもう存在しない……。


 近頃の彼の変化に、自分に対する今のスキレットの気持ちを感じてしまった。

 感じたくなんてなかった……。

 彼を想い慕っていた自分が愚かで、ただ愚かで。

 本当に情けなくてぽろぽろと涙がこぼれた。

 何からも救われない絶望を感じ、私の心は暗い地の底へと深く深く沈んだ。




 悲恋に落ち込み、長く悲観に暮れた彼女は、母と執事に支えられて少しずつ前を向き自分の心を立て直すと、今ファブリアーノ家が置かれた状況を冷静にかえりみた。

 そして一つの結論に達した。




 このまま彼と婚姻すればファブリアーノ家が断絶する!




 サラーメはこのことを確信した。


 家の断絶を確信してからの彼女は早かった。

 領地を守りスキレットと婚姻関係を作らないため、すぐに動き出したのだ。


 十三歳のサラーメは老執事クラウトの力を借りながら、まず、ファブリアーノ家と血縁関係がある親族の子息がいないか探した。

 この国では血縁関係があれば、嫡男ではない養子であっても爵位を継承できるからである。


 幸い十歳で未成年ではあるが、血縁関係のある親族の三男、サルデ・イン・サオールに出会うことが出来た。


 最初、この三男の気持ちは身近な想い人にしか向いておらず、急に現れたサラーメの話を聞こうとはしなかった。

 だが、彼に親身になって接するにつれ次第に心を開き、彼の性格が頑ななのは真面目過ぎるがゆえの一途であると気付く。


 三男の彼の性格が貴族として生きるのに苦労するとしても、人柄はとても信頼がおけると感じたサラーメは、ファブリアーノ家の爵位を継がすという条件で養子として義弟になる約束を取り付ける。


 ただこのままでは、義弟が爵位を承継できる十五歳の成人まで五年もあり、それより早くサラーメとスキレットの婚姻時期が来てしまい、スキレットに領地のみならず爵位が継承されてしまう。

 さらに、スキレットと婚姻すればファブリアーノ家とシーズニング家は今まで以上に近い親族関係となるため、将来に憂いが残る。


 いずれにしろ、ファブリアーノ家を守るにはスキレットとの婚約を解消しなければならない。


 だが、自分から婚約を破棄することはできそうになかった。

 なぜなら、この婚約はファブリアーノ家から申し込んで実現したのだから。

 そしてスキレットにはサラーメから婚約を破棄できるような、表沙汰になった事件はまだないのだ。


 いくら情報があるといっても、その証言は犯罪集団を買収して得たもので、老執事が入手したという理由で身内が信頼しているだけ。

 ファブリアーノ領を取得したい彼が、世間的には信用に値しない状況証拠で、簡単に婚約解消を受け入れるとはとても思えなかった。



◇◇◇



 学園の中庭でサラーメに婚約破棄を言い渡したスキレットは、確信を持って彼女を嫌悪して本気でサラーメの裏切りを怒り、そして縁切りを強く望んでいた。

 彼の眼には迷いや詐称の様子もなく、ただただ嫌悪と疑心しか見えない。


「ねえ、お二人のいざこざの原因は何ですの?」

「シーズニング様が例の噂を信じているようなのです。でも、噂だけでファブリアーノ様との婚約を破棄するなんて……」


 サラーメの視界の端には、こちらを見てひそひそ話すクロスティーニ・ブルスケッタ伯爵令嬢とその友人の姿が見えた。

 どうやら彼女はスキレットの画策とは関係がなく、ただ言い寄られていただけのようだ。


 この魔法学園に通う貴族子女たちは、市井に生活の近い爵位の生徒も多く、スキレットが断罪の根拠とするサラーメの噂に聞き覚えのある者も多かった。

 そう、彼は市井に広がる噂を以て彼女を断罪し、婚約破棄を言い渡していたのだ。


 噂以外に根拠のない話。


 しかし噂とは思えない程にその話は詳細で、例えスキレットでなくとも当事者であれば信じてしまう、それくらい事故に見せかけたスキレット殺害の計画は真実味があった。


 サラーメはスキレットとの婚約を解消するに足る程の、でたらめで酷い噂を流したのだ。

 噂を信じたスキレットに、サラーメとの婚約を破棄したいと思わせるために。

 この婚約破棄でスキレット以外に誰も傷つく人がいないように、あくまでサラーメ自身に関する嘘の噂を流したのだ。


 けれども、ただの噂で普通はこれほど人を動かせるものではない。

 まずは事実であるか裏を取ろうとするのが普通だからだ。

 にもかかわらず、スキレットが噂を真実だと疑わないのは、創り込まれた殺害計画の緻密さによるものだけではなかった。


 サラーメは今朝、嫌がるスキレットに報告があると言って耳打ちをすると、彼の耳を触ってこっそりと魔法『真っ赤なうわさ』を使用していた。


 この魔法はサラーメだけが有する固有魔術『赤い情報操作』に属するもので、根拠のない噂を相手に信じ込ませる効果がある。

 効果が大きい分発動条件は厳しく、信じ込ませたい嘘があくまで噂として相手へ伝わっている必要があった。

 さらに、サラーメはとても大きなペナルティを受けることになる。


 そのペナルティとは、相手への自分の想いが強いほどに相手から憎まれるというものだった。


「これだけ明確に俺への悪意が見えているのに、婚約を維持するなどありえない。このまま日々命を狙われて過ごすなどありえるものか!」


 怒りに燃えていきり立つスキレットを、第二王子ノバルティスがたしなめる。


「両家が決めた婚約であるのに、何も事実がないまま噂だけで一方的に破棄するのは道理と言えぬ」

「ですが殿下、こいつは俺の指摘に何ら反論しません。このことこそ殺害計画が真実である何よりの証拠!」


 確かにスキレットの指摘が間違いであれば、自分の濡れ衣を晴らすべく自己弁護をするのが当然の流れである。

 しかし、サラーメは黙ったままだった。


 ノバルティスは確認する。

「そなた、スキレットの主張に反論はないのか?」


 第二王子の問いに顔を上げたサラーメの表情は複雑だった。

 彼女の顔は恋焦がれる者からの侮蔑を受ける悲しさ、それでも揺るがない決意が混じりあい、口元を歪めていてもスキレットを愛情深く見る目元は優しげなものだった。


 そのままゆっくりと目を閉じたサラーメは、一筋涙を頬に伝わせてからわずかに口を開くと、静かだが意志のこもった声で第二王子の問いに答えた。




「噂のような事実はありません。ですが、私を拒絶するスキレット様にこの言葉は届かないでしょう。残念ですが婚約破棄を受け入れます」




 彼女の魔法『真っ赤なうわさ』は発動し、噂を信じ切ったスキレットは想定通り怒り狂い、命の危険を感じたこともあって思惑通りに婚約破棄を言い渡し、そしてサラーメは予定通りそれを了承した。


 かくして、男爵位を手に入れサラーメを殺害し、婚姻相手を伯爵令嬢に乗り換えるというスキレットの計画は阻止された。


 ただ誤算だったのは、サラーメとスキレットが通う魔法学園の中庭で、生徒たちに見られながら断罪が敢行されたことだった。


 それも心から愛していたスキレットに断罪され、学園内で見世物のようになってしまった。

 婚約破棄されるだけでも不名誉なのに、沢山の貴族子女たちに断罪の場面を目撃されてしまい、完全にファブリアーノ家の家名に泥を塗ってしまった。


 彼女はこれから再興を目指すファブリアーノ家に自分の不名誉が影響するのを案じると、病気がちの母とファブリアーノ領を義弟サルデに託して、身分を隠し市井で暮らす道を選ぶことにした。

 平民のフリをして実家を陰で支えることを決意したのだ。




 スキレット様。


 もし、貴方が私の殺害を計画しなければ、近々貴方は男爵位を継承しファブリアーノ領の領主としてその能力を発揮していたでしょう。


 もし、貴方が私の殺害を計画しなければ、私はいつまでも愛する貴方の傍で微笑んでいたでしょう。


 出来ることなら、一緒にファブリアーノ領の再興を目指したかった……。


 貴方に後悔をさせたい。

 私をないがしろにしたことを。


 そして再興した豊かなファブリアーノ領を貴方に見せつけたい!


 きっといつか……、私が貴方へ抱く愛、それが『真実の想い・・・・・』であることを感じて欲しい。




 こうして信頼できる義弟を得てスキレットに婚約破棄された彼女は、ファブリアーノ家を出ると、実家再興を目的に市井で奔走する日々を過ごした。



◇◇◇



 そして八年が過ぎた今日、第四王子の婚約パーティでサラーメとスキレットの二人は顔を合わせたのだった。



次回、「真紅の令嬢への未練」

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